第82話 静けさのなかの報せ
グロム・ザルガス率いる獣魔族の撤退から一夜。俺たちは戦略拠点を後にし、ドワーフ都市グラムベルクへと向かっていた。
勝利の余韻と、深い疲労が身体に残るなか、荷車に揺られて進む道すがら、セリスがふと空を見上げた。
「雲が、昨日よりも高く感じます」
その呟きに、ルナが元気よく微笑みながら応えた。
「そりゃそうだよー! 勝ったんだから!」
エルンも静かに頷き、笑みを浮かべる。
「でも、グラムベルクに着いたら、ちゃんと休まないとね。みんな、かなり消耗してるから」
俺は目を細めながら、仲間たちを見回した。セリスの肩には疲労がにじみ、エルンやルナは眠たそうにしている。
それでも、誰の表情にも満ち足りた達成感が浮かんでいた。
グラムベルクの門が見えたとき、門兵たちが息を呑むように顔を上げた。
「おおっ……お戻りになったぞ!」
「カイン様たちがご無事で……!」
程なくして、ギルド職員やロルディア軍の伝令が駆け出し、戦果が正式に報告される。
冒険者ギルドのホールでは、カインたちの勝利の噂で賑わっていた。
「やったな……」「あのグロムを退けるなんて、本当に……」
「本物の英雄ってやつだ」
俺たちはそのままギルド手配の治療室へと案内され、エルンとセリスは軽傷の手当てを、俺は魔力の反動を回復する施術を受ける。
処置の終わった部屋で、ルナは俺の隣で丸くなり、満足そうに眠っていた。
その夕刻、鍛冶王バルグラス・アイアンハートが訪れた。鍛冶装束のまま現れたその姿は、王である前に職人としての気迫を湛えていた。
「カインよ。よくぞ帰ってきた。獣魔族の王を退けたというのは、紛れもない事実だな?」
「はい。皆のおかげで、何とか……」
俺の傍らでセリスが頭を下げる。
「ここで鍛えて頂いた《風哭》、本当に助けになりました」
バルグラスは大きく頷き、満足げに笑った。
「ならばこそ、鍛冶王として誇らしい。お前たちの武具が歴史を刻んだ。それが何よりの誉れよ」
バルグラスはそのままギルドへと戻っていったが、その背には確かな信頼が刻まれていた。
その頃。
ネフィラは、戦場から撤退したのち、魔族の隠れ里の一室で静かに座していた。蝋燭の火がちらちらと揺れ、彼女の顔に深い影を落としている。
「……まさか、グロムが退けられるなんて」
誰に言うでもなく呟いたその声には、悔しさと苛立ちが滲んでいた。
「せっかく彼を動かしたというのに……あれほどの戦力でも足りなかったとは。やはりカイン……」
手元の杯に指がかかる。だが飲むことはなく、ただ魔力のこもった瞳で火を見つめていた。
「愚かではない。だが、侮ってもいけない。次は——」
彼女の中で、次なる策が静かに形を成していた。
やがて、グロム・ザルガスが退けられたという報せは、人間領、そしてエルフ領へと広まっていった。
ロルディアの都市では「獣魔族の襲撃を防いだ英雄」としてカインたちの名が賞賛され、冒険者たちは新たな伝説の誕生に沸いた。
一方、エルフの森でもまた、ざわつきが広がっていた。
「……彼らを追放したのは、やはり間違いだったのでは?」
穏健派の者たちがそう囁くと、長老派の中からすかさず反論の声が上がる。
「いや、カインが動けば争いが起こる。あの者は災いを引き寄せる。追放は妥当だった」
森の中で意見は交錯し、静かなる対立の火種が再び灯りつつあった。
戦いは終わった。しかし、それは新たな波紋の始まりだった。




