第八十七話 獣と人と
帝歴403年10月1日
試合会場の控え室にて、私の対戦相手であるカイルは後ろの鏡の前に立ち、特徴的な青色をしている自身の髪型を念入りに整えている。
余程余裕があるのか、あるいは習慣的な意味合いがあるのかは分からない。
だが、今こうして軽い食事をしながら読書に呆けている自分が言えたものでもないか……。
「随分余裕があるんですね?」
「それはお前もだろう?
呑気に着飾る余裕があるくらいだからな」
「それもそうですね……」
そう言うと、彼の頭上に生えている耳が動いた。
獣人賊特有の獣のような耳は、当然珍しく興味が僅かに向いた。
「獣人族だったか……。
生まれ持って獣の因子を深く継承している種族。
その身体能力は他の他種族より高い。
獣の特徴を深く継承しているが故、動物の特徴を持って生まれる者も少なくない、だったか……」
「随分と、僕等の事を知っているようですね?
学生が勉強熱心なのは良い事ですが」
「……。」
「こちらからも、一つ聞きたい事があるのですが?
よろしいでしょうか?」
「……、何だ?」
「あなたは見たところ、特にコレといった武装はしていないようですが……。
シトラさんのような、魔術師か何かで?」
「まぁ似たような物だよ。
魔術を使うのは勿論だが。
私は魔術が特別秀でているという訳でも無い」
「なるほど……」
「……、お前は見たところ獣人族なのは確かだが身体能力はそこまで高く無いようだな。
筋肉質とは違う、文献で見た獣人族と比べればかなり細く華奢に思える」
「そうでしょうね。
僕の先祖が獣人族であっただけで、以降は人間と続けて交わった事が影響し獣としての力は薄れたんですよ。
当然、純血の者達と比べればかなり力は劣っていますがね……。
しかし悪い事ばかりでは無いんです。
体内の魔力の総量に関しては純血の獣人族のそれを遥かに上回っている。
つまり、ある程度の高い身体能力と魔力を持つ事が可能になったというのが、僕のような現在の獣人族の強みと言えるでしょうね」
「なるほど、だがそこまで興味はないな」
「そうですか。
あなたとは割と気が合う気がしたんですが……。
少々残念です」
●
時間は過ぎていき、私達は戦いの場にて向かい合うも間合いを幾度も取り直し、互いの立ち位置が定まらない。
そんな私達の不自然なやり取りに対して会場全体には張り詰め、困惑した空気が流れているようだった。
「お互い、悔いの無い戦いにしましょう」
「そうだな」
改めて対戦相手をの様子を観察する。
彼は自身の手を黒い革手袋で覆っている。
それは特殊な加工が施されているのか、藍色の規則的模様が入っていた。
魔力を流す為に回路を組み込んだ特殊な代物である事はすぐに理解出来たが拳を握ると木でも割れたかのような破裂音が響き、野生味を感じさせる。
装いはこちらと同じ学院の制服、何か武器を服の中に隠しているようには見えない。
見かけ通りの肉弾戦特化……。
下手に複雑な魔術ばかりを多用すれば、こちらの対応が追いつかない可能性がある。
しかし、簡易的なモノを用いたところでこちらの攻撃が有効打になるとは思えない。
長期戦に持ち込み、向こうの体力が尽きるのを期待するのが一番無難な勝ち筋と言えるだろう。
先の発言の通り、彼はそこまで魔力を保有している訳ではない模様。
混血故に、身体能力が落ち魔力を多く持てると自負していたが、同族と比べての発言だろうが。
「多少力は加減するよ。
ルール上、君を殺すのも構わないけど僕は無駄な殺生はしたくないんだ」
「………、甘く見られたものだな」
「あはは……。
そうかい、やっぱり面白いよ君は」
「なるほど……、そういう構造か。
把握した」
手の平に小さな青い光を放つ魔法陣を出現させ、目の前の男の持つ手袋と同じ代物を自身の手に装着する。
そんなこちらの様子に興味を示したのか、男は不敵な笑みを浮かべる。
「投影、いや錬成魔術か……。
珍しいというか、随分古風な術を使うみたいだね。
一体ソレを誰から教わったんだい?
