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53話

(なんだったんだ・・・・・・・・・?)


 沈みかける太陽を眺めていると、胸の中いっぱいに切なさで染まっていくみたいだ。夜の帳と夕焼けの鮮やかな色とのコントラストはそのままシリウスの心境と重なる。


(僕が男として育てられたことは、母上にとってなんの意味があったんだ?)


 女としての人生に憧れを持っていた。姉達を羨んでいた。男として生きることに悩み、苦しみ、涙したこともあった。本当の男との差を埋めようと努力をした。


 すべてはクローディアとの出会いがきっかけで変わった。弱さは強さに。戒めに、遠い過去になった。


 それが突然すべて蘇ってくる。


 男として生きるのを定めたのは母だ。貴族として家を存続させるのはとても大切なことだし、新しい婿や養子を迎え入れないのは亡き父への愛、そして男爵家の夫人としての務めだと理解していた。受け入れていた。


 正確には、しているつもりだった。今このときまでは。


 男としての自分を、これまで味わい、体験し、成してきたこと、役割を、産まれてきたことの意味を否定され、今後の人生を取り上げられたようなものだ。家の存続について心配がなくなると、すぐに課したことを否められてしまう勝手な母への怒りなど、沸いてくる余裕はない。


(そんなことを急に言われても・・・・・・)


 もうどうすればよいのかわからなくなった。ただ自分の部屋の窓から外の風景を眺めることしかできないほど。面白みも感傷も覚えず、徒に時間の経過を忘れてしまうくらい。


 シリウスはこれからも騎士として生きるつもりでいた。主がやっと不幸から脱却しようとしているのだ。そんなクローディアの側にこそいたい。いるべきだ。


 女に戻ってしまえば、それは果たせなくなる。


(嫌、でも僕がいなくてもクローディア様は困らないんじゃないか?)


 クローディアの側にはルッタがいる。離宮から出て宮廷に戻れば父である皇帝も、兄もいる。そして、一番大切なエリクもいる。


 今までクローディアを恨み、呪っていた第二夫人が断じられれば命の危険などもうないだろう。他に守ってくれる人達なんてたくさんいる。だとすれば、自分だけが側にいなくてはいけない理由などないのだ。


 むしろ、シリウスが女であると知られたら、それこそクローディアに災いとなるんじゃないか?


(あれ、僕ってクローディア様の側にいないほうがいい? なんか泣きそうになってきた・・・・・・・・・)


 思考が、悪い方向に舵をきる。ずんずんと進んでいって涙腺が緩んでくる。


「なにしょぼくれてんだ?」

「な、え、なにをしにきたんだ!?」


 ノックもなしにいきなり現われたのはエリクだった。


「し、失礼だぞ!」

「レイモンドトやらについて話が―――――――泣いてんのか?」

「ち、違う!」


 慌てて顔を背け涙を拭うが、遅かった。鼻を啜るのもしっかりと聞かれただろう。


「なんだ、嬉し涙か? 気が早ぇやつ。ガキじゃあるまいし一々泣くなんざそれでも男か?」


 嘲笑されたが、それに対しても文句も出ない。


「・・・・・・・・・どうした?」


 なにやらいつもと違うらしいというのを、エリクも察したらしい。胡乱げに、しかし気遣わしげに尋ねてくる。


 それが、今は無性に煩わしい。


「・・・・・・・・・なんでもない」

「なんでもないわけあるか。お前らしくもなかったらそら気になんだろ」

「なんでもないって言ってるだろ! 放っておいてくれ!」


 誰よりも、まずエリクにだけは見られたくない。知られたくない。そんな自分でも制御できない八つ当たりめいた言動が、更に苛立たしい。


「いつもみたいに魔術の研究に没頭していればいいだろっっっ!」


 自分で言っていて、また泣きたくなってきた。


「そうか・・・・・・・・・ならいい。邪魔したな」


 暫く黙って突っ立っていたエリクが、体を回転させ部屋から出て行く素振りをみせる。


「だが、お前の姉も心配してたぜ」

(う、)


