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私のご先祖様 2025.9★

「祖先の呪いがかかったかもしれない」

 学校からまっすぐ家に帰った途端、両親から「大事な話があるから和室に来てほしい」神妙な顔で言われたら、誰でも何事かと身構えると思う。だからそれを聞いて、一気に脱力した。正直、なんじゃそりゃ、である。

「祖先の呪いって何?」

 私の隣に座る双子の妹の緑子(みどりこ)が言う。真に受けなくていいよ、と言うより早く父が「祠が壊された」と言う。

 私の家は、この辺りではそれなりに名の知れた神社の神職をしている。父は禰宜(ねぎ)、母は宮司だ。ここでは、男性ではなく女性の方が立場が上と決められているそうだ。理由は知らない。

「どうやら肝試しでやってきた人が、祠を壊してしまったようなのよ」

 頬に手を当てた母が、おっとりと言う。

「最近、ホラーブームだもんな。ユーユーブでも肝試し動画ばっかだもん」

 弟の(りゅう)()が口を挟んだ。

 神社の境内には、本殿である立派な社の他に神楽殿や宝物殿、社務所、御輿殿など大きな建築物が目立つ。しかし、壊された祠があるのは普段人が立ち入らないような森の中。私たち家族くらいしか存在を知らない、膝だけくらいの小さな石作りの祠である。おそらく、この神社の敷地内だってことを知らなかった可能性が高い。

「それで。祠が壊されたから祖先の呪いがかかるってどういうこと? 意味が分からない」

 心のままにそう口にすれば、父と母は顔を見合わせた。娘の私から見ても、絵に描いたようなおしどり夫婦である。

「実は、父さんたちにもわからないんだ」

「は?」

「おばあちゃんに聞いてみたけど、認知症が進んでいるでしょう? 尋ねてもご飯の話ばかりで」

「今、蔵にある書物を片っ端から調べている」

「え、あの蔵の書物を二人で?」

 驚いた声を上げたのは緑子だ。私もそしてきっと隆太も同じ気持ちだろう。民家二軒分くらいある瓦屋根の土蔵には、図書館顔負けの蔵書がびっしりと積まれている。中には年代物の巻物や木簡まである始末だ。

「今のところわかっているのは、ふたつ」

 そう言って、父さんは私と緑子を見た。

「これは、一族の未婚の女人、一人だけにだけかかること。そして、死ぬような呪いではないこと」

 それを聞いて、私は息を吐いた。

「じゃあどうでもいいや」

 座布団を踏んで立ち上がれば「青子(あおこ)!」と父さんのたしなめる声が飛んできた。

「だって、死ぬ訳じゃないんでしょう? それに呪い? 今の時代そんなものあるわけないじゃん」

 明日提出の宿題があるから、と勉学を盾に逃げようとすればスカートの裾を引っ張られた。緑子だ。

「青子は――怖くないの?」

 同じ制服を着た双子の妹の目は、心なしか怯えているように見えた。顔立ちは似ているが、性格は真逆。母さんに似ておっとりとしている緑子に対し、私はがさつ。じっとなんかしていられない。

「全然。呪いなんかあるわけないじゃん」

 緑子は信じられないものを見る目で私を見つめる。ちょっといらっとした。

「呪いのこと、心配なら一緒に調べればいいじゃん」

 バカバカしい。

 心の中で吐き捨てて、私は和室を出る。梅雨に入ったせいで肌にまとわりつく空気は湿っぽく鬱陶しい。来月は期末試験がある。いつも学年順位の下の方にいる私は、同級生はもちろん、先生からも「頭が悪い方の白神さん」と影で言われていることを知っている。高校二年生。来年は受験も控えている。呪いなんか気にしている場合じゃない。

「神社の神主なら、呪いくらいぱぱっと祓えるでしょ」

 ふんっと鼻を鳴らして自室の扉を開けた。

   ◇

 ばたばたばたっと滑り落ちるように階段を降りると「なんで起こしてくれなかったの!」と叫びながら居間に飛び込んだ。クロスがかかったテーブルの上には、ほかほかの白米に味噌汁、焼き魚が並ぶ。緑子は「ごちそうさまでした」と手を合わせていた。

