百十 下男、手紙を運ぶ
何日か王城で勤めてふと思ったことは、執事やメイド達の噂話が具体的で実に参考になる、ということだ。
何より、ヘレナが王城に泊まり出してから、使用人の間で王族の隠し子なのではないか、という噂が一瞬で拡散したからだ。
誰かが一々否定して回ることなどしないから、使用人の間では一つの真実としてヘレナが隠し子であるという情報が語られていた。
果たして、スコットはここまで予想してヘレナを王城に泊めているのだろうか。他の王族から何も言われないのだろうか。
どれもこれも一般人が入れない区画に入ることが出来れば調べることが出来るかもしれないのだが、如何せん王城の中は人目が多く、俺はなかなか機会を得ることが出来ずにいた。
これなら夜忍び込んだ方が良いのではなかろうか。
そんなことを考えていると、突然声を掛けられた。下男に声を掛ける人間などいないはずだと聞いていたのに、不思議なこともあるもんだ。
俺は恭しい態度で振り向いて、そして驚きの声を上げないことに全力を注いだ。
目の前に居たのは、紫紺の瞳を持つ少女。ただし、ヘレナではなく、本物の王族だ。
王族の子供は現在四人存在しているが、その中で女性なのはただ一人だけ。名前を、エリン・アルビオンという。
何で王族が俺に話しかけるんだよと内心口を言いつつ、あくまでも表面上は平生を装っていた。
「貴方、見ない顔だけれど、最近勤めるようになったのかしら?」
見ない顔って何? 働いている人全員の顔を覚えているの? 王族怖い。え、まじで言ってるの? やばくない?
「はい。まだ勤め始めてから一週間ほどしか経っておりません」
「そう。誰に雇われているのかしら?」
「はい。エラダ伯爵に雇われています。秘書補佐という役割です」
「そう。エラダ伯爵に仕えてからどれくらいかしら」
「こちらも一週間ほどです」
「あら。急遽雇われたということね」
「はい。そうなります」
何で俺こんなに職質みたいな事されてんの? そんなに怪しかった? ねえ?
「貴方にお願いがあるのだけれど、頼まれてくれないかしら。勿論、忙しいようだったら、断ってくれて構わないわ」
にこりと笑う少女の笑顔に、俺は恐怖を感じていた。
少女から、一枚の手紙を手渡された。この手紙を王都にある屋敷の一つに届けてほしいというものだ。
察するに、普通に手紙を出すと中身を改められてしまうのだろう。しかし、俺が覗くという可能性を考えていなかったのだろうか。
それとも、俺が覗いても構わない手紙なのだろうか。
俺が空いた時間を見付けて王城を抜けると、何人かが俺の後を付けてくるのが直ぐにわかった。
走ったら追いつけるだろうが、そんなことをして目立ちたくはないし、かといってこのまま路地裏に連れ込まれて襲われたらどうしようとも思い、俺は相手の出方を窺いながら渡すべき貴族の邸宅を目指していた。
受け取り先は、アイル伯爵家。古くからある家、ということ以外、特に何も知らない。王城から徒歩で行ける程の距離にあるその家に行くのに、どうして俺の様な全く知らない人間に手紙を頼んだのか。
・・・・・・十中八九おとりだろこれ。
断ることの出来ない状況だったとはいえ、自分の軽率な判断を俺は呪った。
アイル公爵家へと至る曲がり角を曲がった瞬間、突然目の前に見知らぬ男が現れた。
──────待ち伏せかよ!
男が躊躇なく俺に殴りかかって来たので、俺は思わず反射的に男を殴り飛ばしてしまった。
しまった・・・・・・。捕まった方が良かった?
男が一撃で気絶してしまったので、もはや弁解の余地はない。次々と現れる男たちを全員気絶させた後、俺は彼らを路地裏に運び込んだ。
計五人。縛るロープなど都合よく手元にあるはずもなく、このまま放置しておくのもいかがなものかと悩んでいると、丁度良く見知った顔が俺の目の前に現れてくれた。
「ヴェニア~」
名前を呼ばれた彼女は、俺の存在に気付くと明かな不満を表に出していた。彼女の許に駆け寄ると、ヴェニアはそっぽを向いて話し始めた。
「これはこれは。私を放置してどこかに立ち去った後、殺人容疑で捕まったルシウス・イタラナイさんじゃありませんか?」
こいつは理由がわからないが相当怒ってるぞ。何とかしてご機嫌を取らないと、男たちを処理する衛兵も呼んでくれそうにない。
俺は頭をひねることにした。