転生前
「お前、これで本当に通ると思ってんのか?」
「あ……その……はい……」
「この出来で通るわけねえだろ! お前さ、本当にやる気あんの? 仕事舐めてるようにしか見えねぇんだが」
「……」
「黙ってんじゃねえよ! やる気あんのかって聞いてんだよ!!!」
令和の時代にふさわしくないそれは決して狭くはない大企業のオフィス内、多くの社員の前で、堂々と行われていた。
男は十五分ほど叱責を浴び続け、ようやく解放されると、うなだれたまま自席に戻る。
「……はぁ」
男が深いため息を吐くと、隣席の先輩社員が声をかけた。
「あんまり気にすんなよ。俺だって昔はそんなもんだったしさ」
先輩社員はモニターから視線を外さないまま、軽く男の肩を叩く。
「上司だって、期待してるからこそ叱ってんだ。自信、なくすなよ」
「は、はい……」
「それに――」
先輩社員は、ふっと笑って言った。
「あいつらよりお前は確実に優秀だよ」
先輩社員は、僕たちに向かって指をさす。
客先常駐。
つまりこの大企業の社員でない、人材派遣会社の社員である僕たちに。
僕たちはこの大企業で「誰にでもできる仕事」をやっている。
だから当然ここの社員達には大きく待遇が劣っているし、見下されている。
「そ……そうですね……! 俺、頑張ります! 」
男は嬉しそうに拳を握った。
僕たちは死んだ魚の目をしながら単純作業を淡々とこなす。
♦
「ンガァッ……ッペッッ!!! 」
仕事終り、オフィスに向かって痰を吐く。
監視カメラも人の目もない絶好の位置で痰を吐くのが僕のルーチンワークだ。
「あぁすかっとした」
能力で勝てない僕に唯一出来る対抗手段。
「そもそも、正社員ってだけでマウントを取ってるのは滑稽だね。どっちにしても同じ、奴隷みたいなもんなのに……まあ、あいつらに搾取されてる自覚はないんだろうけど。結局奴隷は奴隷なりに、楽な仕事を適当にやって、適当に食っていければ、一番良いってことに気づいてないんだ」
ルーチンワークを終え、負け惜しみを言いながら東京都市部の無駄に人が多い中を歩き、駅に向かう。
帰宅中のサラリーマンやら何やらが蠢いていて、今日は特に蒸し暑く、空気が悪い。
外でさえ、こんな有様だ。
電車の中は地獄だろう。
憂鬱な気持ちになりながら、ホームへの階段を登る。
「うげぇ」
ホームは人だらけ。ちょうど今電車が来ていて人が乗降中だが、これは次の電車に乗るしかないだろう。ぎゅうぎゅう詰めで。
しばらくして次の電車が来る。
僕は覚悟を決めて人の流れに乗り、乗車した。
ところでみんなは満員電車の『立ち位置』の序列を知っているだろうか?
序列1位は言うまでもなく席に座っていること。
そして最下位は乗車入り口付近だ。一番人口密度が高く、安定しない。
では僕はどこを狙うべきなのか。
答えは序列2位の優先座席前のスペースである。
車両端に位置していて、立ち位置の中で最も人の流動が少ない。
満員電車であったとしても、その空間を確保すれば幾分かマシである。
もっとも、1位との快適度の差は2位3位のそれと比べ物にならないくらい大きいけど。
そして今日は運がいいことに数駅を進んだ所で車両端の壁隣を確保することができた。
僕はポケットからスマホを取り出す。
無意味で無価値なネットサーフィンとソシャゲで脳を溶かしながら持ち手を掴み、車両の壁に寄りかかる。
ああ、この脳を溶かす瞬間が最高に気持ちいい。
不幸で何の楽しみもない僕の唯一の微かな幸せ。
結局、幸せなんて人それぞれだ。
人には程度の差はあれど誰もが不平等で、A5和牛を何の感情もなく食べる金持ちもいれば、一食四百円の牛丼を週一のご馳走として食べる事を幸せに感じる貧乏人もいる。
それこそ僕だって、健康に毎日働ける体を持ってる時点で体が不自由で不健康な人からすれば羨ましいものなのかもしれない。
アフリカでは子供が死んでるらしいし、この日本でぬるく生きていける僕はそれだけで十分幸せだ。
「って思えたらどんなに幸せなんだろう」
♦
スマホに夢中になっていたら、気づけば布団の上にいた。
歩きスマホ、ながらスマホでここまでの動作1つ1つが無意識に行われていた。
みんなも、スマホを見ながら歩いていたら気づけば目的地に着いていることあるだろう?
