百二 学生、ダンスを踊る
ダンスを終え、パーティー会場の中央を離れると、ヴェニアは「お花を摘みに行ってきます」と言ってどこかへと言った。
今のうちに何かを食べて頭を整理させつつ、王子の観察をしようと思い、いくつかの食事を軽くつまみ、飲み物を軽く口に含んだ。
・・・・・・これ酒やん。わい未成年やぞ。
思わずそう言いそうになって、自分がこの世界では成人していることを思い出す。
前世の感覚が抜けきっていないことを少し嬉しく思いつつ、俺は王子を観察するのに最適な場所を探した。
しばらく移動して見付けた会場の端に立ち、俺は王子に横目を向けた。
予想通り、王子はヘレナと会話をしていた。会場の端。周囲の人々の目は王子の方に全く向けられていなかった。それがやや不自然過ぎる程で、俺は奇妙に感じていた。
ヘレナは平民であり、王子であるスコットと一緒に居れば注目されるのは必然だろう。だからこそ、王子とヘレナは余計なトラブルを避けるためにペアとして会場に入ってこなかったのだろう。そこまではいい。
だが、今現にこうして王子と平民は会話をしている。例え会場の端にいるとは言え、王子という人間の放つ存在感が完全に消え去るということはあり得ず、また偶々誰かの目に留まれば瞬く間に生徒たちの注目を集めてしまうことになるだろう。
だというのに、スコットとヘレナは当たり前の様に幸せな空気を振りまきながら会話を繰り広げていた。
何故周囲の人間は気付かないんだ。話声が少しは耳に届くはずだろうに。前世の同窓会でも誰か一人は必ず隅にいる友人を見付けては声を掛けたものであった。
もしかして、王子だからこそ、見て見ぬふりを押し通しているとか? だとしても、気にはなるはずだし、多少の意識は向けてしまうものだろう。あれは何と言うか、全く意識が向いていないという具合だし。
そこまで考えて、俺はこの世界が剣と魔法の世界であることを思い出した。懐から取り出した眼鏡を掛けて王子たちの様子を見ると、彼らの周囲を薄い黄色の光が包んでいるのがわかった。
結界だ。
防音の結界か? いや、どちらかと言えば、意識が向かない、というより、認識を阻害する結界なのだろうか。あれ? だとしたら俺は何故王子たちを認識することが出来ているんだ? もしや、魔力が無いことと何かしら関係があるのだろうか。
俺が思考の海から引き揚げたのは、背中から掛けられた意識の外からの声だった。
「すいません」
俺ははっとし、後ろに振り返る。ヴェニアがお手洗いから帰って来たのだと期待して振り向いたために、全く予想していなかった人物が立っていたので、俺は思わず「えっ?」という驚きの声を上げてしまった。
というのも、俺に声を掛けてきたのがヴェニアではなかったという理由だけではなく、目の前にいる女性の肌の色が、今この会場にいる他の人々の肌の色と違い、浅黒かったからだ。
俺を転生させてくれた女神様、リンネよりも色が濃く、馴染みのない容貌に、俺は少しだけ動揺してしまった。
いかんいかん。そのような偏ったものの見方は良くない。そう言えばゲームやアニメのキャラに肌色が黒い人物は少ないよね、あれって製作者のバイアス掛かってるんじゃないの、とか思ってない。確かに褐色肌のヒロインいるけど、あれ日本人の延長だよね、とか全く思ってないから。
「どうかされましたか?」
俺の態度が不振だったのか、女性が声を掛けてきた。
「いえ、その、突然声を掛けられて、少し驚いてしまいまして」
「なるほど。こういう場は、あまり慣れていらっしゃらないのですか?」
「そうですね。この際はっきりと言ってしまえば、慣れていませんね。恥ずかしながら、こういった催し物に出席したことはほとんどなくて」
俺が正直にそう話すと、女性はふふふと何やら楽しそうに笑った。
「奇遇ですね。実は私も何ですよ。・・・・・・自己紹介がまだでしたね。クーニャ・トリスタンです」
「ルシウス・イタロスです」
彼女の名前は全く聞いたことがなかった。ということは、恐らく伯爵位よりも下の家柄ということになる。
「・・・・・・そう言えば、何か要件があったのでは?」
俺がそう尋ねると、クーニャは目を丸くした。
「そう言えば。・・・・・・すっかり忘れてしまいました」
悪戯っぽく微笑むクーニャを見てようやく、俺は彼女が何か訊きたいことがあって声を掛けたのではなく、会話をする為に話しけて来たのだと気付いた。
もしかしてモテ期の到来か、とも思ったが、単に会場の端に居たので声が掛けやすかったのだろうと直ぐに気付いた。このようなパーティー会場に一人でいるくらいならば、無理をしてでも誰かに声を掛けた方が良いに決まっているのだ。・・・・・・いや、決まってはいないか。
「先程ダンスを踊っていましたけど、相手はご婚約されている方なのですか?」
「ははは。違います」
