4-17:共犯者となりて
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ベランダを飛び出し、屋根へ飛び乗り駆けていく。ユキヒョウはのびやかに屋根の間を跳んで、ふわりと着地する。駆けた軌跡にキラキラと雪のようなものが散っていて綺麗だった。姿を見せてよい、隠す必要がないと言われ、随分張り切っているらしい。
「ここは理の力が強いのだ。同じだけ魔力も多く、なんとも絶妙にせめぎ合っている」
軽やかに隣についた牡鹿の背でセルクスが解説をしてくれた。確かに、ツカサもここに来た時、同じような感想を抱いた。この場所はどちらがどちらを潰すということもなく、本当に均衡がとれているのだ。それが傾いた時、どちらになるかが非常に重要な気がした。
ふと思う、今、ツカサの体は理の女神の肉体なので【理の属性】、しかし、内に入っている魂は魔法を扱う魔力の属性、まるで動く首都・レワーシェと言えるだろう。なにか気づきそうになったが、体ががくんと揺れて零れてしまった。
「あの、先生、後ろのこの人、守ってくれるのか?」
こそりとキスクに尋ねられ、ツカサは口を借りてヴァーレクスに尋ねてみた。
「ヴァーレクス、今喋ってるこのキスクを守ってあげてね」
「つまらない仕事になりそうだ」
守ってくれるって。
ツカサが伝えれば、本当かァ? とキスクは少し泣きそうな声で言った。
さて、煙の上がっている場所に辿り着いた。屋根の上から覗けばここは広場で、煙が上がっているのは屋台だった。石壁の家は大きな延焼を防げていて、だが、油などが零れ引火して徐々に広まっている感じだ。それが窓枠などに燃え移ればさすがに家屋も焼けていくだろう。それに、明らかに態度の悪い奴らが暴れている。店から女を担いで持ち出し、並べられていたテーブルに叩きつけ、事に及ぼうとしていた。その男の頭を狙って矢が飛んできて綺麗に刺さった。あの矢は【3】の守護騎士・フィエルタのものだ。矢の軌道を辿れば、先に見つけていたヴァーレクスが既に視線を向けていた。
フィエルタは屋台の屋根の上でならず者たちを射っていた。視線に気づくのは射手の特性なのだろうか、パッとこちらへ矢を番えられ、そこにいたのが大きな獣に乗る青年と男、牡鹿とそれに座る男という珍妙な組合せであったことに驚いていた。ツカサは手を振ったがキスクの胸元で動くゴミか何かかと思われたらしく無視された。仕方がないとはいえ傷ついた。草原の民、ヤンならこの距離は見落とさないぞ、と比べてやった。
ツカサはあとで文句を言おうと決めながらルシリュと【2】の守護騎士・グルディオはどこかと視線を巡らせた。水の入った大樽を担いだ体の大きな守護騎士が火消し活動を行っており、そういえば【9】もいたのだったと思い出した。巻き込んだ側だというのに忘れていて申し訳ない。
「首都・レワーシェに法がないと思うな!」
ルシリュの男声に振り返った。別の道から広場に戻ったルシリュは二人の男の首根っこを掴んで引き摺って来て、噴水に叩きつけるようにして置いた。殺してはいないようだ。そう思った瞬間、首を刈ったのは【2】の守護騎士・グルディオだ。どうやら手を汚すのはグルディオの仕事らしい。
「たかだか守護騎士四人で何ができる!」
「四人じゃァねェ! 五人だァ!」
オラァ、とトルクィーロが叫びながらならず者を摘まみ上げてはグルディオのところへ放り投げた。人数こそ上回っているが圧倒的な戦力差、だが、ならず者たちは嘲るように炎をあちらこちらに放ち始めた。火の手が回れば消火活動に手を取られ、追う手が足りなくなるのをよくわかっているらしい。
人々が消火もせずに逃げ惑う姿が上からは見えていた。首都・レワーシェで享楽に耽るばかりに、自分で何かをしようという考えが彼らにはないようだ。
火を消しつつ、ならず者を制圧しつつ、人々の恐慌状態を抑えるとなると、ツカサの脳裏に浮かぶのはロナの言葉なのだが、それだけでこれが収まるだろうか。いっそ実力行使の方がましな気がした。フィエルタはこちらが気になるのかちらちらと視線を感じ、ツカサはキスクを呼んだ。
手に乗せてもらえる? このまま炎が回るのはちょっと危ないから、魔法を使おう。俺もキスクも得意なやつを。
「わ、わかった、歌は、どのくらい?」
繰り返し歌ってくれればいいから、ちょっと気持ちが明るくなるというか、そういうのある?
