海を越えて
管理神に鰾膠も無くあしらわれてから早数日が経過し、蒼一はついに孤島を出る時を迎え、何時もの浜辺には蒼一とブリ雄だけでなく他の者達の姿もあり全員が蒼一を見送りに来ていた。
「良いですか蒼一様、西の大陸に着いたらまずは何処か森を探してください。その際何処に街道があるかも確認し、半日も有れば森を抜けられる位置に石杭を打ち込んでから合図をいただければ私もそちらに向かいます」
「そう何度も説明されなくても分かってるよ。お使いに出る子供じゃないんだから」
「いえ、重要な事ですから。これがアドレスとなる石杭です、不測の事態に陥った時の為に予備も含め三本渡しておきます」
ブリ雄はそう言って布地で厳重に包んだ石杭三本を手渡し、その厳重に包まれた石杭を見て蒼一は苦笑いを浮かべる。
「心配性だな、子供じゃないんだから海に落とすだとか森で失くしたりはしないさ」
「だと良いのですが、その石杭は非常にデリケートな代物です。魔方陣はアドレスそのものであり、仮にもし魔方陣が僅かでも欠損すればそれだけで使用不可能になり、蒼一様は西の大陸で孤立する事になりますよ」
「……うん、やっぱ予備は大事だよね」
言葉も通じない場所に独りで放り出される事を想像したのか、蒼一はそそくさと石杭をしまう。
念には念を入れて、それぞれ別々のポケットに入れボタンやチャックも忘れない。
「さて、後何か忘れてる事は無いか?」
「多分無いとは思いますが……最悪、無事向こうに辿り着き石杭さえ打ち込めれば後は私の転移魔術で石杭の在庫がある限りは往復が可能ですので、問題はない筈です」
「てなると気を付けなきゃいけないのは大陸のその前、海神のレヴィアタンだよな……」
「やはり蒼一様が出発する前に私が倒してしまった方が安全で確実なのでは?」
「それは駄目だ。バハムートの時だって楽勝って訳じゃなかったんだろ?となると怪我をする可能性がある以上、そんな真似は許可出来ないし、それに神様に迷惑かける事にもなるからな。やっぱ一気にレヴィアタンの海域を突破する以外に方法は無い」
ブリ雄も空を飛ぶ事は出来るが、その最高速度は全速力の黒鉄に遠く及ばず、また孤島と大陸との間にどれだけの距離があるかも分からない以上、速度的にも体力的にも海を越えるのは蒼一が適役だった。
それに蒼一の身体は所詮仮初の物だ。
本体が世界である以上、例えレヴィアタンに肉体を破壊されたところで死ぬ訳ではないので、そういう意味でも今回の事に関しては蒼一が一番適していた。
「さて、出発前の確認はこれで大体済んだか?。それじゃあ――っと、忘れてた」
いざ飛び立とうとした時、寸でのところで最後に確認しなければいけない事を思い出した蒼一は、振り返って見送りの集団に向かって口を開く。
「クレア!」
蒼一がその名前を呼ぶと、集団の中から小さい影が飛び出しトコトコと蒼一の前まで駆け出してくる。
それは以前の鍋パーティの時におかわり第一号となった少女、クレアであった。
その手にはあの木器が大事に抱えられており、よく見ると水が張られたその木器の中にはバハムートの仔魚であるムーの姿もある。
実は蒼一、ブリ雄と二人で大陸の方に行っている間、ムーの世話をこのクレアに頼んでいたのだ。
「クレア、ムー、頼んだ」
まだまだ言葉を覚えている最中なので指差ししながら単語一つ一つで自分の意図を伝え、コクリと頷いたクレアを見て、蒼一は更に言葉を続ける。
「ムー、ごはん」
「…………っ!」
最初は悩む素振りを見せたクレアだったが、途中でハッと気が付いたのか襤褸布の中に手を突っ込み、ムー用に作った小さな木の実を取り出して蒼一に見せた。
