1-4:穏やかな日常と
いつもご覧いただきありがとうございます。
大変な目に遭った。
夕食のための買い出しに走らなければならなかったし、帰路を急いでいる間も詰めてくる王太子がいたので走るための息が説得に持っていかれて困った。待って、あとにして、話すから、先に買い出しを終わらせて帰らないと、とツカサはミルクを買い、トリニクを買って自宅へ全速力で駆けた。王太子にしてみればその姿は逃げ出したように見えただろう。
濃厚な牛乳を振り回すとバターになるとかなんとか、小学生のころ、テレビで見た気がするが構っていられなかった。空間収納に頼ればよかったのだがどうしても買い出しをこの手でしたかったのもあり、少々意固地になっていた。
途中で王太子はツカサの速さについてこられなくなったが、一定の距離感で離れない気配があったので近衛騎士だろう。それを見て見ぬふりをして家に辿り着いた頃にはすっかり日が暮れていた。
「どこに行ってたの?」
家に飛び込み、ただいま、と叫んだ瞬間に掛けられた声だった。仁王立ちのモニカが真顔で尋ねてきて再び息を呑み、喉が鳴った。まず謝った、それからつい勢いで時計台に行ってしまい、見晴らし台まで上がって、時間が掛かってしまったと素直に白状した。モニカは呆れた様子だったがおなかを抱えながらリビングのソファへ戻っていき、小さな声でおかえりと言ってくれた。その肩に触れてごめん、と改めて謝れば、手をそっと握られた。夕飯の支度までに間に合うよう戻ると信じられていたのに、裏切ってしまったことに胸が痛くなった。
「オレ様のせいだって言ってもいいのに、お前、いい奴だよな」
「確かにそうかも、ツカサのいいところなの」
ホムロルルが嘴を寄せて慰めてくれ、モニカがツンとしたまま肯定してくれ、ツカサは少しだけ苦い気持ちで眉尻を下げた。そうしてモニカが許してくれることに感謝をしていれば、仲直りしているツカサの肩をアーシェティアが叩き、手を差し出してきた。
「おかえり、ツカサ殿。籠を預かろう」
「ただいま、アーシェティア。ありがとう、でも、あれ? 夕飯できてる?」
鼻孔をくすぐるミルクの甘い香り、そこにふわりと乗っかっているトリニク、少し独特な自己主張のあるニンジンの香り。今はオーブンでパンを焼き直しているのか小麦の焼ける食欲をそそる香ばしさも立ち込めていた。既に夕食が整っているように思えた。
「きっとツカサがあちこちうろつくだろうから、クローネにお買い物してきてもらったのよ」
階段をゆっくりと降りながらエレナが言い、ツカサは頬を掻いた。
「読まれてんじゃねぇか」
ホムロルルはラングの椅子の背もたれに降り立ち、先ほどの連帯感など嘘のようにニヤニヤした顔でツカサを見てきた。実際に表情がアニメーションのように動くわけではないが、こういうのは雰囲気でわかる。目も鳥にしてはにまりとしていて腹が立った。ツカサはトリニク、と悪口を言ってホムロルルを鳴かせてからマントを玄関のコート掛けに置き、手洗いうがいをして食卓の席へ着いた。
シチューの鍋が中央に置かれ、皆でよそっては皿を回していた作業はシュレーンが一人で担う形になっている。ラングたちと食べた時間が思い出され、少し寂しかった。つい先日まで【ラング】とアルといたので急に男所帯から男一人になってしまった寂しさも理由だ。
「ホムロルル様はお肉だけでいいのですかぁ?」
クローネが間延びした声で鷹を前に問いかけていた。鷹は自分の体がどうなっているのかわからないので、今のところ生肉と味付けなしの肉しか食べていない。
「あぁ、とりあえずはそれで頼むぜ、悪ぃな」
「いいえぇ、ではご用意いたしますねぇ」
赤身のしっかりした肉を切って皿に載せ、食卓に添えられた。テーブルに並んだ料理との違和感はすごいが仕方ない。ホムロルルの鉤爪がカチャカチャと爪がテーブルを叩くのはホムロルルも座りがよくなく、テーブル自体も削れそうで気になった。テーブルクロスは敷いてあるが、ホムロルル用に何か分厚いものを用意した方がよさそうだ。ツカサは器を乗せた時のデコボコ感、気になるんだよな、とテーブルを撫でながらホムロルルに尋ねた。
「向こうでは普通にスープに浸したパンとかも食べてたけど、どうなんだろうね」
「お話しできる鳥っていうだけで、もう私はびっくりだよ」
「モニカ、ツカサの周りに常識を求めちゃだめよ」
「エレナ」
「ツカサ殿、空腹だ。このままでは海に飛び込んでしまう」
わかった、わかった、とツカサはシュレーンとクローネの着席を待ってから手を合わせた。
