幕間:食事処で働くかわいいあの子
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アズリア、小麦により黄金に輝く豊穣の国。豊穣の女神ハルフルウストを国教に置くその国は、余裕があるからこそ他国への侵略を虎視眈々と目論む国でもあった。
とはいえ、そうして他国とにらみ合いをしているのは国の上層部であり、国民の多くは平穏に暮らせることを望む者たちばかりだ。他国の冒険者に厳しく、自国の冒険者に甘いという顰蹙を買う面もありながら、だからこそアズリア国民は自らに誇りを持ち、それを享受すべく税を支払う心があった。真っ当に国に従っていれば、運悪く貴族の目にさえ留まらなければ、安穏とした日々を過ごすことができるのだ。
国王の代替わりなど、よほど愛された王でもない限り市井では大きな噂ともならなかった。生活が一変するような事態でもあれば騒ぎになっただろうが、かつての戦役でも悪魔の国がそうならないようにしたため、誰もが変わらない毎日を送っていた。
中には戦役の治安悪化で故郷を無くした者もいた。たまたま人の好い商人に拾われ難を逃れた少女もそうだった。アズリア国内を行商の旅で回る商人が連れ歩くわけにはいかない、と取り急ぎの住処と仕事を与えられた少女は必死に働き、毎日を生きていた。ようやく心に余裕を持ったのは半年ほどが経過してからだった。
――アズリア王国、王都アズヴァニエル。大通りに面した食事処は様々な人が立ち寄り、空腹を満たす。市政に携わる者、冒険者、街中の仕事に関わる者、旅人、なかには市民に扮した貴族まで。働く者は給仕のほとんどが十五歳から二十二、三までの若い女性だ。客層のメインが男性であり、アズリアにおける稼げる性別をターゲットにしているので、客受けのいい人選がされている。昨今では女性も冒険者であったり、自立したりしているので男女比が同数の店も増えてきているが、この店は言うなれば【昔ながら】なのである。店側としては需要と供給が合っていればそれでいい。
そこで働くモニカという少女がいた。最初は警戒心が強く表情も硬かったが、キビキビと働く姿は見ていて気持ちがよかった。守銭奴の店主もまた、そうしたモニカの働きぶりには満足そうにしており、大事にしていたように思う。
あの子の表情はどうにかならないのか、とここに癒しを求めてやってきていた一人が問えば、ここに辿り着いた背景も露わとなり、聞いていた者たちの受け取り方も変わった。
ふわふわとした栗色の髪が徐々に艶を取り戻し、こけていた頬がふっくらとする頃には仕事も覚えて笑顔が見え始めた。なぜだかそれに安心したのを覚えている。
時折、王都に立ち寄る行商人と親し気に会話するその顔が店員の顔ではなく、兄に接するような柔らかい笑顔で、それを見た時にぎゅっと胸を掴まれた。あの柔らかくてあったかい笑顔を向けられたい、と思った。絶対妻にするぞ、と固く決心した。
そもそも、大通りに面したこうした食事処は結婚相手を求める女性が働く場所だ。だからこそ給仕は女性であり、客は男性なのだ。店主もそれをわかっていて値段も少し高めに設定している。稼ぎのある男へ嫁ぐのならば、快く送り出せるという一応の親心でもあるのだ。気に入った女性に声を掛け、少しずつ距離を縮め、デートにこぎつける。結婚するから仕事を辞めます、という給仕がこの店からは多く送り出されている。一部、突然消える女性もいるようだが、駆け落ちか何かだろうと思われていた。
あの子も苦労をしてきたのだ、今後は平穏無事に、夫を送り出し、家でこどもの面倒を見て、食事を作って夫の帰りを待つ。そんな日々を手に入れてもいいと思った。幸い、手に職は持っている。アズリア王都のガラス細工を支える職人だ、こどもの頃から工房に弟子入りして、今では窓ガラスから貴族御用達のグラスまで製作を担っている。毎月の給金だって少しずつ貯めて、少し大きな部屋に移ったって生活に問題がないくらいにはなっている。物件も見ておこうと思った。
応援したい、支えたい、と思う奴は多いのか、少女、モニカに声を掛ける奴は多かった。
「モニカちゃん、今度よかったらお茶でもしに行かない?」
「すみません、今お金貯めているので!」
「もちろん奢るよ!」
「それは申し訳ないです、それよりお店で食べてくれた方が嬉しいですね!」
「モニカちゃん、これ、ハンカチ、あの、刺繍してくれない? その……」
「すみません、私裁縫だめなんです。他の方にお願いしてください……」
「ねぇモニカちゃん、今日何時まで? 夕飯食べに行こうよ」
「お夕飯はお店でいただけるので! 美味しいんですよ、今日はベーコンがあるんです!」
「モニカちゃん、俺と結婚しない?」
「結婚とか考えてる暇ないです!」
本当に忙しそうに仕事をしているので、それ以上突っ込めないのが難しかった。ちなみに、結婚しない? と言ったのがガラス職人である男だ。
他の給仕の女性が男性と会話を楽しんで引き留められている分、モニカが動き回らねばならない状態になっていて、モニカ狙いの男性陣からそうした同性の客は睨まれていた。いや、しかし、少しずつ距離を縮めるのだ、と結婚は置いておいて声を掛け、認識してもらう努力をした。
