朝起きたら超絶美少女とベッドで寝てた
朝の、鳥のさえずりが聞こえる。
最近、アラームが鳴るよりも先に意識が覚醒することが多くなった。歳をとると、朝早くに何もしなくても目覚めると言うが、僕はすでにそうなってしまったのだろうか。どうせアラームが鳴らない限り『現実』に行く気は無いので、勘弁してほしいものだ。
そしてこうなった場合、今が何時かを確認する必要がある。時刻によって二度寝への心構えが変わるのだ。まだ早めの時間なら深い二度寝をしたい。
目をつむりながら、スマホがある枕元の方へ布団伝いに手を動かす。
(……ん?)
すると途中地点で、手が何か異物に触れるのを感じる。
(……なんだこれ?)
と思いながら異物を更に触る。
(柔らかいし……生き物か……?)
しかし、僕はペットを飼っていない。
ペットを飼うなんてのは、一部の特権階級にのみ許される行為だ。それが行える財力も、精神的余裕も僕は持ち合わせていない。
だとしたら、野良犬か野良猫……?
確か寝る前窓を開けていたから、勝手に入ってきた……? 網戸はしていたはずだしこんな陰気臭いところにわざわざ入ってくるだろうか。
触り心地も、犬猫とは違う気がする。犬とか猫ってもっとふさふさしているイメージだ。それよりはなんと言うか、人っぽい。
流石にその正体が気になり、すっかり意識が覚醒してしまった僕は、恐る恐るゆっくりと目を開けた。
「すぅ……すぅ……」
そこには超絶美少女が眠っていた。
透き通るような白銀の長い髪が枕元に広がり、その寝顔はあどけなさを残しながらも、どこか艶やかである。白いフリル系の就寝服。年齢はおそらく中学生くらいだろうか。
そして僕はその少女を抱きしめるような体勢で寝ていて、先ほど触っていた異物は少女の体だった。
「ん……」
僕が硬直していると、少女が目を覚ます。
長いまつげが震え、眠たげに、しかしまっすぐこちらを見上げる。
「ふあぁ……。おはようございます、お兄様」
少女はそう言うと、ゆっくりと体を起こした。
僕の腕が重力に引かれて、彼女の身体を滑る。
「お、おはよう……」
……何だこの状況は?
僕は確か、薄汚れて狭い自室の、布団で、一人で寝ていた。
それが今、西洋風で広い豪華な部屋の、ベッドで、現実離れした美しい少女と一緒に寝ている。
というかこの娘、お兄様って言ったか?
僕に妹はいないのだが……いや――
目を自分の体に向ける。
引き締まった筋肉質な体に長い手足。体を起こすと、身長は180cmは超えるであろうことが分かる。明らかに「僕」のものとは違っていた。
「どうされました? お兄様」
呆然とする僕に向かって少女は不思議そうに問いかける。
どうやら僕は別人になってしまった様だ。
♦︎
状況を整理する。
まず、ここは異世界だった。
そして、この体の持ち主は『クリストファー・グランデ』という名前で、『キリシア国立魔術学院 高等部 先進魔術学科』に通う学生らしい。
あの後「お着替えをするので、自室に戻ってください」と少女に言われ部屋から出て、都合よく隣にあった自室に入り、身辺調査をしたことでそれらは判明した。
なんとも不便なことに、記憶が引き継がれるタイプの転生では無く、『僕』自身にクリスの記憶は一切無かった。ただ、なぜかこの異世界の文字は読むことができたため、上記の情報をクリスの部屋で得ることができた。
どうせなら記憶も引き継いで欲しかったが、他人の記憶を引き継いで他人の体になったら、それはそれで『僕は自我を保てるのか』、といった恐怖があるので、一先ず自分を見失っていないだけでも、良しとすべきなのかもしれない。
