第八話
ルーカスの言った通り、本当に森があった。
月明かりの元、木々が身を寄せ合い、大きな影を作る。その影はまるで近くにある村を覆い被してしまいそうで、何だか不気味だった。
村はミナキが思っていたより大きく、白茶のレンガでできた家々がひっそりと佇んでいた。月は高く、夜も遅い。村そのものが深い眠りについていた。
そして高台から村を見渡すと、村の周りには実り豊かな田畑が広がっている。勇者の町では見られなかった光景だった。
「すごい、こっちには畑があるのね……」
こっちに召喚されてから、ミナキには驚くことばかりだった。橙色の大地に橙色の建物が視界を埋め、植物は全く無い。水も貴重で、ミナキは勇者の後継として多めに与えられたが、ルーカスが言うには町の市民は飲み水が厳しく制限されていたのだという。
そしてミナキも城で普段から食べていたものはすべて工場で作られたものだった。工場に入ったのは野宿用の毛布を借りるときだけで、それも稼動していなかった。夜の暗い中で、見つかるとまずいからすぐに出てきた。だから工場でどのように食べ物が作られているのか全く分からなかった。
勇者の町に広がる工場はすべてグランが生み出した勇者の火によって稼動していた。
勇者の町は、勇者の火で生かされていたのだ。
月明かりの元、涼しげな風に揺れる麦畑を見下ろし、ミナキは直感した。
それに気づくと、さらに疑問が湧きあがった。どうしてグランは勇者の都にこだわるのだろう? 土で作物が育てられるのなら、都ごと移動すればいいのに。
移動させられない理由があったのだろうか?
「ミナキ、行こうぜ」
「あ、うん」
森は、ミナキが思ったままの森だった。木々は天に向かって伸び、夜空をかき消すように枝を伸ばして葉を茂らせている。森には定期的に村人が入っているのか、道があり、木々の合間を縫って差し込む月明かりの中でも何とか森の奥へと進むことができた。
「森に入ったけど、どうするの? まだ奥に進むの?」
ミナキは軽い足取りで先を行くルーカスの背中に投げかけた。
「もうちょっと行ってみよう。森の作業小屋があるはずなんだ」
何でも森で採取を行うときや、小休憩を取る時に使われる小屋らしい。村人は日が暮れるまでに森を出るので、夜間なら無人であるはずだという。野外より、屋根のある場所の方がいいだろう。
だが、二人がその小屋のあるという場所に着くと、あったのは小屋ではなかった。
「これ、家、よね……?」
「ああ、いつの間にこんなものを……」
森の開けたところに建っていたのは、村にあったような茶白いレンガでできた二階建ての家。家の周りには木の柵が張り巡らされ、木の柵の内側の庭には何か作物が育てられているようだった。
とても小屋と呼べるようなものではなく、立派な家だった。
ルーカスも知らなかったのか、物珍しげに柵の内側をのぞいていた。
「多分、これ、師匠の家だ」
「え? 分かるの?」
「ああ、師匠の好きな野菜が植わってる。村の人があんまり育てない野菜だし、森の中にある家だし、可能性は高いはずだ」
するとルーカスは無遠慮に木の柵をまたぎ、庭へと侵入した。
「ちょっと、ルーカス!」
ミナキは慌てて後を追おうとしたが、足の長さが違った。背も彼のほうが高く、ミナキではそう軽々と柵を越えられなかった。仕方なく、遠回りして木の柵の正しい門から庭にお邪魔した。しかしそのときにはもうルーカスは家のドアにたどり着いており、これまた無遠慮にノックもせずに中に入っていった。
いくらなんでも知り合いの家だろうと当たりをつけて、こうも遠慮なく入っていくだろうか。
もし違ったらとか、こんな時間に、とは考えないのか。
ミナキはルーカスの後を追うのをためらい、家のドアの前でオロオロしていた。
「うおっ!」
突如ルーカスの悲鳴が耳に届く。そしてすぐさま家の中から暴れまわる音がした。ルーカス一人のものではなさそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、師匠! 俺だ。ルーカスだ!」
