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ハズレスキル【言質札】の第二王子、王国の膿を言葉ごと暴きます  作者: あゆと
第一章 レオン始動編

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レオン・アルディリア

 王宮の廊下で、俺を見る目が変わっていた。


 頭を下げる者がいる。

 目を逸らす者がいる。

 笑顔で近づこうとして、隣の者に袖を引かれる者もいる。


 少し前まで、俺はハズレスキルを授かった第二王子だった。


 今は、軍務局装備監督官を失職させ、御用商会の倉庫を押さえ、監督官印の空白まで机上に並べた第二王子でもある。


 人の評価は、一晩で変わる。


 軽く見る者は、軽く見る理由を探す。

 利用したい者は、利用できる理由を探す。

 敵に回したくない者は、笑顔で手を伸ばす。


 今日の視線は、そのどれもが混ざっていた。


 どの派に寄るのか。

 誰の手を取るのか。

 誰の敵になるのか。


 十三歳の王子に向けるには、少し早すぎる種類の視線だった。


「殿下」


 廊下の先で、宰相補佐のラウル・グレインが待っていた。


 灰色の髪を後ろで束ね、いつものように書類を抱えている。派手な男ではない。だが、王宮の廊下で立っているだけで、手続きが人の形をしているように見える。


「陛下がお呼びです」


「父上が」


「はい。第一王子殿下もおいでです」


 ラウルの声は淡々としていた。


 ただ、その言い方だけで、慰労の茶会ではないと分かった。


 俺の二歩後ろで、セリア・ランバートが姿勢を少し変える。


 護衛騎士としての反応だ。


 王に呼ばれる。

 第一王子もいる。

 軍務局の件の直後。


 褒められるだけの場ではない。


「セリアも同行を?」


「控えの間までです」


 ラウルが答える。


「内側は、ご家族での話になるかと」


 家族。


 その言葉が、妙に重かった。


 軍務局の会議室では、札と証拠を並べればよかった。


 だが、家族の部屋では、並べるものが違う。


     *


 通されたのは、玉座の間ではなかった。


 王族用の小応接室。


 高い天井も、臣下が並ぶ広間もない。厚い絨毯と、低い卓と、壁際の暖炉。窓の外には、整えられた中庭が見える。


 父王アルディリア三世は、椅子に座っていた。


 王冠はない。

 肩にかかる上着も、公式の謁見で使うものではない。


 それでも、部屋の重さは変わらなかった。


 第一王子エドワルド兄上は、父王の右手側に立っている。


 背筋がまっすぐで、表情は穏やかだ。穏やかすぎて、何を考えているのか読みにくい。


 母上、王妃マリアンヌもいた。


 華やかな衣ではなく、淡い色の室内着だった。俺を見る目は、王妃というより母のものだった。


「レオン」


 父上が言った。


「座れ」


「はい」


 俺は頭を下げ、向かいの椅子に座った。


 手のひらが、少し湿っている。


 相手が悪人なら楽だった。


 不正をした者なら、言葉を残し、証拠を並べ、答弁を求めればいい。


 だが、ここにいるのは父だ。

 兄だ。

 母だ。


 それでも、王家の話をする場所だった。


「よくやった、と言うべきなのだろうな」


 父上の声は静かだった。


「王宮救済院の食材運用。軍務局装備監督官の不正。ローヴェル軍需商会の倉庫。監督官印の空白。いずれも、見過ごせば国を痩せさせるものだった」


「恐れ入ります」


「だが、王宮は単純ではない」


 父上の声が、わずかに低くなる。


「お前は、数日で軍務局の一角を壊した」


 壊した。


 その言葉は、褒め言葉ではなかった。

 叱責でもない。


 ただ、事実だった。


 兄上が引き継ぐ。


「バルク・ダルモアは、軽い相手ではない。ダルモア家は王都貴族に顔が利く。ローヴェル軍需商会は、軍務局だけでなく貴族院にも取引先がある」


 兄上は卓の上に置かれた書状の束へ視線を落とした。


「そして、レオン。お前は今、彼らにとって危険であると同時に、欲しい存在になった」


「欲しい、ですか」


「敵意だけなら分かりやすい」


 兄上は言った。


「厄介なのは、善意の顔で来る手だ」


 父上が、卓の上の書状を一つ取る。


「王都軍務親睦会からの招待だ。お前の功績を称えたいとある」


 次の書状へ、父上の指が移る。


「神殿慈善局からは、救済事業への助言役を願いたいと来ている。民声同盟からは、弱き民の声を拾う会への招き。王都商会連絡会からは、辺境物流の改善について協力提案。貴族院の王統保全派からは、お前に後見役を置くべきだという申し出だ」


