序.王道ストーリーの始まり
カステル・ロアレスは、先々代勇者オリヴェルから数えて五代目、先代勇者アヴェラルの曾孫にあたる子供であった。
あれから百年。人間ならたしかにそのくらいの代を重ねることになるだろう。
「オリさんもアベちゃんも、穏やかな老後を過ごせたみたいで良かったねえ」
「ええ。聖女殿とご結婚とか、あの後も順調な人生を送ったとのことですし、たいへんうらやましいですね」
「え、カシェルって聖女ちゃんみたいな嫁が欲しかったの?」
カシェルがずずっとお茶を啜る。
自分は相変わらずサーリスのパシリみたいな扱いで諸々に付き合わされてるのに、嫁なんて貰ってる暇があると思ってるのか。
そんな心の声が聞こえそうな顔で。
「それにしても、テル坊が来てから五年かあ……たった五年でよくぞここまで仕上がってくれたなあって、しみじみするわ」
このまま行くと雲行きが怪しくなりそうだと、サーリスは慌てて話題を変える。だが、サーリスを見るカシェルの目は雄弁に「白々しい」と語っていた。
そして、逸されたサーリスの視線の先には、熊と戦うカステルがいた。
テル坊とはカステルのことである。
カステルが現れてすぐ、カシェルとカステルの音が似ていて面倒臭いというただそれだけの理由でサーリスが決めた呼び名だった。
そのテル坊ことカステルが相手にしているのは、もちろんただの熊ではない。サーリスとカシェルが渾身の強化魔法を叩き込んだ、どこぞの人喰い羆も裸足で逃げ出すレベルの強化熊である。
対するカステルに、バフは一切かかっていない。
「そろそろテル坊にデバフ掛けて底上げ計画入る頃かなあ」
「かなり危なげなく戦えるようになりましたからね」
見事な一閃で熊の脳天をかち割ったカステルが振り向いて、「見てましたか師匠!」とうれしそうに手を振った。
将来はきっとオリヴェルを超えるゴリラ勇者になるだろうと、サーリスも目を細めてうんうんと頷きながら親指を立ててカステルに応える。
これが勇者の英才教育か、とカシェルはほんの少しだけしょっぱい表情を浮かべて、小さく独りごちた。
* * *
「で、計算ではあと数ヶ月もすると、次の魔王の手下がお姫様拐かすわけよ」
「――先にそれを阻止する方法はないんですか?」
和やかに食卓を囲みつつ、サーリスが首を振る。
ちなみに今夜の夕食は熊鍋である。「倒した獲物は無駄なく消費する」がエルフ界隈の決まり事であるからだ。当然ながら、三人で消費しきれない分は加工して町で売り捌き、生活費に変えている。
「残念ながら無理なんだわ」
「何故です?」
何でも知ってるサーリスらしからぬ言葉に、カステルもきょとんと首を傾げる。
「だって私、伝説編以外は一回しかプレイしてないから」
「は?」
「それになんていうか、王道であんま捻りがないストーリーだったもんで、印象薄いんだよね。だからいまいち細かいとこ覚えてないんだわ」
呆れたという顔でカシェルが絶句する。
カステルは何の話だろうという顔で続きを待つ。
「でも、魔王がお姫様を攫うのは確定なんですよね?」
「そう。それは確実だし、テル坊が十六歳になる少し前ってのも確実。だから、ここ数ヶ月のうちに攫われるのは確定なんだよ」
「なんで僕が十六歳になる前なんですか?」
「勇者は十六で冒険に出るのが決まりだからかな」
たしかに、カステルの十六の誕生日まで、あと半年を残すほどだ。
へえ、と感心しながらカステルは熊肉をお代わりした。ほらもっと食えと、サーリスがその器に肉を追加する。
「それじゃ、今度はサーリスの“攻略情報”とかも役に立たないということですか」
「大筋は覚えてるから、なんとかなるんじゃないかな。変なイベントとかなかったはずだし、普通に魔物倒してお姫様助けて魔王潰せば終わるはずだよ。
この手のゲームって、だいたい物理最強だからゴリラになったもの勝ちなんだ」
「――たしかに、あの女神みたいな横槍は無さそうですけど」
「ついでに言うと、次の魔王は前よりずっと弱いんだよね」
え? とサーリス以外のふたりが顔を見合わせた。
「弱い……とは、どうして……」
「んんん、ROM高かったし、640KBの壁もあったからじゃないかな」
「ロムとか640とかって、またサーリスの前世とやらの話ですか」
当時はOSも640KBに収まるように作ってたし、情報量的に成長限界低かったはずだし凝ったイベントも難しかったろうし……と、サーリスはぶつぶつ呟くが、もちろんカシェルにもカステルにも何のことかわからない。
この手のことになると、サーリスは必ずと言っていいほど意味のわからない不思議な単語を駆使して話し始めるのだが、本人に説明する気がないのは相変わらずだ。
「――ともあれ、天から与えられるものがほんのちょびっとしかなかったせいだと思えばいいよ。その後のギガ時代じゃ、640KBなんてコピーにミリ秒も必要ないくらいの儚いサイズになっちゃったし、何か違ってても誤差の範囲だよね」
「誤差……ですか」
カシェルの眉が寄る。
サーリスの言葉には不安しか煽られない。前回の女神のことも、サーリスの言う“誤差”ではなかったのか。
だが、ここで突っ込んでも、明確な答えが返るわけでもなく……カシェルは小さく溜息を吐いて空を見上げた。
赤く染まり始めた空の片隅を大きなものが飛び去るのがちらりと見えて、その眉間の皺が深くなる。
「サーリス、もしかして、姫を攫うのはドラゴンではありませんか?」
「え? カシェルなんで知ってるの?」
「――今、南の空にドラゴンが飛び去ったからです」
「え、うそ? もう? そのイベントもう起きてるの?」
サーリスも慌てて空を見上げたが、ドラゴンはすでに飛び去った後だった。
※この世界、ゴリラタイプの魔物や生き物はいないため、サーリスの言う「ゴリラ」については、「なんかものすごく強いという意味の形容詞」的な意味と捉えられています。
突っ込んでもよくわからない答えだけが返ってきたことによる、学習の成果です。
 