ルーカスの慌てた声。その声に反応したのか、暴れる音が止む。そして、別の男の声がした。遠くて聞き取れないが、落ち着いた男のものであるのは間違いないようだ。
「……、こんな……た」
かすかに声が聞こえてくる。しかしはっきりとは聞こえない。ミナキはまだ家に足を踏み入れる決心がつかない。
やがて、ルーカスが軽やかな足取りで家の奥から現れた。
「まだそんなところにいたのか? 師匠に紹介するから来いよ」
「う、うん」
ようやくミナキは家に入った。
「ここ、やっぱり師匠さんの家だったの?」
「ああ。奥で寝てた」
つまりミナキたちはいきなり訪れて、起こしてしまったわけで。
ルーカスに連れられ居間のような部屋に通された。部屋の天井には火が点った照明があり、薄暗くも部屋を照らしていた。部屋の奥にある幅広で、三人ほどがゆったりと座れそうな椅子には毛布を尻に敷いた中年の細身の男が不機嫌そうに腕を組んでいた。
「師匠、こいつがミナキだ」
師匠と呼ばれたその人はミナキを見るとわずかに目を見開いた。
「女じゃないか。どういうことだ」
「どうもこうもないって。わけあって俺たちはグラン様に追われているんだ」
「一体何をしたんだ? 勇者に追われるなんてろくでもないことをしたんだろう」
「話を聞いてくれれば分かるって」
師匠は腰を上げた。
「お茶でも淹れよう。その辺にかけていなさい」
師匠は長話になると察し、隣の炊事場に消えていった。
ルーカスが師匠こと、リッツの元を離れて勇者の町に向かったのは今から一年半ほど前のことらしい。ミナキが召喚される少し前ぐらいだ。そして、ルーカスがいなくなるとリッツは森の中に家を建て、そこに住むようになった。
「今は森で採れた物を村で売って暮らしている」
以前は村人の護衛で暮らしていたが、村人はそもそも熊シャーリーを恐れて森に入りたがらない。誰かが代わりに森の作物を採って来てくれるなら、それに越したことはないのだ。
「森で暮らして、大丈夫なのですか? 熊がいるのでしょう?」
ミナキが心配そうに尋ねると、ルーカスが威勢よく返した。
「大丈夫だって! 師匠は強いんだ。もう何度もシャーリーを切り刻んで、倒しているんだからな!」
「え、シャーリーって何匹もいるの?」
「いいや、一匹だ」
冷静にリッツが答える。
「あの熊はどうやら特別な存在のようだ。私のような凡人では倒しきれないのだろう」
いくら強くても、殺せない存在がいる。リッツはそう語った。
「あの熊はこの森ができた頃からずっと存在するようだ。我々が生まれる前から、何百年と。勇者ならあるいは、倒せるかもしれないな」
「でもグラン様がわざわざこちらまで来ることは無いだろうな」
「ああ、倒してくださるならとっくに倒していることだろう」
グランは北の暴竜で手一杯なんだとか。
ミナキには何だか腑に落ちなかった。何百年と人々が苦しんでいるのだから、熊ぐらい倒してしまえばいいのに。
「それで、お前たちの話を聞かせてもらおう。どうせ駆け落ちしたか何かだろう?」
ミナキは口に流し込んだお茶を噴出し、ルーカスは顔を真っ赤にして否定した。
「ち、違う! そんなんじゃない!」
「なんだ。違うのか。勇者に追われているというから、勇者の城から駆け落ちの際に盗みを働いたのかと……」
リッツはやはりルーカスの育ての親だった。
ルーカスと過ごして数日。ミナキは彼の無遠慮な行動を数々目にしてきた。旅の用意を整えるから、と無人の施錠された工場に入り込むし、リッツのこの家に入るときも一歩間違えれば強盗だったかもしれない。リッツの駆け落ちという予想は間違っていたが、盗みを働いたというのは、あながち考えつかないこともない。
ゆっくり深呼吸をして、落ち着いてから説明を始めた。
「ミナキは召喚されたんだ」
「召喚だと? まさか!」
「いや、本当なんだ。な、ミナキ」
話を振られ、ミナキは頷く。
「気が付いたときにはここにいて、グラン様に召喚されたのだと教えられました」
「召喚された、か。それならお前は勇者の後継で間違いないな?」
「何で知っているんだ?」
「召喚された人間は皆そうなのだ。必ず勇者の後継となる。そう聞いたことがあるのだ」