 窓に一瞬映ったエリクの表情と、落ちこんだような声音が、胸に痛い。


「待ってくれ・・・・・・・・・」


 ぎゅ、っと。いつの間にかエリクの服の袖を握っていた。


「・・・・・・・・・なんだよ?」

「あ、いや、その―――」

「放っておいてほしいんじゃねぇのか?」


 ふて腐れたエリクは、それでも迷惑そうな色は見せない。


「・・・・・・・・・もし、もしもだぞ? 家の都合で、親の意向で主から離れなければいけななかったら・・・・・・・・・」


 自分ではどうしようもないから、誰かに話がしたかったのかもしれない。


 エリクにだけでも聞いてほしかったのかもしれない。


「そして、もう二度とここには戻れないとしたら、どうすればいい?」

「どういうこった?」

「僕は―――――」


 言ってしまいたかった。女であると。苦しみを。答えの出ない問いに応えてほしかった。エリクにだけは伝えたかった。そうすれば楽になれるんじゃないか?


 エリクに対するときめきも含めて。産まれも。性別も。思い出も。母からの言いつけも。クローディアとエリクの触れ合いに悩むことも、すべてに決着がつくんじゃないか?


「僕は!」


 なんだ、とばかりにシリウスの言葉を待っているエリクを前にすると、言えなくなる。 


(こわい・・・・・・・・・?)


 戦慄が心の中で迸る。身も内側から硬直し、心臓が竦む。幼いとき幾度も感じた、恐怖。出所のわからない恐怖はシリウスを蝕んでいく。


「・・・・・・・・・僕は、家に戻らなくてはいけない。家督のこととか姉の産んだ二人目の男の子のことで・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・第一皇子と第二皇子みたいな事情だな」

「似ているね。そういえば」


 結局、当たり障りのない作り話に逃げてしまった。


「もしも、もしも家に戻ったら、僕は騎士に戻れないだろう」

「お前は家に戻りたいのか? 継ぎたいのか?」

「わからない・・・・・・・・・元々男の子だったから。今は騎士として自由にさせてもらっているけれど、家を継ぐのは、家を大事に考えるのは貴族の大切な役割だ。だから母上の仰っていることも、考えも小さいときから当然とおもっていたんだ」


 つらつらと本音が、嘘に混じってでてきている。皮肉なものだと自嘲しながら、それでもとめられなかった。


「だが、こうもおもうんだ。もし、もし僕が男に産まれなかったらこうも苦しまなかったんじゃないかって」

(だったら、最初から男としてなんて育てなければよかったんじゃないですか?)

「迷惑なもんだな。貴族なんてのは」

「ああ。そうだ。本当に。僕は君が羨ましい」

「あ?」

「だって君はこんなことで悩んだりしないだろう?」

「おーおー。俺がお気楽に生きてると? 笑わせてくれるぜ。俺からすればお前さんのほうが羨ましい」

「え?」

「親や家族がいるんだしな。それに、命を懸けても大切にしたいって人間がいる。誰とも仲良くなれる。どんな奴でも物怖じしないで己のしたいことをしっかりと決められてやがる」


 柄にもなく、エリクが自分を褒めている。しかも真剣に、真面目にだ。それが意外すぎて、胸がざわつき、顔が熱くなっていく。


「で、で、でも、君だってそうだろ? く、クローディア様に好かれている」

「お前はクローディアの側にいたいんだろ? だったらいてやったほうがいい。今後のあいつにはお前が必要だ」

「ど、どうして――」

「俺もあいつの呪いが解けたら俺はここから消えるつもりだしな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」


 今なんと言ったのだろう。言葉の意味を理解する前に、反対側の耳から通り抜けていくくらいに実感がわかない。


「最初から、俺はそのつもりだった」


 どこまでも冷めた様子で話すエリクに、ガンガンと殴られたような頭痛がしてくる。それでいて芯から冷えていく。


(おい、待てよ)


「呪いが解けるまでの間って決めてた。あいつにもそう伝えていた」

(待てよ)

「それに、宮廷で手に入れた本によれば、別の国にも場所にももっと俺の知らない魔術が、知識がある。ここにいるよりも、もっともっと研究ができる」

「ダメだ」


 きっぱりと断じた。


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