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姉と兄と



アガレスの複数の従事達は今、彼の一人にしてほしいという要望を受け、執務室の扉前で待機していた。

広く、華美さの無い執務室に、身を清めたアガレスが濡れた髪の毛のまま、中央の椅子へと腰を下ろした。隣国の現場処理が終わったとは言え、まだまだやらなければいけない事後処理もある。

だけどもアガレスは充実感からか、深い溜息とともに秀麗な唇を笑みの形に歪めた。



とん、とん。



小さくノックされる扉に目を向け、低い声で入れと促す。

入って来たのは二人の供をつけた、アガレスの妹で、第一皇女であるシルヴィアだった。

シルヴィアは供のものに何かを言うと、一人で室内に入ってくる。重厚な扉が音も無く閉められ、部屋には対峙する兄妹のみであった。


「何用か」

「わたくしの訪問の意味など解っておいででしょう」

挑発するかのように睨みつける妹に、アガレスは小さく息を吐いた。

「・・・キャロが・・・カルロッタがあまりに哀れでございます」

シルヴィアはその手に力を込めた。

「なんと浅はかなことをなさいましたか」

押し寄せる感情を吐き出すよう、ふう、と息を吐き出す。

「カルロッタが・・・哀れにございます。お兄様の所業をカルロッタが知れば、どれほどの絶望を覚えましょうか」

それを思うだけで目頭が濡れてくる。



シルヴィアはアガレスのカルロッタを見る視線の意味に気付いていた。カルロッタの前でのみ柔らかな形となる目、そして度々素の言葉づかいをしていたから。

このことにはシルヴィアだけでなく、数日前に崩御した前皇帝陛下も気付いていた。



・・・だからこそ、カルロッタをいち早く嫁がせたというのに。



この目の前の兄は、カルロッタを取り戻すため、最低の決断をしたのだ。



隣国が哀れで。カルロッタの絶望が哀れで。そして何より、幼き頃より顔を合わせていたジュリオが哀れで。

涙が、出る。

上に立つ者ほど感情をコントロールしなければいけないと解っているのに、シルヴィアは自らの感情を制御できずに涙を流す。

「なんと、愚かなことをなさいましたかっ」

濡れた青い目が、アガレスを睨みつける。

「何故、何故・・・」

愚かな、浅薄な、と。青い眼がアガレスを攻める。

だけども、その視線を真っ向から受け止めたアガレスは、ただ無表情で吐息を吐きだした。

「言いたいことはそれだけか?」

「っ」

「『何故』と問うお前は、我が言葉など求めておらぬだろうよ」

アガレスは続ける。

「お前の中では既に責めたる事があり、我が何を応えてもお前は納得すまい。・・・お前は、もう覆せぬ事象の結果が気に入らぬのだろうからなぁ。ならば、お前は我を糾弾したいだけなのだろう。我の答えなど求めておらぬではないか」


ただ、己の納得のいかぬことを攻めたいだけだ。そうアガレスはシルヴィアを逆に糾弾する。

なんの解決策、妥協案、提案に糾弾策、それらを持たず、ただ赤子のように、原因の因子にむけて不満をぶちまけることしかできていないと、彼は言う。


アガレスは更なる冷視線をシルヴィアに向けた。その視線を受けたためか、それとも彼の言葉の為か、シルヴィアの顔色が変化する。

「慈悲深きことは悪ではないが、決して善ではない。己が意見が正しいと思っておるなら尚更。お前は止めることもせず、ただ結果と経過を客観視し周りを憐れんでおるが、今以って俺を糾弾するのみで何も行動することがない」


