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第七章 第三幕


 残り三周。

「2番リング前の風、5ってとこね。強くは無いわ」

 そう呟いたルティカだったが、その目線はリングよりも、すぐ隣を飛ぶ5番選手に向けられていた。

 単純な鴻鵠同士の飛行能力で言えば、恐らくバラクアの方が勝っているだろう。だが、リングをギリギリの所で駆け抜けたり、抜こうにも抜ききれない間合いの取り方でレースを進めていたりと言う5番選手のレース運びに、ルティカの胸の内は焦れていた。

 ギリギリで詰め切れないレース運びが出来ると言うのは、鴻鵠士としての腕が立つと言う証拠だ。

 その事実が、ルティカの心に小さく風穴を開けつつあった。

 バラクアの地力は、現段階で5番の鴻鵠よりも勝っている。ルティカにはその確信があった。なのに、抜き去る事が出来ないのだ。

 二周目の13番リング過ぎから、二頭はずっと抜きつ抜かれつの鍔迫り合いを続けていた。

 リングの無い場所で並ぶのに、潜り抜けた時には少し引き離されている。

 リング同士の間隔は、当然ナーゼルよりもルーゼンの方が狭い。

 つまり、5番選手はルーゼン向きのレース運びをしているだけなのだが、それはルティカにとって、自身の鴻鵠士としての技術の未熟さを突きつけられているに等しかった。

 リングを潜った直後の、翼の切り返し方。

 人口風に乗るタイミング、抜け出すタイミング。

 それらは、本来鴻鵠士が思案し、憂慮すべき問題なのだ。それを今、ルティカはバラクアに丸投げしている……。

 バラクアのレース運びは、ルティカの目からしてみれば申し分無いものだ。ルティカが指示した時よりもずっと、素晴らしいレースを行っている。その事実もまた、焦りによって微かに開いたルティカの心の隙間へ、悔しさと言う寒風を送り込んでいた。

 ――私、何やってんのかな……。

 2番から5番のリングを潜っている最中、ルティカが並走する5番選手を見つめながら、そんな自分へ歯噛みをしていた時、突如バラクアの声が聞こえた。

「ルティカ! 5番リング後の風!」

 その声に、はっと前を向く。

 すぐに5番リング直後の風力を伝えようとするが、時既に遅し、もう5番リングは目の前だった。

 そしてもっと最悪な事に、ルティカの目に飛び込んできた人口風は、かなりの強風だった。

 5番選手はルティカ達のほぼ真横に並んでいたが、風の強さを事前に察知したのか、翼を大きく開いてブレーキをかけた。

 ――くそっ!

 ルティカの指示が間に合わないと判断したバラクアは、咄嗟に5番選手と同じ行動を取った。

 この状況では、恐らく最良の選択だろう。だが、それにより強風の中に飛び込み、吹き飛ばされる事は無かったものの、すぐに立て直し、風の隙間を慎重に潜り抜けていった5番選手に、再び溝を開けられてしまった。

「おいルティカ! ボケっとするな!」

 バラクアの怒号がネイバーから伝わってくる。

「ごめん」

「集中しろ!」

 バラクアの声からも、焦りの色が滲み出ていた。

 5番選手と同様の路を辿りつつ、下降しながら6番リングを潜り抜ける。その時には、5番選手にリング一つ分まで差を開けられてしまっていた。

「ごめんね、私のせいで……」

 ルティカから、不意に弱音が零れ落ちた。

 すぐに、違う、ごめん、何でもない、と訂正するルティカだったが、直後バラクアから冷静な言葉が返ってきた。

「今更、何が『私のせい』だ。今まで散々負けてきたレースは、ほとんどお前のせいだろうが。やっと自覚が出てくれたか、助かる」

 バラクアの物言いに、思わずルティカはカチンと来た。

「何よそれ、ほとんど私のせいは言い過ぎじゃない? 私達の弱点は、チームワークの悪さだって結論になったでしょ! だったら半分はバラクアの責任じゃない!」

「まぁ、そうだな。それでお前が納得するなら、そう言う事にしといてやろう」

 バラクアは涼しい口調を返しながら、事も無げに7番リングを潜り抜けていく。

「なぁんですって! 何なのよその言い方! 納得なんか出来る訳……」

「8番リング後の風!」

 ルティカの言葉を遮るように、バラクアが叫ぶ。

「弱いわよ! 殆ど無風よ! 大体ね、あんたのそういう偉そうな言い方が気に食わないのよ! 何よ、そう言う事にしといてやろうって! ちょっと、バラクア、聞いてるの!!」