そして、もう一つ良しとすべきことは彼が裕福そうだということだ。今いる屋敷は西洋貴族が住むような、立派な屋敷である。いきなりモンスターと戦わされたり、奴隷になったりしなくてよかった。衣食住には困らなさそうで、むしろ、元世界の『僕』よりいい暮らしができるんではなかろうか。
と、状況整理を終えたところで僕は、一旦クリスに成り切ることにした。戻る手立てはさっぱり分からないし、何かアクションを起こすにしても情報を集めたほうが良いと考えたからだ。
まあ、というのは建前で、元世界でも僕は流されるままに生きていたから、僕という人間はそういう人間なんだろう。
流されるままに生きて、淘汰され、敗北し続けてきた。
何かを変えたいと思っていながら、何も行動を起こさずに。
そして現在、僕は食事場にいる。
「いただきます、ミツェルさん」
「い、いただきます」
席で少女と向かい合い、共に手を合わせる。
食事場もかなり広く立派である。メイドがいることからもやはり金持ちなのが伺える。
ただこの場には僕と少女、1人のメイドだけしかおらず、広さに対してさみしい感じだ。
「どうぞ、お召し上がりください」
と、少女の後方に立つメイドは言った。
少女がミツェルと呼んだそのメイドはとてつもない美人だ。赤みがかった茶髪のポニーテール。透き通った薄緑の瞳。落ち着いた声色。
少女と言いミツェルと言い、元世界では目にしたことが無いくらい、絶世の美(少)女である。元世界の僕では、半径10m以内に近づくことすら許されなかっただろう。
そして食卓にはミツェルさんが作ってくれたであろう、パン、コーヒー、サラダ、スクランブルエッグ、スープが並んでいて朝からガッツリである。
僕は一番めにスープを口につける。
すると、脳内に電流が走った。
(うまい……!)
元の世界でまともな食事を口にしていなかったせいか、このスープがすごく美味しく感じる。
元の世界じゃ大概朝飯は抜き、夜は半額弁当、昼は正社員じゃないため社員食堂が使えず、コンビニで買ったもので済ませていた。
この食事はちゃんと今作った出来たてのものだ。
続けてスクランブルエッグを口に含むと、これまた美味しく、次から次へと口へ運んだ。
「ふふっ。お兄様、今日は随分と美味しそうに食べますね」
少女が微笑みながら僕に言う。
がっつき過ぎてしまったようだ。
早速ちょっと不自然に思われてしまったか。
「……えっ!? あ、ああ。美味しいよ。ミツェルさんの作る料理はいつも美味しいさ」
僕は咄嗟に気取って返した。
なんとなく、金持ちっぽい、クリスの見た目に合うようなキザな感じで。
「お褒めの言葉有難うございます」
それを聞き、ミツェルが僕に向かってお辞儀する。
ちょっと不自然に思われたが一先ずセーフか?
金持ちのようだし、もう少し品よく食べるか。マナーとかはさっぱり分からないが、とりあえず落ち着いて食べよう。
僕は一呼吸置き、ゆっくりとパンを口に運ぶ。
「それにしてもお兄様、昨日はびっくりしました」
「ふぇ?」
パンを口に含んでいる最中、少女が追撃してくる。
「急にお部屋に入ってきて、『一緒に寝てほしい』なんて。私ももう子供じゃないので、もうちょっと意識して欲しいです……。まあ、受け入れてしまう私も私なのですが……」
そう言って少女は少し顔を赤くして僕から目を逸らす。
いつも一緒に寝ているわけじゃなかったのか……?
この異世界は妹と一緒に寝ることが普通なのかと思っていたが、そんな事はないようだ。
「……アイラ様、それは本当ですか?」
今まで無表情だったミツェルが怪訝な表情で少女に問いかける。ここで初めて発覚するが、少女の名前はアイラと言うらしい。
「ええ、本当です。ですよね? お兄様」
アイラとミツェルがこちらを見る。ミツェルの方は少し視線が冷たい気がする。
クリスはよりにもよって、この転生のタイミングで、普段しない奇行に及んだということか……?
