4-37:四つ目の欠片
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空を飛び、隠れ家に向かう途中、先ほど崩落した広場を見た。地層は幾重にも色を見せており、地盤はかなりしっかりしていたことがわかる。けれど、それはやがて暗い闇に溶け始め、最終的に光の見えない底がぽっかりと口を開けていた。大きな穴はイーグリステリア事変の最後、シュンを倒してダンジョンになりかけたものが崩れ落ちた時にも見た。あの時はダンジョンコアを持ち帰り、【変換】で温泉ダンジョンを創り、その穴を塞いだ。それもあり、随分と間抜けな感想がまろびでた。
「あれ、塞ぐの大変だろうな……」
ツカサの呟きに対し、空腹を示すかのように低い音が大きな穴から響いてきている気がした。いや、きっと、風の音だ。
「不味いな、守護騎士の数が少ないせいもあるだろうけど、門で揉めてる。さすがにあの崩落でやばいって思った奴らが多いんだな」
アルの声に大門を見遣れば、そこには蟻のように群がっている黒い人々の塊が見えた。こうなってしまえばさっさと門を開くべきだと思うのだが、どうやらまだ開いていないようだった。早く開けばいいのに、とツカサが首を傾げればラングが言った。
『不安だからこそ、自身の職務を守ることで平静を保とうとする奴がいる。その門を開くことでどんな変化があるのか、していいことかどうかがわからなければ、言いつけを守ろうとするのも人だ』
『状況をきちんと知らないから、ってこと?』
『そうだ。いずれ、緊張に耐えかねた民衆に殴り倒されて門を手放すことになるだろう』
放っておけ、とラングはそこに関わる時間を手放した。
優先順位だ、ツカサたちが首都・レワーシェの底をどうにかすることができれば、彼らは逃げる必要がなくなる。だが、どうにもできない時のために彼らには逃げておいてもらう必要がある。
あの時と違うのは戦場を選ぶことができず、敵のホームともいえるここが戦場になるのだから、人がいなければいないだけこちらも力を使うことができるのだ。
「ヴァンが言っていたのは、対策していたのは、そのためなんだ」
あの事変を振り返り、行動のひとつひとつ、その理由を知ったように思えた。ツカサは目を凝らしてもよく見えないそれがホムロルルの翼で見えなくなるまで見つめていた。
墓地周辺は街の中心部とも大門とも違い、相変わらず人がいない。大通りに降り立ち、地面へ足をつけ、それが崩落しないことに一瞬の安堵を覚えた。ツカサが扉をノックすれば中から鍵を持つキスクが顔を出し、どうぞ、と皆を招いた。足を踏み入れてアルはすげぇ、と声を零した。家の中に足を踏み入れるまで、アルにはキスクの姿も見えないままだったらしい。一歩踏み入れた先が暖かな空気で満ちていて、暖炉で薪が燃え、壁のランプに火が灯り、水がたっぷりとある。時間が止まっていて減ることもないのだと説明をすれば、さすが神様、とこの時ばかりは持ち上げていた。
「待っていたのである」
誰かが口を開くより先にユキヒョウが無理矢理胸を張って偉そうに言った。そのふんぞり返った胸はすぐにしょぼんと項垂れて、キスクの太腿に頭突きをして甘え始めた。
「ユキヒョウ、落ち込んでる?」
「あぁ、いや、うん、親父がほら、還ったから」
そうだ、ツカサは【命の女神の欠片】を受け取ってすぐ、意識を失い精神世界に落ちてしまったのでその後の皆の反応を知らないと気づいた。ヴァンと会話し、解決の目途が立ったことで安堵していたこともあり、少々考えが足らなかったかもしれない。それを申し訳なく思い、ツカサはそっとユキヒョウに近づいて覗き込んだ。
「ユキヒョウ、触っていい?」
「うむ、いいのである」
