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50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく  作者: かわさきはっく
第二章 ロルディアの影

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第56話 風なき静寂(しじま)

 ギルド裏手にある訓練場の奥——人目のつかない屋外の一角で、セリスはいつになく真剣な顔で剣を構えていた。


 俺は少し離れた岩に腰を下ろし、彼女の背中を静かに見守っている。


「こうして改めて見ると、本当に戦士だよな。迷いがないというか……」


「迷っております、今まさに」


 セリスが口元を引き結びながらも、淡く返す。けれど、その視線は鋭いままだった。


「風というもの、私にはあまりに掴みどころがありません。ですが、カイン殿がおっしゃっていた真空の概念……あれには、心がざわつくものがあります」


 そう、俺がセリスに提案したのは、「空気を完全に遮断する空間=真空」を風魔法で生み出すことだった。


 目的は敵の詠唱の遮断。魔術師にとって声が出せない状況は、すなわち無防備になることを意味する。


「そもそも、声ってどうやって届くか、知ってるか?」


「……息と喉の震えでは?」


「それもあるけど、声は空気の振動なんだ。俺の世界では、声は空気を揺らして、その波が相手の耳に届いて音になるとされてる。だから、空気がなければ——声は伝わらない」


「……空気がなければ、音も言葉も、存在できない……」


「その通り。俺のいた世界では、無音の空間という、空気のまったくない空間があってな。そこでは叫んでも、音ひとつ響かない。……それを、風魔法で作り出す。それが狙いだ」


 セリスは目を伏せて、剣の柄を見つめる。


「……もしそれが叶うのであれば、戦場での立ち回りに新たな可能性が生まれます」


「ただし、通常の詠唱では発動に時間がかかる。俺が考案した《音消ミュート》は優れた魔法だけど、実戦では先に敵の詠唱が始まってしまうこともある」


「……それは、致命的ですね」


 俺は少し笑って言った。


「セリスの課題は、《音消》を相手の詠唱よりも早く発動できるようにすること。そして、そのためには詠唱を簡略化する必要がある」


「詠唱を……簡略化、ですか?」


「カイランの知識によれば、詠唱の一部を動作で代用することは理論上可能だ」


「……動作で、精霊に意志を伝えるのですね」


「そう。たとえば剣の切っ先で相手の口元を指し示す。その動作に『我が魔力を代償とする』という意思を込めておけば、毎回口に出さなくてもいい。その契約を精霊と交わせば、詠唱は短縮できる」


「なるほど……それであれば——」


 セリスは剣を抜き、ゆるりと構えた。


「音を断て——《音消ミュート》だけで、済むというわけですね」


「そう。それを目標に練習しよう」


 セリスは集中し、風の精霊シルフィードに意識を向け、空気の流れを感じ取る。


(風を導くのではなく、風を消す……)


 両足をしっかりと踏みしめ、両手を軽く広げる。


 呼吸を整え、魔力を静かに練る。


 流れを断ち切る。その中心に無を生み出すために。


「風の精霊シルフィードよ、我が魔力を代償とし、音と息を断つ静寂の渦を生め——《音消ミュート》!」


 その瞬間、空気がわずかに震えた。


 セリスの正面、ほんの小さな空間が——まるで存在が消されたかのように、沈黙した。


 そこにあった木の葉が、音もなく落ち、風さえ通らぬ異様な空間が生まれていた。


 俺は立ち上がり、彼女に近づいた。


「……今のは、完璧じゃないにしても、確かに空気が止まってた。俺の声が、君のところに届かなかった」


 セリスは額の汗を拭きながら、小さく微笑んだ。


「まだ思うようにはいきませんが……これを鍛えれば、詠唱者の口元だけを封じることはできそうです」


「うん。そしてそれができれば、戦況を一変させる切り札になる」


「詠唱を止めるどころか、呼吸すら……奪えてしまう。恐ろしい力ですね」


「それでも、君なら……きっと正しく使える」


 セリスは剣を静かに納め、そして俺へと振り返った。


「ありがとうございます、賢者様。私などに、こんな力を教えてくださって。……あなたが導き手と呼ばれる所以ゆえんを実感いたしました」


 それは心からの敬意をこめた、まっすぐな言葉だった。


 夜空の下、セリスは再び剣を抜いた。剣の先端にわずかな風の渦を宿しながら、口元に小さく魔力を集中させる。


 風を断ち、声を奪う魔法。


 それはただの補助魔法ではなく、闇の中で詠唱者の息を封じる沈黙の刃だった。


 戦士セリスの戦い方が、ここでひとつ、進化を遂げた。


 そしてまたひとつ——世界は、ざわつく。

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