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60話

エーデルカルト家の屋敷は、なにも変わっていなかった。使用人の顔ぶれも華やかさも。ただ幼いときよりも小さく感じられた。


帝都を出て数日。馬車を乗り継ぎやっとのことで辿りついた数年ぶりの生家。懐かしさの余韻に浸りながらも感傷的になれないのは逼迫した状況に気が急いているということもある。


 クローディアの安全をひとまず確保いつまでも確保できるわけではない。いずれは夫人もここを探し当てるだろうし、彼女は今も眠り続けている。エリクもルッタもカトレアも無事なのかどうかわからない。


「どうしたの? 食べなさいシリウス」


 少し老けた母は、そんなシリウスの心境などおかまいなしといった様子で、事情を話すと、少なからず動揺を見せたが、それ以上事情を聞こうともせずそのまま部屋へと案内された。


 そして今日このときまで一緒に過ごすことはできなかった。眠っているクローディアのお世話をするのに時間を費やしていたが、母がなにを考えているのかわからない。まさか密告するとはおもえないが、母は誰よりも貴族らしい女性だ。家を守るためなら娘を男として育てるくらいに突飛なことをする。


「皇女殿下はどう?」

「相変わらずです」

「そう。お気の毒ね」

「お母様。今更ですが、本当にありがとうございます」

「いいのよ。可愛い娘を無碍にできるものですか」

(娘・・・・・・ね)


 どういう意図が含まれているのか、


「シリウス。貴方は一体どうしたいの?」

「・・・・・・・・・暫くはここでご厄介になりたいとおもっています。少なくともクローディア様のお命の無事が確保できるまで」

「それは夫人を断罪し潔白を証明するまでということでいいの?」


 果てのない話だ。


 罪を暴くといえば威勢はいいかもしれないが本当はこちらが追い詰められている状況なのは変わらない。今後この屋敷に留まっていてもどうにかできる保証なんてない。


男爵家の女領主として家をまとめてきた母は、シリウスにとっては畏怖の象徴だ。小さい時から厳しく育てられ、男として、貴族としての全てを叩き込まれてきた。

成長し騎士となってもそれは変わらない。母にとって望まない願いをしているのだから尚更である。


「いいわよ」

「へ?」


あっさりと母が受け入れてしまったから逆にシリウスが困ってしまう。こちらは土下座でもなんでもするつもりでいたのだから。


「野菜もきちんと食べなさい。昔から貴方は好き嫌いの傾向が――」

「そうではなくてですね!」

「なにか?」

「いえ・・・・・・」


小さいときはおそろしく迫力のあった母の眼光は今も健在だ。しかし今は恐怖と怯えとは別の意味で怯んでしまいそうになる。


「よろしいのですか? 本当に。我が男爵家も巻き込まれてしまうやもしれません」


母にとって一番大切なのは、それなのだ。だからこそ説得するのに骨が折れると覚悟をしていた。なのにおもいきり肩透かしを喰らった。


「権力争いに巻き込まれるのは貴族の常よ。珍しいことではない」

「はぁ」

「皇女殿下には不自由な暮らしを強いることになるかもしれない。名前も身分も偽ることになるでしょう」

「母上・・・・・・・・・ありが――」

「ただし、条件があります」


やはり、そうきたか。なにか裏がありそうなほどあっさりと進むので素直に喜べなかったが合点がいく。


「手紙は読んだわね?」

「女に戻れという?」

「そう。そうよ」


どうしてそんなことを今話題に出すのか。母の意図を測りかねそうになった。

だが、ごく自然に二つのことを繋げ合わせる。繋がってしまう。


「それが・・・・・・・・・条件ですか?」


 おそるおそる、どうか違っていてくれ、と念じてみたが、母の無言が肯定だと示している。


 こんなことあるか。


 断れないじゃないか。


 クローディアのためならなんでもするつもりでいた。もしも彼女の呪いが解けるのであれば全ての人々に性別を晒してもかまわない。


 だが、実の母に出された条件はあまりにも勝手で、卑怯さすらある弱みにつけこんでいる。理不尽としかおもえない。怒りと悲しみと失望が混じったぐちゃぐちゃとした感情が渦巻いてとまらない。


