第48話 ヘルムガルド廃村
夜明け前、俺たちは簡易の野営地に集まり、ヘルムガルド廃村へ向かう前の作戦を練り直していた。昨夜の襲撃により、伯爵かヴァルディスの手先がすでにこちらの動きを把握している可能性が高い。
「昨夜の戦闘で、俺たちの力量は十分に見せつけたと思うが……相手も、次は本気で仕掛けてくるだろう」
俺は焚き火の炎を見つめながら、静かに言った。
「今のところ、ヘルムガルド廃村には闇の魔法の痕跡が残っているとしか分かっていない。だが、そこにはおそらく何かが隠されている」
「そうね……封印の魔法があるかもしれないし、場合によっては罠も仕掛けられている可能性があるわ」
エルンが腕を組みながら答える。彼女の瞳には警戒心が宿っていた。
「となると、慎重に進む必要があるな。俺とルナで先行して周囲を探り、何かあればエルンは魔法でサポート。セリスはエルンが詠唱する間、彼女を守ってくれ」
俺が一人一人に目くばせしながら提案する。
「ルナ、お前の鼻を頼りにしているぞ」
俺がルナの頭を撫でると、ルナは小さく鳴いて頷いた。
「ニオイでキケン、わかる。でも、ヘルムガルドのほう……ナニカ、あぶない」
ルナの言葉に、一同の表情が引き締まる。
「……とにかく、慎重に行動するしかないな。もし敵と遭遇したら、なるべく情報を引き出すように戦う。ただの追手ならともかく、ヴァルディスの手がかりがあるかもしれない」
俺の言葉に皆が頷き、彼らは最後の準備を整えた。
太陽が高く昇り始めた頃、俺たちはヘルムガルド廃村へと到着した。
かつては人々が暮らしていたであろう村には、今や誰の気配もなく、荒れ果てた家々が無造作に並んでいる。長年放置された建物は崩れかけ、枯れた草が道を覆っていた。
「……なんだか、変に静かね」
エルンが辺りを見回しながら呟いた。木々のざわめきすら途絶えており、まるでこの村だけが時間から取り残されたかのようだった。
「ルナ、お前の鼻はどうだ?」
俺は足元のルナに目を向ける。ルナは鼻をひくつかせ、周囲の空気を嗅いでいたが、やがて耳を伏せ、不安げな声を漏らした。
「……カイン、ここ、なにかいる。でも、どこかわからない……」
その言葉に、一同の緊張が高まる。何者かがいるという確信はあるが、姿は見えない。しばらく探索を進めると、崩れかけた屋敷の奥に、一際不自然な石壁を発見した。
「これ……ただの壁じゃないな」
セリスが指で壁をなぞると、表面にはうっすらと魔法陣が刻まれていた。それは時間の経過で消えかけているものの、未だに微かな魔力を放っている。
「封印魔法ね。何かを閉じ込めているか、それとも守っているか……」
エルンがじっと魔法陣を観察し、呟く。
「私が封印を解除してみるわ」
エルンはポーチから淡い青色の魔法石を取り出し、静かに詠唱を始めた。
「光の精霊ルミナよ、魔法石を代償とし、隠された扉を開け——浄化の閃光 (ピュリファイ)!」
魔法石が発光し、エルンの手のひらから放たれた聖なる光が魔法陣に降り注ぐ。光の粒子が壁に染み込み、封印が軋むような音を立てながら解除されていく。
次の瞬間——
壁が砕け、冷たい空気が流れ出した。闇の奥から、異様な気配が溢れ出る。
「……何かいる!」
ルナが身を縮め、警戒の唸り声を上げた。俺は短剣を握りしめ、セリスが素早く構える。その時、黒い影が蠢き、ゆっくりと姿を現した。
それは——人間の形をしていた。しかし、全身が黒い霧のようなものに覆われ、顔には感情の一切が見られない。
「影を纏った……戦士?」
セリスが困惑する。
「ヴァルディスの手下なのか?」
「——来るぞ!」
影の戦士が咆哮を上げ、異常な速さで俺たちに襲いかかってきた。
セリスが前に出て、剣を振り上げて牽制するが、影の戦士は意に介さず突っ込んでくる。
「こいつには感情が無いのか?」
影の戦士が大きくふり下した腕をセリスは盾で受け止めてみせた。
すかさず俺は「蒼閃 (そうせん)」を放つ。しかし、放たれた水の閃光は、影をすり抜けただけで、影の戦士にダメージは見えない。
「くそ……魔法が通じない!?」
「闇の魔法が影響しているなら……光で対抗すればいいわ」
状況を即座に判断したエルンは影の戦士に向かって光魔法の詠唱を始めていた。
「光の精霊ルミナよ、我が魔力を代償とし、聖なる光の矢を放て——《ルミナス・レイ》!」
強烈な光が影の戦士を包み込み、その体を覆っていた影が剥がれ落ちる。
「今よ!」
エルンの声と共に、実態があらわになった戦士に向かってセリスが狙いを定める。
「はぁっ!」
鋭い剣撃が戦士の胴を貫く。影を失った今、肉体は脆くなっており、セリスの一撃が致命傷となったようだ。影の戦士はその場に倒れ込み、動かなくなった。
少しすると、わずかに残っていた黒い霧も、影の戦士の体から完全に消え去り、そこには干からびた元人間の亡骸が残っていた。
「……やっぱり、人間だったんだな」
セリスが剣を納め、慎重に亡骸を観察する。その表情には、戦いに勝った安堵よりも、得体の知れない魔法の恐ろしさが刻まれていた。
「影を纏いながら、理性も言葉も持たず、ただ敵を排除するだけの存在……」
エルンが小さく息を吐きながら、亡骸の顔を覗き込む。皮膚はひどく乾燥し、眼窩は空洞のまま。かつての意志も誇りも、すべて吸い取られてしまったかのようだった。
「この部屋をもう少し調べましょう」
エルンが周囲を見渡しながら提案する。
「もしかしたら、ヴァルディスが魔法の研究を進めていた証拠が残っているかもしれない」
俺たちは慎重に部屋を探索し始めた。壁には古びた魔法陣の痕跡が残っており、いくつかの石版が埃を被ったまま放置されていた。
「これは……実験の記録か?」
俺は一枚の石版を拾い上げた。そこには、見覚えのない古代文字が刻まれていたが、端の部分にはかろうじて解読できる言葉が残っていた。
「不死の研究——対象エルフ23体、失敗。影の融合は不完全。」
「……エルフを実験に使った記録か」
俺は奥歯を噛みしめた。
「やっぱり、ここでエルフを利用した実験が行われていたんだ……!」
「最低ね……!」
エルンが怒りを滲ませながら、拳を握る。
「影の魔法を完成させるために、これだけのエルフが犠牲になったってことね……」
セリスも険しい表情を浮かべた。
「この証拠があれば、王都のギルドに報告できるかもしれないが、今は追われる身か……」
俺は石版を収納しながら呟いた。
「ヴァルディスの影の魔法がまだ研究中なら、次の犠牲者が出る前に止めないと」
「でも……ヴァルディスは一体、どこで実験を続けているのかしら?」
エルンが疑問を口にしたが、俺には見当もつかなかった。
「フェルシアの里へ戻って、また検討が必要だな」
俺の言葉に一同は頷き、ヘルムガルド廃村を後にするのだった。




