第21話 悪役令嬢と向き合うこと
「おい、大丈夫か?」
頭上から聞こえてくる声に、少しだけ目を開けると、凄い近距離にブルーノの顔があった。
「っ!」
「あっ、目が覚めたようですね。良かったです」
さらにマイナの顔も大きく見えて、ボクは戸惑った。
これは……どういう状況? いや、思い出せ。直前の記憶を。確かボクはブルーノとマイナの様子を窓越しに見ていて、それから……そうだ。頭をぶつけたんだった。鳥の姿で……鳥の姿!?
「ピピっ」
咄嗟にピョンと起き上がり、羽を広げて見せる。ブルーノはともかくとして、マイナの前では鳥、ということにしておかないとマズいのだ。ボクが魔女だということを知られるわけにはいかない。
だけどこういう時、困った奴がこの場にいることを、ボクは失念していた。そう、空気を読めない、いや壊す男がいる、ということに。
「普通に話すか、返信を解くかにしろ。マイナには事情を話してある」
「っ! このバカ者が!」
ブチっと切れた瞬間、条件反射のように元の姿に戻ったボクは、浮いた状態のまま、箒でブルーノの頭を叩いた。
「ってぇ!」
「自業自得だ。気遣いも優しさもないバカ者には、これくらいのお仕置きが必要だからね」
「な、何をするんですか、いきなり。この人は私の恩人なんですよ」
なぜかマイナが、頭を押さえるブルーノに駆け寄り、労わる姿を見せた。
恩人っていうけど、その男は君を破滅に追いやる存在だったんだよ? 今はもう婚約者でもなんでもないから違うけど。それでも警戒くらいはしてほしかったかな。
「いや、このくらいの方がユニティらしくていい。どうやら元に戻ったらしいな」
「……もしかして、わざとやったのか? 性格悪いぞ」
「それはお互い様だろう。すまないな、マイナ。君の恩人は俺ではなく、彼女だ。ユニティが君を助けたいと願ったから、俺は君を助けたに過ぎない」
ブルーノは立ち上がりながら、マイナの手をどかした。
「で、でも……私は……」
「ごめんね。いきなり見苦しい姿を見せてしまって。怖かっただろう?」
ボクは気遣いもできないブルーノを無視して、マイナに向き合い、回復魔法を施した。すでに変身魔法で正体がバレている以上、遠慮をする必要はなかった。
マイナ……ミルドレッドをこの工房で見た瞬間、ずっと治してあげたかったんだ。叩かれた頬だけでなく、服の袖から見える擦り傷や痣。指先も荒れていて、涙が出そうだった。その姿があまりも想像以上に酷かったものだから、ショックで出なかったけど。
「……私はいいんです。慣れているので。それがどのくらい痛いのか、というのも」
「慣れちゃいけないよ。それにボクたちの場合は、ちゃんとその後、回復魔法で痛みさえも治しているから大丈夫」
「それは俺の台詞だと思うが……でも、確かに慣れるのは良くない。あと俺たちのは……なんというか、マイナのとは違うから安心しろ」
いや、これも違うな、と後ろでぶつくさ言っていたが、マイナの表情が和らいだので良しとした。
「よく分かりませんが、お二人がそういうのなら、問題ないということなんですね」
「親愛の証のようなものだ」
「親愛?」
ボクはそんな意味で叩いていたわけではないんだけど?
