事前準備
蒼一が西の大陸へ向かう事を決めてから、直ぐに二人はその為の準備へと取り掛かった。
蒼一は海神の支配する海域を抜けるべく黒鉄の制御に磨きを掛け、ブリ雄は何度も往復する事を前提に転移用媒体を複数本用意し、魔術で穴を掘って雪を詰め雪室を作る。
幾分かの不安は残るものの、これで旅立ってからとその道中、そして大陸に到着してからの移動手段に関しての問題はクリアした。
後は大陸についてからの問題点の解決を考えねばならないのだが……
「蒼一様は語学の方は自信がありますか?」
「これっっっぽっちもないな」
真っ先に出た問題点、それは大陸に住む人々との意思疎通に関するものだった。
ここは蒼一が今まで生きていた世界とは違う世界であり、当然日本という国も無いので日本語なんてものは通じない。
ブリ雄が日本語を喋っているのは蒼一の知識を得たからであり、ブリ雄の知識にあるこの世界の言語は日本語とはかなり異なるらしかった。
「ブリ雄の方は自信あるのか?」
「なんとも言い難い感じですね。知識として獲得した部分に関しては自信があるのですが、この世界の言語について全ての知識を得たわけではないので、良く言って日常会話に困るくらいでしょうか」
「そっか……となると少し不安だな」
悪くではなく良く言って日常会話に困る程度と考えると正直言って少しどころかかなり不安な蒼一だったが、現状ではブリ雄に頼る以外に選択肢はないのだから仕方無い――そう考えた矢先、不意に蒼一の脳裏にある考えが浮かび上がる。
「アイツなら、どうにか出来るかもな」
「アイツ?」
ブリ雄がそれは誰の事だと訊ねるよりも早く、蒼一は大きく息を吸い天を見上げながら腹の底から声を張り上げ叫ぶ。
「助けてカミえもぉぉぉぉぉん!!」
大気を震わせる程の渾身の叫び声は天に吸い込まれるように消えていき、暫しの沈黙の後にブリ雄がポツリと呟く。
「カミえもんって……何ですか、蒼一様」
「何って金曜日の夕方に放送してる国民的アニメに出てくるロボット的なアレだよ……そういやあのアニメって今も金曜の夕方にやってんのか?」
「蒼一様が御覧になっていた頃から随分と時間が経ってますから、どうでしょうね」
「俺が見てた頃っていうと、三十年以上昔か……うん、この話はよそう。それよりも」
そこで言葉を切った蒼一は周囲に目線を向けるも、目当ての人物の姿が無い事を確認するとはてと首を傾げる。
「うーん、あの神様の性格的にふざけた名前で呼んだら飛んでくるもんだと思ってたんだが」
「私の知らない間に随分と仲良くなられたようで……しかし神様に性別という概念があるのかは不明ですが、外見だけで見れば曲り形にも女性なのですから"えもん"というのは不適切なのでは?」
「なるほど、じゃあアイツは今日から"カミミ"ちゃんで――」
「何がなるほどだ戯けぇぇッ!!」
「ゴハァ!?」
納得したようにパンと柏手を叩いた次の瞬間に蒼一の脇腹で衝撃が弾け、蒼一の身体が水平に吹っ飛んでいく。
まるで水切りの石のように海面で三回程バウンドした後、どうにか黒鉄を展開して体勢を立て直し浜辺に降り立とうとする蒼一を管理神が射殺さんばかりの視線で睨みつけていた。
「よぉ神様、いきなり呼び付けて悪かったな」
「呼び付けた事よりも前に謝るべき事があるのではないか?んん?」
「……カミミは嫌なのか?」
「嫌に決まっておろうが!むしろそれで良いと思うとでも本気で思っておったのか!?」
「そうか、カミミは嫌か……」
全力で嫌がる管理神を見て、蒼一は残念そうに顔を伏せる。
蒼一の中では"カミえもん"はふざけた名前だったのだが、実は"カミミ"に関しては割と本気で言っていた。
ブリ雄の名前からも分かる通り、蒼一は雄や美、子と言ったものを名前に良く使う。
無論それらを使った名前が悪いという訳ではないのだが、センスの無い蒼一は安直に頭二文字の後にそれらをくっつけるだけなので結果的に出来上がる名前は酷いの一言に集約される。
「悪かった。本命は神様を呼ぶ事だったんだが、それ以外にもいい加減"神様"じゃなくて何かちゃんとした名前で呼びたいと思ってたんだ」
