百一 学生、パーティーに参加する
学校主催のパーティーと言えど、貴族の催し物は決まって窮屈な礼服に袖を通さなければならない。しかし男性は着用できるものが一つしかなく、選択に際し頭を悩ませる必要がない分、女性と比べ遥に楽である。
女性は何を主張したいのかや自分に似合っているかなど、様々なことを考えて服装を決めなくてはならない。前世でも同窓会の度に女子は服装選びに難航したという愚痴をちらほらと耳にしたほどである。
去年は面倒くさがってパーティーに参加しなかったのでどの程度の水準の服装を求められるのかはわからないが、前世以上に服装選びは難航することは想像に難くない。
礼服を着て会場に向かうと、既にヴェニアは会場の手前にいた。こういうのは女性の方が遅れるのが鉄板では、と思いつつ、そのような偏ったものの見方は良くないだろうと自分を制してヴェニアの許に行った。
「お待たせ」
「ルシウスさん! いえ、その、全然待っていませんよ」
ヴェニアがちらちらと上目遣いに俺を見て何かを期待しているような顔をするのだが、俺はその意図が全くと言っていいほど見当がつかなかった。もしかして忘れものか? それともトイレ? 俺が思考を巡らせていると、待ちかねたのか、ヴェニアが言葉を紡いだ。
「このドレス、どうでしょうか?」
青と白が基調の落ち着いた雰囲気のドレスを、ヴェニアは指でふわりと撫でた。
ドレス! ドレスのことだったのか!
俺は思わず指を鳴らしたい気持ちに駆られた。女性が着飾っているのを見たらその服装について感想を述べると相場が決まっているのだ。いや、そのような偏ったものの見方は良くないのでは? いや、でも実際に感想を求められているのなら何か言わないと。
「・・・・・・似合ってるよ」
「・・・・・・ありがとうございます」
嬉しそうに微笑むヴェニアの横で、俺は一瞬言葉が詰まってしまったことに驚きを感じていた。何も言葉が浮かんでこなかったのだ。
そう言えば俺、こういう場で女性の服装を褒めるのは生まれて、いや、人生をやり直してからも初めてかもしれない。でも、エルトリアのウェディングドレスを見た時はあっさりと言葉が出てきたじゃないか。どうなっているんだ俺の口は。だから年齢イコール彼女いない歴で魔法使いのまま死んだんだよ俺の馬鹿。
後悔を飲み込みつつ会場の中に入ろうとするが、ヴェニアが俺の服を指でつまんで止めた。
「私達はこっちですよ」
彼女が指差した方向には、男女のペアが何組もいた。しかし、と思って会場の入り口に目を向けると、次々の学生たちが会場の中に吸い込まれていった。だが、その誰もが男性の個人またはグループであり、女性は一人もいなかった。
なるほど、女性は人数が少ない分、男性とペアで入場するのが通例となっているのか。そして、何故かペアは別個で入場する形式となっていると。恐らく、先に会場内にいる学生たちにじろじろと見られるのだろう。と、言うよりかは、こういう場において「これが俺の婚約者だぞ!」とアピールするのかもしれない。
・・・・・・あれ? 俺詰んでない? ヴェニアと婚約していますもしくはする予定があるアピールしてしまいそうじゃない? いや、落ち着け。これはあくまでも想像の中の話であり、確定情報ではないぞ。
深呼吸で不安を抑えながら、俺とヴェニアは列に並んだ。
前後の人々が俺の記憶にある婚約者同士なのですがおいちょっとこれはどういうことなんでしょうか。
俺の動揺を緊張と勘違いしているのか、「少し緊張しますね」とヴェニアは小声で呟いた。カチコチと固まった俺の腕に彼女がそっと手を添え、まるでエスコートするような形になってしまっている。
いや、落ち着け。落ち着くんだ俺。よく見れば婚約者同士ではないペアもいるぞ。これは確定の話ではないのだ。そうだ。所詮は学生のパーティー。男性のペアがいるという見栄の為に組んでいると思ってもらえるかもしれないぞ。
ユークレインにウラルを勧めた手前ヤンデレは厳しいと声を大にして言うことが出来ない俺は、暫くの間真っ白な頭のままでその場に立ち尽くし、前のペアの移動に合わせて何も考えることが出来ずに会場内に入った。
会場内に響く温かな拍手の嵐。これは祝福されてやがるぜ。
俺は人々の視線から逃れる位置に来るまで、胃痛のあまり今日食べたものを全て吐き出しそうになっていた。
「大丈夫ですか?」
ヴェニアが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「・・・・・・ああ、大丈夫。元々緊張しやすい方なんだ」
自分が拍手する側に回り、少しだけ気が楽になった。
まだ確定じゃない。落ち着け、落ち着け。
自分に何度も言い聞かせると、少しだけ胃痛が軽くなったような気がしなかった。うん。痛いものは痛い。
拍手している内に気付いたが、婚約者が別にいる場合でも、それ以外の人とペアになっている組をいくつか見付けた。やはり、組み合わせは婚約必死というわけではないのだ。所詮は学生内のパーティー。
しかしそれでも婚約している二人がペアとして登場する場合が多く、俺の胃痛が収まる気配はなかった。
会場内に入ってくるペアに目を向けていると、思わず目を見開いてしまったペアがいくつかあった。
一つ目は、マルセイジュ・ガリアとエルゼス・ロートリンゲのペアであった。彼らは婚約しているため、ペアでパーティーに参加することは何ら不思議ではない。しかし関係はほぼ破綻していると言ってよく、てっきりケルンとエルゼスがペアとして参加すると思った。
エルゼスは殊の外嬉しそうな顔をしており、マルセイジュの方は頻繁に女性と関係を持っている男にはまるで見えず、まるで初心な少年の様な表情でエルゼスをエスコートしていた。
あの喧嘩の様な出来事から、一体何が起こったの言うのか。すごく気になる。めちゃくちゃ気になる。これナオミに訊いたらわかるのかな。それともゲーム外の展開なのだろうか。
二つ目は、ケルン・ゲルマニアとシルフィア・スカンジナビアのペアであった。ルフィの方は笑顔を浮かべてはいるが、恐らく作り笑いだろう。かなりぎくしゃくしているようだ。こちらはこちらで冷え切っているしな。というかレンは?
