8.私の旅
最後の魔物がサラサラと霧になって消えるのを見て、私は言った。
「そろそろダンジョン卒業しようか」
カシェルの表情があからさまに明るくなる。
オリさんも、“卒業”の意味はわからないながら、このダンジョンを出るということは察したらしい。
さっきまで死んだ魚のようだったふたりの目に、ハイライトが戻っている。
「やっとですか」
「このダンジョン最強クラスの魔物も二手で秒殺ってとこまで来たし、さすがにここで得られるものはもうないんじゃないかと思ってさ」
ここしばらく――おそらく数ヶ月、ことによったら一年くらいかけてやっていたのは、カシェルの盛り盛りバフデバフを徐々に減らしつつ、魔物の瞬殺ができるようひたすら創意工夫しながら戦いを繰り返す……という周回だ。
正直、エルフに生まれ変わってからは人間の頃とは時間感覚が変わってしまったので、どれだけの期間やっていたのかが微妙にわからない。
オリさんに老けた感じはないから、それほど長期間ではないとは思うけど。
「だからそろそろ魔王城行こう」
途端に、カシェルとオリさんの顔が真剣なものに変わった。
少し前に時間を取って、オリさんとカシェルにはじっくりと「魔王を倒す方法」を説明した。だからふたりとも、いろんなものが足りてないことも、それゆえに全員の戦闘力そのものを底上げして臨まないとあっという間に返り討ちにされることも理解している。
しかし、人々は魔王に脅かされて生活しているのに、こんなダンジョン周回なんてやってる場合なのかという鬱屈とした気持ちは消えなかったはずだ。
「魔王城は魔王だけじゃない。魔王以外の魔物自体が強いからね。城の中はもちろん、周辺地域の魔物も侮れないし」
「――そうだろうな」
遥か彼方に見える、黒い霧のような瘴気を纏う魔王城へと目をやる。
本当なら、次代勇者が現れてあの女神の封印を解くのに合わせて突撃するのがいいはずだ。だが、それにはまだ何年も待たなければならない。
それまでオリさんが待っていられるかもわからない。
もっとも、これがゲームシナリオどおりなら魔王城で追いつかれるのだから、そこまで気にすることもないのか。
ともかく、これから先はまだ長いのだから、余計なストレスは回避したほうがいいだろう。ここらでちょっと気分を変えないと、万が一禿げたりしたら目も当てられない。
「まあでもすぐに魔王城に殴り込めるわけじゃないから――まずは、橋かけてもらわないといけないし」
「は?」
「橋?」
なんで、という顔を向けるふたりに、私は大仰に頷き返した。
「魔王城手前の大河に掛かった橋が、大河エリアの中ボスに落とされてるんだわ。その中ボスを倒して橋を掛け直さないと、魔王城まで辿り着けないわけ」
問題の中ボスは、大河がちょうど二股にわかれたあたり、巨大な三角州のような場所を縄張りにしている。
お陰で、その三角州と大河の両岸を結ぶふたつの橋が落ちたまま、行き来ができなくなっているのだ。
もちろん、小舟を買い取り魔物を無視してこっそり渡る方法もあるが――
正直に言おう。
来たるべき魔王戦に向けて、私たちはさらに強くなる必要に迫られている。
この中ボスがゲームの中でも経験値的に美味しかった魔物である以上、迂回なんぞせず、がっつり倒して進みたい。
「――チュウボスというのは、どういう魔物なんだ?」
「巨人の亜種かな? 半竜半巨人とか、そういう奴だったはず。二足歩行の人型で角とか翼とかあったし、たしか対竜と対人の技とか魔法とか効いてたからね。
ただ、遭遇するまでどのくらいの大きさかがわからないんだよねえ――なんせドット絵でサイズ感が皆無だったしさ」
「翼持ちということは、つまり、敵は空からも襲ってくるということか」
「じゃないかな。あんなに重そうなのにどうやって飛んでるのかは知らないけど。
とりあえず、空から引きずり落とすのは魔法矢でなんとかするよ」
「ああ」
「魔術師がいれば空飛ぶ奴でもサクッと魔法でなんとかなったんだけどねえ……神官の秘蹟じゃそっちは無理だからさ」
「神官の秘蹟は加護と治癒が中心なんです。無茶言わないでください」
「わかってるって」
憤然と眉を寄せるカシェルにあははと笑って、「それはそれとして」と続ける。
「移動の前は数日ゆっくり休もうか」
「それには諸手を上げて賛成します」
「俺もだ」
ようやく屋根の下のベッドで休めると、ふたりの頬が緩んだ。
* * *
そして、チュウボスである。
本当なら固有名詞が付いてたはずだけど、どうも思い出せずにずっと中ボス呼びをしていたら、私たちの間では「チュウボス」で名前が定着してしまったのだ。
そんなこともあるだろう。
「――でかいね」
「でかいな」
「あんな大きさとは聞いてません」
大河の手前、橋の袂の町で聞き込んで、船の持ち主を宥めすかして向こう岸に渡った結果、ほんの一日もかからずに目的の魔物を見つけることはできた。
