第八十九話 ノエルの切り札
帝歴403年10月1日
「なるほど……。
こちらの知らぬ間に、ノエルはとんでもない存在を生み出してしまったようですね」
試合会場の特等席である個室にて、私はとある人物と相席しながら観戦をしていた。
今年で八十は超えたであろうが、足取りは重いどころか健康そのものである白髪頭の爺。
帝国時代からの旧知の人物ではあるが、そこまで親しかった記憶はない御方。
アルクノヴァ・シグラス、旧帝国において知らぬ名は居ない程の有名な魔導工学及び帝国軍で使用される魔導兵器開発の第一人者。
ノエルの師でもあり、かつて帝国一とも謳われた生ける伝説の科学者の一人である。
「確かに、あの馬鹿な教え子は途方も無いを完成させていたようだな。
これまで不可能とされた、生物及び人体へのグリモワールの移植。
あのデコイの状態でさえ、結合させる事はとても困難だと聞いていたが………。
ルキアナから得たデータを参考にし、とうとう実現にまでこじつけたか………。
呆れた執念だよ、全くもってな………」
私の横で、方杖を付きながら彼はそう言った。
「確か、ルキアナの段階で既にある程度の運用を確認出来ていたんですよね。
可能だった事は既に証明されていた。
改めてソレを別の誰かに埋め込むのは予想外でしたが……」
「確かに、いかに愚かであろうともあの過ちを繰り返すとは私もこの目で直接見るまでは思わなかったよ」
「目的は、やはりカオスでしょうか。
しかし私はそれについて何も知らないんですよ。
あの一件から、自分は帝国を離れたのでね」
私の言葉に対し彼は僅かに間を開けて口を開く。
「カオスは遥か昔、この世界を創造した神の一つであると古い文献に記述が残っている。
しかし、アレにはもう一つの顔があった」
「もう一つ、とは?」
「カオスは同時に破壊の神とも言われている」
「破壊の神?」
「しかしだ……。
カオスという存在は遥か昔にその下位の神々及び神器の契約者達によって滅ぼされたはずだ。
その中には、我々人族の原初の王であるオーディンも含まれている」
そんな彼の言葉に対して私は否定する。
「しかし、オーディンは空想の存在だ。
そんな人間がいたという記録は歴史に残っていない。
異種族間戦争と呼ばれる神の戦争が本当にあったのか、事実かどうかも怪しいでしょうが……」
しかし、私の言葉を遮るようにアルクノヴァは、
「オーディンは確かに実在していたようだよ」
「アルクノヴァ殿。
何故そのような者が居たと言えるのです?
証拠は何処に?」
「帝国に拠点を置いていた頃に君の知るあのラウ君が教えてくれたんだ。
彼はオーディンの実在について、他にも色々と語ってくれたよ」
私の疑問に、彼はとんでもない発言を返した。
交友があったのか、生前の彼と?
「生前のラウがあなたに?
ノエルではなく?」
「そうだ。
そして、カオスとは何なのかについても。
そして帝国滅亡に関わった者についても全てだ」
「どういうことですか?」
「かつて世界にはカオスの神器が存在していた。
その契約者がオーディンから始まりそして、時は流れて生前のラウ君までに継承を続けていたんだよ。
帝国の繁栄こそ、カオスが何らかの目的で仕組んだものであると、生前彼は私に伝えてくれたんだ」
「ラウがカオスの事をそのように……?
まさかそんなはずは……。
だったら、帝国は何故滅んだのです?
自分で自分の生み出した国を滅ぼしたとでも?」
「ある意味、その通りだな。
そして、ラウは生前に私へこうも言っていた。
『カオスは絶対に倒さなければならない。
そうしなければ、僕達人類は必ず滅ぼされる』
そう、私に訴えかけてきたよ」
「滅ぼされる……?
