第8話 ドカ盛り王子様、白鷺玲音(7)
「ああ、うん。僕の実家、県南の山奥で、学校から遠くてさ――」
実家から最寄りのバス停まで、車で山道を三十分。そこからバスに乗れば、二時間ほどで畦火高校に着く……という程度の遠さ。
合計二時間半。何とか通えない距離ではない――が、毎日となると、いささか大変だ。バス停まで送迎してくれる父さん、母さんの負担も小さくない。
昨年度にそんな生活を一年やって疲弊した僕ら姫宮家は、通学問題を何とかしなければならない、という結論に至った。
そこで両親は、どんな仕事をしているのか分からないけれど、何故かお金持ちな叔母に交渉し、彼女が持っている――『転がしている』とかなんとか――高校近くのリノベ古民家に住まわせて貰えることになったのだ。
正直、心が躍ったよね。だって、高校二年生から一人暮らしなんて、まるでアニメの登場人物みたいじゃない?
そこまで説明すると、玲音は「ははあ」と感嘆の吐息を漏らした。
「凄いね、姫宮君は。一人暮らしなんて、僕なら三日で餓死する自信があるよ。家事も苦手でね、家庭科の実技だけはどうにも……」
玲音が真面目くさった顔で言った。この完璧王子様に苦手なものがあったとは、意外だった。
「凄くないよ。いざとなれば二時間半で実家に帰れる距離だし……」
慣れてしまえば、日常生活に問題はない。
問題といえば、朝寝坊しそうなとき、起こしてくれる人がいないことくらいか。
「あ、でも、一つだけ大変なことがあってさ。それもあって、たくさん食べてもらえて有り難いっていうか……」
「うん?」
「うちさ、食料がとにかく大量に届くんだよね……」
週に一度、両親が大量の野菜や肉類を持って来てくれるのである。
両親はデザイナー兼アーティストで、陶器を焼いたり絵を描いたりするのが仕事だ。ご近所の農家さんや牧場主さんとも仲がよく、ロゴデザインや商品パッケージを手がけたりしている。
その縁あって、毎週のように大量の食材をお裾分けしていただいているのだ。
そして、僕の一人暮らしに伴い、両親は自分達が必要な分を有り難くいただき、食べきれない分を『仕送り』として僕の住む古民家の冷蔵庫に押し込んでいくようになった。
つまり、ご近所さんからのお裾分けを、さらにお裾分けていただいているわけである。
しかし、食べ盛りの高校生とはいえ、所詮は僕ひとり。
あまりにも多いのだ。一週間ごとに段ボール一箱くらい持ってくるんだよ?
いただき物だから、使い切れずに捨てるのは忍びなさすぎる。
「――というわけで、冷凍庫も冷蔵庫も作り置きでパンパンなんだよね……」
「本当に夢のような環境だね、姫宮君。無限に食べ物をもらえるなんて」
「いや、無限ではないけどね……?」
玲音は低温調理器を指さした。
「それじゃ、ああいう調理器具は、大量に調理するために?」
「そっちは、叔母の趣味で……。珍しいものとか新しいものが好きで、いろんな調理家電とか海外の変な形の鍋とか買うんだけど、飽き性でさ。一回使ったら、ここに置いていくんだよね」
叔母はこの古民家を倉庫代わりにしているのである。
調理器具も、塩漬けにするのはもったいないから使っている。面白いし、美味しく出来るし。
「……今度は、僕が聞いてもいい? なんでうちの前で倒れてたの?」
玲音は頬をまた少し赤らめた。
「その、だね。実は僕、とても燃費の悪い体質なんだ」
でしょうね。
だって、三本も仕込んだ牛もも肉のローストビーフを、ほとんど一人で食べ切ったのだから。
この量を食えるのに、この体の細さ。体質的な大食いだとしか思えない。
「いつもは朝食をしっかり食べてから学校に行くのだけれど、今日からしばらく、両親が海外旅行に出ていて、朝食がなくて。あ、もちろん、自分で準備するつもりはあったんだよ? でも、炊飯器がとても困った子でね、僕の言うことを聞かなくて……」
炊飯器が言うことを聞かないってなんだよ。
玲音はむっとした顔になった。
「なんだいその顔は。言っただろう、家事は苦手だって。……それで、時間もないから抜いて登校してしまったんだ。そうしたら、帰り道でお腹が空きすぎて……」
耐えきれず、うずくまっていた、と。
……怪我や病気じゃなくてよかったけれども。
「学食寄って、何か食べてから帰れば良かったじゃん。何も我慢しなくても」
「大食いなの、学校では隠しているから、さ……。だから本当に、姫宮君には感謝しているよ。……あ!」
玲音が、ふっと何かを思いついた顔になった。
「そうだ! 姫宮君、お願いがあるのだけれど!」
その時点で、何となく、お願いの内容は察しがついていた。
「お代をお支払いするからさ、みんなには秘密で、これからも僕に超大盛りのご飯を作ってくれないかな? 君は食材を消費できるし、僕はお腹いっぱいご飯を食べられる! Win-Winだね!」
「え、いや、さすがにそれは……」
「……やっぱり、厚かましかったかな?」
玲音が、チワワみたいに目を潤ませて、しょんもりした。
僕は気まずくて目をそらす。
「いっぱい食べてくれるのはありがたいんだけど、その、ね? 厚かましいとかじゃなくて、そのぉ……」
「では、なぜだい?」
「……今日は緊急だったけどさ。女の子を、僕の一人暮らしの家に上げるのは、ちょっと……なんていうか……あ、危ないっていうか……」
「危ない? ……ああ、なるほどね」
玲音は顔を赤らめたまま、けれど、にやりと笑った。
「姫宮君は、二人きりなのをいいことに、僕に手を出してしまう、と。我慢が出来ないオオカミさんなんだね? えっちだねぇ、姫宮君」
「て、手なんか出さないよ! えっちでもないよ!」
「えっちじゃないなら安心だ。そうだろう? 君が紳士なら、何の問題も起きないのだから」
玲音は僕の手を強引に取って、握った。
王子様の手は柔らかくて、それだけでドキドキした。
「秘密の契約だね、姫宮君。これからよろしく」
そういって、白鷺玲音はにっこり笑った。
●
そういうわけで始まったのが、僕らの秘密の関係だ。
秘密とはいっても、大したものじゃない。
世界を救いもしないし、学校を巻き込んだ事件も起こらない。
いっぱい作って、いっぱい食べて、あとはのんびり過ごすだけ。
これはそんな、穏やかな秘密の日々のお話である。
よろしければ、
・ブクマ
・感想
・下の☆☆☆☆☆で評価
・著者フォロー
・レビュー
・Xで読了ツイート
等々をしていただけると励みになります!