だから。


「今のお前の言葉は我には届かぬなぁ」

行動を伴わぬ慈悲は善でも悪でもない、ただの自己満足だと言外に言う。

シルヴィアは屈辱か羞恥にか、身体をわなわなと震わせた。

それは僅かにでも、傍観していたという罪悪感がシルヴィアの心根に巣くっているからだろう。

青い顔で今にも倒れそうなシルヴィアを一瞥した後、アガレスはもう用は無いとばかりに、手元の書類に目を通していく。

「言いたいことを言ったのなら、去るがよい」

そう視線も上げずに言う。

シルヴィアは動けない。怒りと、屈辱感のせいで。

だが、努めて冷静になろうという思いからゆっくりと息を吸い、吐き出す。頭を冷やせ、と己に言い聞かせる。

確かにシルヴィアは感情的だった。だから言いくるめられそうになる。


だが。


「・・・体よく論点をずらし、都合のいい様に言い換えれば誤魔化されるとお思いですか」

目を堅く閉じ、涙を途切れさせる。次に彼女が目を開けた時、冷静さを伴った怒りの炎が揺れていた。

「お兄様。あなたは帝国の為ではなく、私用で兵を動かし・・・隣国を、その主要を滅した。この罪いかが償うおつもりで?」

アガレスは書類にサインをした後顔を上げた。その際に、少しだけ唇の端を歪めた。

嘲るように、見下すように。

・・・とどめをさそうと言うように。



「隣国タイトスの主要部にはヴェルナーを送る」



突然の弟の名前に、動揺すまいと努めていたシルヴィアの目が見開かれる。

「そのことは・・・」

「無論、ヴェルナーも了承済みだ。あの国の多くない貴族の買収、そして欠かせぬ家名の主要も取り込み、全て下積みした上での決行だ。お前が最も気にする民にも被害は無い。あれらは自らに被害が無ければ、特に不満を漏らす生き物ではないからな。無論、余計な不信を買うまでも無く国名もそのままだ。あとは情報操作だが、それも確信は出来ぬが、準備はしている。それなりの効果と成果を上げるだろう」

シルヴィアは目を零れそうなほどに見開いた。しかし、アガレスの言葉はまだ続く。

「強国ニレッツェとの会合も済んでいる。あそこの主要もタイトスに送られることとなっているからな。ヴェルナーは競合することになるだろうが、そこはヴェルナーの采配次第だ。あいつならば何とかやっていけるだろう」

我が弟は腹の中が真っ黒であるからなぁ。

そう含みながら言う。

「占領したタイトスは、当初の予定通りニレッツェとの国交に使う。タイトスを我が国のただの属国とするより、ニレッツェとの実質的な合同地としたほうが、国交しやすく利が多いだろう。タイトスはともかく、我が国は昔からニレッツェと小競り合いはあったからな。だが、それもタイトスを通して互いの宗教、教育、価値観や考え方の違いが見え、問題も見えやすい。故にニレッツェの思惑も見えやすく、彼の国の主要も外交のテーブルにつきやすい。まぁ、それは我が国とて同じことだがな。だが、余計な小競り合いは減るだろうと予想している。この先、互いの国を利用して国は豊かになるだろうが、また反対もあるだろうし不安要素も多い。それは我等の采配にかかっているが、そんなものは重々承知してあらゆる準備、実行を惜しんではいない。それに、よからぬことを考える他の国にも牽制しやすい、ということだ」

「あ・・・」

シルヴィアの唇が戦慄く。押さえつけるかのような答弁に、強気でいることができない。

「お前の言う私用で兵を動かした、というものも、まぁ半分は正解であるがな。だがその罪は我がものだ。タイトスと婚姻関係を結んでいたカルロッタが我を攻めるならともかく、お前が裁けるものではない」

いっきにまくしたてると、アガレスは僅かに震えるシルヴィアを見据えた。

「・・・さて、シルヴィア?」

「っ!!」

名を呼ばれ、一際大きく彼女は身体を震わせた。

「これらを踏まえた上での反論があれば聞こう。感情論では我は動かせぬぞ」

鋭い眼光を受け止められず、シルヴィアは目を伏せた。

「いつ・・・から・・・」

声が震える。

いつからその壮大な準備をしていたというのだ。

「五年前よりな」

その言葉に、はっきりと瞠目し、シルヴィアは動揺露わにしてしまう。五年前と言えば亡くなった父がまだ権威を振るっていたころだ。その父王の目をどうやってかいくぐっていたというのだろうか。