「何度も部屋の扉叩いたよ」

 気だるそうに答えるのは、まだ寝癖だらけの隆太だ。空はどんよりと暗く、窓には無数の雨粒が流れ落ちていた。雨の日、中学のサッカー部は朝練が休みになる。

「起きなかったら入ってきていいって言ったじゃん」

 席に着きながら箸を掴む。隆太はめんどくさそうに肩を落とした。

「前そう言われたから入ったら、殴ってきたじゃん。忘れたの?」

 そう言うものだから「忘れた」と白米をかきこみながら答えた。緑子は「行ってきます」とすでに家を出ている。

「なんでそんなに急いでんの?」

「朝一で英語の小テストがあんの」

 遅刻ぎりぎりでは、予習する暇がない。朝ご飯はちゃんと食べないと母が鬼に豹変するから、食べないわけにもいかない。

 口に頬張った白米を流し込むように味噌汁を飲んだ後、焼き魚に手を伸ばした。鯖の塩焼きである。大きな口でかぶりついたときだ。びびっと電流が走ったような感覚が、舌先から体中に巡る。

「……おいしい」

 思わず魚を見る。特に変わった様子はなく、味付けもただの塩だけのはずだ。

 でもなんか、大きいイチゴをかぶりついたようなジューシーさと甘さを感じる。味覚がおかしくなった?

「あお姉、そんなにゆっくりしていていいの」

 隆太の言葉で時計を見た。まずい。ばくっと一口で口に入れると「行ってきます」と口をもごもごさせながら家を出た。

   ◇

「それじゃあ、出席とるぞー」

 階段を駆け上がっているとき、ひときわ大きな声が廊下まで響いた。担任の田中の声である。まずい。私は階段を一段飛ばしで駆け上る。日直が「起立」と号令をかけたのとほぼ同時に扉を開けた。一斉に視線が集まるが関係ない。

 ぎりぎり、セーフ。

 息を弾ませながら、自分の席に座ろうとしたときだ。

「おいちょっと待った、白神(しらかみ)」と田中が短い髪をかきながら呼び止める。

「先生、まだチャイムは鳴っていないので遅刻じゃないです」

 そう言うが「違う、違う」と少し怒ったように言う。

「お前、びしょぬれじゃないか」

 何言っているんだ?

 首を傾げたものの、クラスメイトも驚いた顔でこちらを凝視している。そのとき、ぽつんっと前髪から滴が落ちた。それもひとつじゃない。雨のように落ちるそれは、床に水たまりをつくっている。スカートは足にはりつき、夏服に替えたばかりのブレザーは洗濯でもしたようにぐっしょり濡れていた。

「お前、傘差してこなかったのかよ」

 一番後ろに座っていた男子生徒の森田が、からかうような口調で言う。椅子を揺らしながらのけぞっている森田は、高身長にモデル体型、整った顔立ちに運動神経抜群、おまけに勉強もできる、いわばカースト上位に君臨する王様だ。ちなみに私のことを嫌っている。馬鹿に人権はないと思っているらしい。

「とうとう傘の差し方もわからなくなったか?」

 森田がそう言えば、どっと笑いがわいた。かっと顔が熱くなる。恥ずかしさからではない。怒りからだ。一歩踏み出せば、上履きの中で靴下がぬるっと滑る。不快感が走ったが、全身を包む怒りの前では些細なことだった。

 にたっと笑う森田を睨みつければ「お前の席はあっちだぞ」と小馬鹿にした声が耳を打つ。

 落ち着け、私。

 小学生の時、かっとなって男子数人相手に取っ組み合いの喧嘩をしたことがあった。双子なのに真逆だと周りからよく言われる。かさぶたをむきながら、「緑子は品があるって言われていいね」と軽い調子で褒めたときだ。

 ――青子は感情に任せすぎなんだから、もう少し考えて行動してみなよ。

 その言葉は、今も私に中で生きている。

 ふっと息を吐くと強く睨みつけた。

「あんまり馬鹿にしないでよ」

 怒りを押し込めた声でうなるように言えば、はっと鼻で笑われた。

「馬鹿を馬鹿といって何が悪い? 本当のことだろう」

 ぶちんっと何かが切れた。けど、わずかに残った理性がぐわっと押し寄せる衝動を押しとどめる。私の片手は、森田の机を叩いた。どんっと重たい音が教室に響く。「おい、二人とも朝からやめろ」と担任の声が遠くで聞こえ、私は背中を向けた。これ以上こいつの顔を見ていたら殴ってしまいそうだ。