「よく考えておきなさい」


 話はもう終わりだとばかりに、話を打ち切った。


 冷めきった食事を再開させることもできない。


 エリクは今いない。ルッタも、そして姉も。誰かに打ち明けることも相談することもできない。選択は孤独なシリウスには重く、一人では答えを出せそうにない。苛み、苦悩し、逃れるように客室へと足を向かわせることになった。


「クローディア様!?」


客室に寝かされていたクローディアが目を覚ましていた。上体を起こし寝ぼけ気味な眼を右往左往させている。驚きと感激が同時に湧き上がる。涙すら出そうだ。


「よかった、目が覚めたのですね!」

「・・・・・・?」


僅かな戸惑いと怪訝がっている様子に、バッ!っと広げた腕を引っ込めた。


「ああ、ごめんなさいお腹が減っていませんか? 喉が乾いてはいませんか?」

「・・・・・・」

「あの、クローディア様?」


 まだ自分がどこにいるのか、どうなっているのかさえ掴めていないんだろう。どう慰め、説明すればいいのだろうと思案のしどころだった。


(あれ?)


 なんだろう。なにかがおかしい。


 いつになくよそよそしく、怯えの色が見えるし、貴婦人然とした大人っぽい顔つきはあどけない子供みたいだ。シリウスにぶつけてくる視線は見知った人に対するものではなく、他人を見るそれにおもえて仕方がない。


 既視感がある。出会ったばかりのクローディアとどこか重なるのだ。


「だぁれ?」


 言葉を失った。


「貴方はだぁれ?」


  舌足らずな喋り方、たどたどしく純粋な感情しかない声。


「クローディア様・・・・・・・・・僕 ですよ? シリウスです」

「シリウス? クローディア?誰?」


 嘘をついているわけではない。


 からかっている気配など微塵もない。


「私は誰? ここはどこ? どうして私はここにいるの?」

「そ、そんな、なんで――」


 呪い。


 クローディアを蝕み、死に追いやり、記憶にも影響を与える。過去の思い出を、親しい人の記憶を忘れさせてしまう。まさか呪いのせいでクローディアはすべての記憶を忘れてしまったのか?


「クローディア様、エリクを覚えていますか?」

「?」

「ルッタは? カトレア姉上は? 離宮での暮らしは?」

「???」


 なんということだろう。


 クローディアは無垢そのものだ。これまでのことも、自分自身も、全てを忘れてしまったのか。


 あれだけ愛し、心を寄せていたエリクのことさえも忘れてしまったのか。彼がクローディアのために身を張って逃がしたことも。自分がどれだけ彼のことを愛していたのかも。


(まさか・・・・・・)


 ここに来る前、騎士団に連行されるときにも呪いの発作がおき、瘴気が出たのだ。通常よりも遅くなってきたのに、いきなり発作が起きて記憶を失った原因は一つ。


 呪いが進行しているとしかおもえない。つまりクローディアの死が近付いている。


(どうすればいい?)


 シリウス一人の手には余る。魔術の知識なんて無い。


「ふ、う、うう・・・・・」

「っ」

「う、う、う、ふぇえええん・・・・・」


 堰が切れたように泣きじゃくる兆候。


シリウスはなにかを決断できたわけではない。


 ただ目の前の大切な人が、守ると誓った人が泣いている。それが嫌で、とめたくて、


「大丈夫です!」


気がつくと、抱きしめていた。


「ふ、ふ、ふぇ?」

「大丈夫、大丈夫・・・・・・」


なにが大丈夫なのか、自分でもわからない。


「こわがらなくてもいい。僕が守ります」


 なにもせずにはいられなかったのだ。


 落ち着いたところを見計らって、シリウスは離れた。きょとんとしたクローディアに、跪いて非礼を詫びる。


「失礼いたしました。クローディア様。僕はシリウス。貴方の騎士です」


精一杯の笑顔を作る。


「き、し?」

「お守りします。なにがあろうと」


手をとった。


「今度こそ、僕がお守りします」


 もう一度、自分に言い聞かせながら告げた。


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