顎のあたりにそっと手を差し込めば、ユキヒョウは寂しそうにぐるる、と喉を鳴らして顔を押し付けてきた。ぐいっと擦り寄るユキヒョウは体重をかけるようにして甘えてくるので案外重い。
寂しさのあまり、死んですぐのトルクィーロに【命の女神の欠片】を与えて延命させたユキヒョウなのだ。三年近く共に過ごし、トルクィーロと喧嘩をし、じゃれ合い、関係性を築き上げてきた。最期の別れは父と息子のものであったが、ユキヒョウだって寂しくて当然だった。ツカサはユキヒョウの首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。肩口に置かれたユキヒョウからぐいぐいと押され、よろけた。ツカサはこの体で預かっている【理の女神】がユキヒョウを慰めてくれると信じるしかなかった。
「ツカサから女神様の気配がするのである」
「預かってるからね」
「あったかいのである……」
ユキヒョウが泣きじゃくり始め、キスクがその頭を撫で、ツカサは寂しがりのユキヒョウを抱きしめ続けた。
解決しなくてはならないことのために必要であり、そうしなくてはならない。先へ進むために求められる決断は誰かにとっては望まれることではなく、生と死は両立することはない。だが、どちらも友である。
「正しい正義なんて、どこにもないんだ」
ツカサは、寂しいね、ごめんね、と胸中で詫びるしかなかった。そして、テルタの強い覚悟もまた、受け取ってきた。ユキヒョウをキスクに促し、ツカサは立ち上がるとこちらを静かに見守っていたショウリを見遣った。小さな深呼吸の後、ショウリは口元を引き攣らせるようにして笑った。
「俺の番が来たんだな」
「うん。……覚悟に変わりはない?」
「言っただろ、もう逃げねぇよ」
肩を竦めて返され、ツカサは頷いた。近寄ろうとしたその足をショウリが手で制した。
「でも、最期に、少しだけ話をさせてくれねぇかな、アル」
名を呼ばれ、皆から視線を注がれてからアルは足を踏み出し、ショウリへ近づいた。大きな歩幅、真っ直ぐに踏み出された迷いのない足、皆が道を譲った。ショウリの前に立てばアルは頬を掻いた。
「託すのはやめてくれよ?」
「しねぇって。結局、言えてなかったからよ」
何を、とアルが首を傾げれば、ショウリは少しもじもじした後、鼻先を掻いて顔を上げた。
「信じてくれて、守ろうとしてくれて、……ありがとな」
まるで叱られた子供が渋々と言うかのような姿だ。礼を言うこと、謝ることが恥ずかしくて仕方ない、そんな子供じみた態度。そこに成熟したショウリの姿ではなく青年であるシュンを見て、アルは大声で笑った。腹を抱えて笑うアルに、顔を真っ赤にしてショウリは震えていた。
「お前! なんなんだよ! ど、どういう笑いなんだよそれは!」
「わはは! 悪い悪い、いや、何を言うのかと思えばと思って!」
「あのなぁ、俺は本当にあの時のことを感謝してんだぞ! 村のことだって、俺が結局壊しちまって、マジで辛くて、それでもあんたがあの時居てくれたから」
「わかってる、落ち着けよ、そうじゃないって」
あ? とチンピラめいた声を出しながらショウリが眉を顰めれば、アルは目頭の笑い涙を拭い、その肩を叩いた。
「俺、お前からの礼はもう聞いてるぞ」
アルは叩いた肩にそのまま手を乗せ続け、ぐっと握り締めた。
「あの丘で、お前の首を斬った時に聞いてる。ちゃんと、届いてたさ」
ショウリは唇を結び、瞑目した。そうして涙を堪えているのだとわかった。それでも目の奥から滲んでくるものが閉じた瞼の間からじわりと睫毛を濡らしていた。再び開いた瞳は黒く、髪を掻き上げるようにしてショウリは黒髪の青年へと姿を変えた。肩に置かれたアルの手を握り、青年は無理矢理笑った。
「お前はサルムじゃないし、シュンでもなくて、ショウリだ。だから、あの時のことは、お前から礼をもらうことでもないんだ」