ある日、モニカが店に来ず、店主も給仕も厨房もざわついていた。病気や怪我をしたのだろうか、と心配をしたが家を知らなかった。
翌日もモニカは来なかった。給仕の女性にどうしたのかと問えば、驚きの内緒話をされた。
「モニカ、同郷の男の子が怪我を負って家に転がり込んでて、そのお世話で出てこれないんですよ」
店長、クビにするつもりはないみたい、贔屓ですよね、と給仕が不満を零すのを遠くに聞いていた。モニカの家に男が居る。それが衝撃的すぎて言葉を失った。
「そ、その同郷の男って、モニカとどういう……?」
「さぁ? 店長がモニカは少しの間休む、って通達して、ジャンナがあとは教えてくれたことなので……、ところでご注文は?」
「あ、あぁ、ええと、これを」
「はぁい」
軽い調子で給仕が離れていくのをぼんやりと眺めながら、ガラス職人は視線をテーブルへ落とした。そこに乗っている自身の指は、熱を扱うので少しだけ分厚い。隣の席に座っている男性は職人ではなく、どこかの宿務めなのか手が綺麗だった。それと比べると不格好で恥ずかしく思うのだが、モニカはそうした呟きに、職人さんの手はかっこいいですよ、と言ってくれた。
「男……モニカの家に、男」
カァッと頭が熱くなって、悔しくて堪らなかった。何が同郷だ、だとしても、未婚の男女が同じ家に住まうなどと破廉恥だろう。もしかして幼馴染で許嫁だったりするのだろうか。
「いや、モニカは結婚を考える暇はないって、言ってた」
それを断り文句とも思えなかったガラス職人は置かれた食事にも手を付けず、じっと考え込んでいた。結局一口も食べずに席を立ち、店を出た。同郷だろうがなんだろうが、女を頼りに転がり込むような奴は碌な男ではない。モニカを守るためにも、早いところ家を見つけて結婚を承諾してもらわなくてはとガラス職人は勇ましく大通りを行った。
暫くしてモニカが店に復帰した。休んでいた分も働かなくちゃ、といった様子で改めてキビキビと働いており、注文以外に声を掛ける隙がなかった。家の候補が決まったので少し相談をしたかったのだが仕方ない。手付金は払っており、選ばなかった家の方は八割が返される。焦ることはない、と自分に言い聞かせた。
それから少しの間、ガラス職人の仕事が忙しくなってしまった。アパルトメントの建て替えの話がガラス職人の仕事にも関わってきた。安いものでいいので窓ガラスをつけて格を上げたいとのことで、設計と試作で忙しく、食事は親方の奥方が用意してくれるパンとハムとコーヒーになった。自宅に帰る暇もなく、あの食事処で食べる昼のパニーニのサンドイッチが恋しかった。
窓ガラスの形と枚数が決まり、あとはその製作を始めるだけ、となった頃、ひと時の休息を親方からもらうことができた。
その夜、ようやく食事処に顔を出せた。給仕の女性から暫くだったわね、と声を掛けてもらえることに嬉しくなりながら、モニカを探した。いた、少しだけ余裕ができた表情をしていて、今なら話せるかもしれないと思った。家は、仕事が忙しくなってしまったので一度手付金を返してもらっていた。アパルトメントの建て替えもあるので、作業者の一人としてそこを優先的に借り受けることもできると思ってのことだ。じっと様子を窺い、振り返ったモニカの視線に手を差し込んで席へ呼んだ。
「いらっしゃいませ、なんだかお久しぶりですね?」
「そうだね、久しぶり。元気だった? なんだか、その、厄介なことになってるって聞いたけど」
「厄介なこと? あ、もしかしてエドのことですか?」
エド、そういう名前の男なのか。ガラス職人はぐっと手を握り締めて自分を落ち着かせ、そう、と頷いた。モニカはお盆を抱きかかえて、うふふ、と可愛く笑った。
「エド、正式に大工の組合員になりまして、一般住宅に移動できたんですよ!」
「え?」
ぽかんとモニカを見上げていれば、えへへ、と嬉しそうに笑う顔があった。
「お給料も上がるし、怪我をする危険もなくなるし、いえ、大工だって怪我はつきものですけど、斬られはしないだろうから、一安心です!」
ここにいる誰のことも見ていない。目をうっとりと細めてオレンジのランタンの明かりの中でもわかるほどの頬の紅潮に頭から血の気が引いた。
忙しいだろう、急かさないでおこうと思っていた。建て替えているアパルトメントができたらそこに部屋を借りるから妻になってほしいと言おうと思っていた。思っていただけではっきりと声を掛けないうちに、モニカはともに生活する相手を選んでしまっていた。
口が半開きのまま閉じない。見開いた目は徐々に力を失って瞼が重い。モニカの顔を見ていられなくて、そっと席を立った。
「あ、すみません、話してばかりで。ご注文は……?」
「いや、その、仕事が残ってることを、思い出して、また来るよ」
「そうですか……? あの、顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」
大丈夫、悪いね、と言いながら店を出て行く。受け止め切れなかった。
どうしてもっと早く声を掛けなかった。どうしてもっと早く腕を掴まなかった。どうして!