まあそれが転生に絡んでいるかは一旦置いておいて、とりあえずこの場を切り抜けないと……。
「あ、ああ。昨日は、人恋しくなってしまってね。妹と寝ることはそんなにおかしなことかい?」
僕はあくまで堂々と答えた。
僕で無くクリスがやったんだ。引け目を感じることはない。
「……はぁ。クリス様、アイラ様はもう年頃の乙女です。万が一変な気でも起こしてしまえば大変なことになります。人恋しくなった際は私をお呼び申し付けてくださいまし」
それを聞いて、アイラは食事を止め、ばっとミツェルさんの方を振り向く。
「ミ、ミツェルさん!? それは駄目です! 絶対、ダメ!」
「冗談です。アイラ様」
「ミツェルさんが言うと冗談に聞こえません!」
そう言ってアイラはプンプンとしながら食事に戻る。
アイラは結構ミツェルさんと仲良さげな感じだ。ミツェルさんが冗談を言っているところを見るに、カッチリした主従関係ではなく、友達関係に近く見える。
まあとは言え、ミツェルさんは『様』付けで僕たちのことを呼んでいるし一定の線引きはあるのだろう。
そもそも、僕たちは一体どういう身分なのか。貴族……にしては屋敷は閑散としている気がする。食事場には僕たちだけで、親らしき人も当然のように見当たらない。どこか仕事にでも出ているのだろうか。
「……そういえばお兄様、寝間着のままで食事なんて珍しいですね」
アイラがふと、僕の服に目を留めた。
僕の今身につけている服は寝間着らしい。そしてクリスは寝間着のまま食事をする習慣ではないようだ。
「早く支度をしないと、学校置いて行っちゃいますよ?」
そういえばクリスは魔術学院の学生だった。アイラは茶色の制服っぽい格好だし、食事場には部屋に掛けてあった制服を着て来るのが正解だったらしい。
そして、クリスは妹と通う学校が同じで、かつ、毎朝一緒に登校しているようだ。さすが異世界。
「あ、あぁ、うん。急いで支度するよ」
♦︎
外に出ると、そこはやはり西洋風の街並みだった。
石畳の道。
趣ある石造りの建物。
文明レベルはそこそこ発達しているらしく、道はきちんと舗装されている。
異世界の景色に目を奪われていると、突然、ものすごい勢いで何かが前を通り過ぎた。
「うわっ、とっと……!」
この体の優れたバランス感覚により何とか転けずに済む(本来の体ならこけていた)。
そしてその「何か」の方を向く。
(あれは……車?)
車輪のついた機械が、荷台を引いて道を走っていた。
見た目は無骨で、パイプやギアが剥き出しになっている。
塗装もなく、「動きさえすればそれでいい」と割り切った感じだ。
どうやら、ここは単なる「剣と魔法」の中世ファンタジーではないらしい。
「大丈夫ですか? お兄様」
僕が挙動不審におたついている所を見てアイラが心配する。
「あ、ああうん。ごめん、大丈夫だよ。行こうか」
返事を聞き、アイラは深く追求せずに歩き始める。
しかし、このアイラと言う少女は本当に可愛らしい。
もちろん見た目は超絶美少女ではあるのだが、なんというかそれを度外視しても、不自然なほど愛おしく感じる。仕草も、声も、空気感も、異様なほど「愛おしい」。別人の体だから、と言うのもあるのだろうか。
「お兄様」
不意に、アイラが立ち止まってこちらを向いた。
「な、なんだいアイラ」
「お兄様は突然、いなくなったりしないですよね?」
………………………………………。
「……………何でそんな事聞くんだい?」
「いえ、その……。昨夜お兄様と一緒に寝てて、感じたんです。どこか遠いところに行ってしまうんじゃないかって。目を覚ましたらいなくなってしまってるんじゃないかって」
アイラは、伏し目がちにそう言った。
「僕」はクリスとして生まれ変わったわけでも、クリスの記憶を引き継いだ訳でもなく、クリスの体にそのままの意識を入れられた状態だ。当のクリスの意識はこの体から無くなっている。
つまり、アイラの直感は正しかった。
「い、いなくなる訳、無いじゃないか。現に今、アイラの目の前に僕はこうして居るだろう?」
転生した直後騒ぎを起こすのもどうかと思い、適当にクリスに成り切っていたが、取り返しが付かない事になる前にカミングアウトすべきだったか?
いや、カミングアウトした所でどうこうなるとも思えないが……。
と、内心冷や汗をかき、嘘をつきながら両手を広げていると、アイラが僕に抱きついてくる。
「そうですよね! お兄様は今、ここに確かにいます。いままでも、これからも」
僕は胸あたりに来た、憐れにも安堵するアイラの頭を撫でる。
「あ、ああ。僕たちはずっと一緒だ」
声が少し上擦る。
罪悪感?緊張感?責任感?