いや、そりゃダンスを踊っていたらそう思われるか? いやでも、貴族なら別に知らない人とでもダンスくらい踊るだろ。だって貴族だし(偏見)。
「そうなんですか。・・・・・・手持ち無沙汰なようでしたら、もう一曲踊られてはいかがですか?」
こいつはきっと、誘われているんでしょうな。しかし、いつイズミルが王子に声を掛けに行かないとも限らない。・・・・・・いや、結界が張られている限り、イズミルが王子に話しかけるなんてあり得ない。だったら、ゲームでは一体どうやって話しかけたんだ? もしかしてゲームと違う展開になっている? そんな馬鹿な。俺は王子ルートの展開には直接関与していないぞ。もしかして今までの行動の影響が、王子とヘレナの行動にまで及んでしまったというのか。そうすると非常に厄介なことになるぞ。俺は王子とヘレナの行動を予測することが完全にできなくなる。
「あの、踊り一つにそれほど真剣に悩まれなくても・・・・・・。それとも、何か気になることでもあるのですか?」
「ああ、いえ。そういうわけではありませんよ。・・・・・・そうですね。折角だし、俺と一曲踊っていただけませんか?」
「はい。・・・・・・でも、その前に」
クーニャの手は俺が差し出した手ではなく、俺の顔の方へと伸びた。彼女の手は、俺の顔から黒縁眼鏡を引き剥がした。
「こちらは、付けていない方が素敵ですよ」
「・・・・・・かしこまりました」
思わず会場の雰囲気で酔っ払ってしまいそうだった。懐に黒縁眼鏡をしまい、今日あったばかりの女性とダンスを踊った。本日二回目の、出会って初日の女性とのダンス。
一人は俺に好意を向ける少女。もう一人は、ミステリアスな雰囲気を纏う女性。まるで恋愛ドラマの主人公になったみたいだ。
ああ、本当に不思議な気分だ。夢か現か定かではない。セバスチャンも休暇と言っていたし、今日は思う存分楽しんでしまおうか。
そんなことを思っている矢先、偶々視界に移ったのは、何か声を掛けた後にヘレナの許を離れるスコットの姿であった。
そうか! 別に見えない状態の王子にイズミルが話しかける必要は無かったんだ。きっと食事か飲み物を取ってくる用で結界の外に出てしまった王子が、タイミング良く、いや、王子にとってはタイミング悪く話しかけられてしまうということも十分にあり得る話だ。
ダンスを終えて会場の中央から離れた後、「少し雉を撃ちに行きます」と言ってクーニャのそばを離れ、俺は王子の行方を追った。
やはり人々からは注目されていない場所に食事を取りに行った王子。彼に近付く人影が一つだけあった。その人物はイズミル・テュルキイェ。ヘレナを主人公とする乙女ゲーム『恋する魔法学園2~ドキ♡ドキ♡ ファンタスティックデイズ~』の攻略対象の一人である。他国の人間である彼は、この国に亡命をする為に王子に近付こうとしている。
まさに時を同じくして、ヘレナが俺の視界に入って来た。王子に食事を持ってこさせるのは申し訳ないとでも思ったのだろうか。やや急ぎ足で、されどどこか嬉しそうな様子でスコットの許へと掛けていく。
俺は定められた運命の流れを止めず、彼らの声がギリギリ聞こえそうな位置に向かった。
「殿下」
ヘレナが王子を呼んだ。スコットは少し顔を綻ばせながら振り返り、瞬間、その表情はきゅっと引き締まった。ヘレナの後ろに、会いたくない男の姿があったからだろうか。
「殿下」
見知らぬ声に、ヘレナは振り返る。が、スコットは直ぐにヘレナを自分の許に引き寄せ、男から引き離した。
「お初にお目にかかります。私、イズミル・テュルキイェと申します」
非常に丁寧な礼。一部の隙も無い敬意を前にして、スコットは不快そうな表情をちらりと面に出してしまった。その態度は、今まで自分にすり寄って来た数多の人間の態度と、重なる所があったのだろう。
「何か用か」
その声色には怒りが込められていた。
「殿下に、お伝えしたい議がございまして」
「今は都合が悪い。下がれ」
冷たく、されど怒りを内に秘め発せられた言葉を告げられても、イズミルが引き下がることはなかった。
「・・・・・・僭越ながら、殿下の後ろに居られるご令嬢に、一時別所に移動していただきたく」
「お前、話を聞いていなかったのか?」
王子の怒りが頂点に達したのか、離れた位置にいる俺の肌にまでピリッという微かな痛みが走ったような気がした。
この一触即発の雰囲気をどのように対処するのだろうと眺めていると、何かがつうっと俺の背中をなぞった。
思わず声を上げそうになりながら振り返ると、そこには膨れっ面のヴェニアが立っていた。
「・・・・・・今までどこで何していたんですか?」
「え、うん、いや、今ちょっと」
「あの女は一体誰なんですか? あの人形の様に白い肌の女性は?」
え、ちょっと一旦落ち着こうかヴェニアさん。今なんて?