第78話 戦場に吹く風
肩口に食い込んだ『蒼閃』の一撃。その深い傷をグロム・ザルガスはゆっくりと確かめていた。
「……鋭い切り口だな」
呻くような声が、低く地を這うように響く。傷口から滲む血を拭いもせず、グロムは顔を上げた。
「ようやく、骨のある一太刀を受けたぞ!」
その視線が鋼のような硬質さで俺を射抜く。殺気は変わらず凄まじいが、そこに焦燥はない。ただ純粋な戦いへの高揚だけが滲んでいた。
(まるで、痛みすらも戦いの糧にしている……)
俺は心の中で息を吐く。予想以上の化け物だ。だが、全く歯が立たないわけではない。『蒼閃』は確かに通った。
だからこそ、今は退く。ここで全滅するわけにはいかない。
「エルン、ルナ、セリスを回収するぞ! 一度、距離を取る!」
エルンがすぐに動いた。
「疾風の精霊シルフィードよ、魔石を代償に我らを包む障壁を——風の防壁!」
舞い上がる風が砂塵を巻き込み、視界を遮る壁となってグロムとの間を隔てる。
「ルナ、セリスを!」
「う、うんっ!」
小さな体でルナが駆け寄り、膝をついていたセリスの肩を抱え込む。
「……すみません、私……」
「謝るのは後だ。今は戻るぞ!」
風の壁の内側で俺たちは退却を開始した。
グロムは追ってこない。風の向こうで、腕をぶらりと下ろしながらこちらの背を見つめている気配がした。
「逃げるか……悪くない判断だ。だが、カイン……」
低く、地を揺らすような声が背に届いた。
「次は死ぬ覚悟を決めて来い。俺はいつでも構えてる」
その傲慢なつぶやきに俺は足を止めずに振り返り、小さく笑みを浮かべて返した。
「……違う。勝ちにいくんだよ」
風の切れ間から、グロムの瞳が鋭い刃のように細められたのが見えた。
***
拠点へと戻った俺たちは重苦しい空気の中でそれぞれの回復と再装備を済ませていた。
セリスは深手こそ負っていなかったが、打撲と魔力枯渇により動きに支障が出ていた。
エルンは連続した高位魔法による反動。ルナも精神的な疲弊が見え始めている。
そんな中、俺は静かに思考を巡らせていた。カイランの言葉が脳裏をよぎる。
『グロムの斧……あれはただの武器ではない。膨大な魔力が流れている。いや、斧そのものが魔法の発動体として機能しているな』
テーブルの上に簡易地図とメモを広げ、俺はつぶやく。
「しかも、あいつは一度も詠唱をしていない。魔法名を口にすることすらなかった。だとすれば……特定の動作そのものが魔法のトリガーになっているんじゃないか」
俺の推測に治療を受けていたセリスが顔を上げる。
「動作が詠唱の代わり……ですか?」
「ああ。斧を振る、踏み込む、咆哮する……その行為自体が詠唱の代わりを果たしている。『動作詠唱』とでも言うべきか」
耳の奥にあの声が響く。
『だから、そう助言した』
(……言い方が紛らわしいんだよ、カイラン)
小さくため息を吐くが、今の言葉が核心に触れているのは明らかだった。
「つまり、グロムの魔法を止めるには、あいつの動きを物理的に封じるしかない。動きさえ止まれば、強化も衝撃波も発動できなくなるはずだ」
俺は仲間たちを見渡した。
「セリス、エルン、ルナ。今回の戦いで確信したことがある。グロムの防御は『殺気』を感じ取って自動的に反応している。だからこそ、殺気を断てば行動を読まれにくい」
「……殺気を断つ……?」
セリスが怪訝そうに問い返す。
「ああ。つまり、無心だ。心を無にして斬る。例えば、日々の素振りで、ただ空気を切る時のように。俺が放った『蒼閃』も、それで通った」
「なるほど……人形相手の稽古のように感情を乗せずに振るうということですね」
エルンが静かにうなずく。理屈は理解してくれたようだ。
「そして、動きを止める手段。それがあれば、今の武器でも十分に戦える。俺たちの力で奴を止められる」
俺の言葉にルナがおずおずと手を挙げた。
「ルナ、火で援護するよ。目くらましくらいはできるよ。あいつの目がすごく怖かったけど……でも、カインがやるなら!」
その健気な言葉に俺は表情を緩めた。
「ありがとう、ルナ。頼りにしてる」
「……うん、がんばる!」
そして、拠点の外に広がる静かな山間を見つめながら、俺は言った。
「グロムが追ってこなかったのは、あいつが待ってるからだ。最高に仕上がった俺たちを。だったら、応えてやらないとな」
空気が静かに引き締まる。
肌を刺すような恐怖は依然としてそこにある。だが、それ以上に俺の心を支配しているのは確かな勝機への昂ぶりだった。
俺たちには仲間がいる。そして、俺の中には賢者カイランという最強の参謀がついている。
グロム、お前の強さの根源――その秘密はもう暴かれた。
戦いの第二幕。今度は俺たちが、あの怪物を圧倒する番だ。