うまく言い表せないが、その3つが混ざり合ったような感覚がした。
これはもう引き返せないかもしれない。
♦︎
約徒歩十分で学校に着いた。
門をくぐると、そこはまるでヨーロッパの名門大学のような荘厳な建物群だった。
石造りの重厚な校舎。
広々とした芝生と中庭。
魔術学院というより、小さな都市のようなスケール感だ。
「それではお兄様、また後で」
アイラはにこやかにそう言って、門をくぐって右側の校舎へ向かっていった。
アイラは恐らく別クラス、あるいは中等部ってところか。
……困った。
僕の行き先が分からない。
そういえば、クリスの持っていた学生証には「高等部 先進魔術学科」と書いていた。
不自然かも知れないがとりあえず、道行く他の生徒に「高等部 先進魔術学科」の場所を教えてもらおうかな。
と考えていると丁度、高等部のクリスと似たような濃紺の制服を着た女生徒が通り掛かったので、声をかける。
僕はコミュ障だが、見知らぬ赤の他人には臆しない。
「あの、すいません」
女生徒は振り向く。
「はい、どうしました?……って、えぇっ!? クリス様!?」
クリス「様」?
なんで生徒同士なのに様をつけるんだ?
というかクリスの事を知っているのか。まずいな。生徒の筈のクリス君が校内の道を聞くという奇行が噂で広まるかも知れない。
たぶん高等部っぽいし、一緒に教室に行く提案をしよう。
「えっと、一緒に教室まで行かないかい?」
「へ!?」
言ってから気づいたが、これは道を聞くより酷い奇行だ。下手なナンパである。
「ええとその……とても嬉しいのですが、私なんかがクリス様と並んで歩くのは畏れ多いですし……クリス様は『Sクラス』なのでそもそも校舎が違いますし……あ! いえ! 決して嫌と言うわけでは無くて――」
女生徒の顔はみるみる紅潮していく。とても緊張した様子だ。
やけに畏れられているけど、クリスってそんなに偉い奴なのか? やっぱり、何らかの上級貴族とかなんだろうか。
校舎は違うと言ってるし、悪いことをしたな……。
「クリス君、何やってるの?」
後ろから声がかかる。
振り向くとそこには超絶美少女が立っていた。
クリス同様の制服。髪色は淡く赤みがかっていて、ツーサイドアップ。透き通った水色の目。そして圧倒的な存在感を放っている。
クリスを知っている事、話しかけてきた事を考えるに彼女はクリスの友達だろうか。
「何で他学科の女の子にちょっかい掛けてるの? もしかしてナンパ? へぇ、ふぅん、凄いね。クリス君って朝っぱらから他学科の女の子にナンパするような人だったんだね〜」
怒ってるのか……?
表情は笑っているが語調と雰囲気から威圧感を感じる。
「あ……私はこれで失礼しますね!」
僕がナンパした女生徒は去っていった。
ともあれ、良かった。「他学科の女の子」と言っているしたぶん彼女はクリスと同じ学科だろう。彼女に連れて行ってもらおう。
「あ、いや、別にナンパじゃ無いんだけど……。君、良かったら僕と一緒に教室まで行かないかい?」
それを聞くと彼女は僕を無視して歩き始める。
僕はそれに恐る恐る付いて行った。
♦︎
同じ学科の女子とバッドコミュニケーションする犠牲を払うことで、何とかクリスの教室にたどり着いた。彼のクラス、先進魔術学科は門からかなり奥の、人気の少ない校舎の3階にあった。
例の少女が教室に入っていくのを確認してから、タイミングを見計らって僕もそっと入る。
「お、おはようございます……」
誰に届くでもない小声で挨拶する。
教室には、二十人ほどの生徒たちがいた。
それぞれ思い思いに雑談していたり、本を読んでいたり。
日本の高校と、大して変わらない空気感だ。
僕はこそこそと空いていた窓側最後尾の席に座り、一息つく。(教室後ろの座席表を見て座る場所が分かった)
教室に着くだけでここまで苦労するのに、これからやっていけるのだろうか。
授業を受けるだけなら楽だが、「魔法実践してもらいます」とか言われた日には絶望である。