百二十八 下男、精霊と格闘する
スルビヤの意見で、俺達は適度な広さの路地裏へと入った。そこに人はおらず、魔法を打ち合っても周囲への被害も少なそうな袋小路の場所であった。
袋小路は追い込まれているようにも見えるが、敵が来る方向がわかっているぶんそちらに予め放つ魔法の準備をすればいい。
恐らくそう考えているスルビヤは、着々と呪文を唱え構えている。
まあ、正面からじゃなくて上からっていう可能性もあるんだけどね。
そう思いいたったので、念のため上空を見上げた。
「なあ、スルビヤ」
「何だ?」
「精霊に襲われたら勝てる?」
「勝てない」
「即答か」
「君から借りているこの黒縁眼鏡があれば見ることは出来るが、俺は精霊に対する有効な攻撃手段を持っていない」
「何が効くんだよ?」
「水魔法だ。魔法が固まって意志が生まれたのか、意志を核として魔力がまとわりついているのか知らないが、ともかく精霊を構成している意志が乱されると精霊は消滅する」
「そう言えば、お前は水魔法苦手なんだっけ」
「残念ながら」
スルビヤは攻撃に専念すると言って俺に玉手箱を預けているが、もしかすると彼は万が一の場合を考えて逃げ足の速い俺が逃走する、という選択肢も念頭に入れているのではないのだろうか。
そしたらお前が死んでしまうじゃないか。
何とかして二人とも生き残る手段を考えなくてはと思いつつ、精霊が襲ってきませように、と祈った。
瞬間、スルビヤが路地の壁に叩きつけられた。
魔法? いや、特に風は起きていないぞ? 一体何が起きた。
周囲を見渡すが何もいない。
「せい、れい・・・・・・」
スルビヤが崩れ落ちながらそう呟き、俺に黒縁眼鏡を放り投げた。
素早く黒縁眼鏡をかけると、すぐ目の前に人の形をした赤い光が迫っていた。魔法を使う気配はなく、さながら人間の様に拳を振るいあげている。
精霊なのに物理かよ!
俺は精霊の顔に向かって拳を振り抜いた。
だが手応えは無く、俺の拳は赤い光を擦り抜けた。
嘘だろ! 攻撃手段がないってそう言うことかよ。
為す術なく、精霊の拳が俺に向かって振り抜かれた。
───────瞬きを忘れていた。
赤く光る拳が俺の顔にめり込み、そのままするすると俺の顔を通り抜けた。
お前も攻撃できないのかよ!
そう思いながら、少しの間お互い拳や蹴りを相手に向かって放つが、そのどれもがお互いの体を擦り抜けた。
埒が明かないと俺が後ろに下がると、精霊も後ろに下がった。
そこから、膠着状態に入った。お互い攻撃手段がないのだ。・・・・・・いや、精霊にはある。魔法だ。
理由はわからないが、もしかすると俺に魔力が無いことが魔力の塊である精霊の攻撃が俺に当たらない理由なのかもしれない。しかし、魔法は違う。
精霊がエラダ伯爵邸を燃やしたような魔法を放てば、俺は一瞬で墨となるだろう。いや、灰すら残らないかもしれない。
敵が魔法を使ってくる前にどうにかしなくては。
現在、路地裏には俺とスルビヤ、そして精霊しかいない。マントの連中が入ってくる様子はない。精霊に片づけてもらおうとでも考えているのだろうか?
ならば、この隙にスルビヤを抱えて逃走するか? いや、マントの連中は俺よりも速い。それに、現状玉手箱で片腕が塞がっている中、スルビヤを抱えて両手が塞がってしまっては、いざという時に対応が出来ない。
一体どうすれば。
すると、人の形をしていた赤い光が僅かに揺らいだ。俺はその揺らぎを直感的に理解した。何度も見た、人が魔法を使う瞬間に告示していたからだ。
やばい。
精霊の手から火球が放たれ、瞬間、俺の視界は白く染まった。
───────白?
俺とスルビヤの周りを霧が覆っていた。俺達がいるところだけは台風の目の様に霧が存在していなかった。
見たことある光景だ。
「ラック!」
声のした方に顔を向けると、空からハルが降ってきた。
俺は彼女を抱きとめると、俺の腕の中で少女はにっこりと笑っていた。
「探したよ」
「ナイスタイミングだぜ、ハル」
「本当?」
「ああ。本当にありがとう」
「えっへん」
霧の向こう側から魔法が飛んでくる気配はない。霧が魔法を無力化しているのか? いや、膨大な量の空中を漂う魔力が魔法を阻害しているのか?
とにかく、逃げるなら今しかない。
「ハル。ひつじ出せるか?」
「うん」
彼女の目の前に雲が現れた。
「とりあえず、こいつで飛んでくれないか?」
「わかった」
俺がぐったりとしているスルビヤを抱えて雲の上に乗ったタイミングで、雲はふわりと浮かび上がり、あっという間に周囲の建物よりも高い位置まで上昇した。
上空から見てみると、ハルの生み出した霧のすごさを垣間見ることが出来た。
霧は路地裏を抜けて、眼下一体を白く包み込んでいた。
「ハル、霧を消してもらえるか?」
「出来るけど、赤い人出てくるよ?」
え? 見えるの? いや、ハルが先ほど言っていた、「来た」と言うのは、もしかしたら精霊のことだったのではなかろうか? 彼女は精霊の存在を近くできるということなのだろうか?
それに、出てくる、という言葉。もしかすると、精霊は今、霧に漂う魔力の間に挟まれて身動きが取れない状態になっているのかもしれない。
「・・・・・・なあ、ハル。霧を、赤い人の中に詰め込むイメージで集められないか?」
「詰め込む?」
「こう、袋に放り込む感じ」
「うーん。とりあえずやってみるね」
すると、周囲の建物の間を埋め尽くしていた白い霧が少しずつ一か所に向かって集まっていった。
路地の隙間に入り込んだ霧があっという間に引いていく様は、どこか生き物のように見えた。
やがて、全ての霧が一か所に集まって、そこに白い人の形が現れた。
スルビヤを雲の上に寝かせ、空いた手で黒縁眼鏡を外した。すると、肉眼でも白い人の形をしたものを捕らえることが出来た。
「ああっ」
ハルがそう残念そうにつぶやいたのが先か、白い人の形をしたものが突然霧散して消えた。
黒縁眼鏡を掛けて確認してみるが、そこに赤い光は無かった。精霊の魔力が押し出されたのか、書き換わってしまったのか。
ともかく、精霊は消えた。
「よくやったな」
そう言いながら、俺がハルの頭を良しよーしと撫でてやると、彼女は満足そうに笑った。