百二十五 下男、王子に話しかけられる
夏休みも後半に突入し、一か月王城に居るというのに未だにヘレナに関する情報が手に入らないことに対しスルビヤは少し焦っているようであったが、俺はこのまま何も出てこないのではないかという気になっていた。
唯一気になることと言えば、第三王子のスコットのそばについているとされる運命を告げる予言者の存在だ。マクマホンは運命が変わったことに対するヘレナとスコットの関係への影響を心配していたが、もしそこに「ヘレナという人材がどうしても欲しい」という意図が含まれているとするならば、ヘレナには何らかの利用価値というものが存在していることになる。
現状ヘレナに関する情報が何一つ掴めていない以上、彼女の見た目が王族との関係を暗示させることしかその存在の特異性はわからない。もし見た目を用いて何か事を起こそうとするのならばともかく、それ以上の利用価値が存在しているのにそれがわからない状態と言うのは情報収集を目的としている俺達にとっては大きな問題である。
せめて予言者の居場所さえわかればとぶつくさ呟くスルビヤを思い出しながら、第一王子の病気を治す方法に女体化が採用された暁にはエリンに手引きしてもらって王子や王、王妃の部屋に侵入させてもらおうなどと考えていた。
ちなみに、エリンはヘレナに関しては何も知らないらしい。勿論嘘をついている可能性もあるが、彼女に関しても部屋に侵入するか秘密のやり取りを探るしかないのだが、秘密のやり取りについては相手と内容までわかっているので、これ以上の詮索は意味をなさないと判断した。
また、ヘレナに関する手紙などの調査はスルビヤが既に行ったようだ。魔法学園の学生寮からは手紙が一枚も出てこなかった。当然親からの手紙もないのだが、それは両親が他界しているという事実の裏付けにしかならない。
王城に彼女への何らかの連絡がないものかと色々目を配っていたが、スコットがヘレナに対して近付いて来る人間に対して常に警戒しているようなので、王子の機嫌を損ねてまで彼女と接触を図ろうとする人間はいなかった。
本当に、全く何から手を付けていいのかもわからない。そんな状況においても、一応アテネの秘書補佐という立場で王城に出入りしている俺にはやらねばならない雑用の仕事があり、暫くの間はそれに没頭して悩みを封殺することができた。勿論、悩みの中にはマルセイジュ、エルゼス、ケルンの三人の関係についても含まれている。
どうしたものかと王城内の廊下をすたすた歩いていると、ふと声を掛けられ振り向いた。普通下男は声を掛けられない存在であるはずなのだがと思いつつ振り返ると、そこにいたのは第三王子のスコットであった。
咄嗟に視線を合わせないようにした恭しくお辞儀をした。顔見てないよね? バレていませんように。
「王城の中とは言え、我らは学友だ。そう堅苦しくする必要は無い」
バレますよね。そりゃね。変装と言っても服と黒縁眼鏡だけですから。
「何か御用でしょうか?」
「いや、見知った顔が居たのでな、思わず声を掛けてしまった。仕事の邪魔をしたか?」
お前そんな気さくな人柄だったっけと思いつつ、俺は疑問を顔に出さないように返事をした。
「むしろ、殿下にお声を掛けていただき、好みにあまる光栄にございます」
「そうかしこまらなくてもいいのだがな。・・・・・・所で、お前はシャノン・ヒベルニアとは仲が良いのか? この前連れ立って歩いている所を見かけたのだが」
「共通の知り合いがおりまして。シャノン殿とはその縁で話をする機会があったのです」
「共通の知り合いか。なるほど。それは一体どんな人物なのだ?」
「冒険者です。名は知られておりませんが、我ら二人とも、その人物に魔物から救われた経緯がありまして」
「魔物に襲われたのか。それは災難だったな。して、その共通の知り合いとやらは、エリンにも関係する人物なのだろうか?」
こいつ、俺がシャノンと一緒にエリンの許を訪れた理由を探ろうとしてやがる。ということは、王や王妃から何も知らされていないということか。スコットだけ、ということもあるまい。恐らく、第二王子のウァレスも聞かされていないのだろう。第一王子の病気を治す手段を妹が持ってきたことを知らずに俺が何故接触したのかを聞き出そうとしているのか、もしくは病気を治す手段があることを知っていて、その方法を俺から聞き出そうとしているのか。
「いえ、妃殿下とは、また別の知り合いがいるのです」
「ははは。そうか。お前は顔が広いのだな」
「恐れ入ります」
「ちなみに、そちらは?」
「姉でございます」
「そうか。時間を取らせたな」
そう言ってスコットは去っていた。ふう、胃が痛いぜ。
しかし、王子は俺が偽名で働いているということを知っているのだろうか。いや、今まで名乗る機会などほとんどなかったから、恐らくは知られてはいないだろう。
もし偽名を使っていることを知られていれば、どうやってエリンやシャノンが俺という人間を探り当てたのか、ということに疑問を持つはずだ。
そこから俺の行動を疑い出して、マクマホンに何らかの支持を出して俺を消しに来るかもしれない。
まあ、それは考え過ぎというやつだ。
俺は考える最悪のパターンというやつは、大抵の場合杞憂に終わるのだから。
その日の仕事を終えると、俺は真っ直ぐエラダ伯爵邸に向かうのではなく、魔法学園へと足を運んだ。ヴェニアにハルを預かってもらっていたからだ。
ヴェニアの部屋を訪れると、とことことハルが俺の許に駆け寄ってきた。幼稚園に子供を迎えに行く親の気持ちってこんな感じなのだろうか。
「ハル、今日は何をしていたんだ?」
「本を読んだり、お出かけしたり、魔法習ったりした」
「ハルちゃん魔法を覚えるのが本当に早くて、私びっくりしちゃいましたよ。将来は絶対に魔法学園に入学しますね。一緒に通える日が楽しみです」
その時にはヴェニアさん卒業しているんじゃ、とは思ったが俺は口に出さないで置いた。
「悪いね。預かってもらっちゃって」
「私も暇なので、むしろハルちゃんが来てくれて助かっていますよ。ね?」
「ねー」
君達仲いいね。
「逆に、何でこんなに早く帰っちゃうのかなって感じなんですから」
「でも、家には帰らなくちゃ」
ハルが少し名残惜しそうに言うので、俺はヴェニアが構わないなら彼女の部屋に泊めてもらうのもいいかもしれないと思った。
「ヴェニアさえよければ、ハルを泊めてやってくれないか?」
「私はいいですけど・・・・・・」
ヴェニアがちらりとハルを見ると、ハルは戸惑った様子で俺とヴェニアに交互に視線を向けた。
「ラック、いないの?」
「そうだ! どうせなら、保護者も泊っていけばいいんじゃないですか?」
「いや~、さすがにそれは」
「それは名案」
ハルは目をキラキラと輝かせ、ヴェニアの部屋のベッドの中に飛び込んだ。あっという間に手の平を返し、彼女は泊まる気満々の態度を俺に示した。
あれ? 嵌められた?