食堂で地雷処理
ニーヴァを後にした蒼一とブリ雄は今、夕暮れの大通りを北に向かって歩いて行き安くて飯の美味いオススメの宿を目指していた。
「今日は今までの人生の中で一番濃い一日だったな……」
今の蒼一に人生という言葉が適切かどうかは怪しいが、転生してからずっと過ごして来た孤島を飛び出し、レヴィアタンとの対決を越えて西の大陸に辿り着き、数時間のモンスター狩りを経た後、ドザードに襲われているガルフ達を助け(?)、ガルフ達の協力で街に入ってニーヴァへと行き、交渉の末にモンスターを査定し即日で貰える分だけを受け取り今に至る。
蒼一が世界として転生してからも、そして生前の人生まで遡っても今日という一日の密度は段違いの濃さだ。
肉体的な疲労は全くとって良い程無い蒼一だったが、精神的な疲労は確実に感じており、今日はもう宿でゆっくりする事しか考えられなくなっていた。
「蒼一様、こちらです」
「ん?おぉ」
ぼんやりとしていたせいで目的地の前を通り過ぎようとしていた蒼一をブリ雄が呼び止め、蒼一がブリ雄の隣まで戻り、ブリ雄が見ている建物を見上げる。
「ここか」
視線の先にあるのは木造三階建ての建物で丁度夕飯の時間だからか入り口からは大勢の人間の活気ある声が聞こえる。
その声に誘われるように扉を開き中に入ると、案の定大勢の人間がテーブルを囲み出来立ての料理に舌鼓を打ちながら和気藹々と会話を楽しんでいた。
そんな雰囲気に二人が呑まれていると店員と思わしき女性が近づいて来る。
「いらっしゃい、お二人様?」
「あ、はい、泊まりたいんですけど部屋空いてますか?」
「残念ですけど二人部屋は空いてないですね。一人部屋を二部屋なら用意出来ますが」
「ブリ雄、それで問題ないか?」
「構いませんが値段は先に聞いておくべきかと」
「そういやそうだった。一部屋の値段はいくらです?」
「一泊三千円になります」
「安いな……素泊まりでそれですか?」
「素泊まり?えっと、普通の宿泊ですけど」
「……おぉう」
女性の反応を見て蒼一は素泊まりという言葉が通じなかった事を理解する。
これは単純に素泊まりに相当する単語が別に存在するのか、相手に伝わるように蒼一は言葉を選んで話す。
「その三千円に食事代って入ってます?」
「そんなの入ってませんよ。うちは食堂でもあるので食事が必要ならここで注文して頂ければ良いですし、宿泊費に含める必要があるんですか?」
女性が口にした内容から蒼一は素泊まりという単語が伝わらなかった訳を理解する。
(食事付きの宿泊って考え自体が無いせいで宿泊と言えば部屋を借りて寝るだけって事なんだろうな。だから食事無しの宿泊を意味する素泊まりって言葉が伝わらなかった訳か)
慣れ親しんだ日本語で会話している筈なのに噛み合わないという状況に微妙な違和感を感じつつも、蒼一は二部屋借り、そのまま夕食も注文する事にした。
テーブルに案内されメニューを渡された二人はじっと手元のメニューを睨むように見つめる。
「さて……まぁ予想はしてたけど」
「これは、どう判断すれば良いのでしょうね」
蒼一とブリ雄の手の中にあるメニュー、そこにはここで食べられる料理の名前が並んでいる訳だが、その料理の名前も管理神の微妙に融通の効かない翻訳が働いていた。
「"ポノボンノの厚切り焼きに揚げた芋"か。このポノボンノが訳されてないって事はこの世界固有の何かなんだろうけど……問題は肉なのか野菜なのか、それ以外の何かなのか」
「ステーキと訳されていたなら肉と判断出来たのでしょうが、単純に厚切り焼きだけだと野菜の可能性も捨てきれませんね」
「いやでもステーキって肉以外の素材でも使われたりするし仮にステーキと訳されてたとしても肉料理とは限らないぞ。というか焼いた野菜に揚げた芋って取り合わせとして有りなのか?。普通に考えたらこの厚切り焼きは肉のステーキの事で揚げた芋はその付け合わせってのが俺の予想なんだが」
「ビフテック&フリットですか。確かにそれが可能性としては一番高いですね。ただその場合、このポノボンノが何の肉かって事になる訳ですが」
「多分モンスターだよなぁ……ブリ雄の知識にも勿論無いよな?」
「あったらこんな風に悩んでませんよ。ただ他のメニューを見る限り、何かわからない固有名詞だらけですし、避けて通る事は出来ないかと」
「食事しに来てんのになんで地雷処理の気分になってんだろうな……」