 なんで服のままシャワーを浴びたみたいになっているんだろう。教室に入って指摘されるまで気づかなかったなんて変だ。鞄の中身も当然濡れていて、英単語集はよれよれになっていた。ページとページがくっついてうまくはがせない。

「それじゃあ、予告通りテストするぞー」

 英語の担当教師でもある田中が、前から小テストを配り始めた。ため息を吐きつつ、ノートと単語集を机にしまう。後ろまでテストが行き渡るのを頬杖をつき待っていたときだ。突然、何かがひっくり返るような大きな音が鳴り響いた。一斉に音のした方に視線が集まる。真ん中くらいの席である私には何が起きたのかよく見えない。けど、水面に石を落とされたように、ざわめきが大きくなる。

「おい、静かにしろ」

 田中が言っても静まらない。

 ――おいおいまじかよ。

 そんな声がして、なぜか私の方に視線を向けてくるクラスメイトがいた。ただ目があっただけ、ではない。

「森田、怪我はないか」

 どうやら音の出所は森田のようだ。ざまあみろ、と思っていると「こりゃもう使えないな」と困った田中の声がして思わず眉をしかめる。一体何が起きたんだと思ったとき「おら、席に着け。森田以外はテスト開始。十分後回収するからな」

 そう言った途端、歯車が回り出した仕掛け時計みたいに生徒たちは机に向かう。私もテスト用紙と向かい合おうとしたとき、たしかに見た。田中が持ち上げたそれは、割れた机。まるで瓦割をしたような真っ二つに割れた机のなれ果てだった。

   ◇

「呪いは青子にかかったようだな」

 和室には、両親、緑子、隆太そして私が集まっている。まるで昨日の続きのようだと思った。

 隣に座る緑子が、ちらちら視線をよこしてくる。正直、鬱陶しい。

 森田の机が漫画のように真っ二つになった話は、瞬く間に学校中に広がった。同時に、私がやったとかやってないとか変な尾鰭もついて。

 ただ叩いただけで、あんなすぱっと切ったみたいになるわけないじゃん。

 思い出しただけでイライラする。

 ちなみに朝出かけるときに差した傘は、家の庭で見つかった。隆太と母さんは、私がどこかに攫われたんじゃないかと思って、かなり心配したらしい。すぐに緑子に確認をとったので、無事は確認していたようだが。

