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さすがに言葉を失った。このままだと三日で理の女神のスライムボディから抜け出せなくなると言われ、ようやく真面目に焦りを覚えた。それに時の死神の方も限界が近いこと知り、さらに焦る。
セルクスは詫びに【時の死神の生命力の欠片】を渡してきたりしていて、その様子には変化がなかった。だから、案外余力があるのだろうと思っていたのだ。そして今もまた力を分けてもらい、元気になったからこそ時間がまだあると思い込んでしまったが、状況は随分不味いらしい。
思い返してみれば、セルクスは時の死神の権能を持つにもある程度力が必要であり、ツカサに今暫く持っていてほしいと言っていた。あまりにもさらりと言われたもので流してしまっていたが、非常に重い事実だったのではないだろうか。
黒い命の泉から脱する際、セルクスは時の死神としての力を顕現させていた。暴動を一時的に押さえ、濃霧の道を行った時もそうだった。
そばに居るからこそ借りることはできても、その絶大な力を扱うには本当に体が持たないということだったのだ。だからこそ繰り返し、ずっと、セルクスは「私を当てにするな」と何度も釘を刺したのだ。
【時の死神の生命力の欠片】は、セルクスからのガチの詫びの品だったと知り、ツカサはそっと空間収納から取り出して差し出した。これでせめて今使った分が戻れば、少年の姿でいる必要はなくなるのではないかと思った。にこりと微笑を浮かべ、セルクスは首を振った。
『それは君に渡したものだ。それから、神の肉体というのは特殊でね、今は私も【命の女神の欠片】があるから、こうして象っていられるだけだ。その欠片で戻したところで、いずれなくなる。であれば、今から消費を抑えた方がよい』
『ど……すれば?』
ここで神の知恵袋を失うわけにも、権能を返す先を失うわけにもいかない。権能を返せる状態でなければセルクスの家族からセルクスを奪うということでもあり、持っていれば役割に巻き込まれてしまうというツカサの恐怖心でもあった。そうした人の優しさと弱さを知っている神だった男は、素直に教えてくれた。
『ツカサが早く体を取り戻すことだな。そうすることでツカサは加護が機能する。そうなれば、私と彼女はまた君の精神世界でゆるりと全ての理の神から助力を得られるだろう』
ラングは小さく首を傾げながら言葉の意味を咀嚼していた。その間にセルクスはヴァーレクスを振り返った。
「移動と戦闘に際して、お前には足と剣になってもらうぞ、ペリエヴァッテ・ヴァーレクス。お前が目的を忘れなければ私は長い足を失わなかった。ツカサの必要性はじっくりと言い聞かせたはずだ」
「仕方ありませんねぇ。しかし、そんなに長い脚でしたか?」
「締め上げておいてくれ」
「はぁい、よろこんでぇー」
セルクスの一言で蛇がしゅるりとヴァーレクスの服から出てきて素早く巻きつき、締め上げて地面に倒した。突然蛇が巨大化したのでラングは一瞬剣の柄に手を掛けたが、ヴァーレクスが呻き声と文句を言っている姿にそっと手を離した。ツカサはその光景に呆れながら、返しそびれた生命力の欠片を空間収納へ戻した。
本当に時間がないのだと気づき、少しだけ思考が停止するような感覚があった。呆然という言葉が正しく、ツカサは糸くずの腕を眺め、前よりも動かしやすい体であることに気づいた。ショウリの顔面にタックルを決めたのも、ついさっきヴァーレクスに飛びついたのだってそうだ。体の使い方を知ればこそできた芸当であり、この体と馴染んだ証拠なのではないか。マール・ネルに頼んでまた封じてもらった方がいいのかもしれない。
ただ、心配でもあった。ツカサが眠ったとしたら、このメンバーを取りまとめられる人がいないのだ。いや、ツカサが起きていたとしてもこの体では十分にストッパー足り得ない。せめてアルがいればブウブウガミガミ言いながら緩衝材になってくれただろう。そのアルはシュンと居るのだ。
『ツカサ、お前がお前に戻るために必要なことを、改めて教えてほしい』
ラングから声を掛けられ、ツカサは時間を掛けては不味いと思い、マール・ネルを取り出してラングに持ってもらった。通訳を依頼すればマール・ネルがぽんと胸を叩くようなイメージが浮かんだ。
伝える時は結論から。シュンに奪われているツカサの肉体を取り戻したい。
取り戻しさえすれば、セルクスはツカサの内側で休むことができ、体は治り、力を蓄えられる。ツカサが借りている黒いスライムのような肉体を持つ理の女神もそうであると伝えた。
