百三十二 下男、第一王子に会う
王城を囲む城壁の上。見張りが何人か立っているが一人一人の間隔は非常に広く、大声で叫んでも変人だと思われる程度でさほど迷惑にはならないだろう。
さて、一体何をするのだろうかとヘレナを見ていると、彼女は一度深呼吸した後伸びやかな声を出した。
きれいな歌声だった。
何の曲かはわからなかったが、心が現れるような気持ちになる歌声だった。
彼女が歌いだした瞬間、風の流れが変わったような気がした。彼女の歌声が風に乗り、王城を飛び出して王都の端にまで届いているような、そんな錯覚を覚えた。
視界の端に居た見張りの兵士は、ヘレナの歌声に気付くと、耳を澄まして聴き入っていた。
こいつはたまげたと思いながら、俺はぼうっと歌を歌う少女を眺めていた。
少女が歌い終えると、気恥ずかしげに俺に尋ねてきた。
「その、どう、でしょうか?」
「とても素晴らしかったですよ」
俺は率直な感想を口にしたのだが、少女はどこか残念そうな様子だった。
「あの、正直な感想を、聞きたいのですが・・・・・・」
「心の底から素晴らしいと思いましたよ。殿下もそうおっしゃられたのではないですか?」
「はい。殿下もそうおっしゃってくださったのですが・・・・・・」
何とも含みのある言い方だった。
「殿下はお世辞を言う方ではないでしょう」
「私もそう思います。ですが、母が・・・・・・」
彼女が「母」と口にした瞬間、俺は千載一遇の好機を感じ取った。今まで一度も考えていなかったが、ヘレナの出生のことを本人に聞きだす、という手段も存在しているはずなのだ。彼女の口から直接家族の話を消えるということであれば、それに越したことは無い。
「お母上が何かおっしゃられたのですか?」
「・・・・・・はい。絶対に人前で歌ってはいけないと。それは良くない歌だと。・・・・・・こんなこと、いきなり言われても困りますよね」
「いいえ。親の言葉が呪いの様にまとわりつくのは、よくわかりますよ」
ふと、前世の父親のことを思い出す。あいつの存在は、今世の俺すらも苦しめた。全く、最悪な話だ。
「呪いだなんて。母はきっと私のことを思って」
「最初は優しい祈りでも、貴方を苦しめ続けるならそれは呪いと同じですよ。貴方の歌は素晴らしい。これは嘘偽りない正直な感想だ。折角だ。あちらの兵士の方にも聞いてみては?」
俺が手をさした方に顔を向け、視界に兵士が映ったのか、ヘレナははっと元の位置に顔を戻して赤らめた。聞かれていたことが恥ずかしかったのだろうか。
「彼も貴方の歌に聴き入っていましたよ」
ヘレナは躊躇いの表情を見せていたが、やがて決心したような顔つきになると、兵士の方へと歩いて行った。
俺はその後に付いて行きながら、ふとヒロインのことについて考える。
ゲームの主人公とは、誰もが感情移入できるように、トラウマや栄光を含めた現在に影響を与えるような強い過去は存在せず、出来るだけ無個性な存在として設定している場合がある。
今回のヘレナの歌に関するトラウマとは、果たして彼女が現実の存在であるからこそのトラウマなのか、それともゲームの中の設定として予め定まっていたことなのか。
もし仮に後者だとしたら、恐らくゲームの中にそのトラウマを解消するような展開が存在しているはずだ。つまり、俺は攻略対象の活躍場面を奪ってしまったことになってしまうのではないだろうか。
あれ? また運命変えちゃった?そろそろ俺、本格的にマクマホンに命を狙われてしまうのでは?
ヘレナは恐る恐る兵士に話しかけていた。好意的な反応が返って来たのだろう。彼女は俺が感想を言った時よりも、少しだけ嬉しそうな表情をしていた。
王城へと戻ると、複雑な表情をしているシャノンと再会した。
「良い時間を過ごせたようで」
「いらん気を回さなくていい。あと、これは貴殿に返す」
そう言うと、シャノンは手に持っていた玉手箱を俺に押し付けた。
「第一王子は?」
「まだ治してはいない。だが、それがあるとどうしても話題が性転換の方へと流れてしまうのでな」
まあ、それは仕方のないことだろう。それに、箱に入っていてその中身は不明。見ると性別が変わってしまうとわかっていても、見るなと言われているものを見たくなってしまうのは人間の性と言えるだろう。
「シャノン殿も一度試してみますか?」
「二度とごめんだ!」
「・・・・・・二度、と?」
「あ! ・・・・・・いや、その、少し、試すことになって」
「妃殿下と?」
「・・・・・・そんなことより、王に話が通るまで、まだ数時間程あるそうだ。一度帰っても十分間に合うと思うが、貴殿はどうする?」
露骨に話を逸らしてきやがって。密室で何をしやがったんだ?
「俺はこのまま王城に居ようかと考えていますが」
「私もそうしようかと考えている。ただ、暫くは・・・・・・」
暫くは何だよ!? エリンと何があったんだよおら。
しどろもどろとしているシャノンの態度を俺が内心煽っていると、ふと廊下を歩く男の姿に目が行った。
乙女ゲーム『恋する魔法学園2~ドキ♡ドキ♡ ファンタスティックデイズ~』の攻略対象の一人であり、他国からこの王国へと亡命を考えているアナトリア伯爵家の長男、イズミル・テュルキイェであった。
彼が通り過ぎてから、シャノンが呟く。
「どうやら、王のお手が空いたようだ」
「・・・・・・どういう、ことですか?」
「王は、彼と話をしていたらしい」
亡命の話か。確か、アテネにとりなして欲しいという話がきていたんだっけ?
予定より話が早く終わったということか。一体何があったのやら。
俺はイズミルのことを頭の片隅にとどめつつも、嫌がるシャノンを押してエリンの許へと向かった。
顔を合わせて会話が出来なくなっているエリンとシャノンを他所に、話はサクサクと進ませ、エリンは玉手箱を持って部屋を出て行った。
そこから一時間ほどして戻って来たエリンの表情は、非常に明るいものであった。
「兄上が、感謝を述べたいと。ぜひ来てください」
彼女の目に涙が滲んでいた。無事病気が治ったようで、俺は一安心する。
席を立ったシャノンは座ったままでいる俺を見て、エリンと目配せをした。
「貴方も来てください。ルシウス・イタロス殿」
ああ、やっぱり行くのか。
面倒くさい縁は作りたくないと考えながらも、俺はエリンとシャノンの後に付いて行った。
誰でも立ち入れる区画と王族と一部の貴族しか入れない区画との境界線を思いの外あっさりと越え、俺は少し残念な気持ちになりつつも王城の奥へと進んでいった。
エリンが一つの部屋の前に立ってノックをする。返事を聞いてから入ると、中には涙を浮かべた王と王妃、そして、貴公子、という言葉がふさわしい男性がベッドの上で身を起こしていた。
第一王子、エング・デューク・ランド・アルビオン。顔立ちは確かに整っているが、顔そのものの造形よりも、彼が纏う雰囲気があまりにも優しく、それが人を惹きつける天性の魅力であると直感した。
シモンとはまた違うイケメンだな。
俺は『ラブマジ』シリーズの隠れ攻略対象に彼が入っているのでは、などという勘繰りをしていた。