第29話 試練の終わり、そして旅立ち
エルフェンリートの森の中央に位置するオルデリアの試練場。陽光が差し込む神聖な広場には厳かな、それでいて張り詰めた空気が漂っていた。
その中央に鎮座するのはエルフの秘宝とされる巨大な結晶石。その表面は滑らかで、長い年月をかけて魔力を蓄えてきたため、通常の攻撃では傷一つつけることすら難しい。
周囲を取り囲むのは試練を見届けるために集まったエルフたち。ヴィンドール率いる保守派は厳しい視線を、エルンや若い世代は祈るような眼差しを、俺に向けていた。
試練の課題は「エルフの魔法体系にない新たな魔法を生み出し、それを用いて結晶石に傷をつけること」。智慧と創造性の両方を求められるこの試練は賢者として認められるための最後の関門だった。
「試練の内容は理解しているな?」
審査官役の長老が厳しい目を向ける。俺は静かにうなずいた。
「……始めます」
深く息を吸い、これまでの知識と経験を総動員する。カイランの記憶と俺自身の生きてきた世界の物理法則。それらを結びつけ、新たな魔法を構築する。
(ただ力任せの魔法ではダメだ……。この石に傷をつけるには物理的な原理を応用するしかない)
そう考えたとき、俺の脳裏に竹内悟志だった頃の記憶が浮かぶ。ウォータージェットカッター——水を極限まで圧縮し、高速で振動させることで金属すら切り裂く技術。これを、この異世界の魔法で再現できないか?
『水を刃のように操り、削り取るか……。面白い。お前の世界の理は我らの魔法と根本から異なるようだ。試してみるがいい』
カイランの声に後押しされ、俺は手をかざす。掌に魔力を集中させ、エルフたちが見守る中、青白く輝く極細の水の刃が形成されていく。
「……行くぞ!」
蒼く輝く刃が結晶石に向かって放たれた——。しかし、次の瞬間、異変が起きた。
ズズ……!
水の刃が結晶石に触れる寸前、石の表面に一瞬だけ黒く淀んだ紋様が浮かび上がった。そして俺の魔法はまるで紋様に吸収されるかのように力を失い、ただの水蒸気となって消滅したのだ。
「……!?」
俺は違和感を覚えた。確かに魔法は発動した。しかし、何かに魔力を吸い取られたような感覚があった。
「ふん、やはり失敗か」
その声はヴィンドールだった。彼は待ってましたとばかりに冷ややかにつぶやく。
「結晶石に傷一つつけられないようでは賢者の資格はないな!」
「やはり、高位エルフの器ではなかったということか」
彼の言葉に呼応するように保守派のエルフたちがざわつき始めた。
——違う。これはただの失敗じゃない。俺は確信していた。何者かがこの試練に細工を施している。
「試練は失敗と見なす」
審査官が淡々と告げた、その瞬間。
「お待ちください!」
エルンが声を上げた。
「これは明らかにおかしい! 今、結晶石に術式の反応がありました! 何者かが試練に細工をしています!」
しかし、ヴィンドールがそれを遮るように叫ぶ。
「見苦しい負け惜しみを言うな! 掟は絶対だ!」
「そうだ!」「異質な者を賢者にはできん!」「追放すべきだ!」
保守派のエルフたちは勢いを増し、広場は混乱に包まれた。
「試練に失敗した者は百年間の再挑戦を認めない。それが掟だ」
審査官の非情な宣告にエルンは怒りを露わにする。
「百年ですって!? 人間だったというカインにとって、それは一生と同じ時間ではありませんか!」
だが、保守派は意に介さなかった。
「ならば、この森を出て、よそで力を証明するがいい」
静寂が訪れる。その決定はあまりにも理不尽で、政治的なものだった。
俺は静かに拳を握る。そして——顔を上げ、微笑んだ。
「百年も待つ気はない。俺は俺のやり方ですぐにでも自分の力を証明する」
その言葉をヴィンドールは鼻で笑った。
「ならば、その仲間も同罪だ。賢者を惑わせ、森の秩序を乱そうとした危険人物として、エルンストも共に追放処分とする!」
その決定にエルドレアが「待て、ヴィンドール!」と声を荒らげたが、もはや議会の空気は保守派に傾いていた。
「……エルン、すまない。お前まで巻き込んで」
「いいえ」
エルンは俺の隣に並び、静かに、しかし強く言った。
「私はカイラン様に仕えた者としてではなく、カイン、あなたを信じる者としてここにいます。それに……あなた一人をこのまま放っておくほど、私は冷たい女ではありませんよ」
その言葉に俺は喉の奥が詰まり、うまく声を出すことができなかった。
追放。その二文字が突きつける現実は想像以上に重く、冷たい。
元の世界で無職だった頃、社会から無視されることには慣れていた。だが、国から拒絶され、居場所を奪われる経験など初めてだ。しかも、エルンまで巻き込んでしまったのだ。
俺は心臓をじかに握られたように胸が痛くなった。
「……本当に、すまない」
俺は情けないほどかすれた声で、その一言を絞り出すのがやっとだった。
そんな時、足元に温かさを感じた。物陰から飛び出してきたルナが俺の足にぴたりと体を寄せて、励ますように見上げている。
――俺を見つめるエルンとルナの視線が、沈みかけた心を軽くしてくれた。
こうして、俺たちは森を追われる事になったが、その背中に敗北の色はなかった。
森を発つ俺たちにはヴィンドール派の罵倒や嘲笑が容赦なく浴びせられる。足取りは重かった。だが、その喧騒の中に別の色が混じっていることにも気がついた。
「……カイン様、どうかご無事で」「我々は待っています……!」
それは、かき消されそうなほど小さな、けれど確かな祈りの声だった。
俺を信じてくれる仲間がいる。見送ってくれる者がいる。その事実が俺に前を向く力を与えてくれた。
(……ああ、そうだな。ここで終わってたまるか)
俺たちは顔を上げ、光の差す方角へと足を踏み出した。
森は俺たちの行く末を案じるかのように、いつまでもざわついていた。
第一章・完