次いで、今現状、ツカサは借りている黒いスライムの体と同化しつつあって、それはそれで戻れなくなる危険性があり、その期限が三日であること。シュンがツカサの肉体を死なせるようなことがあれば、体が取り戻せなくて詰んでしまうこと。だから、バレないように事を運ばねばならないこと。
ラングは唇をムッとした形にして考え込んでいた。つんと尖った唇は本当に、いつ、への字や真一文字に変わったのか気になった。ツカサがそんなことを考えていれば、ラングは今聞いた話を自身の中で消化してから理解できる図と配置に置き換えようと、拾った枝で地面に描いて正しいかを尋ねてきた。
丸がふたつ、ツカサとシュン。それが入れ替わっていることを示すように線が二本。セルクスを示す四角からツカサへ線が伸び、それが力を与えているのを示していた。ツカサは枝を借りてぐるぐると黒い丸を作ると、その丸とツカサを二本の線で結んだ。黒いスライムの体、理の女神だ。ラングはシュンを示していた丸を横線で消した。
『シュンが持っているツカサの肉体、では、シュンの肉体はどこへ行ったのだろうな? 単純に考えるのならば、あの黒い泉か』
確かに。ツカサとシュンを繋ぐ二本の線、ツカサがシュンの体に入っていないのだから、シュンの体はあの黒い命の泉だろうか。しかし、そこを掘り下げている場合でもないだろう。ツカサはぽよんと震えてラングの気を引き、声を出した。
『あとで』
『あぁ、そうだな』
ツカサの糸くずの腕がバツを作り、ラングは組んでいた腕を解いた。
『シュンに自害をされないよう、気づかれないように、というが、そもそもシュンとはどういう男なんだ』
ラングはツカサの会話でしかシュンを知らず、その行動原理がわからないのだ。ツカサがラングをここにおびき寄せたように、行動原理や癖がわかれば誘導することもできる。様々な企みを巡らせているシュンの現在は、ツカサにも説明ができない。ふと気になった。マール・ネルが息を合わせて通訳をしてくれた。
『そもそも、ラングはシュンといて違和感なかったの? 俺の体……シュンを休ませるためにドルワフロに行ったんでしょ?』
ラングが少し目を逸らしたような気がした。息を吸う一瞬の間はあったが答えはすぐに出てきた。
『ツカサらしい行動が見えた。だからこそ懸念点は多かったが、まずは休ませることが先決だろうと判じ、移動した。アルはあいつを信じる、私は疑う、ということになった』
アルらしいな、とツカサは微笑んだ。同時に、アルにばかりシュンを信じさせてしまい申し訳ない気持ちも浮かんだ。サルムにしてもショウリにしても、アルは一歩踏み込んだ関係が築けていたはずだ。今も悪くない関係を築いているとしたら、ショウリはまだ猶予があるとしても、また失うことには変わりない。
だが、そこに躊躇はしていられない。ツカサには守りたい未来も家族もある。もしそこでアルとぶつからなければならないというのなら、やってやる。でも、その前に話をしたいな、と弱気な心が出た。アルならば事態と事情を話せばわかってくれるだろう。心の奥底で思うことは置いておいて、シグレやエフェールム邸の家族を守りたいのはアルだって同じなのだ。
アルとは必ず話すと決めて、まず、シュンがどういう人間かを伝えることにした。ツカサの知るシュンはどういう人物だろうか。
王都マジェタのことを振り返れば、夢見がち、憧れに溺れる青年、負けず嫌い、非を認めない、自分にとって都合のいいように出来事を解釈する、など欠点はいくらでも挙げられる。しかし、これはラングの求めている答えではない。ツカサは地下闘技場での出来事を話して聞かせることにした。
ツカサのことを痛めつけ、視ていたことや、術中に嵌めたのだと計画を敢えて話され、ツカサを絶望に落とそうとしてきたことを含め、策を巡らせていたこと。守護騎士やヴァーレクスとともに地下闘技場を脱した去り際の表情。あの表情はツカサの胸にぴちょりと落とされたインク染みのように残っていた。地下闘技場でツカサが受けた仕打ちを聞き、口元をへの字にしながらラングは一度深呼吸を入れてから呟いた。
『なるほど、シュンという男は想像以上に小心者らしい』
ツカサはその言葉に顔を上げた。なぜ? と聞きたくてぽよんと震えれば、なんとなく通じた。
『大局を動かすために唆したというよりは、不安だからこそ様々なことを口にして、自分が安心をしたかったのだろう。聞いている限り、それほどの策を考えているのだ、お前はその術中に嵌ったのだと、ツカサを追い詰める以上に自分へ言い聞かせているように思う』
