夜_泰陰3
おなかがいたい。
いや、腹痛ではなく。うつ伏せになったお腹のところに、ちょうど小さな出っ張りがあって、ずっと当たっているのだ。刺さるほど鋭くはないけど、痛い。
「……早く戻ってきなさいよ、雪祈ぃ〜」
紫絡が寝転んでいるのは、柿由を見つけた倉庫の棟木の上。あの時のままだ。
小声とは言え、愚痴が口から出てしまうのは、ずいぶんと緩んでいる証拠。
正直、飽きている。
「見てたって動きなんかないしね〜、あっても困るんだけどね〜、って、お?」
窓の向こう。柿由が立ち上がろうとして、細い男に押さえつけられた。
そのまま、ぎゃ〜ぎゃ〜喚いている。助けて、とかそんなところだろうけど。
「助けてあげたいのはやまやまなんですよ、こっちも」
我ながら、心の籠らない声で呟く。一人だと、独り言が増えていけない。
次の異変は、家の外。
紫絡たちがやってきた道を、男が一人、ばたばたと走ってきた。
雪祈がいれば、男が岱だと気づいただろうが、紫絡は岱の顔を知らない。
男は乱暴に扉を開け、大きな音を立てて閉める。ガサツだ。
やがて内から、ただならぬ雰囲気が漂い始め。
「これは、動きがあったかしらね」
にやりと微笑う紫絡。
先ほどの男の様子からして、ヤツらにとっていいニュースではないはず。
警備隊でも動き出したか、碧流が何らかの手を打ったのか。
どちらにせよ、そろそろ雪祈が戻ってきてもいい頃だと思うんだけど。
「……あ。」
ふ、と。
柿由の部屋の灯りが消えた。
その前の動きは見逃したが、すでに部屋に人の気配はない。恐らく連れ出されたのだろう。
考えられることは、二つ。
もし、奥の部屋にでも連れ込まれて、なんらかのことがされちゃっているのなら、残念だけど、もう紫絡にできることはない。一人で乗り込めるわけがないし。
で、なければ――――。
屋根の上から、じゃない方であることを祈ること、わずか。
再び、家の扉が開いた。
真っ先に出てきたのは、さっきのばたばたした男。
続いて出てきたのは女。頭に布を巻いているから、嬢とかいうリーダーだろう。ばたばた男は、彼女と、それに続く男たちを左の道へと誘導する。
最後に、最初に見つけた遼とかいう大男が、大きな麻袋を担ぎあげて出てきた。
中身を隠したいのはわかるけど、袋自体がうにゃうにゃ動いていれば一目瞭然。その遼も左の道へと進んでいく。ばたばた男は、なおも家の中を覗き込んでいる。
たぶんだけど、あっちは東。さらに泰陰の奥へと連れ込まれるのか、それとも。
しばし横たえていた上半身を持ち上げる。
その先は考えても仕方ない。紫絡の役割は、考えることじゃなく、調べること。
さっきとは違って、相手は大所帯。見失うことはないはずだ。
それでも、なるべく急いで。もちろん、物音一つ立てない、よう、に?
かつん、と。
何かを弾く、音がした。してしまった。
さっきまで紫絡のお腹を圧迫していた小さな突起。何かが、引っかかったのか。
一縷の望みをかけて、奴らの方を見る。すると。
「……あ?」
きっちり目が合うばたばた男。
紫絡も、差し当たって、最上のスマイルで。
「あ、ども。」
屋根の上に横たわり、にこやかに微笑む、謎の女性。
そんな状況を把握するのに、やや時間はかかったものの。
「先に行けぇ〜っ! オラ、急げ急げぇ〜!!」
紫絡の愛想の甲斐もなく。
史上最大のばたばたを見せる男。
――――なんで、こんな小さな音に気づくのよ! あんなばたばたしてるのに!
逆ギレしても仕方ない。
寝っ転がってもいられず、せめて屋根の上で足場を確保。
お腹についた埃を払い、小さく咳払いなんかを一つ。
とはいえ、戦う力なんて全くない紫絡なのだが。
「ここは、任せろぃ」
手近にあった棒を手に、しんがりを務める男。あっちのやる気はマンマンだ。
対する紫絡は、あえて構えず、ただ静かに見下ろして。
あいつが幹部なら、ここでこう対峙しているだけで、向こうの戦力を削ぐことにならないだろうか。
いかに、戦わずにこの場をやり過ごすかを、考えていた。
静かに、夜風が吹き抜ける。
「降りて、来ねぇのか?」
「あなたが、登ってくればいいんじゃない?」
お互い、小さく笑みを含みながら。
全く、意味のないやり取りを交わす。
紫絡は時間稼ぎだからいいのだが、男はどうなのか。焦れる様子も見せずに、手にした棒を右へ左へ持ち替えたりしているが。
「警備、にぁあ見えねぇなぁ。あの娘のお友だちか? だとすりゃ、ずいぶんと友だち甲斐があるってもんだが」
柿由のお友だちなら、今頃きっと、おうちのベッドで鬱々としているところだろう。すでに割り切って、快眠していたら、さすがに怖い。
そう考えれば、紫絡はなぜ、こんなところでこんなことをしているのか。
深く考えると嫌な感情が戻ってきそう。
意識を男に戻す。
誘拐犯であることを隠そうともせず、それでいて急いで逃げようともしない。
紫絡を舐めているのか。それとも、そういう性格なのか。
それなら、なんとかなるかもしれない。
「……降りていって、欲しい?」
なるべく扇情的に。本当はあまり得意じゃないんだけど。
「ああ。ぜひ、欲しいねぇ」
それでも功を奏したのか。舌なめずりまでして、男が乞い願う。