「クレア、正解」
そう言ってクレアの頭を撫でてやると、クレアは目を細め嬉しそうに笑う。
「ムー!」
「分かってる、ムーを忘れた訳じゃないよ」
空いていたもう片方の手の指先でムーの頭をコチョコチョと擽るように撫で、暫くそうしてクレアとムーを撫でた後、蒼一はゆっくりと離れる。
手が離れた途端、クレアとムーがションボリとした顔をするのを見て蒼一の中の庇護欲が沸き上がって来たものの、これでは何時まで経っても出発出来ないと心を鬼にして海岸へと向き直った。
「じゃあブリ雄、先に行ってるぞ」
「はい、お気をつけて」
『お気をつけて!』
ブリ雄の後に続くように見送りに来た者達が声を揃えて言うと、蒼一はスラスターを噴かせて大空へと飛び立つのであった。
孤島を出発してから一時間、蒼一の周囲は地平線まで海しか無く背後を振り返っても孤島の影も形も無くなっていた。
(島を出てからもう一時間は経ったか?。予想はしてたけど、こうも何も見えないと真っ直ぐ進めてるのか不安になるな)
そう考えながら空を見上げるも太陽は蒼一の頭上に来ており、どっちが西なのか判断する事が出来ない。
(というか太陽が沈む方角が西だって前の世界の常識で考えてたけど、異世界だとそれどうなんだ?)
この世界は地動説か天動説か、それ以前にそもそも球状ではなく平面だったりしないかとか、いざ飛び出した後になってそれらの疑問にぶち当たる。
既に孤島を飛び出して一時間が経過した今、巡航速度で飛行していたとはいえかなりの距離を移動している以上、このまま反対方向に向かって戻っても孤島に無事帰りつける保証はない。
僅かな角度のズレが致命的なズレとなり、それに気付かぬまま孤島の横を飛んで行ってしまう可能性の方が高いだろう。
小さな孤島を目指して戻るよりも、大陸を目指してこのまま進んだ方が陸地に辿り着ける可能性はあるが、孤島から距離が開く程に仮に大陸に辿り着けなかった場合の帰還難度は跳ね上がっていく。
(どうする?。戻るべきか、それとも進むべきか)
蒼一の肉体なら何日、何十日だろうと体力的に問題は無いし、黒鉄も本来の性能を抑え巡航速度で飛んでいる為、燃料切れの心配もない。
唯一心配な事があると言えば蒼一が居ない孤島の方であり、ブリ雄が居る以上すぐにどうにかなるような事は無いだろうが、それでも心配な事に変わりはないのだ。
このまま進むか否か、それを幾度となく考え続けていた時、蒼一の世界としての知覚、その端っこに巨大な情報の塊が現れる。
「ッ!?」
突如として流れ込んできたその膨大な情報に顔を歪めながらも反射的に右肩部のスラスターを噴かせ左に飛ぶと、蒼一が居た場所を何かが高速で通り抜けていく。
「水のブレスか!」
奇襲を警戒し、完全に海上から離れて飛ぶのではなく、処理能力の追いつく範囲で海中の様子も分かるように海面から五十メートル程度上空で飛び続けていた蒼一だったが、その懸念は見事的中し奇襲を無事回避する事ができた。
自分めがけて放たれた物の正体に目を剥きながら、蒼一は自身の眼下に広がる海面を睨みつける。
蒼一の肉体ではその存在を知覚する事は出来ないが、世界としての知覚がその正体を蒼一に教えてくれた。
「お前が出てきたって事は、どうやらこっちが方角で合ってたみたいだな」
そう呟いた言葉の返事代わりに飛んできたブレスを躱しつつ、自身の中にあった不安が解消された今、蒼一は迷うことなく前を見据えた。
「悪いがお前に付き合ってる暇ないんだ。このまま突っ切らせて貰うぞ!」




