百二十 下男、羊が飛ぶか考える
しばらく森を駆けるが、近くに町の灯りは見えず、やむなく俺は野宿を覚悟した。しかし、夜の森ですやすやと眠れるほど俺の肝っ玉は大きくないので、俺は木の上で眠ることにした。
ハルの霧を再び展開することが出来れば安全に過ごせるかもしれないが、まだ霧の制御が完全に出来ていないという点も鑑みて、霧には頼らないという結論に達した。
「そう言えば、ハルは眠くないのか?」
彼女は首を横に振った。そして俺の腹は鳴った。
「お腹は空かないか?」
再び、ハルは首を横に振った。
まさか、飲まず食わず寝ずであの霧の中でずっと過ごしていたとか? そんな馬鹿な。
俺はハルが落ちないように広く太い枝が伸びている気を選んで、そこに腰を掛けた。
「俺は寝るけど、何かあったらいつでも起こしてくれていいからな」
どのみち木の上じゃ安眠なんて出来ないしな。
ハルがコクリと頷くのを確認した後、俺は目を閉じた。
しばらくして、つんつんと何かが俺の腕を突いた。重たい瞼を開けて隣を見れば、退屈というよりは、少し怯えている様子のハルが枝に腰掛け幹にもたれかかっていた。
こいつは想像力が足りなかった。夜の闇の中で眠れず放置されたら、そりゃ心細いだろう。
「まだ眠れないのか?」
「うん」
こいつは、いよいよ眠らない体質の可能性が出てきたぞ。レベルアップの影響で寝なくても平気な体になったとか?
「ちょっと目を瞑ってみないか?」
「眠くないよ」
「寝る為じゃない。目を瞑ると、色々想像しやすくなるんだ」
「想像?」
「ああ。こう、暗闇の中に風景を思い浮かべてみるんだ。柵と、たくさんの羊たちを」
「ひつじってなあに?」
羊がゼロ匹! 終了! え、何? 羊知らないとかある?
「羊はねえ、体が雲で出来ている動物なんだ」
「くもって、わしゃわしゃの方?」
「お空にある方」
「ふわふわの方か」
「ふわふわの方」
「じゃあ、ひつじってお空を飛ぶんだね」
フライング・シー――――――――プッ!!!
そんな未確認飛行生物ある? いや、わからんぞ。異世界の羊は空を飛ぶかもしれない。現に、俺もまだこの世界に羊がいるのかどうかも知らないからな。これが俗に言うシュレディンガーの羊ってやつか。発見されるまで空を飛ぶ羊と空を飛ばない羊の重ね合わせの状態として異世界の羊は存在しているんだ。
「ひつじは雲を食べているのかな? だから浮くんじゃない?」
雲で出来ているなら雲を食べていると。なるほど、シンプルな発想だ。けど、雲を食べると体が軽くなって浮き出しちゃうのか。その理論だと縁日の綿あめの店の前には空中浮遊をたしなむ子供たちに溢れているに違いない。
でも、そうそう。想像って言うのはそういうことだ。
「俺も食べるものまでは知らないから、もしかしたらそうかもしれないな」
「きっと、白い雲はとっても美味しいけど、黒い雲を食べると、お腹がゴロゴロいっちゃうんじゃない?」
雷で腹壊すひつじかー。異世界なら有り得る。
「でも、白い雲はいつもお日様に当たって乾いているから、喉が乾いた時にはどうしても黒い雲を食べなくちゃいけないの」
「そいつは、とんだおっちょこちょいな生き物だ。どうしてもお腹を壊さなくちゃいけないなんて」
「でも、霧なら湿っているしゴロゴロもしないから、きっと大丈夫だね」
「じゃあ、ひつじに霧を食べさせてあげる練習をしなくちゃな」
「どうするのが良いかな?」
「こう、手のひらサイズに丸くしてみるのはどうだ?」
「こ、こうかな?」
ハルの手の中で、薄い霧がぐるぐると渦を巻いていた。
「そうそうそんな感じ。そしてその霧を、ほら、ふわっと浮かせるんだ。雲みたいに」
「ふわっと。ふわふわ」
霧の玉は、ふわりふわりとシャボン玉のように少しずつ空へと舞い上がっていった。
「やったあ」
そして、霧散した。
「ああ。消えちゃった」
「初めてにしてはすごいじゃないか! これが上手くいったら、きっとひつじさん喜ぶぞ」
「そ、そうかな。そうだよね」
ハルは何度も霧の玉を作っては空に放った。少しずつ、少しずつその上昇距離は伸びていく。
これでしばらくは大丈夫だろ。
眠気に耐えかねた俺は、楽し気なハルの様子を横目に見ながら、ゆっくりと微睡の中へと落ちていった。