「さっきまで、ユニティはマイナのことでへこたれていたんだ。普段は俺のことを箒で叩くような女が、だぞ。だからこれはこれでいいんだ」
「……ブ、じゃなかったルーノ。それを本人の前で言うのは……」
「いいじゃないか。俺はまだ、針子たちから話を聞けていない。お前はお前で、マイナと話すことがあるだろう?」
「っ!」
なんなんだよ。空気が読めない言動をしたり、突然気を遣ってきたり……調子が狂うじゃないか。
けれどこの状況に戸惑いを見せていたのは、ボクだけじゃなかった。マイナだ。突然現れたばかりか、恩人に手を挙げた暴力女と話せと言われれば、誰だって戸惑うだろう。
そんな一歩踏み出せない二人を余所に、ブルーノはさっさと部屋を出て行ってしまった。
取り残されたボクは、改めてマイナを見る。痛んだ肌と髪は、ボクの回復魔法でも治せるものではない。けれど公爵夫人に似た品と美しさは損なってはいなかった。
パティが妬んだのは、何も親の関心や愛情だけではなかったのだろう。マイナの洗練された美しさと比較されるのが嫌で、表に出したくなかったのかもしれない。パティは……ダーラによく似ていたからだ。
公爵夫人に仕えていた乳母のダーラ。その二人に似たマイナとパティ。二人並んだら、誰がどう見ても、主人と侍女に見えてしまう。
そんな理不尽な嫉妬を、当たり前のように享受させていたなんて……ボクは言葉を発するより前に、体が動いていた。
「えっ! あの……」
急に抱きつかれて、マイナが戸惑いの声を上げる。だけど抵抗する様子はなかった。ボクはこれ幸いにと、そのままの体勢で話し始めた。
「ごめんね。様子を見に来るのが遅くなって。ずっと、君が幸せに暮らしていると思っていたんだ。ボクの判断は間違っていなかった、と思いたくて。でもそれはボクのエゴだった」
「な、何を、おっしゃっているんですか?」
「ボクはね……君を祝福した魔女だ」
「えっ……では、あなたが私を助けてくれた、魔女様?」
ダーラから何を聞いたのか、そこで瞬時に理解した。本当の家族から引き離されたことを、マイナに納得させるために、都合よく改変したのだ。
「今、辛い状況なのに、ボクを恨まないのかい? 本当の家族のところにいた方が、幸せだったかもしれないんだよ」
「……さっきまではそう思っていました。でも、ルーノさんに言われて、気づいたんです。私の過信が、この状況を招いたんだってことに。自分にしかできない。自分がやらなければ、パティが困る。ダーラが困る。皆が困る。私は可哀想なんだ。本当の家族から引き離されて、私は可哀想だから、これくらいやって当然なんだって。それもまた、間違っていたんですよね」
「誰にも迷惑をかけない生き方はできないよ。ドレス作りだってそうだ。マイナが刺繍をして、針子たちが縫い合わせていく。一人でドレスを作っているわけじゃない。本当の家族から引き離されたことも、嫌なら嫌だって言ったって良かったんだよ。声を上げれば、皆、君のために考えて動くから」
ダーラが公爵に報告をして、マイナを引き取っていたかもしれない。表には出せなくても、カーマイン公爵家にとっては、それが一番幸せな形になる。
「だけど、結果論でしかないよね。今更、こんなことを言っても」
「……そんなことはないです。もう手遅れだったら、ルーノさんは私に指摘などしないでしょうから」
「う~ん」
それはどうかな、考えなしに言ったとも思えるけど、これは言わないことにした。マイナのやる気に水を差したくなかったからだ。
ボクはマイナを離し、真正面から彼女を見つめる。その目はもう、ボクに対する疑念を抱いていない目立った。恨みの色も見えない。だからボクも堂々と言えた。
「君はどうしたい? ボクは君の願いを叶えたい。本当の意味で、君を助けたいんだ」
「……この状況を変えたいです。ううん、抜け出したい。それから……本当の家族にも、会ってみたいです」
「それによって、誰かが被害を被ることになる。その覚悟はある?」
マイナは言った。「自分がやらなければ、パティが困る。ダーラが困る。皆が困る」と。その優しさは美徳だけど、今は邪魔でしかない。
なにせボクは、これからそのパティに制裁を加える。マイナを、ミルドレッドを傷つけた者を許す気はないからだ。
「はい。たとえ、恩を仇で返すことになっても」
「いい覚悟だ。それにダーラも、覚悟は出来ているよ」
「それならば、今、任されている仕事はちゃんとやらなければ、ですね」
「どうして?」
「最後の仕事かもしれないからです」
「そうだね」
ボクは仕事に取り掛かるマイナを目で追った。