「いただきます」
ホムロルルも声を合わせていただきます、と言った。さらりとしたミルクシチューはとてもシンプルだ。クローネは肉や野菜を煮込んでつくるブイヨンを使ってこうしたシチューを作ってくれるので、ツカサには馴染みのある懐かしい味になる。そこにとろみがないことは気になるが、味はとてもいい。
ツカサの舌はすっかりラングの味付けにも慣れているので、ハーブが入っていないことは物足りなかった。あとは塩味だ。これもまたエレナとモニカに合わせているから少しだけ薄く感じる。もちろん、そんなことは言わない。
エレナとモニカを優先してほしいと以前伝えているし、それこそ味が足りない時用にシュレーンが岩塩と、ブラックペッパーのようなスパイシーな実の入ったミルを置いてくれているのだ。これを使うのは負けた気がして嫌だった。あとでこっそり味の濃い肉串を食べようと思った。
「ツカサ、聞いてる?」
モニカにつんとつつかれて驚いてしまった。スプーンを取り落としそうになり、掬っていたシチューがポチャリと器に戻ってしまった。エレナも、アーシェティアも心配そうに、シュレーンはツカサの横に立ってパンの籠をこちらに差し出していて、クローネはホムロルルにおかわりの肉を出していた。ツカサはとりあえずパンをもらい、礼を言ってシュレーンを座らせた。
「ありがとう。ごめん、モニカ、ちょっと考え事してた。もう一回いい?」
「あのね、ツカサが出ている間にヴァンさんからお手紙が来たの。書斎に置いてあるから読んでね? って話」
えっ、と声を上げてしまった。ヴァンのことだ、伝達竜を使って直接ツカサに手紙を届けるかと思いきや、今回は人をやって正式に手紙を持ってきたらしい。なんだか嫌な予感がした。眉を顰めたツカサに釣られ、モニカが不安そうな顔をしたのでにこりと微笑んだ。
「わかった、あとで読んでみるよ。もしかしたら、ダンジョン研修明けに顔を出すって言ってた件かもしれないなぁ。日程聞かれたらどうしようか?」
「シュレーンさんとクローネさんがいるからお茶はお任せできるし、ツカサが居る時ならいいよ。エレナさん、それでどう?」
「構わないわ。お医者様も、シュレーンとクローネもヴァンの手配だもの、一言ちゃんとお礼は言いたいと思っていたのよ。貴女たちもどうかしら」
「ヴァン様によい職場を紹介いただいたこと、是非、私どももお礼をお伝えしたいと考えております」
内輪で話がまとまったので、もし日程を問われたらツカサが居る日を指定することにした。
「ツカサ、ヴァンさんたちが来る日は出掛けちゃだめだよ?」
モニカからちくりと言われてしまい、ツカサは苦笑を浮かべた。
夕食が済んで食後のお茶を楽しみながらツカサがホムロルルと見てきたイーグリスを話した。ホムロルルは目新しいものにどれだけ驚いたかを饒舌に語り、すっかり喋る鷹の存在を家の中で確立させていた。お喋りなホムロルルの声に口を挟むことができず、ツカサは皿洗いでも手伝おうとしたが、クローネに、私どもの仕事ですぅ、と断られ、シュレーンに、ではこちらを、とお茶のおかわりを持たされて追い払われた。ラングと並んで皿洗いしたのが懐かしい。
「それでよ、オレ様は人混みを先に飛んでったわけだ! この街は美味いもんの匂いがいっぱいでたまんねぇな!」
「あの通りは屋台いっぱいだもんね、お散歩いってついつい食べちゃう。でも、お医者様から食べ過ぎはよくないってこの間注意されちゃった」
「モニカは悪阻も結局なかったものねぇ」
「ふふ、それどころか私と同じくらい食べる」
もー! アーシェ! とモニカが笑いながら言い、エレナとアーシェティアが笑う。ホムロルルも落ち着けよ、と嘴をモニカの手に寄せ、恐る恐る撫でる手にも体を寄せてやっていた。コミュニケーション能力の高さはアルと同じだ。風の属性はそうなのだろうか。ツカサは俺も忘れないでとアピールするように咳払いをして注目を集めた。
「お茶のおかわり持ってきたよ、あと少しおやつも」
シュレーンが用意してくれたトレーをテーブルに置けば、わぁ、と女性陣の顔が綻ぶ。あぁ、この瞬間好きだなぁ、とツカサは笑いながらモニカの横に座った。プレーンのクッキーはサクっとした食感で、口の中の水分をじゅわっと吸いながら少し膨らむような感覚があった。咀嚼をすればバターとほんのわずかなしょっぱみがあり、おなかいっぱいでも数枚は食べられる感じだった。
お喋りなホムロルルは時計台に行ったあたりでツカサが上ってくるのを随分待ったんだぜ、というところまで辿り着いた。
「見晴らし台は景色いいでしょうねぇ」