それからメニューを見ながらあーだこーだと話し合う二人、翻訳されていない固有名詞もそれが何か理解出来ない事が問題だったが、翻訳されている部分も別の意味で問題だった。
「"ストラピオの煮込み"とか"ゴーゴルの煮込み"とか、やたらと煮込みが多くないか?」
「恐らくスープの類も"煮込み"と翻訳されてしまっているのではないでしょうか。メニューを見る限りスープらしき物の名前がありませんし」
「流石に神様でもそこまで適当な翻訳はしないだろ……単純にこの店で汁物を扱ってないだ、け……」
そう言いながら周囲を見回した蒼一の目に映ったのは美味そうにスープを啜る客の姿。
「ありますね、スープ」
「あったなぁ……って事はマジでスープも煮込み料理判定なのか」
「シチューを頼んだつもりがオニオンスープが運ばれてきた、なんて事になりかねませんね」
「取り合えず煮込みは避けるか」
二人は他の客が食べている料理を見ながら恐らくこの料理があれじゃないかとあたりを付けつつ、二人は注文する者を決めて店員にその料理を注文する。
普通ならここで店員に直接どんな料理か聞けば良いものを、蒼一はブリ雄と相談してる内にこの何が出てくるかその時まで分からないという状況がちょっと楽しくなってきてしまい、敢えて料理の詳細を尋ねるような真似はしなかった。
ブリ雄も蒼一のそんな考えを雰囲気から感じ取り、自分だけ聞くのも無粋と蒼一に合わせる。
二人が頼んだのはまず大丈夫だろうと判断したライ麦パン、ライ麦とは書かれているが多分翻訳でそうなってるだけで違う種類の可能性はあるが取り合えずパンというのだからそれ程変な物が出てくる事は無いだろうと予想しこれは二人分注文した。
次はお互いのメインで蒼一が頼んだのは"ニョモールの刺身"というまさかの生らしき料理で、一方のブリ雄が注文したのは"ポノボンノの厚切り焼きに揚げた芋"でブリ雄がビフテック&フリットに似た何かと予想した物だ。
「ブリ雄は安牌で行ったか」
「そういう蒼一様は少々冒険し過ぎなのでは?。良く分からない物の刺身を注文すると言うのは正直言って暴挙にしか思えませんが」
「ふふふ……実はそうでもないんだなぁこれが、向こうのテーブルを見てみろ」
流石に食事中の人間を指差すのもアレなので視線で誘導し、ブリ雄はとあるテーブルで食事する一団、正確にはそのテーブルの上にある幾つかの料理の中で一つの料理に目が止まる。
それは平皿の上に並べなられた生の魚の切り身らしきものに薄緑色のソースが掛かった料理だった。
「あれは、カルパッチョですか?」
「あぁ、多分あれが"ニョモールの刺身"だ。他のテーブルを確認する限りは刺身に該当しそうな料理はあの一種類だけだし、メニューにも刺身は一種類だけで他に生らしきものは見当たらないからな」
途中から楽しくなってきたとはいえ流石の蒼一も材料が何かも分からない異世界の料理で無謀な冒険をする程馬鹿ではない。
周囲の客が食べてる料理や手元にあるメニューなど、今の自分が得られる情報を搔き集め、あのカルパッチョらしき料理を管理神は刺身と訳したのだろうとそうあたりを付けたのだ。
「本当に大丈夫ですかね」
「八割方間違いない。残り二割の可能性は謎翻訳で全然違う物に刺身って単語が使われてるくらいだな」
「何故でしょう。そう考えると割合が逆転して八割の確率でとんでもない物が出て来るように考えてしまうのは私だけでしょうか」
「…………」
今までの微妙な翻訳を思い出し、蒼一も不安を覚え黙り込む。
微妙な翻訳という事はつまり大枠は外していないという事であり、少なくとも生でも食べられる新鮮なナニかが出て来るという刺身の肝の部分は外れてはいない筈だ。
今回の場合、それが良い事かどうかはまた別の話になるのだが。
「一体何が出て――いや、あのカルパッチョだ。カルパッチョが出て来る筈だ」
ほぼ刺身だろあんなのと自己暗示を重ねつつ、落ち着かない様子で料理が出来上がるのを待つこと十分、店員がトレイに料理を乗せてやって来る。
「お待たせしました。ご注文のパンと"ポノボンノの厚切り焼きに揚げた芋"、"ニョモールの刺身"です」
「「…………」」
「ごゆっくりどうぞ」
事務的にそう告げると店員はそそくさとその場を去り、残されたのは出来立ての料理とそれを見て無言になる男が二人。
「……三分の二は当たったな」
「はい、三分の二は当たりましたね」