あ、とツカサは目を瞬く気持ちだった。言われてみれば地下闘技場で受け取った感覚に納得できるものがあった。様々なことを言われてもツカサは微塵も折れなかった。絶望を感じなかった理由がわかった気がしたのだ。
確かに驚きはした。視られていたことに驚きと、どこを視られたのかという焦りと不安は抱いた。魔力を封じられて怪我を治すこともできず、苦痛を与えられた。いずれシュンになるなどと恐ろしいことを言われ、実際、体内で暴れるものがあれば危機感も抱いた。
それでもツカサは折れなかった。そこに至るまでに鍛錬をし、導き、立たせてくれた師匠たちの背中があった。心強い、信頼できる兄と仲間がいた。そして内なる場所にも協力者はいた。失くしたと思っていたタルワールまでもがツカサのそばにあった。
シュンは怖かったのだ。寂しかったのだ。独りだったのだ。
何をやっても、どうしても、周りに人はいても心の寄り添いのない環境。抱え続ける孤独をどうすればいいのかわからず、それは癇癪と傲慢な態度になった。友は同じ境遇や位がなければ得られないと思ってもおかしくはない。ツカサに白羽の矢が立つのも納得だ。イーグリステリアという世界、日本生まれ日本育ち、あの当時、異世界で出会った初めての同胞であればシュンの執着の仕方にも理解ができる。迷宮崩壊を起こしたクラン騒動もあれど、ツカサには既にラングという心の支えがあったからブレなかっただけだ。
ずっと言っていたじゃないか。
――つれないこというなよ、とりあえずさ、お前うちのパーティ来いよ。
――一緒に来いよ、ツカサ。一緒に世界を救う英雄になろう。世界を取り戻そうぜ。
――俺はさぁ、お前のところに行こうとしたんだ。
シュンは助けてほしくて、一人になりたくなくてツカサの背中を追い続けていたのかもしれない。
だったら、追い方というものも当然あるだろう。人へ頼みごとをする礼儀や敬意というものだって考えられる年齢だったはずだ。ツカサの思考は同情だけでは終わらず、余地はあれど明確な敵である今、容赦はしないと思った。
『どうした』
ラングがそっと声を掛けてきた。ツカサが考え込んだ時間を邪魔はせず、思考が一頻り済んで息を吸って動くころを見計らっての声掛けには感謝をしたかった。おかげでいろいろと気づきがあった。
『ありがとう、大丈夫。シュンは……自害はしない。だから、どうやって体を取り戻すのかを考えればよさそう』
『それを懸念していたのにか?』
『うん、気づいたんだ。シュンは俺になりたかったんだと思う。だったら、手に入れたものを簡単には手放さない』
『……誰もお前になることはできないと思うが』
ラングは首を傾げた。その反応と言葉に安堵感を覚え、小さく笑った。
『きっとね、シュンにとっての理想の異世界転移は、俺だったんだ』
魔力酔いで自身の気が大きくなったせいも当然あるだろうが、シュンはそこに生きている人を認められなかった。異世界転移という大きな切っ掛けを自身のチャンスとして、イーグリステリアではできなかった冒険や、やりたかった憧れを実現した。華々しい冒険者デビュー、美女に囲まれるパーティ構成、冒険者ギルドからの尊信と冒険者たちからの羨望。気持ちよかっただろう。
だが、相手が生きている、心ある人々であれば受け取り方も在り方も千差万別だ。純粋にシュンの友であろうとしてくれた人だっていたはずなのに、聞き心地のよい言葉で友を、仲間を選び、失ったことだってあっただろう。
そんなシュンの前に現れたツカサがどんなふうに見えていたのか、想像に容易い。
ツカサ自身、スヴェトロニア大陸で出会った渡り人はアーサーとシュンだけだった。シュンはギルドマスターの部屋でツカサに出会うまでは、自身が主人公であると疑っていなかったはずだ。こうだと思い込んでいた最高の世界は小さな亀裂をもたらした。
最強の処刑人、腕利きの生まれながらの冒険者、母のように包み込んでくれる人に囲まれ、シュンが解明できなかった迷宮崩壊の謎を解いた。まるで主人公のような仲間を持った、何もできなそうな少年に苛立ちを覚えたのではないだろうか。
なぜお前が、俺が謎を解明したかった、俺だったらもっと、と考えたこともあっただろう。
『シュンは言ってた、なんでお前が俺の前にいんだよ、って。俺、あの時は対峙した状況のことだと思ってた』
オーリレアの南、イーグリステリアとの初めての戦闘でシュンに再会し叫ばれた言葉だ。あれはシュンにとって多くの意味合いを持っていたのだろう。
他にも思い出されるいくつもの声があった。
――誰も! 誰も待ってなかった!