「すごくいいよ、風が気持ちいいしさ。でも上がるのも下りるのも本当に大変」
それじゃあ時間も掛かるわね、と今日はずっとチクチクされる。日を跨いで持ち越さないでくれるので、今日は耐える日だ。食後、一時間も話しただろうか、シュレーンとクローネが並んで一同に礼を取った。
「旦那様、奥様方、アーシェティア様、ホムロルル様、それでは、本日はお暇いたします」
「うん、ありがとう。また明日もよろしくね」
スカートを摘まんでの綺麗なお辞儀にツカサは胸に手を当てて小さな会釈で返した。シュレーンの眼鏡の奥で微笑が浮かべられ、クローネは軽く手を振ってのんびりと家を出て行った。ツカサは扉が閉まるまで見送り、鍵をかけた。
「そろそろお風呂に入って寝ましょうか」
「そうだね、ちょっと遅いし、アーシェ、一緒にはいろ?」
「いいとも。エレナもよかったら、背中を流すくらいは手伝わせてくれ」
ツカサは一人リビングにポツンと残され、風呂の準備行く女性たちを見送った。ホムロルルが肩に来て言った。
「オレ様が一緒に風呂に入ってやろうか?」
「そうだね、ホムロルルも一回洗っておきたいかも」
「ピェー! オレ様はいつだって綺麗だってんだよ!」
「本当に? ちょっと焼き鳥みたいな匂いするよ?」
そりゃ屋台通りをいったから、と言いつつも気になるらしく、羽をつくろうようにしてホムロルルの嘴が動いた。そのあと小さな声で、洗わせてやるよ、と強がりが聞こえ、ツカサは笑いながら書斎へ入った。扉の修理は依頼中、壊れた扉は怪我をしないよう、書斎の中で立て掛けてある。
書斎の机の上には一通の手紙があった。伝達竜で送られてくるものよりも上等な封筒、封蝋はあろうことか家紋のようなものが浮かび上がっていた。【鑑定眼】で確認、ヴァンからの手紙、【軍師最高司令官の印】とあった。もうこの時点で開きたくない。机に降り立ったホムロルルは目をぱちくりとさせた。
「開けねぇのかよ?」
「ちょっと嫌」
それでも開けるしかない。ツカサはキスクからもらったレターオープナーを取り出し、切っ先を端へ差し込んだ。これもまたあの時間の証明、細部にこだわってくれた友を、これを握りしめて命の女神へ命名の儀を行った青年を思い浮かべ、深呼吸した。
実はレターオープナーを使うのが初めてでドキドキしていた。少しだけ鋭くなっている刃先を当て、腕を滑らせればすっと切れた。おぉ、と感動したのも束の間、中身に一瞬瞑目した。封筒の厚みかと思っていたら、中はかなりの枚数があるようだった。
「もしかしたら、【快晴の蒼】の全員からだったりして」
なんてね、と取り出せば一番上にあったのはシェイの手紙だった。ヴァンからなのに、ヴァンじゃない。どういうことだ。ツカサは椅子に座り、内容を確認した。
――ツカサ
お前、命の女神に何をした?
ツカサは素早くシェイの手紙を伏せ、見なかったふりをしてヴァンの手紙に移った。
――ツカサ
やぁ、ご機嫌いかがかな?
シェイの手紙を一番上にしたけど、どうだったかな?
君はきっと驚いて、次の手紙に逃げただろう。
でも、残念ながら聞きたいことは僕も同じだ。
この国、この大陸の人々はいろいろと話してはならないことを【沈黙の誓い】で縛っているのだけれど、しかしながら、多くの人々が【沈黙の誓い】で縛られなくなっている。
たった一日、王城で、街中で、軍の中で、あちらこちらで【思わず喋れてしまった情報漏洩騒ぎ】だ。
僕は神に関することで勘を外さない方なのだけれど、僕ら以外で神に関わっている人物として浮かぶのは、ツカサ、君だ。
そうであるにしてもないにしても、事情聴取を行いたいので、少々、時間が欲しい。
【快晴の蒼】のメンバーからだと思ったのなら申し訳ないが、以降の紙は念のための【召喚状】だ。
拒否権はない。君はスカイ王国の民だからね。
聡明な君のことだ、【召喚状】不要で、聴取に応じてくれると信じているよ。
手荒な真似はしない、安心したまえ、君のご家庭にも配慮する。
元々、ダンジョン研修のあとにお邪魔したい、という話はしていただろう?
その体でお伺いさせていただこう。
日程はこの手紙を読んで三日以降、七日以内を指定してくれ。
三日は僕らの移動時間なので、事前に話すことをまとめておいてくれると有難い。
手紙の返信は不要、外に出て、囁けばいい。風が僕に届けてくれる。
それでは、よい空を。
――ラス・フェヴァウル
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。




