第1話 新しい俺
目が覚めたら、ラブホのベッドの上にいた。
ベッドには俺しかいなかった。
過ちを犯した記憶も相手も存在しないが、この豪奢な天蓋と浮世離れした家具は、どう考えてもラブホのそれだった。
「どこだここ……」
起き上がって声を出した瞬間、ぶったまげた。
自分の喉から女の声が出た。
よく見ると、何だか肌も白くて髪も長いし、ネグリジェのようなヒラヒラした服を着ていた。
「なんだこれ!」
半ばパニックになりながら、ベッドから降りた。
ふと横を見ると、ネグリジェを着た金髪の美人がいた。
「あっ、すみません! 俺怪しいものじゃなくて、いや日本語わかんねえか。えーっと、ソーリー、アイアム……」
話していて、違和感に気づいた。
「これ……鏡……か?」
指で触れると、ひんやりとした。
鏡の中で、金髪の姉ちゃんも驚いた顔をしていた。
しかしそれこそが、俺だった。
『ありのままおじさん 〜恋愛小説のヒロインに転生したら、婚約者と男の友情が芽生えた〜』
考えることを放棄して、一旦ベッドに戻ってあぐらをかいた。
あまりにも状況がわからなかった。
最後の記憶は、妹のプリンを勝手に食べて大喧嘩したことだった。
確かにその時まで、俺は四十三歳の権田武だったが、どういうわけか今は外国人の姉ちゃんになっている。
夢だと思いたいが、それにしてはリアルすぎる。
「リゼットさま、お目覚めでしょうか?」
不意に扉を叩く音がして、俺は顔を上げた。
「誰だ?」
「おはようご……まっ! リゼットさま、なんて格好をされているのですか!」
入ってきたのは、メイド服を着た茶髪の外国人だった。
「こいつリゼットっていうのか?」
「リゼットさま、寝ぼけていらっしゃるんですか? そんなはしたない座り方をしていると、奥さまに怒られますよ」
メイドはピシャリと言い放った。
口うるさい妹のことを思い出した。
「朝食ができていますよ。お着替えをお手伝いします」
「は? 着替えなんて自分でできる。何歳だと思ってんだよ」
呆れながら答えると、メイドはポカンと口を開けた。
「リ、リゼットさま。先ほどから一体どうされてしまったのですか?」
「だから俺はリゼットじゃねえんだって。権田武っていうんだ」
ケツをボリボリと掻きむしりながら言うと、メイドはよろめいて、手にしていた服を床に落とした。
「リ、リゼットさまが、小汚い親父の霊に憑依された……!」
「おい、小汚いとかいうな」
「いやぁああああああ!」
メイドは叫びながら、部屋を出て行った。
「あいつ、まじで穂香みたいだな……」
憎たらしい妹の顔を頭から追いやりながら、服を拾い上げた。
今着ている服は、チクチクするうえ、スースーして嫌だった。
メイドが置いていった服の方が幾分かましに思えた。
「どうやって着るんだ」
しばらく奮闘したが、着方がわからなかった。
俺は服を手に、部屋を出た。
美術館のような廊下だった。
「すげえなここ……」
感心しながら、とりあえず右に向かった。
迷路みたいに広く、全然人に会えなかった。
「おーい、さっきの茶髪の姉ちゃん、どこだー? やっぱ着替え手伝ってくれよー」
声を出すと、高い天井に音がよく響いた。
片っ端から部屋の扉を開けていこうか。
そう思い始めたとき、前方に女性の姿が見えた。
「お、助かった! おーい!」
呼びかけると、女性は俺を見てこの世の終わりのような顔をした。
直後、ヒールをカツカツと鳴らしながら、こちらへ全速力で走ってきた。
「リゼット! あなたなんて格好で出歩いてるの!」
「えっ」
「母さまは、そんな子に育てた覚えはありません!」
近くで見ると、さっき鏡で見た俺と、瓜二つの顔をしていた。
この身体の持ち主の母親だろうか。
そんなことを考えていると、身体がふわりと浮いた。
担ぎ上げられていた。
「な、なんだ!?」
「なんですか、その言葉遣いは!」
「待ってくれ、俺は――」
「口を閉じてなさい!」
グネグネといくつもの角を曲がり、最初にいた部屋まで戻ってきた。
女性は俺をベッドに放り投げると、ふんと鼻を鳴らした。
「全く! 昨日のことで怒って当てつけでもしてるの? 何を言ったって、認めませんからね」
「いや、なあ、俺の話を聞いてくれよ!」
「そのはしたない言動を反省したら聞きます!」
女性は眉尻を吊り上げてそう言い放つと、部屋を出てしまった。
また、一人になってしまった。
俺は大きくため息をついて、ベッドに沈んだ。
「俺は……俺はどうなっちまったんだ? ここはどこなんだ?」
メイドが言うように、リゼットという外国人に憑依してしまったのだろうか。
生霊なのか、死霊なのか、それとも別の何かなのか。
寺生まれの俺だが、正直霊感なんて欠片もないし、信じてもいなかった。
しかし、今は他に説明のしようがない。
「夢なら覚めてくれ……」
身体を丸めて、一人祈った。
その瞬間、デカい音で腹が鳴った。
腹が減っていることに気づいてしまった。
「飯……」
そういえば、茶髪のメイドが朝食があると言っていた。
「たくあん食いてえな」
急に元気が出てきた。
食堂を探しに行こう。
ベッドを降りて、ウキウキで扉を開け放った。
「ぐっ……!」
「ん?」
嫌な感触とともに、苦しげな声がした。
扉の前に誰かいたらしい。
「すまん、痛かったか?」
「リ、リゼット……?」
扉の後ろを覗き込むと、鼻頭を押さえた赤毛の男と目が合った。
土日中心の更新になりますが、のんびりお付き合いいただけますと幸いです。




