05
人目につかない場所に行こうという音坂さんの誘導に従って、俺たちはメインとなる会場から離れた建物の裏手まで移動していた。
これだけ大勢の人間が集まる場所で、人気のない場所を探すのは至難の業に思えたのだが。
(……マジで人、いねえんだな)
来場者どころかスタッフすら見当たらないのだ。不自然すぎるそれは、偶然というよりも目の前の男の不思議な力によるものなのかもしれない。
ピロン。
そう思った時、ポケットの中で俺のスマホが小さく音を立てた。
何か連絡を受けたのかもしれないと手に取った端末を前に、俺は自分の目を疑うことになる。
「な、なんだよこれ……!?」
「あの、鵜九森さん……もしかして」
明らかに怯えた様子の香宮さんが、唇を震わせながら俺と同じようにスマホを手にしている。
その画面は俺と同じように真っ暗で、血と見間違えるほどの生々しい色をした赤い文字が表示されているのが見えた。
『あなたは死にます
(30秒)』
電源ボタンを押しても画面の文字が消えることはなく、電子音が鳴る度にカウントダウンの数字が減っていく。
何が起こっているのか理解は追い付かないが、少なくともこの数字が0になったら、良くないことが起こるのは確かなのだろう。
「お、音坂さんっ!!」
こんなものはタチの悪い広告やウイルスと同じだと笑い飛ばせたら良かったのに。
相手が目に見えない存在なのだとすれば、数字を眺めることしかできない俺たちに逃げ場などない。
縋るように詰め寄った先の音坂さんは一人冷静な顔をしていて、片手でジャケットの内ポケットを探っている。
「うん、対処しようね」
そう言って取り出されたのは、見覚えのある透明な万年筆だった。同時に、身体の内側を何かが這い回るような不快感と浮遊感。
あの時の感覚と同じだと思った直後に、俺は大量の赤に囲まれていることに気がつく。
会場の中にいたはずなのに、そこに広がるのは平衡感覚を失いそうな真っ暗闇で、赤いと感じたのは血だ。
「ここ、どこだよ……? 前とは全然違うじゃねーか、っ」
禍々しいオーラに包み込まれているみたいなこの場所は、立っているだけで吐き気がしてくる。
あれほどうんざりしていた蒸し暑さを感じない代わりに、気を抜けば意識を持っていかれてしまいそうなほどに、空気が重く淀んでいた。
「落ち着いて、琥太郎くん」
聞こえてきたのは間違いなく音坂さんの声だが、目を凝らしてもその姿は見えない。あの時と同じで、この空間の中にはいないのだろう。
「落ち着けっつったって、どうすりゃいいんだよ……!?」
早くしなければカウントダウンが0になってしまう。そう考えた時、俺は手元に自分のスマホが無いことに気がついた。
無機質な電子音だけが規則的に響き続けていて、数字が見えない分余計に焦りが募る。
「今は大丈夫。それより、そこには何が見えるかな?」
「何って、真っ暗で血があって……」
「血? それは本当にただの血かな」
「はぁ!? ただの血もなにも、ッ……あ……?」
よく見れば血だと思っていたそれは、見慣れた文字の形をしているように見えた。
暗闇の至る所に付着している血は、すべてが文字だったのか。
「呪い、拡散、死……そんなんばっか書かれてる……!」
「他には何か無い?」
他ってなんだ。もっと具体的に言えよ。焦りでそんな文句を口に出す余裕すらない。
どこを見ても同じ文字ばかりが繰り返されていて、頭がおかしくなりそうだ。
「あ、れ……?」
自分がもはやどこを見ているのかもわからなくなった頃、俺は繰り返される文字の中に、別の文字が紛れていることに気がつく。
――拡散シテヨ――
周囲の血文字とは異なって、どこか人間らしい丸みを帯びたように見える文字。
惹かれるままそこに触れてみると、崩れた文字から大量の血が溢れ出してきて思わず後ずさる。
不自然な形に積み上がっていく血は人間大ほどの大きな塊になると、再び地面へと流れ出していく。
代わりに中から現れたのは、全身血まみれ状態の一人の少女の姿だった。
「女の子……?」
顔を伏せて蹲ったままの彼女の手元には、スマホらしき四角い物体が見える。
「女の子か。彼女は何をしてるのかな?」
「えっと……SNS?」
背後からそっと覗き込んだ暗い画面の中には、ぼんやりとだがSNSらしきものが見える。
自撮りやいわゆる映え写真というやつを載せているらしいそれを、少女は懸命にチェックしているようだった。
