第九話
森での生活は、城での生活よりずっと楽しかった。城では朝起きて、朝食を食べたらすぐに鍛錬を行っていたが、森ではそうではない。日の出と共におきて、近くの川から水を汲む。森には川が村に向かって流れていたのだ。その川を覗きこむと、小さな魚も泳いでいた。森には、外では見られなかった生命の息吹が感じられた。
ミナキが炊事場の水瓶に汲んできた水を移していると、ルーカスが起きてきたところだった。
「おはよう」
「ああ、おはよう。師匠はまだだよな?」
「寝てるよ」
リッツはいつも最後に起きてくる。
ミナキたちがこの家で暮らすようになって、炊事や洗濯、掃除などはミナキたち二人が担うことになった。世話になるのだから当然だった。ではリッツは何をするかというと、週一で村に買出しに行ったり、森で採取をしたり、熊シャーリーの監視をしたりする。ミナキたちが来て、雑務をこなす人ができたので、リッツは本来の仕事に専念できるようになった。
「そうだ、庭のヒナ豆がそろそろ食べられる頃だったよな」
ルーカスは籠を取り出して、庭へと出て行った。
家の前の畑を、庭と呼ぶ。ここの管理も二人の仕事だった。仕事でもあったが、ミナキにとっては力の鍛錬でもあった。
ミナキの力は植物。植物を自在にできる。この畑の作物を用いて、ミナキは着実に自分の力をモノにしていった。
勇者の城で鍛錬していたときは、種を芽吹かせるのがやっとであったが、ここでは驚くほど簡単に様々なことができた。花を咲かせたり、実を成らせたり、草を茂らせたり、木々の枝を広げたり、と。今思えば、城では何かがミナキの力を押さえつけているようであった。それが何だったか今でも分からないが、ここではそんなものが全く無くて、のびのびと力をふるえた。
二人がここに来て、もう二週間が経つが、恐ろしいほどに穏やかに時間が過ぎて行った。グランの元から逃げ出してきたことも忘れてしまいそうだった。
「水をくれ」
のそりとリッツが炊事場に顔を出した。
「あ、はい!」
ミナキは朝食の準備の手を止め、グラスで水をすくってそのままリッツに渡した。
「おはようございます、リッツさん」
「ああ。ルーカスは、庭か?」
「そうです。ヒナ豆を採っているはずですよ」
「そうか」
リッツは水を飲みながらいつも座っているソファーに身を沈めた。
「明日、村に向かう」
朝食のスープのカップを持ってきたミナキにリッツはそう告げた。
「分かりました。用意をしておきますね」
森で取れたものを籠に詰めておく。確か庭の片隅に固めておいてあったはずだ。
「村で、少し情報を集めてみようと思う」
「何のですか?」
「勇者のだ。見慣れない人間が現れれば必ず噂になるからな。勇者本人は動かないだろうが、従者の誰かが来るかもしれない」
グランは多くの従者を持つことでも有名だった。それだけ信頼できるものがいるという証でもある。
「お願いします」
「ところでミナキ、お前は召喚されたんだったな」
「え、はい」
「前の世界はどんな世界だった。覚えているか?」
「はい、覚えていますよ。私のいたところでは勇者はいませんでした」
「ほう?」
勇者がいることが当たり前のこの世界のリッツにとって、勇者がいないことが面白いようだった。
ミナキは思い出せる限りで、できるだけ分かりやすく、元いた世界を説明した。
元の世界のことを思い出すのも、久しぶりだった。前に思い出したのはサマンサとあの花壇で話したときだったはずだ。そういえば、サマンサはどうなってしまったのだろうか。ミナキがいなくなって一番慌てたのは彼女かもしれない。また会えたら、謝れたらいいな、と思った。
ミナキの説明が一息つくと、リッツが尋ねた。
「元の世界に戻りたいか?」
「えっ……」
ミナキは驚いた。驚いた拍子に頭がまっさらになり、何も考えられなくなった。それぐらい、意外な問いだったのだ。話の流れから行けば、おかしくもない問いだったが、ミナキにとっては予想外だった。
そして次にミナキは自分が元の世界に戻りたいと思っていないことに驚いた。
元の世界での、元の生活があったのに、戻りたいとは願っていないのだ。そんな自分が不思議だった。
困惑するミナキに気遣ってか、リッツは言った。
「すぐに答を出すことは無い。選択肢の一つとして残しておくのもいいだろう。今はまだ勇者の後継で、召喚をすることはできないが、勇者となれば、元の世界に戻ることができるかもしれない」
「それに、ミナキが勇者になったら、もうグランに追われることはなくなるよな!」
ルーカスが割り込んだ。籠一杯のヒナ豆を抱えて。
「そうね。いつまでも追われるわけにはいかないわね……」
「勇者も勇者の後継も不老不死だ。追いかけっこは永遠に続くぞ」
「いつか決着をつけないといけないのね」
もちろん今すぐは無理だ。ミナキは力をモノにしてきたとはいえ、グランに敵うようなものではない。もっと強くならなければならない。
グランに追われるのを終わらせるためにも、元の世界に戻るために勇者になるためにも。
今のミナキにできることは、とにかく強くなることだった。
結局、森に来てもやるべきことは城にいたときと変わらなかった。
○
その日、セスヤ村に珍しい客人が訪れた。
金色の腕輪をした二人と、五十人近い武装集団。彼らが着込んだ鎧の胸元には勇者グランの紋章が刻まれていた。
これまで勇者と無縁の生活を送っていた村人たちは仰天し、口々に彼らのことを噂した。そして、彼らを笑顔で受け入れたのはセスヤ村の村長だった。
村長は彼らを自分の邸宅へ招き、お茶を振舞った。最も、村一番の大きさを誇る村長の家でも五十人の武装した人間を全員入れることはできなかった。だから代表者として、金色の腕輪をした二人が村長の招きを受けることになった。
挨拶もそこそこに、一人が切り出した。
「人を探している。若い黒髪の女と藍色の髪の男だ。最近そのような者がここを訪れなかったか?」
「いえ、知りませぬな」
村長は即答した。
この村は大きいが、村人全員が顔見知り。よそ者が尋ねてきたのなら、その日の内に噂となって村人全員が知っていることとなる。だが村長はそんな話聞いたことがなかった。
「そうか。ではハニー・グルー酒というのはこの村の特産で間違いないな?」
「ええ、近くに綺麗なグルーという花の群生地がありまして。養蜂も村で行っているのですよ。そうだ、味見をなさいますか?」
村長は傍にあった茶褐色の瓶を掲げて微笑んだ。
しかし、勇者の従者はそれを真顔で断る。
ここで彼らにこの酒のうまさを教え、勇者にその評判が伝わって、勇者がこの酒を気に入って、大口の顧客にできれば。勇者の愛した酒といううたい文句を使えれば、寂れた田舎の村は一気に銘酒の産地に変貌したことだろう。
しかし、村長の飛躍した妄想はつれない従者の返事で霧散した。
「何か付近で変わったことは?」
言われ、村長は先日村の雑貨屋を訪れたリッツという人物が、以前より多くの品を買い、多くの森の作物を置いていくようになったという話を聞いたが、これは関係ないだろう。
あの人は森のシャーリーから村を守ってくれている人で、彼を失うわけにはいかないし、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。
そもそも、大した変化でも何でもないだろう。
村長は、
「特にありませんな」
と答えた。従者たちは明らかに落胆した様子で、ズコズコと村を去っていった。