僕はその所作をマスターしているため大規模な場面転換が起こる。スマホを弄っていたら異世界に辿り着いていたなんて事も僕なら起こり得るかもしれない。
「ああああああ……寝たくねええええ……」
寝たら『現実』に場面が転換する。
今までと、これからの自分の人生を否定する『現実』に。
『現実』は僕のすべてを否定する。
そして突きつける。
お前は勝ち組にいいように使われて終わりだと。
お前は一生見下され続ける負け組だと。
いっそそれを受け入れることが出来たらいいのに。
大抵の人間は受け入れているのに。
しかし僕はそれが嫌で嫌でしょうがないほど負けず嫌いな負け犬だった。
僕は心のどこかで、いつか覆してやると、復讐してやると、勝利してやると信じていた。
今まで、いじめられようが受験に落ちようが女子にキモがられようが就活に失敗しようが、「まだだ、まだ巻き返せる。どこかで成功すれば、まだ人生に勝利することができる」と心のどこかで信じていた。
それが『現実』にいると霞んでいく。
『現実』にいると何も見えなくなる。
いやむしろ、一生このままの自分で生きていくビジョンが鮮明になっていく。
だから僕は目をつむり願うしかない。
目を覚ましても『現実』に場面が転換しない事を
ここじゃないどこか、いっそ異世界にでも自分がいる事を
♦
(ん……? なんだここは……?)
気が付くと、僕は真っ白な空間で仰向けになっていた。
(夢……?)
戸惑いながらもひざに手をやり体を立ち上がらせる。
と同時に、背後から気配を感じ、僕は体を振り向かせた。
「…………」
するとそこには、スーツのような服の男がうなだれて椅子に座っていた。
長身。黒髪のクセ毛。
西洋人のような整った顔立ちだが、目に生気はない。
男は僕を見上げると、ぎこちなく口を開いた。
「……あ……ああ……」
そして、ぎこちなく立ち上がる。
「きみが……君が!……そうなのか。そうか……。初めまして、いや……挨拶の必要はないか。どうせ忘れるんだ。意味がない」
声のトーンや感情に起伏がある。口角を上げているが引きつっている。
「き、君は誰だ……?」
「僕? ……僕は、クリスだ。クリストファー・グランデと言う。ああいや。もう、そうでは無くなるのか……。僕はここに来た時点で終わっている。だから、その問いに答えるとしたら、僕は君だ」
男は、引きつった笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。
「……っ!?」
異様な雰囲気に、僕は本能的に逃げようとした――が、体が動かない。
男はすぐ目の前に立つと、僕の頭を両手で鷲掴んだ。
脳が焼けるような熱を感じる。
何かが流れ込んでくる。
「がっ……!」
抵抗しようにも、力が入らない。
必死にもがくが、無駄だった。
男はぼそぼそと何かを呟きながら、僕に何かを注ぎ込み続ける。
♦
「っ……はぁ……はぁ……」
しばらくして解放される。同時に体の硬直が解け、僕はその場に倒れ伏した。
「ふ、ふざけんな……お前、僕に何したんだよ」
「準備だよ。君が、僕になるための。ある程度の定数項がどうしても必要だったんだ」
男は、静かに頭を下げた。
「本当に、申し訳ない。……ごめんなさい、すみません……」
男は謝罪を繰り返す。
それが本心からの謝罪なのか、上辺のものなのか、表情からは分からない。
「けど、君にしかできないんだ。君にしか運命を変えることが出来なかった。君にしか、世界を救うことが出来なかった」
そして何を言っているのかも、全く分からない。ずっと僕に話しかけてはいるものの伝えようとする気が全く感じられない。
「僕はそろそろいくよ……。あとは……アイラを頼んだよ」
「な……ま、待っ……」
何一人で勝手に満足してるんだよふざけんな待てよと声に出して引き留めたかったが、声は上げられなかった。
ここで僕の意識は消失した。




