第1話 出港
ついに迎えた6月17日の土曜日。あいにくの曇天の下。
「「「お~~~……!!!」」」
目の前にある巨大な船を前に、優を含めた三校生ほぼ全員が感嘆の声を上げる。それは何も学生だけにとどまらない。今回の遠征授業に同行する教員、研究者をはじめとする関係者の大人も、停泊する船の威容に圧倒される。
今回、優たちが乗り込む船は『ニホン丸』と呼ばれるクルーズ船だ。総トン数約2万2,500t。全長は約160m。乗員乗客合わせて600人以上を収容することができる大きな船だ。
これでも船としては「中型」の部類だというのだから優としても開いた口が塞がらない。
もちろん事前に、ガイダンスの資料を通してニホン丸についての情報は見聞きしているし、インターネットで調べてもいる。
しかし、実際に目にする船の大きさを見れば、なるほど。並みの魔獣の攻撃など意にも介さないだろう大きさと各種武装・装甲のように優には思える。
少なくとも、この船が沈没して死ぬならば、まぁ、運が悪かったのだろうな、と。そう思えるくらいには信頼を寄せられる姿をしていた。
(コレが、俺たちを……今の日本人を運ぶ船……! かっこよすぎるっ!)
海はともかく、これだけ巨大な船を目にするのは初めての優だ。物々しい装備を抱えるニホン丸に目を輝かせながら、現代の「移送手段」についてわずかに思いを馳せる。
魔獣が出現して以来、日本政府が死守してきたものがある。人々の食事・医療・通信などのライフラインを維持するための設備、いわゆるインフラだ。
空輸はもちろん、船での貿易についても様々なリスクを伴う現代。輸入が減れば食料自給率は自ずと向上する。また、人口も改変の日以前に比べて70%前後となり、国民が求める総カロリーも減少した。
一方で農地として利用されていた広大な土地の多くが、魔獣によって奪われてしまってもいる。
そのため国は、内地化した都心部の地下や高層ビル。あるいは内地周辺の平野を上手く活用して作付面積を確保しているのが現状だ。
幸い、太陽光に頼らない農業については魔獣が出現した時点でもうすでに実用化されていた技術だ。
魔獣の出現から十数年、時間をかけて試行錯誤しながら研究と実用化を進めて農業を整備。どうしても賄いきれない部分は輸入に頼り、さらに国民には日本で育てやすい米を食べるよう協力を訴える、など。
様々な政策と国民の協力で、優たち日本国民の“食”が一定の質を保証されている。
(で、最先端技術を支える電気・通信設備と、各地に「人」と「もの」を運ぶ物流の仕組み。インフラを魔獣・魔人から守るのも、国家公務員たる特派員の主だった仕事、と……)
魔法学の授業で習った内容を復習しながら、ニホン丸を見上げる優。
今回の遠征でも、もちろん現役の特派員が乗船して学生たちを家島まで送り届けてくれる手はずになっている。
つまり、特派員になればいつかは担当することになるだろう船上活動における特派員の動きを見ることができるということだ。
船という限られた空間でどのように立ち回るのか。海鳥やイルカなど、空から海から攻め立ててくる魔獣に対してどのように対処するのか。航海への不安がなくなった今、優の中は学びの意欲で満たされていた。
と、そんな折。優は見知った顔を見かけて声をかける。
「あれは……師匠! おーい、師匠ー!」
「わっ……って、お、お兄さん……?」
珍しく声を弾ませながら優が駆け寄ったのは常坂久遠その人だ。
肩にかからないくらいの、外向きに跳ねたクセ毛。丸まった背中。やや垂れた目元がどこか頼りなさを感じさせる、魔剣一刀流の正統後継者だった。
腰に吊るした顔の上半分を隠す狐のお面を揺らして立ち止まった彼女。弟弟子の手前、少しだけ背筋を伸ばしながら“姉弟子”として話に応じる。
「え、えっと……その後〈月光〉はどうですか?」
「多分できていると思うんですが、師匠ほどではないですね。まだまだ精進しないと」
