13.君に出会うまで(王国編6)
「アリュシアは、この手紙が『あの方』からだという確信があるんだね?」
「えぇ。実はその手紙の他に、もう一通渡されて……」
「もう一通?」
「『あの方』だと信じられない場合は、こちらを読んでくれと」
「つまり、それを読めば信じられるような内容だったと」
アリュシアーデは頷いた。
「信じざるを得ないというか、その、」
言い淀んで赤くなるアリュシアーデに、セルリアンはその性質を察した。
「何か、君しか知らない、君の恥ずかしい話が書かれていたとか?」
「ど、どうしてっ……!?」
「……成程」
相手しか知らない事を話し、自分の情報量を信じてもらう――という手を皇女殿下は使ったらしい。
一面識もない相手に、自分を信じてもらうのに良い手ではある。
「こちらも、あちらの事情、例えば皇女殿下と皇太子殿下の話とかが流れて来ているからね。皇女殿下なら、こちらの情報が手に入る、なんらかの手段を持っていても不思議はないよ」
「……えぇ。私もそう判断して返事を書いたわ」
「あぁ、返事を書いたんだね」
意外なような、当然のような。
だが続く言葉にセルリアンは笑った。
「えぇ、帝国語で」
「なるほど。お返しだ」
驚かされてばかりではいられない。
彼の知るアリュシアーデは、幼い頃から淑女であったが、同時に、国内で一番身分の高い令嬢のプライドも持ち合わせていた。
だから王太子になる、第一王子の婚約者に選ばれた時も、当然という態度だった。
最初は態度だけでなく、気持ちもそうなのかと思っていた。
だがそんな、ふわふわした思いでなく、彼女は『そうあろう』と意識していたのだ。
第一王子の隣に在るに足る、己であろうと。
王太子妃候補として、誰からも認められなければ、とアリュシアーデは努力した。
王家に嫁ぐに相応しい立ち居振る舞いから始まって、美しい母国語及び帝国語の発音、手蹟。
貴族名鑑、法律、公文書の把握。
国内外の歴史、地理、特産物の勉強。
些細なことでも、他の令嬢に付け入る隙を与えないように。
『大好きなテオバルドの、婚約者でいられるように』
努力は実を結んだのだと、セルリアンは王太子式で、テオバルドの隣に立つアリュシアーデを見て思った。
テオバルドの誇らしい表情、アリュシアーデの嬉しそうな表情。
見つめ合う二人の姿は、ある意味自分の理想の姿でもあった。
(だけど……)
血の滲むような努力をして、一つ一つ積み重ねた立場は、一瞬で泡のように消えてしまった。
国のためだと、仕方ない事だと、理屈では納得していても、怒りがない訳はなかった。
どんな女性なんだろうと思った。
私から『あの方』を奪っていくのは。
帝国の皇女という、この大陸で一番身分の高い女性。
王国の、たかだか一貴族の娘では到底かなわない。
女性であるにもかかわらず、次期皇帝として一時は認められたのなら、優れているのは血筋だけではないのだろう。
知性、気品、美しさも――……
叫びそうになった。
泣き喚いて、当たり散らして、すべてを粉々にしてやりたかった。
だけど、己に科した厳しい王太子妃教育が、感情のままに動く事を許さなかった。
「なんて皮肉……」
もう『妃』になる未来など、無くなったというのに。
誰の言葉も耳からすり抜けた。
部屋に籠るようになり、食が細くなり、侍女が心配しているのは分かったがどうしようもなかった。
このまま朽ちてしまうのだろうか……と、何の感慨もなく思い始めた頃、それはやってきた。
「エ……ト、コチラ、ありゅしあーでサマのおヘヤで、アってますカ?」
人の声が聞こえた気がして、のろのろと顔を上げると、カーテンが揺れているのが見えた。
(もう夕暮れなのね……)
アリュシアーデは虚ろな目で、閉められていた筈のカーテンからのぞく窓の外を見ていた。
普段のアリュシアーデなら、間髪入れずに侍女を呼ぶベルを鳴らしていただろう。
「ダイじょブ? ワタシあやしくナイ、ですヨ?」