「そうなんだ。それなら説明の手間が省けたな」
「だがそれと勇者に追われていることとどう繋がる。そもそもなぜ勇者が召喚なんて行ったのだ」
「俺たちも分かっていることはそんなに多くないんだ。だが、グラン様はミナキと協力して暴竜を討ち、その後ミナキを殺すつもりだったみたいなんだ。俺たちはたまたまそれを知って、逃げてきた」
「なるほどな。勇者がわざわざ召喚を行った理由が分かったよ。暴竜を討つためか。それならばミナキを手放すわけにはいかないだろう。勇者はもう何百年も暴竜を討てていないのだからな」
納得の様子のリッツにミナキは首を傾げた。
「リッツさんは勇者に詳しいのですね」
「当然だ。かつてハンスにいろいろ教えてもらったからな」
「父さんが?」
グランの従者ハンスの突然の登場にルーカスが驚いた。
「父さんはそういうこと、全く教えてくれなかったぞ?」
「ハンスはお前を勇者とは関わらせたくなかったのだよ。理由は知らないがな。ま、大方、勇者には戦いが付き物。お前を危険な目に遭わせたくなかったのだろう。それでもお前は勇者の元に行ったがな」
「うっ」
図星を突かれたルーカスは半身引いた。
「あの、勝手に押し寄せておいてすいません。しばらくここで身を置かせてもらえませんか?」
「熊のいるこの森でよければ構わぬよ。その代わり、この家で暮らすのならそれ相応に働いて貰うからな」
「分かりました」
「ところでミナキ。お前は力を目覚めさせているのか?」
「はい。私の力は植物で……」
ミナキは辺りを見回し、何か力を説明するものがないか探した。すると床にしなびた葉が落ちていた。それを拾い上げ、手の平に置き、リッツが見えるように手を突き出した。
しなびた葉では、それも葉っぱ一枚だけではうまく行くか不安だったが、今までにないくらいすんなりと力が働いた。
ミナキの手の平の中で葉が震え、そしてはじけるように茎が伸び、瑞々しい幹を成した。
「ほう、これは……」
目を見張るリッツ。
「な、すごい力だろう?」
と、ルーカスが言う。
そういえば彼がミナキの力を目にするのはこれが初めてではないだろうか。噂で聞いていたとは知っているが、それにしてもなぜ彼が誇るのか。
「見事なものだ。たった葉っぱ一枚でこのようなことを……。そして植物の力か。勇者が手放したくないのもより一層頷けるものだ」
「どういうことですか?」
「ミナキがこちらに召喚された理由は暴竜を討つためだろう? 暴竜の力は氷だ。勇者の力は火で相性が悪い。だがミナキの植物の力は暴竜に対して強い。暴竜を討ちたいグランにとってはありがたい存在なんだよ」
「なるほど、分かりました」
「しかもそれだけではない。さきほどミナキは暴竜を討った後、勇者に殺されると言っただろう? そこでも力の関係が勇者に有利に働く。ミナキの植物の力はグランの火に弱いんだ」
「嘘だろう? それなら逃げ出して正解じゃないか」
「ああ。勇者がわざわざミナキを召喚した理由がよく分かる。勇者が勇者の後継に討たれれば、勇者はその座を後継に譲らなければならない。勇者である限り、死にもしないし、老けもしないという。勇者の後継に討たれない限り、勇者は勇者であり続けるのだそうだ。勇者がわざわざ自分の敵を呼び出すなんておかしな話だからな」
「すべては暴竜を討つため、か。とんでもない奴だったんだな、グラン様……いいや、グランは」
ついにルーカスはグランを敬うことをやめた。
「それも全部、ハンスさんが教えてくれたのですか?」
リッツは確かに頷いた。
「奴は酒を飲むといろいろ語ってくれたよ。だが、この話を知っているのは私だけだ。ハンスはいつも私としか飲まなかったからな」
リッツは二人に二階の部屋をそれぞれ使うように言った。そしてあまり村の方に近づかないようにとも忠告した。村人は滅多に森にやってこないが、万が一目撃され、勇者に伝わったら匿っているリッツすら危なくなるからだった。
何はともあれ、ようやく屋根も壁のある立派な家で、毛布でぐるぐる巻きにならなくていい生活を迎えられるのだ。ミナキはその日、ゆっくりと眠ることができた。