 ちなみに私は傘を放り投げた記憶が全くない。

「これは急がないとまずそうだな」

 父さんと母さんは神妙な顔で私を見る。

「呪いって、濡れても気にならなかったり怒って物を破壊することなわけ?」

 別にそこまで困ることではない。

「おそらく違うと思うわ」

 そう言ったのは母さんだ。

「今日ね、蔵の中に鍵のかかった部屋を見つけて中に入ったんだけど、そこにあった巻物には魚のような絵が描いてあったの」

「魚?」

 それが呪いとどう関係あるのか。

 ――もしかして。

 両親は、私の顔を見てゆっくりうなずいた。

「そう。魚の呪いかもしれない」

「は?」

 間抜け面をさらす私の隣で「魚は水の中で生きるし、尾鰭は力強く水を叩くもんね」と緑子がぼそぼそ言う。

「じゃあ祠にまつられていたのは、魚ってこと?」

「それは――まだわからない」

 父さんは力なくそう言った。裏付ける資料はまだ見つかっていないそうだ。

「青子、お前はくれぐれも気をつけて過ごすんだぞ」

 魚っぽいことをしないようにと付け加えられて、バカバカしく思ってしまった。

   ◇

 どうして学期末テストの前に学園祭があるのだろう。

 こればかりは理解できない。現代版飴と鞭だろうかと疑ってしまう。とはいえ、別に学園祭を否定したいわけじゃない。

「えー、じゃあこのクラスの出し物はお化け屋敷に決定しました。続いて役割分担を――」

 黒板の前に立ち、淡々と進行する学園祭実行委員の声をぼんやり聞きながら、私は教室の窓の向こうを眺めていた。鉛色の空。まだ雨は降っていない。

 魚の呪いかー。

 どうしてそんなものが封じられた祠を、先祖代々敬ってきたのか。学校行事同様、理解できない。

「お化け役をしたい人は挙手を――」

 この中に本物の呪いがかかった人間がいるなんて、お化け以上におかしいでしょ。

 ガラスに滴がつき、垂れる。雨が降ってきた。

 体がうずく。焼けるほど暑い日に川に飛び込みたくなるような衝動が沸いてくる。それを漬け物石をのせるようにぐっと押さえた。感情的にならなければ、物を壊すこともない。

 呪われてもぱっと見、人と変わりない生活を送ることはできる。

 このままでも大丈夫なんじゃない?

 しかし、少なくとも母さんはそう思っていないらしい。

「呪いを解く方法を探さないと」

 そう言ってきっと今日も父さんと蔵に入り浸っているはずだ。あまりにも古い文字で何が書いてあるかわからないのに、だ。

 呪いも祠を壊した人にかかればいいのに。

 人生とは理不尽だな、と我ながら悟ってしまった。


「青子ちゃん、段ボール並べてくれる?」

 今の私にお化け役は危険なので、大道具係に入った。段ボールで区切ればそれでいいと簡単に考えていたが、迷路のように区切ったり、そこそこ高さを出したりすると、かなりの量が必要になる。当然、壁にもテーブルにも背景にもなる段ボールはどのクラスも必要らしく、近所のスーパーの段ボール置き場は、争奪戦と化している。