やっぱり、シトラから?」
「生まれた時から使えた力だ。
ソレを発展させたのは、確かに彼女かもしれない」
「なるほど……そうかい」
もう間もなく試合開始の鐘が鳴り響くはずだが、その間があまりに長く感じる。
これまでの予選での退屈な戦いから、今回の試合で大きく変わる事を肌で感じる。
あのシファ程には無いにしろ、私は目の前の男の力を強く警戒していた。
そして、試合開始を告げる鐘が鳴り響く。
開始と共に先手に出たのは、目の前の彼だった。
「っ!」
奴がものの一瞬、瞬きすら気が遠くなるように感じる程に一瞬の出来事だった。
容易くこちらの間合いを詰められ、その右の拳から攻撃が放たれた。
しかし、何手かの攻撃は奴の昨年及び今年度の試合記録からある程度予測済み。
その行動パターンは幾つかの状況を事前に想定し、これもその想定の一つである。
問題ない、まだ躱せる一撃だ。
そして、躱して間もなく奴の身体を掴み相手の推進力を利用し後ろへと投げ飛ばす。
私の後方に飛ばされたカイルは、すぐに自分の体勢を戻し立て直した。
そして、そこからすかさず追撃に向かう。
先程の攻撃より、数段加速した一撃。
向こうがこちらの実力をある程度認めたのか、今度は更に力を込めて左拳から一撃を放つ。
その攻撃も問題なく反応。
迫りくる左腕を掴み先程と同じく推進力を利用した攻撃を繰り出す。
後ろへと投げ飛ばさずそのまま奴の推進力にこちらの力をそのまま上乗せし地面に叩き付ける。
「がっ………!?」
「………」
反撃する間も与えず、獣人の身体が衝撃に怯んでる内にこちらが拳を繰り出す。
しかし、こちらの腕を掴み返し奴は私を投げ返した。
視線が一瞬だけ交錯。
男はどこか笑っていた。
そしてお互いに体勢、間合いを取り直し構え直す。
「なるほど、結構出来るようですね。
あなたの試合はこれでも確認していたんですよ。
でも、相手が悪かったのか実力を引き出せる相手とは全くぶつからなかった。
当然、あなたの実力を測れず少々悶々としていたんですよ」
「………」
「しかし、やはりこの程度の力では無理でしたか。
あなたを見くびった訳ではありません。
あなたをこれまでと同様の一般的な魔術師を仮定し、単純な肉弾戦に持ち込めば勝てるだろうと僕は勝手に期待したんです。
しかし、蓋を開けたらあなたはこちらの攻撃の軌道を読んでいた。
驚きましたよ、初見で運良く躱したと思えば実際には全て見抜かれていたんですからね」
「御託はそのくらいにしろ。
そろそろ、本気で来たらどうなんだ?
この程度で終わらせるつもりか、カイル?
私はこれでも忙しいんだが」
「それは失礼しました。
しかし……それは、あなたもでしょう、ラウさん?