「……んで、拡散してくれないの」
少女がぽつりと漏らす。
「もっと…………モットモット拡散シロヨォ!!!!」
「うわっ……!?」
怒り出した少女は勢いよく立ち上がると同時にスマホを地面に叩きつけて、それを力任せに何度も踏みつけている。
「拡散しろってブチギレてっけど……承認欲求強めのやつか……?」
その光景にはさすがの俺も、感じていた恐怖よりドン引きという感情の方が強まってしまうのは許してほしい。
ふと、壊れたはずの少女のスマホに明かりがつく。そこに表示されていたのは、ネットニュースの記事だった。
――自撮り写真撮影直後に女子高生死亡――
動かなくなった少女の足元から、そっとスマホを取り上げて記事に目を通してみる。
どうやら、女子高生が危険とされる高所で自撮りを決行したらしい。承認欲求を拗らせた人間の末路ということなのかもしれない。
そこに掲載されている写真は、おそらく目の前にいる少女と同一人物だ。
「生前に生まれた強烈な感情ほど、死後も残り続けるものだからね」
「だからって、死んだ後まで拡散させなくたってよ……」
「生前にできなかったことは、死後ならなおさら止められないんだよ」
そういうものだと言われても、俺には理解ができないけれど。
赤と黒で埋め尽くされていた空間の中に、細い光の線が引かれていく。
――拡散終了――
その文字を呆然と見上げていた少女は、纏う血が溶け落ちて徐々に人間らしい姿を取り戻していく。
閉じた瞳から一粒の涙が零れ落ちると、彼女の姿は光のように透けて無くなっていった。
続けて暗闇が端から欠け落ち始めたかと思うと、その向こうには会場の外壁と音坂さんたちの姿、そして蒸し暑さが戻ってきた。
「おかえり」
「おかえりじゃねーんスわ。だから何なんだよこれ!?」
「まあまあ」
音坂さんはヘラヘラと笑っていて、俺の怒りを逆撫でする。一発くらい殴っても許されるんじゃないだろうか?
「それより、スマホはどうかな。戻ってる?」
「あ……戻ってます!」
俺よりも先に確認をした香宮さんの声に、ずっと手の中にあったらしい自分のスマホを見下ろす。
暗くなった画面の中に表示されていた文字も数字のカウントも消えていて、電源を入れると見慣れた待ち受け画面が現れた。
「呪いの元凶は成仏したから、もう安心していいよ」
「ありがとうございます、音坂さん……! 鵜九森さんも……!」
「いや、俺は別になにも……」
何もしていないというわけではないが、何をさせられていたのか理解ができていない、という方が正しいのだろう。
「けど、承認欲求に巻き込まれて死にかけるとか迷惑すぎるだろ……」
ネットを介して誰もが有名人になれるチャンスがある時代。自分を認めてほしいと、あらゆる手段で情報を発信する人間がいるのは知っている。
そうした人間をどうこう思うこともないし、俺には関係ないのだから好きにすればいいとも思っていた。
だが、こちらの身に危険が及ぶとなれば話は別だろう。誰もがそう思うはずだ。
「……私はちょっと、わかる気がします」
そんな俺の考えに反して理解を示したのは、あれほど怯えていた香宮さんだった。
「私も誰かに見てほしいと思って、コスプレを始めたんです」
「承認欲求を持つこと自体は悪いことじゃないからね」
彼女はともかく、音坂さんにもそうした欲求があるのだろうかと疑問を感じざるを得ないが。
「今は活動自体が楽しいと思えるけど、それは運が良かっただけで。私も一歩間違えたら、彼女みたいに承認欲求を拗らせていたのかもしれません」
(認められたい、ってのは……ちょっとわかる)
それが良い方向に進んでいくかは、各々の持つ運次第なのかもしれない。
「それじゃ、そろそろ帰ろうか」
「はい。crossのパン買って帰りましょう!」
「いいね。じゃあ一鶴ちゃんは着替えておいで」
見送られて更衣室へ向かう香宮さんの足取りが軽く見えるのは、憑き物が落ちたからなのだろうか?
またしても非現実的な光景を見せつけられて、目の前の男の不可思議な力が本物なのだと痛感する。
この人のもとで本格的に働き始めるのだとすれば、俺には聞いておかなければならないことがあった。
「……音坂さん」
「ん?」
「ちゃんと説明してくれませんか。あんたの力のことと、俺がやらされてること」
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