 それに、段ボールをつなぎ合わせればいいわけでもない。絵の具の匂いが鼻を突く。塗装スプレーで黒くした段ボールに飛び散った血を描くのだ。

 乾かしていた段ボールのうち、乾ききっていそうな一枚を抱え、ビニールシートの上に置く。絵具を持った同じ道具係が、そこにしゃがみこんで赤い絵の具を塗り始めた。

「順調そうだね」

 ぱっと振り返ると、笑顔を浮かべる緑子がいた。緑子のクラスはコスプレ喫茶をやるそうだ。

「何してるの」

「買い出し。テーブルクロスとかお皿とか」

 そう言って買い物袋を掲げてみせる。

「青子は何をしているの?」

 血を描いていると言えば「面白そうだね」と言って赤い絵の具のついた筆を持つクラスメイトの隣にしゃがんだ。去年同じクラスだった子がいたようだ。

 自分のクラスに戻らなくていいのかな、と思っていたときだ。

「白神」

 呼ばれて振り返る。視界の隅で緑子も顔を上げているのが見えた。

「そこ、ムラになってる。もう一度塗り直せ」

 森田だ。

「そんなに気になるなら自分でやればいいじゃん」

「お前、アホか」

「はあ?」

 噴水のごとく怒りが沸く。でも、真っ二つに割れた机を思い出してぐっと押さえた。学年一位の男に馬鹿にされることほど腹が立つものはない。

「俺は脅かし役、お前は大道具。分担なんだから、その役割をまっとうするのが普通だろ」

「非常識で悪かったわね!」

 噛みつく勢いで言い返したが、森田は涼しげな顔をしている。それどころか、高層ビルから街中を見下ろしているような余裕すら感じる。

「こいつがさぼらないよう、きちんと見張っていた方がいいぞ」

 声を張り上げそう言うと、仲間たちと去っていった。

 べーと子供のように舌を出してやる。塩があれば撒きたいところだ。

「びっくりした」

 振り返れば、緑子が談笑しながら去っていく森田たちを見ている。

「ちょっ、突然背後から声かけないでよ……」

 バクバク言っている心臓を押さえつけていると、緑子は不思議そうな顔で私を見た。

「青子、気づかないの?」

 何が、と尋ねる前に緑子は言葉を続ける。

「森田君、わたしたちを見分けているよ」

 私と緑子はよく似ている。それこそ鏡合わせのように。だけど――。

「髪型かぶらないようにしているし、緑子はしゃがんでいたから顔が見えなかったんじゃない?」

「でも、今わたしもポニーテールだよ?」

「高めのね」

 朝、顔を合わせたときは結んでいなかったので今だけ縛ったのだろう。

「たまたまよ、たまたま。あいつが私たちを見分けられるはずがない」

「でも森田君、私にあんな言い方しないよ?」

「成績優秀な緑子だからね」

 あいつは馬鹿が嫌いなのと言えば、緑子はいまいち納得できない顔で小首を傾げる。そのときだ。

「いや、何これ!」

 さっき私が置いた段ボールを見て、赤い絵の具を持ったクラスメイトがそう叫んだ。

 どうしたの、と人が集まる。

「なんか、この段ボールぬめぬめしている」

 たしかに見方によっては銀色に光っている。

 さっき私が触ったときは何ともなかったのに――。私は自分の手に視線を落とした。途端、腕の一部が光を反射する。緑子と顔を合わせる。妹は強ばった表情で私を見ていた。

   ◇

「そんなの、私は信じない!」

 半ば強引に早退した私と緑子は、駆け込むように家に飛び込むと、両親を探した。両親も私たちの帰りを待っていたようだ。早々に座敷に集まる。

「今日、またひとつわかったことがある」

 そう言って父さんが一枚の巻物を広げた。今にも崩れそうなそれには、細長い何かが描かれていた。絵の両脇にはミミズが這ったような字が書かれている。

「さっきお前たちの話を聞いて察しが付いた。これはおそらく、ナメクジだ」

「なめくじ?!」

 私と緑子の声がかぶる。隆太は固まっていた。

 両親はそろってうなずく。

「解読不可な文字もあるが、呪いについておおよそのこともわかった」

 いわく、私たちの先祖は人と人外らしい。

 天狗や鬼、大蜘蛛など古来人を襲う化け物として伝えられてきた存在には、少数民族や異国の人間を示している可能性がある。だが、私たちの先祖は違う。

「ここは高台にあるからあまり被害はなかったけど、町を横切るように川が流れているでしょう?」

「白川だね」

 母さんの言葉に隆太が答える。母さんは深くうなずいた。

「昔はもっと大きな川だったの。雨が降れば洪水になって村や町に大きな被害をだすような。だけど治水工事をしても川の氾濫は収まらず、とうとう川の神様に生け贄を捧げることにしたの。だけど川の神様は生け贄の娘を哀れんで生かした。やがて二人の間に子が産まれ、川は氾濫しなくなったそうよ」

 私は眉をしかめる。

「よくある昔話でしょ、そんなの」

 今は関係ない話だ。しかし、父は首を横に振る。

「青子の言うとおり昔話だ。作り話ではなく、な」

 なんとなく嫌な予感がしてきた。

「この昔話に出てくる神と生け贄の娘の間に生まれた子が、我々――いや僕は血がつながってないから――お前たちの先祖なんだ」

 なんだかめまいがしてきた。

 隣をちらっと盗み見れば、緑子は目を輝かせて聞いている。そういえば、緑子はこの手の話が好きだった。私はそっと天井を見つめる。

「今日、お婆ちゃんの調子がよかったから呪いについていろいろ尋ねてみたの。そしたら、あの祠はお墓なんだって」

 なんでも神様の方のお墓らしい。困ったことがあればあの祠にお願いをすると神様が力を貸してくれるようだ。

「ここからは父さんと母さんの推測なんだけど」

 祠を壊されると、神の力が暴走し子孫に力が移る可能性があると予見した先祖は、祠を壊したら呪いがかかると言い伝えを残した――。

「それで神の力っていうのが」

 そう言って母さんは、気まずそうに父さんを見た。父さんは固唾を飲み込むと力なく言う。

「――ナメクジってことだな」

 頭が理解するのを拒否した。どんなに頭のいい人間だって理解できるはずがない。

 これから神の力はどんどん強くなるだろうとのこと。つまり、人でありながらナメクジ化していくらしい。

 嫌がらせとしか思えない。

 塩を撒かれたら死ぬのか、私は。

「確かに呪いだ、これは」

   ◇

 とはいえ、学校には行く。行かないと成績云々以前に卒業できない。それは嫌だ。

 両親や緑子は「しばらく休んでどういう変化が現れるか確かめた方がいい」と言うけど心配しすぎだと思う。私も最初聞かされたときはショックだったけど、要はバレなければいい。人と違うと迫害されていた昔とは違う。

