第98話 灯火は消えず
夜が明けきる頃、ようやく魔力の流れが安定してきた。
けれど、俺の心は、まだ波のように揺れていた。
エルンもルナも、目を覚まさない。
光魔法は届かなかった。……いや、届かなかったのは俺の想いのほうだ。
魔力は充分だった。術式も正しかった。
だが、カイランの記憶をなぞっただけの魔法じゃ、あの二人を引き戻すには足りなかった。
(俺は……誰の真似をしていたんだ)
胸が、焼けつくように痛い。
家の中は静かだった。
リゼリアは一時的に席を外していた。今は、俺と、エルンとルナの三人だけ。
エルンの寝顔は、いつもより少し苦しそうで、
ルナの唇は、かすかに何かをつぶやくように震えていた。
「……何を見てるんだ、お前たちは」
問いは届かない。けれど、握った指先の温もりだけが、かろうじてここにいることを伝えていた。
『お前が見つけなければならないのは、私の記憶にある術式ではない。祈りだ』
カイランの声が胸の奥に響く。
どこか怒っているようで、どこか哀しんでいるようでもあった。
『術式を写したところで、本質は宿らない。
お前自身が、何を願って、何を照らそうとするのか……そこに、力が宿る』
「……祈り、か」
俺は立ち上がり、戸口を開け、澄んだ朝の空気を胸に吸い込んだ。
朝焼けの光が、薄紅色に世界を染めていた。
冷たい風が頬を撫でる。
遠くで鳥が鳴いていた。
心から、綺麗だと感じた朝だった。
(エルン……ルナ……)
お前たちが、俺の側にいたからだ。
戦いの中でも、逃げ場のない夜でも。
何も持っていなかった俺に、初めて『いていい場所』をくれたのは、お前たちだった。
(今度は、俺が返す番だ)
もう借り物じゃない。
賢者の器としてでも、英雄としてでもない。
俺は——カインとして、お前たちを救う。
俺は床の上に、手をかざして術式を組み直した。
魔力の流れは、いつもよりやわらかく、温かかった。
(詠唱も、言葉も、俺のものにする。
これは、カイランの魔法じゃない。
——俺が、二人のためだけに紡ぐ魔法だ)
「光の精霊ルミナよ」
小さく、しかしはっきりと声を発した。
「我が願いを代償とし、闇の檻を切り裂け」
胸に積もった想いを、言葉に込めていく。
「今ここに届かぬ意識を、目覚めの光で照らし出せ」
指先に集まる光は、静かで、迷いがなかった。
「どうか——あの二人を、呼び戻してくれ」
風が吹いた。光が震えた。
けれど、まだ完成ではなかった。
(もう一息……言葉が足りない。俺の言葉を……もっと)
そのとき、小さな気配を感じた。
「……ん……」
微かな声。ルナ……?
ルナは、まだ目を閉じたまま、だが——その手が、微かに動いていた。
指が、俺の袖を掴もうと、探るように伸びていた。
「……ルナ」
俺の心に、小さな火が灯った。
この光は、完全ではない。
けれど——届いていないわけじゃない。
届こうとしている。
あと少し、ほんの少しだけ、強くなれたら——
俺は再び立ち上がり、空中に浮かんだ魔法陣の輪郭をなぞった。
このままじゃ終わらせない。
まだあきらめれられない。
祈りは、生きている。
灯火は、まだ消えていない。
そして、きっと次こそは——