「善意だろ、受け取っておけよ」
「勿体ないって話だ」
ショウリの肩から手を退け、アルは代わりに拳で胸板を叩いた。槍を握る男の力の強さに少し呻いてはいたが、ショウリは叩かれた胸を握り締め、逡巡、顔を上げた。
「……あんたと、知り合いになれてよかった。言っていいなら、ダチになれて、よかった。サルムだけじゃなくて、俺もそう思ってる。どっちもすげぇ短い間だったけどな」
「そうだな。次もダチになろうぜ」
「殺されるのは勘弁な」
「あはは! そうだな!」
ショウリが差し出した手をアルは即座に握り返し、互いに笑いあった。少し名残惜しく離された後、アルの横を通り抜けてショウリがツカサの前に立った。別れの言葉はいくらでも重ねられる。それを切り上げるのも覚悟なのだ。こう問いかけるのは残酷かもしれないが、ツカサは肯定が欲しくて尋ねた。
「もう、平気?」
「あぁ、キスクも言ってただろ、どこまで生きりゃ満足なんだってなっちまうって。言い始めたらキリねぇよ。ニテロも、テルタも、テルマも、幸せになるところを見てぇのは変わんねぇし。だから、ここいらで引き上げてぇんだわ」
ツカサは沈黙のまま頷き、ラングへ振り返った。するりと双剣を一本抜いたラングは足音もなく近づいた。
「手を出せ」
ショウリは深呼吸をしてから腕を差し出した。
「なぁ、注射の時みてぇに刺しますとか斬りますとか言って……いってぇ!?」
いろいろと言い始めたショウリの手首をしっかりと掴み、ラングは容赦なくその腕を斬りつけた。血は出ず、そこに命がないことをツカサは確かめた。
文句を言おうとしたショウリの目が瞼に隠れ、体から力が失われた。がくりと倒れそうになったその体をアルが支え膝をつかせれば、ショウリの体全体が淡く黄金に輝き、ぱちんと弾けた泡のように光の粒が中に舞い、最終的にゴルフボールほどの大きさにまとまった。黒髪の青年は消え、残ったのはクリーム色の癖毛の壮年の男だった。宙に浮いた【命の女神の欠片】、ツカサはそれを誰か邪なものに奪われる前に手を伸ばし、誘いの歌を口にして胸に抱いた。
不思議なことが起きた。ツカサは目を瞑り、【命の女神の欠片】を受け入れながら自身を通り過ぎていく記憶の欠片を眺めた。風に吹かれて木の葉が飛んでいくように流れていく記憶。ツカサは後ろを振り向きながらそれを目で追った。
目を覚ました時、路地に転がっていて体が痛かった。何があったのかをすぐに思い出せず、ぼんやりと建物の隙間から空を見上げていた。誰かの声がして、手を差し伸べられ、恐る恐る掴んだ。ぐっと強く握り返されて引き起こされ、温もりをひとつ知った。
世界を知ろうとした。宗教の争いがあったことはわかった。それが落ち着いて、今、人々が生き直しているのだと知った。何かできることはあるだろうか、そうして悩む青年の姿をツカサは見た。
楽しい日々だった。畑の試行錯誤、屈強な男たちと共に作り上げた滑車のついたワイヤー。物ができるまでの喧々諤々とした日々。喧嘩もした、設置場所についての調整もした。試みが上手くいった時の達成感は凄まじかった。
トロッコを利用した交易のために畑を変え、果物を栽培し、潤っていく都市、親しげに声を掛けてくれる隣人を大事にして、懐いてくる子供たちを可愛がる毎日に充足感もあった。ちょっとだけ、いい雰囲気になった女性だっていた。
それが突然変わってしまった。トロッコの閉鎖だ。俺が一手に引き受けると訴える青年に対し、ドルワフロも、首都側も手を引くことが決まった。一人ではトロッコを走らせることはできない、と告げられた言葉が悔しくて堪らなかった。人が消えているのだから、何か不味いことはわかっていたので、無理強いはできなかった。
あぁ、俺に魔法があれば、とこの時ばかりは過去を取り戻したかった。
