第18話 約束の新米おにぎり
「お主には、その姫君を診に色川へ行ってもらいたいのだ」
「ええ? いきなり他家の、しかもお姫様ですか?」
「うむ。実は以前から、お主の噂を聞きつけた色川家より話が来ておった。だが、素性の知れぬ者を、当家の名で送り出すわけにはいかなんだ」
「俺、指名だったんですか?」
「そうだ。今はお主の働きぶりも分かっておるし、松庵殿も腕を認めておる。わしも責任を持って送り出せる」
「いや、でも……。もし治せなかったら、外交問題になったりしませんか? 俺、そんな自信ないですよ」
「何も、必ず治してこいと申しておるわけではない。まずは診て、お主にできることを考えてくれればよい。何かあれば、わしが責を負う」
「それは分かるんですけど……」
うーん。そう言われてもなあ。
「ふむ。そういえば、信之。一つ伝え忘れておった。近う寄れ……」
何だろう?
殿に近寄ると、何やら楽しそうな顔で耳打ちしてきた。
「その姫君は、名を桜という。満開の桜にも劣らぬ美しさから、桜花姫とまで呼ばれておる絶世の美女だそうだ。治療がうまくいった暁には……。どうだ、少しは行く気になったか?」
「あ、まあ、えっと、そんなに綺麗な人なんですか? ……うん。殿がそこまで言うのなら、この家の薬師として行かないわけにはいきませんね」
ぎゅぅぅっ!
「痛ててっ!?」
お尻に、鋭い痛みが走った。
見ると、いつの間にか千代さんが俺のすぐ後ろにいる。
「内緒話のつもりでしょうが、全部聞こえてましたよ! 信之殿!」
「は、はいっ!」
「ずいぶん急に、やる気になられましたね」
「いや、違うんです! これは薬師としての責任感で……!」
「父上もです」
「む、わしか?」
「お二人とも、病に苦しんでいる方のお話をしているのですよ。何を考えているんですか、不謹慎です」
「……すまぬ」
「……すみません」
「さて、話を戻すが、実は姫君は色川家の姫ではない。清水家の姫でな」
「清水家?」
「うむ。清水家は色川家と古くから結びつきが深く、共に色川の地を治めておる」
「当家は色川家とは付き合いがあるが、清水家とはこれまであまり縁がなくてな。それゆえ、此度は色川家が間に立ったのだ」
「なるほど……」
「……また千代に叱られそうだが、近ごろの情勢を考えると、色川を治める家々とは今のうちに結びつきを強めておきたい。清水家とも縁ができれば、なお心強いのだ」
「それから、千代」
「はい、父上」
「お主は此度も信之に同行してくれ。先方との話は、お主に任せる」
「はい。承知いたしました」
えっ、千代さんも一緒なの?
「ああ、よかった! 千代さんがいてくれるなら心強いです」
「……信之殿」
「はい?」
「念のため言っておきますが、くれぐれも桜姫様に失礼のないようにお願いしますよ」
「大丈夫ですって、仕事ですから!」
……なんか信用されてない気がする。
「それで、殿。姫君はどんな病気なんですか?」
「詳しいことは分からぬ。以前から身体が弱く、腹を痛めたり、食が細くなったりしておるそうだ。近頃は床に伏すことも増えたと聞いておる」
「そうですか……。今までに診てもらったお医者さんは?」
「何人か診ておるそうだが、芳しくないらしい」
「……そういえば、松庵先生は診ていないんですか?」
「松庵殿か。いや、診たとは聞いておらぬ」
「そうですか……」
あの先生が診ていたなら、何か手がかりがあるかもしれないと思ったんだけどな。
「分かりました。それならまずは直接診てみます」
「うむ。頼んだぞ」
「それで、いつ出発すればいいんでしょう?」
「先方にはすぐに、お主らが向かうことを知らせる使いを出す。支度もあろうから、三日後の朝に発ってもらいたい」
「滞在は、病の具合によっては長引くやもしれぬな。お主はどう思う?」
「実際に診てみないと分かりません。でも、長く患っているようですし、治療に何か月もかかる病気かもしれません。しばらく滞在して、様子を見る必要はあると思います」