そう語る優の言葉や表情から、謙遜でもなんでもなく本気の発言らしいことを感じ取った久遠。コレは優が〈月光〉を自分のものにするのも時間の問題だろうと目を細める。
そもそも優は既に月の型の免許皆伝を受けているのだ。大師範である祖父に実力と心構えを認められた証拠でもある。
にもかかわらず己の技を磨こうとする優の姿勢は、武をたしなむ者として、久遠には好ましく映っていた。
「常坂さんの方はどうですか? 遠征に参加するのは分かっていましたが、その……」
優が濁した部分を、久遠もきちんと理解している。なにせ久遠も優と同じでコミュ障と呼ばれる人種だ。友人と呼べる存在も、片手で数えるほどしかいない。
ただ、同級生に優という門下生ができたのだ。姉弟子として、情けない姿を見せることもできない。
「に、2年生になってから、少しだけ頑張りました……!」
暗に一緒に遠征に行ってくれる同級生を作れたのだ、と、弟弟子に胸を張る。だが、彼女が表情を明るくさせたのは一瞬だ。
「――それに、私はもっと強くならないといけないですから」
言いながら、唇を引き結ぶ久遠。彼女が脳裏に思い浮かべるのは、優の最終試練に付き合う中で出会った、謎の女魔人だ。
この世界で、久遠だけは知っている。世間には公表されていない一方、優はきちんと語っている闇猫討伐の真の立役者の姿を。
周囲の人々は優の謙遜、あるいは冗談だと疑ってやまない“謎の女魔人”。だが、彼女と刃を交えた久遠だけは、冗談でも誇張でもないことを理解している。
久遠の刀を受け止め、あまつさえへし折って見せた女魔人。彼女であれば、闇猫を討伐寸前まで追い込んでいても何ら不思議ではないと久遠は思う。
もともと、同級生をはるかにしのぐ時間と強度で鍛錬をしていた久遠。くだんの女魔人に遭遇し、2年生になってからというもの、彼女はさらに日々の修行に身を入れ続ける日々だ。
武の道に完成は無い。常に自分の限界に挑戦し続けることを求められる、孤独な戦いだ。そんな久遠の日々において、女魔人こと「魔人カナメ」はとても分かりやすい目標になっている。
終わりの見えない修行の日々も、余裕綽々で刀を受け止めた魔人カナメの姿を思い浮かべるだけで頑張ることができるのだから不思議だ。
あとは新たに編み出した技を、あの女魔人に。久遠にとって宝物であるお面を盗んでいった、あの憎き敵に振り下ろすだけだ。
「いつか、絶対。私が、あの魔人を……はっ!?」
瞳にほの暗い炎を燃やしていた久遠が、自身の誓いを言葉にしようとした時だ。視線を感じた彼女は、人垣の向こう、ちょうど船に積み込む資材が置かれている場所を見遣る。
一瞬だが、確かに。明らかにこちらを意識したような視線を感じたのだ。
それが久遠を意識したものなのか、優を意識したものなのかは判然としない。ただ、久遠の達人としての勘が、確かに、“誰か”がこちらを見ていたと訴えていた。
「――常坂さん。どうかしましたか?」
目つきを鋭くして腰のお面に手を当てた姉弟子に、魔獣の接近を予感した優。自身もすぐに気持ちを切り替え、任務中の顔つきになる。
「今、何かが私たちを見ていました」
ここで「気のせいでは?」などと悠長なことを聞く優ではない。
「何か、ですか? 警戒の必要は?」
「ま、魔獣特有の敵意や殺意はありませんでした。ただ、誰か。あるいは何かがわたし達を――」
しかし、久遠が彼の問いに答えるより先に、折悪く後方が騒がしくなる。こうなってしまうと、優たちとしても皆の注目を無視するわけにはいかなくなる。
幸い、視線の主はもう興味を失ったのか、こちらを見ている気配はない。
恐らく魔獣などの敵性存在でもないだろうため、久遠はそっとお面に触れた手を退けて臨戦態勢を解くことにする。また、そんな姉弟子の姿に倣う形で、小さく息を吐いた優も臨戦態勢を解くのだった。
2人が改めて皆の視線を追ってみれば、新たにバスが2台、港に入って来たところだった。
今回の遠征授業では、優たち第三校ともう1つ、第七校の学生も同じ授業を受けることになっている。状況から考えるに、どうやら第七校の学生がやって来たようだ。