「ちゃんとした名前……?」
カミミのどこがちゃんとした名前なんだと思わずツッコミそうになった管理神だったが、本気で残念そうな顔をしてる蒼一を見てしまうと流石にそんなツッコミを入れる事は出来なかった。
「……名前に関してはもう良い。それで、何用で私を呼んだ?」
「あぁ、実はこの世界の言語について聞きたかったんだ」
「それは知っている。私が聞きたいのは呼んだ理由ではなく目的だ」
「え?」
しっかり蒼一の行動を覗いていた管理神は蒼一がついさっきまで言語に関する事で悩んでいた事も、その解決の為に自分も呼んだ事もしっかり理解していた。
それを蒼一も遅れて理解したのか、直ぐに気を取り直して目的の方を話す。
「じゃあ聞きたいんだけど、どうやって神様はこの世界の言葉じゃなくて俺らに合わせて日本語で話してるんだ?。まさか俺達と話す為に覚えましたとか……無いよな?」
普通なら有り得ないと断言するところだろうが、それを口にした途端"この神様なら有り得るんじゃないか?"という考えが蒼一の頭を過り、疑問符を浮かべてしまう。
「当たり前だ。何故私がお前の為にそこまでしなければならん」
「だよな、流石にそこまでじゃないよな」
いくら寂しがり屋とはいえ、そこまでは流石にしなかったらしい。
そうなるとやはり一体どうやって日本語で自分達に意思疎通を図っているのかという疑問にぶち当たるわけで。
「じゃあ覚えたんじゃないなら、どうやって日本語で喋ってるんだ?もしかして翻訳機能的なアレがこの世界にもあったり?」
この手の異世界転生もの定番の異世界語翻訳機能、或いは能力があるのかと蒼一が期待を込めた瞳で管理神を見ると管理神は微妙な表情を浮かべていた。
「間違いを正していくなら、まず最初に私は言語というものを使っていない」
「は?言語を使ってない?それはどういう意味だ?」
「黙って話を聞いていろ――いいか、お前には私が喋っているように見えるし、そう聞こているだろうが実際には私は一言も喋っていない。これは始源を使い自身の意思を相手が理解し易いものへと変化させているからだ」
言語から言語ではなく、意思から相手が理解し易い何かへと変換させる。
具体的な事は良く分かってはいないが、少なくとも言語間の翻訳なんかよりも格段に優れている事だけは蒼一にも理解出来た。
「自分の意思を相手が理解し易い何かに変えるって、なら例えば言語を持たない動物相手の場合だと、その動物には神様が鳴き声や身振りで意思疎通を図っているように見えるのか?」
「あくまでも相手が一番理解し易いものに変わるという性質以上、そうなるな」
「じゃあゴリラが相手になると神様はウホウホ言ったりドラミングしたりする訳か」
「シバかれたいのか貴様」
例えとはいえ余りにも失礼な絵面を想像する蒼一に管理神はツッコミを入れつつ、残りの間違いを正していく。
「さて次だがこの世界に翻訳的な機能は備わっていない。これは私個人で使用しているに過ぎないからな」
「サーバー側ではなくクライアント側の機能って事か。それって俺も使えるように出来ないか?」
「出来るかどうかで言えば、それは可能だが……私はやらんぞ」
「やっぱり駄目?」
「何故私が堕し児の為にそこまでせねばならんのだ」
何時ものようにテンプレのセリフで返され普段ならそこで駄目かと諦める蒼一だったが、今回の問題に関してはそう簡単に引き下がる事は出来なかった。
「そこを何とか出来ないか?言葉が通じないってのは凄い困るんだよ。ブリ雄は多少喋れるみたいなんだが、知識が虫食い状態だから正直会話が無事成立するかも怪しい状態なんだ」
「そう言われてもな。私にはお前達にそこまでしてやる義務もなければ義理も無い。それに堕し児に好き勝手動き回られるよりは孤島に縛り付けておいた方が私としては好都合だ」
「……そっか」
好都合とまで言い切られては流石にそれ以上食い下がる気にもなれず、少しは仲良くなれたと思ったのに堕し児という――正確にはそれが持つ"物語"のせいで蒼一と管理神の距離は何時まで経ってもそれ以上縮まる事はないのであった。