「千代、道中や先方での滞在については、お主に任せる」
「はい、父上。支度を整えておきます」
……思っていたより、大きな仕事になりそうだな。
◇
三日後、出発の朝が来た。
色川へは、那智の滝を望む山道を登り、妙法山を経由して山を越えていく。
険しい道が続くため、余裕をみて途中の宿で一泊する予定だ。
朝の山道では、杉の木立ちを吹き抜ける冷たい風が頬をなで、湿った土の匂いが漂っていた。
「長旅になりそうですけど、今日は晴れて良かったですね」
「そうですね。それにしても信之殿、先ほどからずいぶん足取りが軽いですね」
「えっ、そんなことないですよ」
「桜姫様に会うのが楽しみなんでしょうね」
「いや、それは……あっ、那智の滝だ!」
杉の木々の間から、白く光る一筋の滝が見えた。
「そういえば、那智の滝って滝自体が神様なんでしょ? せっかくだから、ここからお参りしておきましょうよ」
「信之殿のいた時代でも、同じなのですね。ええ、そうしましょう」
千代さんと並んで、滝の方へ手を合わせた。
どうか、無事に色川へたどり着けますように。
あと、桜姫様の病気が少しでも良くなりますように。
「うん、なんかうまくいきそうな気がしてきた!」
◇
山道を歩き続け、日が高くなったころ、少し開けた場所に出た。
眼下には那智の山々が連なり、その向こうには海まで見える。
朝から登り続けて疲れたけど、いやあ、いい眺めだ!
「信之殿、そろそろお昼にしませんか?」
「いいですね! ここなら景色も良いし、ちょうどお腹が空いてきたところでした。今日の昼飯って何ですか?」
道の脇にちょうどよさそうな岩があったので、二人で並んで座った。
「ええっと……以前、信之殿と約束していた新米のおにぎりなんですが……」
「えっ、本当ですか!? 千代さんのおにぎり、俺の大好物じゃないですか。しかも新米!」
千代さんが竹の皮の包みを取り出した。
でも、なかなか渡してくれない。……ん?
「どうしたんですか?」
「いえ、その……少し、出来が気になって……」
「ああ、形のことですか? 前に食べたときは全然気にならなかったですよ。おいしかったですし」
「今回は形だけじゃないんです。ご飯を焦がしてしまって……」
「えっ、そうなんですか?」
千代さんは少しためらってから、包みを差し出した。
確かに、少し香ばしい匂いがする。
「じゃあ、いただきます!」
包みを開けると、おこげの混じったおにぎりが入っていた。
一口頬張ってみる。
「あ、おいしい! 俺、おこげも好きなんですよ。これ、いいですね!」
でも、千代さんはなぜか浮かない顔をしている。
「……信之殿、申し訳ありません」
「えっ? 突然どうしたんですか?」
「以前、新米のおにぎりを作るとお約束したでしょう? 色川へ行ったら、新米の時期を逃してしまうかもしれませんから、出発前に作っておこうと思ったんです」
「そうだったんですか」
「それなのに、慌てて用意したせいで焦がしてしまって……」
俺のために、そこまで考えてくれていたのか。
「ありがとうございます、千代さん。俺、すごく嬉しいです!」
「ですが、せっかくの約束なのに、こんな出来では納得できません」
「え? でも、十分おいしいですよ」
「人に何かを任せる立場にいる私が、自分の約束もきちんと果たせないようでは、示しがつきませんから」
ええ? そんな大げさな話なのか!?
まあ、確かにちょっと苦いおこげが混じってる部分はあるにはあるけど……
「でも、俺は全然気にしてないですよ?」
「信之殿が気にされなくても、私が気になるんです」
ああ、そうか。
以前、千代さんのお父さんが言っていたことの意味が、少し分かった気がした。
苦手なことや困ったことがあっても、人に頼れず、何でも自分で完璧にやろうとする……。
千代さんは、村のことも家のことも、当たり前みたいにこなしているけど。
俺だったら絶対に無理だ!