 書状は、どれも美しかった。


 称賛。

 後見。

 保護。

 助言。

 協力。


 文字だけなら、すべて俺を支える手に見える。


 だが、父上も兄上も、その手そのものを見ていない。


 手首の先を見ている。


「すべて悪意なのですか」


 俺が問うと、兄上は首を振った。


「違う。だから面倒なのだ」


 その答えは、すぐに腑に落ちた。


 すべてが悪人ではない。

 すべてが陰謀ではない。


 けれど、善意の手も、人を動けなくすることがある。


 母上が静かに言った。


「差し伸べられた手が、支えるためのものか、動かさないためのものか。よく見なさい」


 俺は、卓の上の書状を見た。


 胸の奥が、少し冷える。


 軍務局では、露骨な言葉があった。


 適切に処理した。

 帳簿上、問題はない。

 王家の威信のため。

 国防上必要。

 北方分は数だけ合わせろ。


 今度は違う。


 お守りします。

 後見します。

 導きます。

 協力します。

 弱き民のために。


 どれも、きれいだ。


 きれいな言葉ほど、よく見なければならない。


「レオン」


 父上が俺を呼んだ。


「お前は何を望む」


 部屋が静かになった。


 暖炉の薪が、小さく爆ぜる。


 父上は俺を見ている。

 兄上も見ている。

 母上も見ている。


 王位が欲しいのか。

 正義を振りかざしたいのか。

 自分の力を試したいのか。

 誰かに担がれるつもりなのか。


 そのすべてを問われている気がした。


「王位ではありません」


 俺は答えた。


 兄上の表情は変わらない。だが、視線だけが少し深くなった。


「では、何だ」


 父上が問う。


 俺は、すぐに答えられなかった。


 言葉を選んだのではない。


 喉の奥で、何かがつかえた。


 民のため。


 その言葉は簡単だ。


 けれど、簡単に言いたくなかった。


 前世で、俺は何度も聞いた。


 国民のため。

 生活者のため。

 未来のため。

 弱者のため。

 地域のため。


 その言葉の下で、名も顔も消えていく瞬間を見た。


 薄い毛布の下で震えていた老人。

 窓口で申請書を握りしめたまま、泣く気力すら失った母親。

 古い装備を使い続ける者に、予算上は配備済みですと言った役人。


 制度の紙にはいたのに、最後の場所にはいなかった人たち。


 俺も、その言葉を使ったことがある。


 民のため。


 正しい言葉だったはずだ。


 だが、正しい言葉ほど、人の顔を隠すことがある。


 俺は、手のひらを握った。


「父上。私は、まだこの国の民を知りません」


 父上の目がわずかに動いた。


 兄上も、少しだけ眉を上げる。


 俺は続けた。


「王宮の報告書に書かれた民と、薄い粥の椀を持っていた子どもは違いました。軍務局の帳簿にいた兵士と、廃棄予定の靴を送られかけた兵士も違うはずです」


 声は荒げない。


 荒げれば、たぶん楽だった。


 けれど、怒鳴った言葉は、相手の耳を塞がせる。


「私は、民を知っている王子ではありません」


 俺は父上を見る。


「知らないまま、民のためだと語る王族になりたくないのです」


 母上が、膝の上で手を重ねた。


 兄上は何も言わない。

 父上も黙っている。


 沈黙は、責めるものではなかった。


 続きを待つ沈黙だった。


「国とは、王宮ではないと思います」


 胸の奥が熱い。


 でも、指先は冷えていた。


「民です」


 言ってから、俺はすぐに首を横に振った。


「ですが、私はその民をまだ知りません。だから、紙の上だけで民を語りたくありません。誰かが民のためと言った時、その民がどこにいて、何を受け取ったのかを見たいのです」