他県の、同級生たちとの顔合わせだ。果たしてどのような人々なのだろうか。
三校生が緊張・期待・不安のまなざしで見守る中、バスの扉が開かれる。と、真っ先にバスを降りてきた偉丈夫に、その場にいた人々の視線が釘付けになった。
なにも、偉丈夫が身にまとっていた服が『袈裟』と呼ばれる珍しい服だったからだけではない。
軽く190㎝はあるだろう長身。ざっくばらんに切りそろえられた髪。はだけた袈裟から覗く、厚い胸板と太い腕。先客である優たちを見渡す眼光は鋭く、全体的に粗野な印象を受ける男子学生だ。
ともすればチンピラとも称されかねない風貌をしているのだが、彼が身にまとう雰囲気や整った顔形が、自然と人々の視線と意識を引き付ける。
もはや何度目とも分からない感覚だ。優はすぐに彼が、天人であることを理解する。
「おうおうおう! 雁首揃えて大層なお出迎えだなぁ! ラスボスを向かえるんにゃあ、まだ早いぜっ……とぉ!」
言いながら巨体を揺らしてバスから飛び降りた男の天人。そのまましばらく優たち三校生のことを見回していた彼だが、あるところで視線を止める。
その視線を優が追ってみれば、キョトンとした顔で偉丈夫を見つめているシアの姿がある。
優が再び偉丈夫の男神に視線を戻してみれば、シアと目が合ったのが嬉しかったのだろうか。偉丈夫は歯を見せながら、どこか人好きのする笑みをこぼしている。
さらに腕を組みながら周囲を見回した男。今度は優を見て、意味ありげな笑みを浮かべて見せた。
(俺とシアさんを見て、動きを止めた……。ひょっとして俺たちの関係を知っているのか?)
優とシアが啓示と権能を共にしていること。それは、ごく一部の人間しか知らない。具体的には春樹と天、フォルと、銀髪の先輩天人・モノしか知らないはずだ。
だというのに訳知り顔で自分たちを見たあの天人は、いったい誰なのか。疑念を込めて見つめ返す優に答えるように、偉丈夫が口を開く。
「俺ぁ、ヨミ。この春から第七校で面倒を見てもらってる――ぐぉ!?」
自己紹介をしようとしてくれたのだろう。自分を「ヨミ」と名乗った偉丈夫。彼がそのまま話を続けようとしていたところ、背後――バスの出入り口から降りてきた人物によって蹴飛ばされ、話の中断を余儀なくされるのだった。
「退いてください、ヨミ。皆が降りられないではありませんか」
言いながらバスから降りてきた女子学生に、またしても三校生たちは息を飲むことになる。
巨漢のヨミを数メートル蹴飛ばした女子学生の筋力もさることながら、彼女もまた、大和撫子を絵にかいたような絶世の美女だったからだ。
不思議なもので、女子学生が身にまとうのは特派員の正装、つまりは学ランだ。大和撫子らしさと言えば、巫女などが髪を縛る際に用いる丈長で長い髪を縛っていることくらいだろうか。
だというのに、彼女が一瞬でも着物を着ているように見えたのは、優だけではないだろう。
「うちの愚弟が失礼いたしました。私の名はアマネ。見ての通りと申し上げますと不遜にも聞こえるかもしれませんが、弟共々、天人です。どうぞ皆さま、よしなに」
そう言って彼女がほほ笑んだ瞬間、男女問わず数人が腰を抜かしてしまう。それほどまでに不思議な威厳と妖艶さを備えた女子学生だった。
「自己紹介につきましては後ほど船内にて、改めて。……ヨミ、いつまで寝呆けているのですか?」
「相変わらず乱暴だなぁ、姉貴はよぉ……。そんなんだからいつまで経っても男の気が――へぶしっ!?」
緋色のマナの光が見えた瞬間、ヨミの姿が掻き消える。一拍遅れで届いた衝撃音と衝撃波。さらに近くの海で水しぶきが上がったことから、アマネがヨミを魔法で吹き飛ばし、海に沈めたのだろうことがうかがえる。
「まぁ、ふふっ。お母さまはもちろん、姉に口答えなんて……あってはなりませんよ?」
口元に手を当てて上品に笑うアマネ。
私用による魔法行使がかすんでしまうほど衝撃的な出来事が、三校生と七校生との出会いの一幕になったのだった。




