百十五 下男、路地裏に入る
魔法学園からエラダ伯爵邸へと戻る途中、気付けばマルセイジュ、エルゼス、ケルンの三人のことを考えていた。
クーニャと踊っていたケルン。ルフィの死に際し笑っていたケルン。俺は心のどこかで、彼が悪人であることを望んでいる。何なら、彼の主導によってルフィが死んだのなら、俺は何のためらいもなくケルンを絶望のどん底に叩き落とせる。
しかし、人生に都合よく悪役が現れてくれるわけではないことを、俺は前世の経験から知っている。いや、不幸を望んでしまう程憎い相手は、大抵俺の力ではどうにもならない人間であることが多いのだ。
嫌なことを考えてしまっている。一旦頭を整理しなければ。
そう思って一旦自分の置かれている状況を整理した時、ふとあることに気付いた。果たして、シャノンはどうやって公爵家間の緊張状態の緩和を自分の手柄にするつもりなのだろうと。
もし三人の婚約関係の整理が付いてしまったら、それは傍目から見れば、単に自然に緊張状態がほどけただけで、誰かの手柄になるわけではないのだ。
それとも、シャノンは三人の婚約関係の整理以外の方法によって、公爵家間の緊張状態を解消しようと考えているのだろうか。
二つの公爵家の争いは、表立っては無くせるかもしれないが、時間と共に積もり積もった恨み辛みというものは、そう簡単になくなるものではない。それに、自らが継承者として名乗りを上げたい二人の王子が、その状況を余計にかき乱そうとしているという。一体どうやって解決を図れるというのか。
そこまで考えて、シャノンの言葉を思い出す。
“第一王子は、これはほとんど知られていないことだが、現在ご病気なんだ。頼みの綱であった貴殿の家の万能薬になる花畑が燃えてしまい、今の所第一王子を救う手段は存在しない”
あの言葉はつまり、俺に第一王子の病気を治す薬を用意してほしいという前提が頭の中にあったのではなかろうか。もし第一王子の容体が回復すれば、下の王子たちの野心は抑えつけられ、公爵家間の争いの加速を止めることが出来る。さらに、第一王子を治したことを自分の手柄とすれば、シャノンの家の爵位は上がるのかもしれない。
しかし、もし仮にシャノンが俺にそれを期待していたとしたら、俺には現状不可能な解決方法ということになる。
やはり、ここは婚約関係の整理を第一に考えた方が良いだろう。
瞬間、最悪の二人が路地裏に消えていくのを見た。ケルン・ゲルマニアとクーニャ・トリスタンの二人であった。
何してるんだよお前は!
俺は二人が入って行った路地裏に近付き、恐る恐るその中を覗いた。
「こんな所で話して大丈夫なのか?」
「結界を張っていますから、人が近付けば直ぐにわかりますよ」
ケルンの問いにクーニャが答えていた。
近くに居ますけど俺が。
そうツッコミを入れたくなったが、恐らく魔力が存在していないことが何か関係しているのだろう。俺は自分のハンディキャップを、この時ばかりはありがたく感じていた。
「なあ、マルセイジュも殺せないのか?」
も? ケルンお前今、も、って言ったのか?
「そうすると運命が変わってしまいます」
「もう既におかしくなってるんだろ。何でエルゼスはあんなくず野郎の許に行ってしまうんだ。おかしい。おかしすぎる」
ケルンは頭を抱えてうなだれていた。瞳は虚ろで、焦点が定まっていないように見えた。
ケルンからしてみれば、婚約者が居ながら他の女性と関係を持ち続けていたマルセイジュのことが許せないのだろう。その気持ちは十分わかる。だがな。それが自分の婚約者を殺していい理由にはなんねえだろ。
「だからこそ、今修正しているのです。正しい、運命の流れにね」
「今、ライン伯爵家と交渉しているんだったな」
「マルセイジュの素行の悪さは社交界でも専らの噂ですから」
「必ず、必ず成功させるんだぞ」
「かしこまりました」
クーニャがそう言うと、ケルンはこちら側にやって来た。路地から出て、そのまま道を進んでいった。
俺は気付かれないように近くの物陰に身を潜めながらケルンをやり過ごし、クーニャはどこに行くのかと再び路地裏を覗くが、そこには誰もいなかった。
エラダ伯爵邸に戻り、半ば愚痴の様にスルビヤにケルンのことを話した。するとスルビヤが「やはりか・・・・・・」と呟いたので、俺は思わず驚いてしまった。
「やはりってどういうことだよ?」
「実は、ノルマン伯爵家が吊るされたんだ」
「吊るされた?」
「ああ。密告があったんだろう。魔法学園でも伯爵令嬢暗殺事件の犯人が、ノルマン伯爵家ということで決定になった」
「ということは、ロバートが?」
「いいや。その父、ギョーム・アール・ノルマン・コンクェストの爵位が剥奪されることが決定した。御家取り潰しってやつだよ」
「それで、密告したのは?」
「具体的な家名まではわからない。ただ、エクサゴナル公爵家の派閥の家かららしい」
「トカゲのしっぽ切りってやつか」
「違う。膿を排出したんだ」
「どういうことだよ?」
「ノルマン公爵家はドゥイチェ公爵家の派閥とも通じていたんだ」
何だそれは。と、もはや言葉にすらならなかった。
「マクマホンの背後には王族がいるかもしれないが、マクマホンが交渉を持ち掛けたドゥイチェ公爵家がノルマン伯爵家に指示したんだろう」
「それって、ドゥイチェ公爵家が暗殺計画を知っていたってことかよ?」
「もしくは、ケルンの独断なのかもしれない」
悪人に良い部分を探しては駄目だ。前世の記憶に、そんな言葉があったことを、何故か思い出した。