紆余曲折あってファンファルースを出た。人のいないところを探して、それでも寂しくて、首都・レワーシェ近郊の森の中で生活を始めた。食事をとらなくても大丈夫な体であることに不安も覚えながら、ラノベのように、テレビのドキュメンタリーのように、サバイバル番組のように、ひとつずつ手で作ろうと思った。
木を切り倒すのも、削るのも大変だった。毎日毎日、不安や寂しさを忘れるように歪な家を作り続けた。隙間だらけ、結ぶロープさえもなく、草を、蔦を編み込んで用意した。これであっているのかすらわからず、ただ無心でやり続けた。
ツカサが見えた。顔を真っ赤にして泣き叫んでいる姿だ。記憶の欠片から怒りと悔しさ、苛立ちを受け取り、胸を押さえた。
ファンファルースの街に戻るところへ記憶は進んだ。灰色の寂れた街、黒い何かだけがのろのろと温もりを求めてうろついていて物悲しい。そして、ぶら下がった友の死体に叫んだ。
「ポソミタキ! なんで、お前がこんな目に遭わなきゃならねぇんだよ! お前ほど頑張ってた奴はいねぇだろ! なんで、こんな……!」
「大丈夫だ」
「腹減らして、それでも街の奴らに回るようにって、倉庫なんかとっくに空だっただろ! 私財投げうって崖の道を走らせて、誰よりもお前が、報われるべきだった!」
「シュン」
「なぁ……! ごめん、ごめんな、ポソミタキ……! 俺は、ファンファルースの役に、お前の役に立てなかった……!」
「シュン!」
ハッと息を吸い、目を開いた。涙と激情の熱で体が熱かった。この感覚も久々に感じたものだったが、それ以上に目の前の男に言葉を失った。クリーム色の癖毛、青い目の壮年の男。鏡で見ていた自分の顔。両手で握り締められた手の強さと温もりを確かめるように握り返した。
「ポソミタキ……?」
「シュン、お前はよくやった。右も左もわからないでいたのに、ファンファルースのために、俺たちのために、俺のために、たくさんのことをしてくれた」
そうだ、こいつはこういう熱っぽいところがあって、その熱血漢なところがたまにうるさくて、でも、あったかくて、慕われていた。
「お前の内側に俺を居させてくれてありがとう、シュン。手も握ってやれなくて、肩を組んでもやれなくて、お前だけに頑張らせて……! ごめんなぁ……!」
青い目からぼろりと涙が溢れ、思わず釣られてシュンも泣いた。
「俺の、台詞だ、ばかやろう。お前の肩を叩くことも、手を握ることも、できなくて……!」
「わかってる、わかってる! お前と一緒にいたから、全部わかってる!」
「ごめんな、ポソミタキ」
「謝るなよ、ほんと、頼むから」
へへ、と涙を流しながら男たちは強く抱き合った。堪えきれずに嗚咽を零し、互いの背中の震えに少しだけ笑ってしまう。シュンは自身の手から黄金の粒子がふわふわと舞い、別れが来たことを知った。
「なぁ、ポソミタキ、もしお前が少しだけ時間を持ってるなら、ニテロと、テルタと、テルマを頼む」
「わかってる。どのくらいあるかわからないけどな」
ゆるりと離れ、互いに涙に引き攣りながら、笑みを見せた。
「神様がいるなら、と思ったけどよ、これはお前に礼を言うぜ」
シュンは自分の手のひらを眺め、光が散るごとに剣だこのある手に変わっていくことに目を細め、握り締め、心からの声で言った。
「ツカサ……ありがとな」
あの日、自身の中に入ったポソミタキの肩を叩くことも、手を取ってごめんな、と謝ることもできなかった。ここにいたけど、ポソミタキはもうどこにもいないんだと思っていた。
最期の瞬間、この世界で得た親友と顔を合わせ、別れを告げられること。
――あぁ、悪くねぇよ。
シュンはゆっくりと目を瞑り、最期の願いを親友へ届けて消えた。
甘ちゃんめ。でも、ありがとな。