「千代さん」
「はい」
「俺、実はこのおにぎりを食べて、ちょっと安心したんです」
「安心、ですか?」
「はい。千代さんも、俺と同じ人間なんだなって」
「私は元々人間ですよ?」
「あっ、いや、そういう意味じゃなくて!」
「千代さんって、いつも一人で何でもできるでしょう? どうしてそんなにちゃんとできるんだろうって、ずっと不思議だったんです」
「もしかして、ずっと無理してたんじゃないですか?」
千代さんは、すぐには答えなかった。
「そうかもしれません。でも、私は一人娘で姫です。そう簡単に弱音を吐いてはいられませんから」
それは分かるんだけど、それはしんど過ぎるよ。
「姫の立場的にはそうかもしれないですけど、何でも完璧にっていうのは、さすがに無理じゃないですか?」
「そうでしょうか」
「俺を見てくださいよ、毎日失敗ばっかりしてるでしょ?」
「ああ、確かにそうですね」
「そこは形だけでも少し否定してほしかった!」
「あっ、ごめんなさい。ついうっかり……」
まあ、それは本当のことだから何も言えない。
「でも、そんな俺でも、何とか今までやってきてます。失敗しても、千代さんとか、周りの人が助けてくれますし」
「信之殿らしいですね」
「まあ、千代さんは姫様だから、俺みたいにはいかないかもしれないけど……」
なんて言ったらいいんだろう……?
おにぎりを持ったまま、ちょっと考える。
「みんなの前では難しいかもしれませんけど、少なくとも、俺の前ではそんなに無理しなくてもいいと思うんです。もうお互い、得意なことも苦手なこともいろいろ分かってきてるじゃないですか?」
「確かにそうですね」
「それに、ご飯をちょっと焦がしたくらいで、今さら俺が千代さんを見る目なんて変わるわけないでしょ」
「…………」
あれ? 返事がない。
顔を見ると、涙が一筋、頬を伝った。
「ええっ!? ち、千代さん!?」
まずい! 泣かせてしまった!
「ええっと、ごめんなさい! 俺、何かまずいこと言いました?」
「いえ、すみません。何だか急に気が緩んでしまって」
千代さんは少し恥ずかしそうに、涙の浮かんだ目でこちらを見た。
「……私、少し疲れていたのかもしれませんね」
目元を指で拭って、それから笑った。
「ありがとうございます」
「いや、俺、何もしてませんけど」
「いいえ。嬉しかったんです。信之殿の話を聞いて、なんだかとてもほっとしました」
「そうですか」
……なんか照れるな。
でも、こういうときって、何て言えばいいんだろ?
「あの、千代さん」
「はい?」
「と、とりあえず、お昼の続きにしません? おにぎり、残りを早く食べたいです」
「そうですね」
千代さんが、包みからおにぎりを一つ取り出した。
少し眺めてから、口に運ぶ。
「どうです?」
「思っていたほど、悪くありませんね」
「でしょ!」
「確かに、おこげも香ばしいですね」
「そうでしょう! 俺、これ好きですよ」
「信之殿」
「はい?」
「また、作ってもよろしいですか?」
「もちろん! お願いします!」
「次は、ちゃんと焦がさずに作りたいですね」
「あ、でも、おこげは少し入っていてもうれしいです」
「それでは、また失敗じゃないですか?」
「だって、俺が食べるんですよ? 俺がおいしいと思えば、それで大成功じゃないですか!」
「そんな理屈が通るんですか?」
「まあ、それでいいじゃないですか!」
「もう、信之殿……」
千代さんが笑った。
俺も、もう一口おにぎりを頬張った。
「あ、千代さん。これ、もう一個食べていいですか?」
「ええ、どうぞ。まだありますよ」
「やった!」
「でも、あまり急いで食べないでくださいね。午後もまだ歩くんですから」
「大丈夫ですって!」
「信之殿の大丈夫は、あまり当てになりませんから」
千代さんは、そんな俺を見ながらおにぎりを食べていた。
うん。やっぱり、おいしいな。新米。