「じゃあ、ちょっとだけ、ね!」
走った。
棟木を蹴って、倉庫の裏手へ。
男がすぐさま回り込む。足場が安定している分、下の方が有利だ。
紫絡が飛び降りた小路へ、男は無造作に踏み込んで――――
「――――ふぬっ!!」
変な声が、鼻から抜けた。
「あ。」
カラン、と、棒が転がる。
自分が与えた、思いがけない大ダメージに、思わず紫絡も口を押さえる。
紫絡が飛び降りた先にあったのは、登る時にも使った大八車。あの時は車輪を使ったけれど、今度は高く上がった手すりを狙って飛び降りて。
「ち、違うのよ。ほら、足の一つも取れればいいかなぁ、って、思ったんだけど、、、」
聞かれてもいないのに、紫絡がしどろもどろに言い訳をする。
だって、まさか、跳ね上がった荷台の角が、見事に男の足の間を直撃するなんて、思わないし。
偶然とはいえ、なんだか、ひどく、悪いことをした気がする。
まして、どれだけ痛いのかも、知らないし。
「て、てんめぇ、、、」
ヤバい、男の目は闘志を失ってはいない。
引けた腰と、よたつく内股ながら、瞳の炎はなおメラメラと。
……当たり前か。
バン、と。
強く、男が倉庫の壁を突いた。
紫絡の行く手を阻むように。立ってられずに、寄りかかっただけかもしれないけど。
「そっくりそのまま、返してやるぜぇ、、、」
いや、それは無理だから。
冷静にツッコめるのも、心の中だけ。
こんなことなら、悠長に言い訳してないで、さっさと逃げれば良かった。
そんなバカバカしい後悔も、寸時の後にかき消される。
「そこまでだぁっ!」
まるで正義の味方のような掛け声とともに。
ピィィィィィィィィィィィィィィィィッ――――――――!!
甲高い音が細い路地をつんざき、振り向いた男も思わず耳をふさぐ。
そこへ。
小さな何かが、まさに疾風のように駆け込んできた。
それは、男の元に潜り込むと、下から肩に手をかけて、体重を乗せて一気に。
ガン、と。
想像よりも痛そうな音とともに、男の頭を真下に叩きつけていた。
「……あれ?」
叩きつけた雪祈も、一瞬、きょとんと。
「あ。」
頭の下にあったのは地面ではなく、やっぱり大八車の荷台の角で。
「そんなつもりじゃなかったんですけど、なんか、すみません」
雪祈も、気を失った男に、やっぱりペコペコと謝っていた。
「助かったぁ。ありがと〜、雪祈、紅兎」
へなへなと力が抜けて。
その場にぺたんと座り込む紫絡。それでも助けてくれた仲間への感謝は忘れずに。
「とんでもないです。私も助けられましたから」
にこにこ元気で、大八車に掛かっていた荒縄で岱を縛り上げていく雪祈。
「助けられたって、誰に?」
「朱真です。あの後、ちょっと囲まれちゃって」
てへ、と照れ笑い。いやいや、そんな場合か。
「で、その朱真は?」
「さぁ? まだ戦ってるかもしれません。いっぱいいたから」
いっぱい、て。
まぁ、でも、アイツなら大丈夫か。
「アタシも助けたってば!」
相変わらず緊張感のかけらもなく、ぷらぷらと歩いてくる紅兎。
「はいはい、ありがと、ありがと。でも、さっきのアレ、何?」
甲高い音を立てて飛来した、矢?
それは、男よりも、並走していた雪祈へのダメージが大きかったようで。
「そうですよ、紅兎さん! なんで言ってくれなかったんですか。私、まだ耳がきーんってしてるんですよ!」
しかし、言われた本人はどこ吹く風と。
「鏑矢も知らんのかね、君たちは〜」
しゃあしゃあと笑う。
鏑矢。詳しくは知らないが、鏃に穴が空いていて、飛ばしたら音が鳴る矢、だったはず。戦いの中で合図に使われるらしいのだが、音を聞くのは初めてだ。
わいわいと騒がしい合戦の最中でも聞こえるんだから音が大きいのも当然だが、町中での使用は禁止してもらいたい。
「そんなの、なんで持ってるのよ?」
いくら弓好きの孔族でも、普段から持ち歩くものでもあるまいに。
「お祭りで売ってた」
「あ、なるほど。」
納得。鏑矢は元々、その音で邪を祓う祭具だったっけ。
いや、でも、買うか? そして持ってくるか?
疑念は尽きないが、その辺りはツッコんでも始まるまい、紅兎のことだし。
「――――あ、やっぱり。みんな無事そうですね」
そこに、ふらっと現れた凸凹コンビ。
「あら、碧流くん。こんな危ないとこに出てきちゃダメでしょ」
「……僕だけ子ども扱いしないでくださいよ」
鏑矢の音を聞いてきたという朱真と碧流に、紫絡は自らの見たものを説明する。
「東ですか。舟で泰陽に逃げるつもりですね」
即座に断定する碧流。想定の範囲内、というヤツなのだろう。
「追っかける? 追撃?」
どこまでも楽しそうな紅兎に呆れたように、それでも碧流が頷いて。
状況は、こちらが追いかける構図に姿を変えた。
向かう先は、泰陰のさらに深く。相手の戦力はまだ掴みきれてはいない。
それでも。これが碧流の想定内で、こちらに朱真がいるのなら。
なんとかなる気がしてしまう、自分に少し呆れつつ。
紫絡は、仲間の中にいる自分を感じていた。
「で、雪祈はいつまで『紅兎さん』なの?」
「う〜〜〜〜ん、もう少し、ですかね」
くっ付いてくるチビッコ二人にも、少しだけ癒されながら。