大通りで足を止めて、道を行く人々に邪魔扱いされながら、まるで根が生えたかのように動けなかった。
「モニカ」
柔らかい青年の声で名が呼ばれ、それが聞こえたことに驚いた。かなり歩いてから止まったと思っていたが、振り返れば外に並んだテーブルの料理がわかるくらいの距離に居た。大工の、あれは今、アパルトメントを建て替えている組合の服だ。意識しているのか姿勢がすっと綺麗に伸びていて、人混みの中で浮かび上がっているように思えた。黒髪の青年は優しい眼差しで店の中を見ていた。その横顔を見ていれば視線に気づいてか青年がこちらを向いた。バチリと目が合い、思わず逸らした。
「エド! お仕事は終わったの?」
「今日の分はね。買い物をして待ってようと思って。何か必要なものはある?」
「わぁ! 助かっちゃう! あのね、蝋燭が切れかけてるの、買っておいてもらっていい?」
「任せて。終わる頃にいつものところで待ってるよ」
うん、とモニカが笑い、仕事に戻っていった。それを優しく見守ってから、エドと呼ばれた青年がゆっくりとガラス職人を振り返った。
ゾッとした。「見ているよね?」と視線で問われていた。ゆっくりと人混みの中、こちらに進んでくる青年に、ガラス職人は慌てて逃げ出した。
大工? 組合員? 徒弟? 違う、あれは、なんだ?
無我夢中で人を掻き分けて通りを二つも越えたあたりで足を止め、壁に手をついた。息が切れていた、変な汗をかいていた。モニカの相手がおかしな男であったことを、誰に話せばいいのだろう。
ガラス工房の職人仲間には、結婚したい子がいるんだ、と惚気たことはある。デートをしたこともないのに。
笑顔が可愛くて、いつも癒されているんだ、手も柔らかくて、と惚気たこともある。手を握ったこともないのに。
しかしそんな惚気話をしてしまっていたがために、まさか相手に男がいるなんて、その男がおかしいなんて言えるはずもなかった。仲間たちから、なんだ、お前の片想いじゃないか、と笑われるのが想像できた。片想い、そうかもしれないが、それでも他の客よりは笑顔も多かったし、結婚しようと想いも伝えてあって。
「あの」
とん、と肩を叩かれて飛び上がった。振り返ればこちらの勢いに驚いている青年がいた。人畜無害そうな、先ほど、目が合った青年だった。追いかけてきたのかと身構えれば、そうした雰囲気を感じ取ったのか両手を上げて青年は苦笑を浮かべた。
「驚かせてごめん、あの、目が合ったからさ。もしかして俺のことを知っているのかと思って」
「え、いや、知らない……」
「そっか、じゃあ、いいんだ」
少し眉尻を下げてしょんぼりした顔が幼く思えて、おかしい奴だと思ったことを少し反省した。そしてその態度に強く出られると思った。
「君、モニカのなんなんだ? い、一緒に暮らしているのか?」
声が震えてしまった。それでもぐっと胸を張って両腰に手を当て、顎を上げて話した。青年はきょとんとした後、すぅっと姿勢を正した。浮かべていた苦笑が消えて、真っ直ぐに見据えられて足が震えた。
「一緒に暮らしてる。もう少しお金が貯まったら、結婚……すると思う」
へへ、と照れ笑いを浮かべ、青年は恥ずかしそうに首を摩り、先ほど、一瞬見せた圧のようなものが消えた。そのデレデレした顔にカッときて、ガラス職人は文句を言った。
「お、俺の方が先に、モニカを好きだったのに! ぽっと出のお前なんかに俺のモニカを!」
色恋の修羅場か、と周囲の人々が足を止め、こちらに視線を注いできた。夜、酒も入ってそういう見世物が欲しくなる頃合いなのだ。青年はこてりと首を傾げて問いかけてきた。
「モニカと恋人同士だったの? でも、モニカからはあなたの話を聞いたことないけど……」
グサッときた。恋人同士では、ない。
「それに、モニカは嫌なことは嫌って言うし、確かに、俺は怪我をしてたから保護されてたけど、出て行けって思ってるならそれも言ってくれてたんじゃないかな……」
確かに、はっきりとものを言う子だ、あり得る。