どう見ても『怪しい』相手は、そう言いながら頭から巻いていた、黒い布を取り払った。
現れたのは、少し日焼けした肌の、異国風な顔立ちをした若い女だった。
さすがに自分の見えている光景が、夢にしても何かおかしいと感じ始めたアリュシアーデが、声を上げようとした時には、女は彼女の目の前にいた。
「スイマセン、こえアゲないデ? アナタに、おテガミ?モって、キタの」
ニコニコと笑う女から差し出された白い封書を、反射的にアリュシアーデは受け取ってしまった。
表にも裏にも何も書かれていない。
だけど、その紙がとても純度の高い白色をしているのに、彼女は気づいた。
(これは……)
手触りも滑らかで、植物紋のレリーフまで入っている。
王家でも滅多に使われない類の、最高級品の紙だった。
白い封書を通して、王宮で学んでいた時の記憶と、感情が蘇ってきた。
「……開けて、よろしいの?」
「モチロン、アリュシアーデさまアテ、ですヨ」
女は明快に頷いた。
ふと、アリュシアーデは自分が名乗っていない事に気づく。
「なぜ、私がアリュシアーデだと?」
「アァ……ワタシのツカえているカタとオナじクライ、ユビサキがキレイだかラ?」
そんな人間滅多にいない!と、たどたどしい王国語で告げて、女は黒マントに包まれた胸を張った。
私の仕えている方?――気にはなったが、おそらくその答えはこの封書の中にあるのだろう。
アリュシアーデは封を切った。
王国語で書かれた、美しい女文字を読み進めていく内に、全身の震えが止まらなくなった。
手紙の最後にある署名は、彼女から婚約者を奪っていく筈の、皇女殿下のものだった。
『公爵令嬢風情が邪魔をするな』とか『あの方から身を引きなさい』とか、書いてあるならまだ分かる。
しかし書かれていた内容は、その真逆で
『大変申し訳ないが、私が先にあなたの婚約者に嫁ぐ事になりました。ですが、諦めないでください!絶対に、あなたにお返しますので』
だった。
手紙から伝わってくる真摯な願いに、困惑し、差出人を疑ったアリュシアーデに罪はないだろう。
そして、相手は周到だった。
「ア、シンじられませんカ。ワかりまス!ダイジョウブ、そんなトキのタメに、もうイッツウありますカラ!」
渡された同じ封書を開け、読み進めていく内に、今度は頭の中で鼓動の音が激しくこだました。
書かれていたのは、幼き日に彼女と王太子が過ごした、王宮の庭園での甘酸っぱい思い出だった……。
(あ……ありえない。なんで、帝国の皇女殿下が知っているのーー!!!)
頭の中で何度か叫んで、少し落ち着くと、逆に、帝国の皇女でもないと、知らない情報と云えるのかもしれないと思えるようになった。
王国が帝国に間諜を送り込んでいるのは、公爵家の娘として、王太子妃候補として知っている。
当然、帝国からも入っているだろう。
こんな、大多数にとってどうでもいい話も、何らかの参考にするのだろう……。
「信じます……とりあえず」
逡巡の果て、アリュシアーデがそう告げると、怪しい女はとても嬉しそうに謝辞を繰り返した。
とても疲れた気分になったが、何とか簡単に返信を書き、渡すと、相手は恭しく受け取り懐にしまった。
「マタ、くルヨ!」
短い挨拶を残し、嵐のような訪問者は、実にあっさりと立ち去った。
再び閉じたカーテン。
昨日までと何ら変わりない自分の部屋だったが、彼女の内面は昨日とまるで変っていた。
何日も無為に過ごした事の方が、今は夢のようだった。
そして、手の中にある封書は、これ以上ない現実を彼女に指し示していた。
「相談……お父様は駄目よね。王太子殿下に、いえこういう事は……」
歩こうとしたところで、体に力が入らない事に気づく。
最後に食事したのがいつか思い出せなかった。
喉もカラカラだった。
アリュシアーデの呼び出し鈴を聞きつけ、飛び込んできた侍女に彼女は微笑んだ。
…まぁ大抵手を見れば、身分が分かるかと。
(例外はあります)