ツカサには、帰りを待っていてくれる人たちがいる。
――あいつらは俺の力だけが目的だった
ツカサには、魔法が使えなくても手を差し伸べてくれる人がいる。
――お前、だって、お前俺より強かったんだろ!?
ツカサにはその技術を教えてくれる人たちがいる。
――なんで助けてくれなかった!
ツカサには、窮地に駆けつけてくれる人がいる。
どうしてお前ばかりが恵まれているんだ。トルクィーロの掘った大穴へヴァーレクスに担がれて落ちた時に見えた泣きそうな顔。あれは、そう、欲しかった玩具を別の誰かが持っていて、どうして自分は買ってもらえないんだと泣く子供のような、そんな顔だった。
どういう意図でシュンがツカサを伴って黒い命の泉に落ちたのかはわからない。ただ、いずれ俺になる、という言葉を真正面から受け止めるのならば、多くの黒い命を利用し、ツカサを食いつぶし、消し、その器に入り込み、もしくは器を創り、ツカサとして生き直すつもりだったのではないか。
ラングが言った『ツカサらしい行動』は書斎からずっと見ていて、それを自分のものにするための布石だった、とも考えられる。だとするのならば、『最終手段にしたかった』理由は気になるが、ひとつずつ解決していくしかない。これは壮大なパズルだ。
ツカサはそうした思い浮かんだ考えをマール・ネルの声を借りながらラングに伝えた。
『なかなか拗らせているようだな。だが、私にも納得できるものはある。早く【ツカサ】になろうとしていたような、そういった焦りはあったと思う。それに、お前の妻子の話を一度も口にしなかった』
それはラングのとって『本当にツカサなのか』と眉を顰めた理由のひとつだったらしい。ラングと出会った時からずっと、ツカサは家族を守りたい、これから生まれてくる子供を腕に抱きたい、未来を取り戻したいと繰り返し伝えていた。それはツカサがラングの協力を得たい一番の理由だったはずだ。
『きっと、そのへん、上手く視えないようにされてたんだと思う』
ツカサの精神世界にいた時の死神の性格の悪さも知り、理の女神のしれっと神を欺く強かさも知った。見せてたまるかと二人して押さえ込んでいる姿が想像でき、ツカサはセルクスをちらりと見た。少年の姿へ変わった神は、牡鹿の首に寄り掛かるようにしてうとうとしていた。視線を受ければ微笑は返ってきて、聞いていると示される。ツカサもそうだが、やはり体力的なものは限界が近そうだ。
『さっさと方針を決めた方がいいな』
セルクスの様子にラングも同じことを考えてくれたのが嬉しかった。どうやってシュンから体を取り戻すか、だ。
『実は、ひとつ考えてたアイデアがあるんだよね』
ちょっとみんな来てほしい、とツカサが糸くずの腕を振れば牡鹿は素直にセルクスを連れてきて膝を折り、セルクスは降りてその腹に寄り掛かった。いまだ地面に横たわったままだったヴァーレクスは、蛇がするりと細く小さくなって素早くラングの方へ逃げていくのを忌々しげに睨みながら体を起こして土を払い、ツカサの指した場所へ座った。皆が地面に座っているツカサへ視線をやった。こほん、と教壇に立つように咳払いをしてツカサはマール・ネルをヴァーレクスに渡した。通訳と、この後の対応のためだ。
『あのさ、セルクス……――』
のちに時の死神・セルクスはある場所で語った。
そのヒトの子の提案は最低最悪、だが、最高の発想だった、と。