 どうにかこうにかやり過ごして、学園祭当日を迎えた。学外から人も来る、町の中でもそれなりに大きなイベントだ。

 いらっしゃいませーという声があちこちからかかり、メイド服や和服、着ぐるみなどいろんなエンタメがごっちゃに入り交じっている。

 大道具係だった私は、当日やることはない。ゆっくりいろんなクラスを見て回れる。とはいえ、呪いのかかった状態では、そんなに気を抜くこともできないが。

 これが終わったら本格的に勉強しないと。窓から漂う焼きそばの匂いをかぎながらそう思ったときだ。

 じりりりりりり、と心をざわめかせる音が突然鳴り響いた。申し合わせでもしたように声が消え、賑やかな空気が痛いほど凍り付く。

「火事だ!」

 誰かの一声で、爆発したように混乱が生じた。一目散に廊下を駆け出す者、恐怖で叫ぶ者、落ち着けと大声を上げる者、窓から飛び降りようとする者。地獄絵図だと私は立ち尽くしながら思った。どうやらこういうとき、私は一度考えるのを辞めるらしい。

 廊下の隅で立ち尽くしていると、川のように流れる人の断片的な声から、火の手は私の隣のクラスからあがったらしいことがわかった。

「田中先生!」

 白装束をまとい、顔料で顔を赤く染めたクラスメイトが、担任の姿を見つけて叫んだ。

「森田君が! 倒れてきた大道具に足を挟まれて!」

 本格的なお化け屋敷にしたいというクラス方針で、段ボールだけでなく木材を使った大道具もある。組み立て式だったので準備中は重さを感じることはなかったが、確かに挟まれたら自力で抜け出すのは難しい。

 焦げ臭さが鼻を突く。煙はまだ見えない。

 止まっていた思考が、言葉を飲み込みようにゆっくり理解する。

 私は走った。川を遡る魚のように。

 どんどんと人にぶつかる。でも走るのをやめるつもりはない。嫌な奴だけど、死んだら死んだで気分が悪い。

 それに私なら助けられるかも。

 全身をぬめぬめで覆えば、火も大丈夫な気がする。緑子がいれば、抱きついてでも止めようとしてくるだろうが、ここに妹はいない。

 人の流れは濁流のようで、なかなか前には進めない。

「ちょっと、通して!」

 もっと早く走れたら、風のように向かえたら。そう思っていると、目の前が急に開けた。チャンスだと私は走る。風のように、水のように。

 そしてもくもくとあがる煙を見た。

 あそこだ。

 教室の前に着けば、煙が風に吹かれたように流れる。

「森田!」

 勢いよく飛び込んだ私は、必死に這い出ようともがく森田と目があった。途端、奴は呆けたような顔になる。

 こんなときでも「お前は馬鹿だ」と言うのだろうか。いや、そんなこと言わせる暇など与えてやるものか。勢いのまま煙と熱のこもる教室に入り、彼に手を伸ばす。だが、私の手は空を切り、そのままぐちゃぐちゃに崩れている大道具に突っ込んだ。それでも勢いは収まらず、窓すら突き破ってしまった。

 ――死ぬ。

 そう思ったときだ。

「す、すごい」

 声が聞こえる。森田の声だ。

 どこにいるわけ?

 視線を巡らせると、白銀の鱗が目に入る。蛇のような巨体にちょこんとついた鳥のような足。そこに森田はいた。

「――俺、龍に助けられている」

 呆然とした口調でそう言われ、改めて自分の姿を見つめる。

 ――神様は、巨大ナメクジじゃなかったんだ。

 しかし、このあとどうすればいいんだろう。

 さて困ったな、と空を旋回していると「あの!」と声がかかった。森田を掴んでいる手へ視線を向けると。

「助けていただき、ありがとうございます」

 それは本心からの言葉だった。

 私はふふっと笑う。今の姿だと唸ったように聞こえたのか、森田は顔をひきつらせた。それを見て、さらに笑う。

 呪いも、まあ、悪くない。


 後に新たな龍人様伝承が生まれるのだが、それはこれよりずっと未来の話。







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