「わかった」
選曲は早い。キスクは両手でツカサを持つと、何度か呼吸して息を整え、微かな音から歌を始めた。低い音の始まりで、それは明るくなれる曲なのかと疑ってしまったが、徐々に音が高くなり、キスクのテノール域の声が響いた。魔力を溢れさせながら歌うキスクは、そうして知らず知らずのうちに魔力量を増やす訓練もできていたから、ツカサがこうして手を貸せる。
キスクの歌は讃美歌だった。かつて本来のフォートルアレワシェナ正教にて歌われていたものだろう。悲鳴と怒号の上、炎と煙の上がってくる屋根の上、目の前のことだけしか見られない人々は暫くキスクの存在に気づかなかった。フィエルタがルシリュの名を呼び、グルディオが、【9】が、そしてトルクィーロがそこにいる青年を見つけ言葉を失った瞬間、輝きの波がキスクを中心に発せられた。
歌は魔力を伝え、キスクの両手の中、ツカサがその手を掴み、魔力を魔法へ昇華させた。ユキヒョウが駆けた跡のように白くキラキラ輝くものが波状に広がり、降り注ぐ。風魔法と合わせて使い、人の隙間を抜け、火のある場所を目指して雪風が走っていく。燃え滾る炎をそっと撫でて消すように、熱を持った破片を凍らせ、煙すら沈黙させて、優しい魔法が辺り一面を満たした。
これはキスクの特性だろうなとツカサは思った。ツカサが使ったのならば、キンと凍る場所もあったはずだ。炎の恐怖を知るからこそ、雪の厳しさを知るからこそ、キスクの魔法は優しいのだ。混乱と恐怖、興奮した人々の肌をザァと撫でて熱を奪う冷たい風はツカサもドルワフロで感じたことがある。
ツカサが魔法を止めないからか、夢中になっているのか、キスクは讃美歌を三度歌い上げた。最後の一回は老いた者が涙ながらに声を重ね、地面に平伏した。
讃美歌が終われば、キスクはぐらりと揺れた。ヴァーレクスが支え、ユキヒョウは心配そうに背中を振り返った。
「せ、先生、火は消えた?」
うん、消えたよ、大丈夫? キスク、ルシリュの名前を呼べる? 大きな声で。
「あぁ、うん、頑張る」
よろりと体を起こし、背中を支えてくれているヴァーレクスへ、どうも、と小さく会釈してからキスクはユキヒョウの上で身を乗り出した。
「ルシリュ!」
歌うキスクの声は火を消し、人を落ち着かせ、静寂を呼んだ。だからこそ届いた。守護騎士・ルシリュはガシャリと胸に手を置いた後、素早く膝をついた。グルディオが、屋台の屋根の上でフィエルタが倣い、【9】もずしりと膝をついた。トルクィーロは感動に打ち震えた様子で唇を嚙みしめていた。
キスク、声を貸してね。
ツカサが言えば、キスクは小さく頷いた。ツカサは息を吸うようにぷるんと震え、キスクの喉を借りた。
さぁ、扇動者が、先導者をつくる時が来た。今この時からツカサとキスクは共犯者にもなるのだ。
キスクが叫んだ。
「折れるな! 世界は偽りの光に照らされていた。暗闇は不安を呼び、先の見えない道は足を止める!」
「堪えろ! ここは最後の砦ではなく、ひと時の休息場、ここから立ち上がるんだ!」
「受け止めろ! 偽りの神を奉じていたことを恥じるな! 遅くなってすまない、偽りを正し、真の導を得たその時、ここは、あなたたちは、始まるんだ!」
叫ぶだけ叫んで倒れかけたキスクの腕をヴァーレクスが掴んだ。
ツカサは糸くずの腕で懸命にそれを上に掲げるように要求し、眉を顰めたもののどうにか通じたヴァーレクスがぐいっとキスクの腕を持ち上げれば、下からは天を突くように見えただろう。ルシリュたちが先駆けとなり、ザッ、ザッ、と音を伴って立ち上がり、敬礼を示した。
守護騎士は理の女神の使徒だ。その使徒たちが礼を尽くす存在、つまりそれは。
「神子様……? 本物の……?」
「確かに神の御業を……」
「救いの御手、神子様、神子様!」
――わぁっ!