辺りを見回すと、複雑な表情で拍手をしているレンの姿があった。
婚約の有無に関わらずペアになれるという点を踏まえると、ひょっとすると、レンはルフィを誘ったのではなかろうか。いや、関係の発覚を恐れているレンはその様なことはしないか。ええ! こっちも気になる。
三つ目は、ユークレイン・バロン・クリムとウラル・ラッスィーヤのペア。はいはいおめでとう末永く爆発してください。
もしかしたら第三王子スコット・デューク・カレドニア・アルビオンとヘレナのペアが見られるのではと思ってみていたが、残念ながら二人の姿はそこになかった。というか、会場内にも王子とヘレナの姿が見えないぞ。どういうことだ?
ペアの入場が終わると、会場の一段高い位置に立った学園長が魔法で音を拡散させながら話し始めた。
「生徒諸君。ひとまず、テストお疲れ様。堅苦しい話は抜きにして、今宵は存分に楽しんでくれ。では、只今より、前期修学記念パーティーを開催する」
学園長の宣言と共に音楽が流れだした。この世界にもオーケストラはあるらしく、荘厳な旋律を奏でている。
生徒たちは会話に興じ出し、会場の中央ではダンスを踊る者達もいた。
「・・・・・・あの、お腹空いていますか?」
ヴェニアの問いに、俺は「まだ大丈夫」と答える。胃痛で食事どころではない。
「もし、良かったら・・・・・・」
ちらちらと少女が目線を動かす。その先には、ダンスを踊る男女の姿。
こういうのは、男の方から誘わなくちゃなあ。いや、そのような偏ったものの見方は良くない、のだろうか。まあなんだっていいさ。中央で踊りながらスコットの姿を探そう。
「・・・・・・俺と、踊っていただけませんか?」
「・・・・・・はい、喜んで」
俺が差し出した手に、ヴェニアがそっと手を添えた。
俺達は会場の中央に移動し、音楽が切り替わったタイミングで踊りに混ざる。イタロスの屋敷に居た僅かな期間しかダンスの練習をしていなかったので俺の動きは非常にぎこちなかったはずなのだが、ヴェニアがそれを補って踊ってくれたために、転ぶことは無かった。
ダンスを踊りながら、度々周囲に視線を向けると、その中には馴染みの顔のパパラッチの生徒がいた。マルセイジュもパーティーに参加している為に、今日は仕事も休みなのだろう。周囲の目が無いことをいいことに、食事を大量に漁っていた。
それよりもスコットは?
そう思って視線を動かしていると、俺はスコットと、そのそばにいる誰かを見付けた。
まさかイズミル・テュルキイェか?
何度か確認してみるが、直ぐに違うとわかった。スコットの表情は柔らかく、親しいものと話している時のそれだった。恐らくヘレナと言葉を交わしているのだろう。
その時、ふっとヴェニアの息が耳に掛かり、俺は思わず背筋をゾクリとさせた。
「私を見てください」
少女は耳元で囁いた。艶っぽい表情の中にある、射貫く様な鋭い視線。俺は不思議と恐怖だけではなく、ほんの少しの興奮を覚えていた。何やら、大人の階段を上って有頂天になる少年の様な気持ちだ。
こいつはいかんな。
俺は自己認知を改めるべく、意図的ににこりと笑ってみせた。ちゃんと相手に笑っていると認識させられているかを考えながら笑顔を作ると、不思議と自分の感覚を修正することが出来るのだ。
「その赤いピアス、君にぴったりだ」
お返しと言わんばかりに、俺もヴェニアの耳元で囁いた。
瞬間、少女の肌が熱を帯びた。つられて、俺の体温も僅かに上昇する。
こいつは、会場の雰囲気に飲まれるのも時間の問題だな。
俺は自分の理性というものの限界を早々に悟ってしまった。