何故そんな事をあなたに言ったんです?」
「その点は分からないな。
私も細かい経緯については聞かされていないのでね。
あるいは、その理由こそ彼と親しかったノエルが知っていたのかもしれないが………。
今はソレを知る由もないだろうが……」
「………それで?
例の彼の力は貴方から見てどう見えます?」
「当然、強いに決まっている。
あれは、恐らくノエルが生涯を費やして作り上げた人類が神に対抗する為の唯一の切り札だろうからな」
「確かに、私の目から見ても強いのは分かります……。
かつて八席であった、彼等を彷彿とさせますよ」
「そうか。
遂にノエルの遺物である彼が我々の前に現れたこと。
同じくして表舞台に現れたシファ・ラーニル。
そして、帝国の血を継ぐルークス・ヤマト」
「この三人が一つの地に集まってしまったと。
困りましたね、これから何かが始まろうとしているのでしょうか?」
「いや、違うだろうよ。
もしかしたら既に、我々も知らぬ何かしらが動き始めているのだろう。
こちらも、いよいよアレを使わざるを得ないところまで来たのかも知れないな」
そう言って、退屈そうに彼は目の前の試合へと視線を向けたのであった。
●
「くそっ!」
縦横無尽に会場を駆け回り四方八方から攻撃を仕掛ける彼に、僕は防戦を強いられていた。
一撃一撃と、彼の双銃から放たれる攻撃に被弾する上に、身動きが取れない。
身体能力はこちらが上だ。
だが、彼の攻撃を僕は捉えることが出来ない。
拳銃の銃口は目視で捕らえている。
弾丸がいかに早かろうと、銃口の向きと相手の位置さえ読めれば九割以上は予測できる。
多少の被弾を覚悟した上で、反撃自体は容易い芸当なのだが……。
彼の攻撃は一般的なソレとは違った。
攻撃は位置と銃口の角度から予測された弾道とは全く違う方向から飛んでくるのである。
多少被弾した程度の傷はそこまで深くない。
が、受け続ければ体はいずれ限界が訪れる。
獣刻の維持もそう長くはない。
このまま防戦を強いられるのは、かなり不味い。
弾速が途中から変わっているのか?
あるいは、僕が視認出来ない程に弾丸が速いのか?
もしくは、転送魔法陣、いや魔術を弾丸に仕込んで軌道を変化させているのか?
「………」
もう一度、あの銃をよく観察する。
彼が銃を構え直すと同時に、銃身の溝に淡い青色の光が発光するのが残像として見えた。
発光から間もなくして、弾が放たれる。
その瞬間、銃口の目の前にほんの一瞬だけ薄暗い青色の魔法陣が保護色のように形成されていたのである。
魔法陣に弾が衝突すると、弾が増えたり。
軌道が僅かに変化したりと、何らかの作用が働いているようである。
「…………くっ?!」
弾が増える、軌道が変わる。
よくよく注意深く見れば、魔法陣の模様による弾丸の変化にはある程度の規則性があるようだ。
しかし、この短時間で理解する頭が自分にはない。
だが、躱せるであろう弾は身体と目が馴れていき次第に反応が追いつくようになる。
傷は増えるが、まだ身体は問題なく動ける。
比較的丈夫な獣人としての自身の身体に感謝するべきであろう。
咄嗟に幾度かの攻撃に対しての回避に成功。
しかし、安堵の間もなく数発の攻撃を受けてしまう。
嵐のように迫りくる弾丸の数に徐々に圧制されていく自分があった。
銃から放たれる弾の弾速は、魔力で更に強化されているからか恐らく通常の倍近くはある。
総じて威力も遥かに高い、獣刻の維持が途切れた瞬間僕の負けは確実。
回避だけでは流石に厳しい。
しかし、現状私の攻撃は見切られている。
そしてまだ、彼には余力は有り余っている。
仮に腕を折られた程度では、先程のようにすぐに修復してしまう可能性が高いだろう。
あまり残された猶予もない。
息を整える間もない。
さて……、この状況をどうやって乗り切りましょうか?