 父上の顔から、少しだけ硬さが消えた。


 だが、甘さはない。


「民を知らぬと認める王子は、王宮では珍しい」


 父上は言った。


「だが、そのまま外へ出せば、お前は利用される」


「分かっています」


「まだ分かっておらぬ」


 父上の声は強くなかった。


 だから、重かった。


「お前は十三歳だ。王子で、王族スキルを持ち、しかもすでに一つの利権を壊した。お前の名を使えば、動く者がいる。お前の札を使えば、相手を黙らせられると思う者も出る」


 兄上が続ける。


「お前を旗にしたがる者が来る。正義の旗だ。改革の旗だ。民の味方という旗だ」


 兄上は、卓の上の書状を指した。


「旗にされた者は、自分で歩いているつもりでも、いつの間にか担がれている」


 俺は、返せなかった。


 前世でも見た。


 理想を掲げた者が、派閥の看板にされる。

 善意の言葉が、別の利権の入口になる。

 民のためという旗の下で、民の顔がまた消える。


 母上が言う。


「レオン。あなたが見るべきものは、差し伸べられた手だけではありません。その手が、誰の肩に置かれているかです」


 静かな言葉だった。


 でも、よく刺さった。


 支える手。

 縛る手。

 誰かの背後から伸びる手。


 それを見なければならない。


 父上は、卓の横に置かれていた一枚の書類を取った。


「そこで、お前に枠を与える」


「枠、ですか」


「好き勝手に王宮を切り回ることは許さぬ。だが、目を閉じろとも言わぬ」


 父上は書類を卓に置いた。


 そこには、短い役名が書かれていた。


 臨時監札官補。


 俺は、その文字を見つめた。


「監札官補」


「正式な官ではない。臨時職だ」


 父上は言った。


「裁き手ではない。捜査官でもない。王命を振りかざす役でもない」


 兄上が補う。


「言葉、証言、証拠、現物を並べる補佐だ」


 父上は俺を見る。


「お前は罪を決めるな。人を裁くな。だが、責任ある者の言葉と、現場にあるものを並べろ」


 その言葉は、重かった。


 俺が欲しい権限ではない。

 むしろ、制限だ。


 でも必要な制限だった。


 札は強い。


 強い力は、使う者の怒りを正義に見せる。


 それが一番危ない。


「条件がある」


 兄上が言った。


「一人で動くな。政務局を通せ。現場確認には護衛をつけろ。証言者を守れ。公開範囲を破るな。札だけで人を裁くな」


「はい」


「それから、近づいてくる勢力の申し出を、勝手に受けるな」


 兄上の声が少し硬くなる。


「お前に来る書状は、すべて政務局と王家で確認する。後見、協力、招待、慈善、物流提案。全部だ」


「信用されていないのですね」


「違う」


 兄上は即答した。


「お前を信用するために、手続きを置く」


 俺は息を呑んだ。


 その言葉は、少し意外だった。


 信用しないための手続きではない。

 信用を壊さないための手続き。


 ラウルが使う言葉に似ている。


 父上が、臨時監札官補の任命書へ視線を落とした。


「王家は絶対ではない」


 その言葉に、俺は顔を上げた。


 父上は、ゆっくり続ける。


「だが、王家がなければ、この国はもっと乱れる。外国は強い。商会は国境を越える。貴族は自領を守る。神殿は神の名で動く。民の声を掲げる者も、別の思惑を持つことがある」


