おわり 5
巴が絵を完成させた日の夕方――というのは藤花がいつまでも決心が付かず時間を潰していたからだが――藤花はよし、と気合いを入れて玄関のノブをつかむ。
勢いよく開けた。
「ただいま〜!」
家の中にいつになく大きく声を響かせる。
三和土に父の靴があった。
幸運にも、珍しくもう帰っているらしい。
靴を脱いで、振り向いてそろえる。
もう一度振り返ると、何故かリビングと台所から父とあずさが顔を出していた。
「ただいま」
どうしたわけか、変な顔でこっちを見るのでもう一度言う。
「あ……うん。おかえり、藤花」
「……えっと、おかえりなさい、藤花ちゃん」
はっきりしない声が返ってきた。
台所から美味しそうなにおいがする。
あずさの得意な――あるいは藤花の好物なせいかもしれないが――ハンバーグのにおいである。
「んーいいにおい」
言いながらスリッパに履き替えてリビングに行く。
鞄をソファに置いてから、さり気ない風を装ってふたりに言う。
「あ、そーだ。再婚だけどね、してもいいよ別に」
父がお茶をふきだして、あずさがおたまを取り落とした。
いつだったか、巴がした漫画のような動作を思い出した。それみたいだった。
「えっと、……藤花ちゃんはそれでいいの?」
先に立ち直ったあずさが言う。
「うん。あ、でも……あずささんはあずささんで、私のお母さんじゃないからね」
それだけははっきりさせなきゃ、と言う。
子どもっぽいと思われてもいい。
藤花の母親は藤花を産んだ真弓という女性だけであって、再婚相手のあずさでは絶対ない。
身代わりはいらない。
でも、家族が増えるのは可、だ。
「藤花。気持ちは嬉しいけど、もし無理をしてるんだったら――」
「してないよ」
無理は、してない。無理ではなく「心境の変化」という奴だ。
「でも、藤花ちゃん。その……どうして急に?」
「あずささんがお父さんの宝石箱だから」
母の事を父は辛くて忘れたいのかもしれない『優しさの手がかり』の代わりとして、あずさがいるのかもしれない。
不思議とそう思えたのである。
「オルゴール?」
父が首をかしげた。あずさも同様である。
藤花は、ふたりに説明しようとは思わなかった。
それは物語の中の存在。
それは子どもだけが讃える存在。
後になれば誰も信じず、後になれば誰もが笑い。
ただ子どもだけが知っている。
そんな伝説だからだ。
「それと、」
ふたりが首をかしげている間に、藤花はつけくわえる。
「私ね、あずささんみたいに看護士になりたいの」
それからちょっと考える。
「まぁ看護士じゃなくても良いけど、何か他人の役に立つ仕事につきたいな」
「何でまた急に――」
父の問いに、藤花は先刻と同じようにすまし顔で答えた。
「私も伝説になりたいから」
伝説の少年のように。
伝説になった女王のように。
伝説になった人外の生き物のように。
そして、あずさのように。
それは遠い遠い昔から、どこの国でも語られて、どこの国でも一笑に付される、ただの伝説でした。
ただの人から生まれでて、闇が消えると同時に消え去る、ただの伝説でした。
夢幻の類とされ、目をつむった闇の中にしか存在できず、目を開ければ消えてしまう、そんな伝説でした。
絶望の中に希望を見いだし、誰もがあきらめてもあきらめず、ただそれだけで地に倒れず、だからこそ誰にも存在を信じられない、そんな伝説でした。
それは物語の中の存在。それは子どもだけが讃える存在。
後になれば誰も信じず、後になれば誰もが笑い。ただ子どもだけが知っている。
そんな伝説でした。
――誰かを助け、支える、そんな伝説に藤花もなりたかったから。
首を傾げるふたりを見ながら、藤花は花開くように微笑んだ。
……なぜか1話UP忘れていました。これで本当に完結です(*/ω\*)