「あなたがモニカを好きだっていうのは申し訳ないけど、モニカが選ぶ権利もあるよね」
文句を言う前に青年に手を取られた。両手でぎゅっと握られ、その手の感触に思うところがあった。
「モニカが俺を選んでくれるなら、俺はモニカと居たいんだ」
真っ直ぐに伝えられた「モニカは渡さない宣言」に、なぜだか負けた気持ちになった。はっきりとモニカに伝えることもできないまま、勝手に家のことを考えたり、将来を考えたり、そこにモニカ本人を置いていないことを突きつけられた気がした。悔しかった。
温かくて少し硬さを感じる青年の手。その手で何かしらを扱う手だ。青年もまた手に職を持った職人なのだろう、いやこれは、もしかしたら冒険者かも、と思った。ゆっくりと離れていった手から青年に視線を移した。
そんな熱っぽい目で見てくるなよ。あぁ、もう、なんか、いいよ、負けで。憧れてただけなんだなって気づかされたから、本当勘弁してくれ。
声に出すこともできないまま、ガラス職人は踵を返してその場を離れた。
賑やかな夜の喧騒の中、トボトボと道を行く。モニカ本人から告げられた時点で失恋だったが、青年からダメ押しの一撃を受けて、もう疲労困憊だ。
そりゃぁ、デートにも行ったことがなかったし、会うのはいつも食事処そのものだったし、他の客のように長く占有したこともなかった。思い返してみれば、モニカは他の給仕とは違い、結婚を目的に働いてはいなかったのか。紹介してくれた商人の顔に泥を塗らないようにしていたのだろう。一般住宅に移動できたことを喜んでいたのは、もしかしたら、住んでいた場所の治安が悪かったからかもしれない。
「知ろうとしてなかったってやつぅ」
思わず蹲って頭を抱えた。だって、その方が彼女のためだと思ってたんだ、という言い訳を胸中でぼやくことは忘れない。盛大な溜息が零れた。空回りして疲れてしまった。今になって腹も減ってきた。
「今日は酒を飲んじまおう……」
ヤケ酒だ、ヤケ飯だ、と勢いで飛び込んだ冒険者向けの酒場で酔っ払い、冒険者連中に愚痴り、そりゃお前が悪い、とか、男なら奪い返すくらいの気概を見せろ、とか好き放題に言われながら心の傷を癒した。中には青年の黒髪、黒目などの特徴や、モニカの横に現れた時期に食いつく冒険者もいて、どうかあいつが指名手配犯でありますようにと祈った。
数日後、そろそろ顔を出してやるか、と上から目線の気持ちで食事処に行ったら、モニカは店を辞めていた。何があったのかと、モニカが男を連れ込んでいると教えてくれた給仕に問えば、騎士物語に憧れる乙女の顔で話してくれた。
「エド、銀級冒険者だったのよ! あの子怪我をして記憶をなくしてたんだけど、思い出したからモニカを連れて行くって店長に啖呵きりに来て、かっこよかったの! モニカったらいい服に靴まで買ってもらっちゃって、やっぱり冒険者って儲かるんだわ……!」
冒険者向けの酒場に転向しようかしら、と給仕がうっとり話すのを聞きながら、記憶がないなんて、あいつやっぱりおかしい男だったんだ、とガラス職人は思った。
あぁ、でもそうかぁ、もうあの子に会えないのか。どこかで幸せになってほしい気持ちと、奪っていった青年は不幸になっちまえ、という我ながら最低な呪いを胸中で叫び、頬杖をついた。畜生、空が青いぜ。
いいわよねぇ冒険者、あの子身綺麗だったし選択肢にはありだわ、と今も盛り上がっている給仕の子を見上げた。くるりとした癖毛、憧れを話すその顔がなんだか明るくて、陰鬱な気持ちが少し晴れていく。
「ガラス職人だって悪くないと思うけどな。王都に居を構えてるし、割れるものだから仕事も途切れないし」
「うん? えぇ、まぁ、そうねぇ」
「よかったら今度、ご飯いかないか? 街中を歩けば俺がつくったものも結構あるんだぜ」
あら、と先ほどとは違う照れを浮かべた給仕に今日の食事を注文し、それが届いた時に、じゃあいつにする? と微笑まれ、ガラス職人は嬉しそうに笑った。