 父上の指が、卓を軽く叩いた。


「王家は、必要だ。だが、王家の言葉が現場へ届く途中で薄くなるなら、それは王家の敗北でもある」


 父上は、そこで初めて少し苦い顔をした。


「私も、すべてを見られているわけではない」


 それは、王の言葉としては弱く聞こえるかもしれない。


 だが、俺には強く聞こえた。


 見えていないことを認めたからだ。


 兄上は黙って父上を見ている。


 おそらく兄上も分かっている。


 この国は崩壊寸前ではない。


 民は働き者で、礼儀正しい。市場には品があり、街道には荷が走り、王都の鐘は今日も鳴る。


 だが、だからこそ腐敗は見えにくい。


 父上は、任命書を俺の前へ押した。


「レオン。お前を自由な刃にはしない」


 次の言葉は、さらに静かだった。


「だが、王宮の飾りにもさせない」


 胸の奥で、何かが動いた。


 俺は頭を下げる。


「承知いたしました」


 父上は、指輪を外さないまま、赤い封蝋へ王印を押した。


 封蝋が沈む。


 王の印が残る。


 それは褒賞ではなかった。

 慰労でもない。

 俺を王位へ近づける紙でもない。


 動くための枠であり、止まるための鎖でもある。


 それでいい。


 鎖がなければ、人は自分の怒りで遠くへ行きすぎる。


 俺は、その紙を受け取った。


「ありがとうございます」


「礼は要らぬ」


 父上は言った。


「明日から忙しくなるぞ」


 兄上が卓の上の書状をまとめる。


「まずは、これらを整理する。どの申し出が善意で、どの申し出が首輪か。お前の札だけでなく、記録を見る目も必要になる」


「ミレイアを使いますか」


「書記官見習いのままでは使いにくい」


 兄上は、少しだけ口元を緩めた。


「ラウルが手続きを考えるはずだ」


 ラウルの仕事がまた増える。


 そう思ったが、口には出さなかった。


 母上が立ち上がり、俺の近くへ来た。


 そして、俺の肩に手を置く。


「レオン」


「はい、母上」


「眠れていますか」


 一瞬、答えに詰まった。


 まさか、この場でそれを問われるとは思わなかった。


「……少しは」


「少し、なのですね」


 母上の手は温かかった。


「あなたの怒りは、間違っていないのでしょう。でも、怒りだけで歩くと、あなた自身が削れてしまいます」


 母上は、俺の目を見る。


「民を知りたいなら、あなたも倒れてはいけません」


 喉の奥が詰まった。


 会議室で責められるより、こういう言葉の方が逃げ場がない。


「気をつけます」


「約束ですよ」


「はい」


 この言葉は、札にしなかった。


 する必要がない。


 母の言葉は、逃げる言葉ではないからだ。


     *


 部屋を出ると、控えの間でセリアが待っていた。


 彼女は俺の顔を見て、すぐに周囲を見た。


 俺が何を言われたかより、今この場に危険がないかを先に確認する。


 変わらない。


 それが少しありがたかった。


「殿下」


「戻りましょう」


「はい」


 廊下へ出ると、ラウルが待っていた。


 彼は俺の手元の任命書を見る。


「拝見しても?」


「はい」


 ラウルは書面を読み、眼鏡の奥で目を細めた。


「臨時監札官補」


「仕事は増えますか」


「増えます」


 即答だった。


「ですが、必要な増え方です」


 それは、ローヴェル軍需商会の倉庫を押さえた時と同じ響きだった。


 ラウルは、卓上の書状を受け取ったらしい。


 王都軍務親睦会。

 神殿慈善局。

 民声同盟。

 王都商会連絡会。

 貴族院王統保全派。


 きれいな名が並んでいる。


 どれも、俺を支えたいと言う。

 どれも、俺を守りたいと言う。


 ラウルが言った。


「殿下。最初にどれを見ますか」


 俺は少し考えた。


 そして答える。


「全部、まず出所を並べます」


 ラウルが、小さく息を吐く。


「そうおっしゃると思いました」


 俺は、書状の束を見た。


 称賛。

 後見。

 保護。

 慈善。

 協力。

 友好。

 公平。


 どれも、王宮ではよく光る言葉だ。


 だが、光る言葉の下に、誰の利益があるのか。


 その手は、誰の肩に置かれているのか。


 民のためと言うなら、その民はどこにいるのか。


 まだ、俺は知らない。


 だから、知ったことにしない。


 俺は任命書を胸元に抱えた。


 今度の相手は、怒鳴らないかもしれない。


 優しく笑うかもしれない。


 俺を褒め、守ると言い、導くと言うかもしれない。


 ならば、まず見る。


 言葉ではなく、その手の先を。


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