もっとも、“見つけた”よりも“目に入った”が正しいかもしれない。何しろ、開けた平原の真ん中で、小山のような図体で堂々と寝ていたのだから。
この魔物、ゲームの攻略本では、でっぷり太ったどこかユーモラスな人間の姿に、角と皮の翼と尻尾と、身体のあちこちにトゲの生えた姿で描かれていた。
今、リアルに目にしているのは、それをさらに劇画調に描き直して五割増し凶悪にした魔物だ。澱んだ沼みたいな汚い緑の体色に、たぶん十メートルを軽く超える体長のでかぶつでもある。
こんなにでかい魔物は初めてだ。
何しろ、ダンジョンという閉鎖空間には、これほどの大物サイズはいなかったから。
「さすがに全員で隠れて近寄るのは無理だよね」
「無理だな。見通しが良過ぎる。それに鎧もうるさい」
「かといって、こんな開けた場所では空から良いように翻弄されそうですが」
「うん」
全員の“できること”を反芻しながら、私はひたすら考える。
「――カシェル、私にブレス防御と回避上昇のバフ頼む。速度上昇と鷹目のバフは自前で出せるから」
「サーリス殿、どうするつもりだ?」
「私が射程ギリギリから翼狙うから、オリさんとカシェルはここで待機しててね。
爆裂矢あたりをぶちかませば飛行できなくなると思うから、そしたらここまで誘き寄せて、あとはいつもの通りのタコ殴りでいけるかなって」
「雑な作戦ですね」
「作戦にもなってないけどね。でも手が足りないんだからしかたない」
「妙案が浮かばない以上、しかたないか」
正直、こんな適当で上手くいくかは運次第だろう。飛行タイプの魔物をこんなオープンフィールドで迎え撃つとか、地の利を放棄するにも程がある。
ギリギリ身を隠せる茂みにふたりを置いて、私は気配を殺しつつチュウボスへと近づく。頭の中で爆裂矢の射程と威力を計算しつつ、目測で距離を測りながらだ。
森の中で獣相手なら、どんな奴相手でも問題なく近づけると豪語できるけど、中ボスクラスの魔物相手はどうだろうか。
ゲームの中ならだいたいイベント戦闘になってしまうし、そんなの気にしたことはなかった。だが、リアル戦闘でそれは勝利にとっての重要ファクターだ。
息を殺してゆっくり焦らず魔物の背側に周り、矢をつがえて慎重に弓を引き絞る。同時に集中しながら小さく呪文を唱え、矢に魔力を纏わせる。
かすかな風切り音とともに放たれた矢は吸い込まれるように魔物の翼を射抜くと同時に、ドン、と爆発した。
「――弱い!」
私は、チ、と軽く舌打ちする。
命中はした。当たりどころも悪くなかった。だが、考えていたよりも翼にダメージが行かなかった。
飛び起きた魔物は大きな咆哮を上げて、真っ直ぐに私を見る。
バサバサと数度はばたいて、ふわりと身体を浮かせる。
「重いくせに飛ぼうなんて、生意気だ!」
「サーリス殿!」
失敗したと見てか、オリさんが茂みから飛び出した。
私も次の矢をつがえると、また素早く呪文を唱えて放つ。さっきよりも深手になったのか、空へ飛び立とうとしていた魔物の身体がぐらりと傾いだ。
今放ったのは酸の矢だ。爆発や炎に耐性を持つ魔物は多いが、酸に耐性を持つ魔物は少ない。最初からこっちにしておけばよかった。
痛みのせいなのか翼が使えなくなったのか、どちらかなのかはわからないが、バランスを崩した魔物はまた地面に降り立った。
走るオリさんが、真っ直ぐに魔物へと突撃していく。
その後ろから、カシェルが必死に加護の秘蹟をオリさんに向かって飛ばす。私はオリさんの援護にと次々矢を射掛けて魔物の気を逸らす。
「うおおおおおおお!」
オリさんが雄叫びを上げながら、勢いを乗せたまま剣を振り下ろした。
「――え?」
「――は?」
離れているのに、私とカシェルの声が重なった。遅れて、ぎええええとかぎょえええええとか、そんな風に聞こえる魔物の悲鳴が上がる。
「うっそ……」
ずずん、と重い地響きと共に倒れた魔物が、黒い靄となり消えてしまった。当人であるオリさんも、剣を振り下ろしたままのポーズで呆然と固まっている。
「サーリス殿、これはいったい……」
「ちょっと待って……今思い出してるから、少し待って」
――ゲームでここの中ボスを倒すのは、魔界編の中盤くらいだった。
そして、私たちが篭ってたダンジョンを攻略するのは後半に入ってからで……そう、あのダンジョンの噂を聞けるのは、この橋を渡った先の町だ。
正しい攻略順は、川の中ボスの後に武具ダンジョンだ。
「たぶん、今のオリさんのパワーは、この中ボスを遥かに凌ぐってことかな」
「なんと……」
「サーリスのあの地獄の周回は、本当に効果あったんですね」
どこか納得いったようないってないような、そんな表情でオリさんは自分の手を見つめていた。
あの初撃がたまたまオリさんの会心の一撃だったのだとしても……仮にも中ボスというポジションの魔物を初手で撃沈だなんて、どうにも申し訳なさが立ってしまうのは何故なんだろうな。