テーブルの上に並んだ三つの料理、一つはライ麦パンとこちらは名前通りで、二つ目はブリ雄が頼んだ料理でフライドポテトの付け合わせに外見は牛というよりは豚に近い感じのステーキとこちらも大体予想通り、問題なのは蒼一の頼んだ料理だ。
平皿の上に乗っていたのはただ単純に可食部位を並べた物では無く、生前の姿形が分かるよう綺麗に盛り付けられており、それは薄緑色をした謎の節足動物だった。
「海老、かなぁ……これは」
「海老というよりは鯛の口内に寄生するというタイノエを大きくしたものに見えますが」
「止めろォ!人が海老と思い込もうとしてるところに的確な例えを持ってくるじゃない!!」
ブリ雄の言う通りニョモールと呼ばれる物の正体は薄緑色をしたロブスターサイズのタイノエそっくりの生き物であり、ハッキリ言って食欲以前に吐き気が込み上げてくる。
「これを喰うのか?」
「蒼一様、その刺身は残して別の料理を注文しては如何ですか?」
「いやでも俺が注文したもんだし、どんな物であれ食べ物を粗末にするのは駄目だろ。爺ちゃんにも散々言われたしな」
蒼一の祖父は戦争を生き抜いた軍人で、とても厳格な人間だった。
戦争と貧しい日々を過ごしてきた経験からか、その厳しさは祖母が用意した食事に不満の一つでも漏らせば怒声が飛び、残そうものなら家から閉め出され、酷い時には近くの畑に放り投げられる程だ。
そんな祖父は蒼一が小学校を卒業する前に亡くなったが、厳しい祖父の教えだけは祖父が他界した後も蒼一の中に生き続けており、どんなに不味くても蒼一は出された料理を残す事はしなかった。
「……食うか」
意を決した様子で蒼一はナイフとフォークに手を伸ばし、切り分けられた切り身の内の一つを手前に寄せて観察する。
「これ殻付いてるけど、このまま行っていいのか?」
「どうなのでしょうね。硬そうには見えないのでそのまま食べれそうではありますが」
「まぁ俺の顎なら例え岩のように硬くても問題なく噛み砕けるだろうけどな……身を穿り出すのはビジュアル的にキツイし一気に行くか」
そう決心すると蒼一は切り身の一つにフォークを突き刺す。
殻は思ったよりも薄くささやかな抵抗感を返しながらもフォークをあっさりと受け入れ、一瞬の躊躇いを見せた後、一思いに口に入れる。
「…………あれ?」
最初に感じたのは見た目とは相反する鼻を突き抜ける爽やかな香り、薄緑色だったのはどうやら元来の色合いではなく何かに漬け込んだ為に付いた色だったようで、香りだけではなくしっかりと味も付いており、外見とは裏腹に非常に食べ易かった。
「美味い」
「本当ですか?」
「あぁ、外見はアレだけど美味い。ブリ雄も一口いってみるか?」
「……頂きます」
知識を得てから落ち着いた印象を受けるが、好奇心旺盛で利かん坊だった昔のブリ雄が消えてなくなった訳ではなく、未知の食材を前にして好奇心を抑えられなかったブリ雄はフォークを伸ばして切り身を一つ口の中へと運ぶ。
最初は噛むのを躊躇い口に含んだだけだったが、生臭さなどまるで感じないと分かるとゆっくりと噛み、それでも臭みはなくむしろ旨味が染み出してくるのが分かると遠慮なく咀嚼する。
「本当ですね、美味しいです」
「だろ?何かハーブというかそういう感じの匂いがするんだが、何だろうなこれ。シソやパクチーとはまた違った感じなんだが」
「強いて言うならバジルが近いでしょうか」
「あぁ、確かにそっち系だ」
グロテスクな外見に騙されたがその味は間違いなく逸品であり、頭部の部分をそっと皿の端に寄せて見ないようにすれば忌避感も多少は薄れてくる。
口の中の塩気をリセットする為にライ麦パンへと手を伸ばし一口頬張ると、ライ麦パン――所謂黒パンと呼ばれ硬いというイメージがあったそれだが、恐らく保存用に焼き固めた物ではない為か思った程硬い訳でもなく、また口の中に広がる酸味に蒼一もブリ雄も驚き目を剥く。
蒼一の知識では黒パンというのは普通のパンと比べてただ硬いというイメージしか無かったのだが、実際はそれだけではなく全粒粉である為に麦の旨みを含み、またイースト菌の代わりにサワー種を使うので酸味があったりと単純に硬いだけという訳でもないし、好みの差はあれど決して白パンに劣っている訳ではない。
何より二人が頼んだ料理はどちらも塩気の強い料理であり、酸味ある黒パンには塩気のある料理がとても良く合うのだ。
こうして二人は予想外の事態に見舞われつつも、異世界の料理に舌鼓を打つのであった。




