第60話 決裂の仮面
影の異形を退け、倒れていた討伐隊の戦士たちを安全な場所へ移した直後だった。
空気が、ねじれる。
静寂を割くように、闇の中に歪んだ光が走り、ひとりの男が姿を現した。
仮面の男。かつてスレイン丘陵で対峙した、ヴァルディスの使い魔。
「……再会を喜ぶべきか、否か。お前たちは、こちらの想定を超えすぎる」
その声は機械のように冷たいが、仮面の奥の視線には、明確な殺意が宿っていた。
「やはりここにいたか」
俺は一歩前に出て、剣に手をかける。
「素材として確保しようとしてたんじゃなかったのか? 急に殺意むき出しってのは、どういう風の吹き回しだ?」
「……状況が変わった。君たちエルフを確保する余裕は、もはやない。故に——排除する」
仮面の男が手を掲げると、床の影から数体の影兵がせり上がるように現れた。
だが俺たちは、もはや怯えない。
「カイン、行きましょう」
エルンが杖を構え、後ろに立つセリスとルナも戦闘体勢に入る。
「全員で、倒すぞ!」
先に動いたのはセリスだった。風をまとった剣が一閃し、迫ってきた影兵のうち一体を吹き飛ばす。
「音消はまだ使わない。仮面の男に使うために温存します!」
「了解、無理はするな!」
続けてルナが両手を広げ、目を閉じる。口元から漏れるのは、かすかに異なる響きの言葉だった。
「ソリュ・ミナ・フェイ、リュン……《感知の魔眼》!」
魔法キツネの言語——柔らかく、精霊と魔力が共鳴するような独特の詠唱。ルナの額に淡く魔法陣が浮かび、視界の中に敵の動きが線のように現れる。
「右からくる、はやい!」
「任せろ!」
俺は右に滑り込み、斜めに跳びかかってきた影兵を剣で迎え撃つ。刃が重く沈んだ感触の後、影が霧散する。
その間に、エルンが詠唱を終える。
「光の精霊イルディアよ! すべてを灰塵へ導け——《終光》!」
紫の閃光が仮面の男の肩をかすめ、その布を焼き焦がす。男は咄嗟に身を翻して回避に移るも、目に見えない『焼く光』の痛みに顔をしかめた。
「……これは……なんだ……?!」
初見の魔法への対応が遅れたことが明らかだった。イルディアの力に導かれた終光は、もはや代償すら必要としない強力な術となっていた。
仮面の男が指を鳴らすと、背後から巨大な影の刃が生成され、俺たちに襲いかかる。
その瞬間——
「カイン殿!」
セリスが俺の前に出て、盾で斬撃を受け止めた。金属がぶつかる音と同時に、仮面の男が低く詠唱を始める声が響く。
「……影よ、我が内に満ち……すべてを呑みこみ——」
セリスは反射的に目を細め、即座に行動に移った。
剣の切っ先が仮面の男の口元を鋭く指し示す。
「音を断て——《音消》!」
空間が歪み、沈黙の領域が生まれる。仮面の男の口が動いても、そこから声は出なかった。
「……!」
詠唱を断たれた男の魔力が一瞬暴走しかけ、周囲に黒い霧が吹き荒れたが、術そのものは不発に終わった。
その隙を逃さず、ルナが接近し、小さな手から放った火球が敵の衣を焼く。
「っ……!」
「いける……!」
俺は全身の魔力を圧縮し、詠唱する。
「ウンディーヴァよ、蒼き閃光を放ち、敵を撃て——《蒼閃》!」
青白い斬光が仮面の男の胸を貫く。
衝撃が走り、男の身体が大きく後方へ吹き飛ぶ。
膝をついた彼の仮面に、深々と亀裂が走った。
「……ふっ、想定以上……だったな」
割れた仮面の隙間から見えた目には、もう冷静さも作為もなかった。ただ、敗北の色が濃く滲んでいた。
「……ヴァルディス様……申し訳、あり……ませ……ん」
呟きと共に、男の体が影に飲まれるように崩れ、霧散した。
「……終わった、のか?」
俺たちはしばらく無言で周囲を警戒していたが、もう新たな敵の気配は感じられなかった。
残っていた影兵もすでに消滅しており、広間には静けさが戻っていた。
ルナが耳を澄ませる。
「気配、うすくなった。……でも、ひとつだけ、すごく、こわいのが、奥にある」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
ヴァルディスがいる、本丸——いよいよそこへ辿り着く。
「行こう。これが終われば……何かが変わる気がする」
「はい……」
「ついに、ですね」
「ルナも、がんばる!」
俺たちは肩を並べ、闇の奥へと踏み出した。