浅い呼吸を繰り返すが、次の言葉が見つからない。


それほど前に、この男は『決めて』いたのか。


今の言い方では、確かに国の為ととれる。・・・半分は。

だけども、そこまで強行せずとも、民も帝国もカルロッタの婚姻で潤うはずだった。それなのに、そこまで強行したのは・・・そこまで決心してしまったのは、やはりカルロッタが婚姻してしまったからだろう。だから彼は、起こさなくていい行動を起こした。


国の為が半分。カルロッタを取り戻す為が半分。


その並々ならぬ執着心に、ぞっとした。怒りより何より、先に立ったのは恐れ。

追い打ちをかける様に薄く笑むアガレスの酷薄さに崩れ落ちなかったのは、一重に第一皇女である矜持にすぎない。

その執着心、その慈悲の無さ、その行動。シルヴィアは初めて、心の底からこの男が怖いと思った。しかし、何かを言おうとする口元は、浅い呼吸しか繰り返してくれない。

それでも気丈に口を開こうとした瞬間、部屋の中に甘い匂いが充満した。



「その辺にしりゃれ」



反射的に自分が入って来た豪奢で重そうな扉に目を向けるが、そこが開いた様子も無い。

何、と思って香りと声の発生源の方へ視線をさ迷わせると、アガレスの執務室の続きの間の前には、彼女たちの実母、アンネゲルトが佇んでいた。

「お母様・・・」

シルヴィアは息を呑む。

艶ある声、そして妖艶なるその仕草。姿形は実子であるシルヴィアとよく似通っているのだが、シルヴィアが陽だまりのような穏やかな雰囲気を纏うのとは正反対に、アンネゲルトはその仕草や纏う雰囲気が、妖しい夜の色気を醸し出している。

「何故、ここにいらっしゃるのですか」

彼女等の実母であるアンネゲルトは先帝が崩御し、息子であアガレスの帝位と同時に皇太后となった。母とはいえその皇太后であるアンネゲルトに、不敬を承知で言うシルヴィアの声は自分でも驚くほど冷静な響きだった。予想していなかったアンネゲルトの登場が、意外にも彼女を落ち着かせたらしい。

しかしアンネゲルトは娘の不敬を咎めず、楚々と微笑んだ。

「アガレスに話があっての。向こうで待っておったのよ」

なんの話だろうか。思わず詮索しそうになるのを、しかしアンネゲルトの声がそれを阻んだ。

「それよりものぉ、シルヴィア。此処は引きや」

持っている扇で口元を隠し、目元で笑むアンネゲルト。

「今のお前にはこれと争う材料もなかろうて。私情のみで激昂するは愚かしいことであると知るがよい」

「っ!!」

「引きやれ、シルヴィア」

言葉が出ない。何も言い返せない。言い返すだけの材料をシルヴィアは持たない。

ただ、己の未熟さに打ちひしがれるしか、できない。

再び目に浮かびそうになる涙を、羞恥と共に必死に堪え、唇を引き結んだ。

淑女然としてドレスの裾を引き挙げ、ゆっくりと頭を下げる。

「・・・御前失礼いたします」

震えてしまう声に、自分の心の弱さを突き付けられたような気がした。

礼をとったあと、シルヴィアは二人に目も合わせず背を向け、扉へと歩いて行く。その歩みの速度をいつもと変わらないよう努めたのは、最早意地である。

シルヴィアは扉前で一声かけると、彼女の護衛騎士が重厚な扉を開け、一礼して彼女を迎えた。

「部屋へ戻ります」

「御意に」

部屋を出ると同時に護衛騎士がシルヴィアを囲む。扉前にてシルヴィアが部屋の主に向かって一礼しない不敬を働き、護衛騎士を一瞬戸惑わせたがしかし、彼女の表情を読み取ってか、騎士たちはゆっくりと部屋の扉を音がしないよう気をつけながら閉めた。

シルヴィアはその際アガレスとアンネゲルトを振り返りもしなかったが、部屋にいる二人はただじっとシルヴィアの後ろ姿を見つめていた。




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