 レース中にも関わらず、ぎゃあぎゃあと喚き散らすルティカを首元に携え、バラクアは8番リングを潜り抜けていく。先程リング一つ分まで開いていた5番選手を、もう嘴の先まで追いつめていた。

「ルティカ、13番リング後の風、どうだ?」

「ちょっと待ちなさいよ! そんなポンポン言わないでよ! 分かんなくなるでしょ!」

「ああ、お前のペースでいい。分かったらすぐに教えてくれ」

 強く、だが暖かいその言葉に、ルティカは思わず押し黙る。

 バラクアの声が続く。

「俺達は未熟だ。だから、お互いが力を出し切れる方法を必死で考えたんだろ。お前が目で、俺が翼だ。俺達には、俺達の戦い方がある。今はそれ以上は必要無い」

 先程の5番選手へのルティカの思いを、バラクアは優しく汲んでくれていた。

 9番リングから11番リングを連続で潜り抜け、12番リングへ向けて上昇していく相棒へ、ルティカは先程の質問を大声で答えた。

「13番リングの後の風は弱いわ! スルーで行けるわよ!」

「了解!」

 これまた威勢のいい返答が返ってくる。

 心の内まで見透かされているような、優しく不躾な心遣いに複雑な思いを抱きつつ、ルティカはバラクアの頭を一度もしゃもしゃと撫でまわした。

「こんな所で負けてらんないのよ! そうよ! どんな戦い方したって、勝てばいいのよ勝てば!!」

 悪役が言い放ちそうな言葉を思いっきり喚き散らしながら叫ぶルティカは、バラクアの首元に跨りながら12番リングを潜り抜けた。

 そのまま13番リングへ向かおうと上昇を続けるバラクアへ向けて、本能的に何かを察知したルティカは、咄嗟に声を上げた。

「バラクア止まって!」

「何だ急に!」

 ルティカの突然の声に驚いたバラクアは、止まるまでしないながらも、翼を開きスピードを緩めた。

 目の前では、5番選手が何事も無く13番リングを潜り抜けていく、と思った刹那、13番直後の人口風が先程までのそよ風から一変、とてつもない強風を噴出しだした。

 突然の事に対応が出来ず、5番選手はそのまま強風に吹き飛ばされ、13番リングに激しく激突してしまう。

 先程の9番選手と同様、よろよろと痛々しく、地面へと降りていく5番選手を見ながら、バラクアは呟いた。

「どういう事だ?」

「ベートが四周目に入ったんだ……。だから、風力がリセットされた……」

 ルティカは自身の言葉を確認するように前方を見据えた。

 緋色の翼が、再び1番リングへと向かっていくのを視認する。

 そこには、二位の1番選手を更に大きく引き離しトップをひた走る、純然たる姿があった。

「こんな事もあるんだな……」

 バラクアは、つい先程までデッドヒートを繰り広げていたライバルの姿を見送りながら、そう呟いた。

「バラクア、13番リングの後の風、一周目と同じ強さだわ。同じように潜り抜けられる?」

「それなら任せろ」

 そう力強く宣言したバラクアは、一周目と同様に、強い斜め下へと吹きつける風に乗り、八の字で宙返りを繰り返し、14番リングを上方向に潜り抜けた後、地面スレスレの15番リングへ急下降を始めた。

 15番から18番までのリングを連続で鮮やかに潜り抜け、バラクアが19番リングへ向けて上昇を始めた時、

「……来た」

 ルティカから、ぼそりと歓喜の声が漏れた。

「……来たよバラクア」

「何だ? 何がだ?」

「決まってるじゃない!」

 ルティカが色めきだった瞬間、バラクアが目の前まで迫っていた19番リングが、小刻みに震えた。

「ここからが、ルティカちゃんの本領発揮よ!」

 吹き始めた風に飛ばされたのか、先程までの弱気なルティカは、それこそどこ吹く風だった。

「バラクア、このまま一気に行くわよ! ちょっと情報量増えるけど、どうにかしてね!」

 19番リングを潜り抜け、そのまま20番リングへと上昇しながら、バラクアはやれやれと言った風な声を出す。

「お前の無茶苦茶には慣れてる。どんと来い」

「頼もしいじゃない!」

 吹き始めた風に乗るように、バラクアはその勢いのまま、20番リングを潜り抜けた。

 残り二周。

 現在、四位。


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