僕と同じように何かしらの力を抑えていますよね」
「そうだな」
その瞬間、目の前から奴の姿が消えた。
間もなくして、こちらの後方への回し蹴りが奴の蹴りと衝突する。
こちらの骨にまで奴の攻撃が響き、痛覚が働く。
両者魔力を込めた一撃故か弾薬でも爆発させたかのような衝撃が会場全体に響き渡り、その威力の凄まじさ言うまでもなかった。
「そう心配しなくても、僕は弱くありませんよ」
「…………」
交差した足は離れ、間合いを再び取り直す。
「では、練習はこれくらいにしましょうか。
ラウさん」
その言葉を発して間もなく、奴の魔力が急激に上昇。
そして、突然凄まじい衝撃が私の右の肋骨目掛け放たれた。
私の視覚が追い付け体は紙くず同然に吹き飛ばされ、地面を転がるように叩きつけられた。
追撃を警戒し、痛みによって混濁する意識を無理矢理保ちながらすぐさま体勢を整える。
「………はぁ、はぁ……っ!?」
激しい痛みに呼吸が上手く出来ない、身体が空気を求めるも先程の攻撃による影響だろう。
「済みませんね、加減が少し難しいんですよ。
以前使用した際も、相手を殺しかけたものでしてね」
「……確かに、これまでの奴とは違うようだな」
私は改めて奴の姿を確認する。
青髪の男、しかしその上部には獣人族特有の毛に覆われた耳がそこにある。
大きな変化と言えるのは、その目である。
奴の目は血のような濃い純血に染まっており、獣特有の瞳故か明らかな異質な容貌に見える。
いや、目以外にも前身に巡る魔力の流れが早い。
体温が上昇し、湯気のようなソレが溢れ蒸気機関のソレを彷彿とさせる姿をしていた。
「初戦でこの力を使うとなるとは予想外です。
去年までは二回戦以降から使っていましたからね」
「………獣刻だったか。
獣人族の中でも限られた者にしか扱えない特異な力である。
と、学院の文献に記されていたのを見た覚えがある」
「そうですね。
先祖がそうだったからか、その子孫の僕は当然というか特異なこの力を受け継いでいるんですよ。
この状態なら、僕の中に存在する潜在能力の全てを発揮出来る代わりに、力の使用後数日程度は自身で立つことすらままならないんです。
だから、あまり使いたくないんですよね。
慣れない時はあまりの痛さに出席日数が足りなくなって留年しかけた事もありましたから。
でも、あなたを相手にするには、僕はこの力を使わなければいけないようですが………」
「…………」
「それでは、改めて始めましょうか。
狩りの時間をね」
その言葉から間もなく、奴の攻撃が私の右腕を捉え命中する。
「っ!!」
先程までの攻撃と比べより早く、重い。
身体の内側から嫌な音を立て、歯を食いしばり少しでも相手の力を受け流す為に抗うも、奴の足が張り付くように腕から離れない。
奴ははそこから追撃を狙い、その足を離した。
この好機を逃さず間合いを取る。
そして、右腕の感覚ガおかしい事に気づき、先程の攻撃で骨が折れている事にようやく気付いた。
魔力の通りも悪く、徐々に攻撃受けた部分が腫れ上がる感覚が焼け付くように神経を伝う。
片腕がぶら下がり、もはや肉塊同然だった。
「流石に、身体能力は僕の方が上ですね。
そして、当然接近戦においても僕が上回っている。
あなたは強い、でも相性が悪かったんですよ」
「…………」
「降参したらどうなんです?
あなたの今のその腕ではまともに攻撃は愚か魔術を扱うことも当然無理でしょう」
「いや、問題無い。
自分の肉体の強度が確認出来ただけの成果はある。
勝算はまだこちらにある」
「……そうですか。
ならば、もう片腕を奪いましょうか!」
「……」
奴は決着を付けるべく、踏み込んだ。
こちらへと向かう段階で、既に攻撃の予備動作を終えていた。
そこから繰り出されるのは、魔力の流れ方と奴の癖から推測し、右足から回し蹴りと思われる。
狙っているのは左肩、まともに受ければその骨は紙くずのように粉砕されるであろう一撃。
両腕を封じ、相手の抵抗する策を打ち消すのが狙いと思われる
今の私では回避は不可能。
迎撃に移ろうとも利き腕ではない左腕一本では抑えるのは難しい。
と、奴は踏んでいるはずだろう。
問題ない。
この戦いは私の勝ちに変わりないのだから。
「グリモワール………起動」