喜びか、感動か、それとも遅いという怒りなのか、じわりじわりと広場に足を踏み込んだ者たちが各々の感情で涙を零し、声を上げた。ならず者たちは【神子】の背後にいる男に気づき、目を見開いていた。
「腐ったワインの処刑人……! あいつ、あいつ、本物の神子について……!?」
「ってことは、あいつは、神子をあそこで待ってたってことか……!?」
「あいつも使徒だったってことかよ!? だからあんな強くて、容赦ない……!?」
地下牢か、それとも地上の闘技場か、どちらかでヴァーレクスを見たことがあるのだろう。腕っぷしで元々戦っていた者たちは、さらなる栄誉と富を求め地下に足を踏み入れ、捕らわれ、戦わされる毎日だったのだろう。元から犯罪者だった者もいれば、そうした環境下で犯罪者になったものもいたということか。そうした者たちは相手にしてはならない存在に気づいたらしく、違うざわめきも広がった。
そういえば、地下闘技場で現れた【真の神子】の特徴はツカサがそれになってしまっている。キスクは髪が茶色なので吟遊詩人を示す帽子で色と髪形は誤魔化せるだろうが、灰色っぽいマントはショウリに頼んでもいいかもしれない。ツカサがそんな細工を考えていれば、牡鹿をユキヒョウの隣へつけてセルクスが囁いた。
「ツカサ、そろそろ霧に紛れよう。見つかってしまう」
霧ってなに、とツカサが目を瞬く気持ちでぽよんと震えれば、背筋がぞぉっとした。何か不味いものが来るとはっきりとわかった。すぅっと立ち込め始めた霧は人々のざわめきを奪い、音が突然消えた。あたりを包み込む濃霧。ツカサはじっと息を潜めるようにキスクの指を掴んだ。
リィン、と高く澄んだ音がした。ラングを追って滝の聖域を目指した際に遭遇したのと同じ状況だ。迷宮の音、と思い、ハッとした。ツカサの今の空間収納にぽつんと転がっていたもの、あれは理の女神が向こうから持ち出したもう一つの宝、【迷宮の加護】だ。あれは迷宮を創りあげることもあるものだったのか。ツカサが尋ねようと顔を上げればぷに、とセルクスの指がぷにっと唇を押さえた。
「見つかる前に隠れ家へ逃れよう。話はそれからだ、今見つかれば私も抗えん」
濃霧の中、セルクスはランタンの吊り下げられた白い蛇の杖をゆらりゆらりと振った。そうすると濃霧が晴れて道ができた。屋根の上だというのに真っ直ぐに、白く輝く一本橋だ。これは夢の中、理の女神がつくったものと酷似していた。
ユキヒョウは迷わずに足を進め、その後を牡鹿が追った。暫く走り、濃霧をふわりと抜ければ隠れ家の前だった。
広場の喧騒は遠く、人々の声も聞こえなかった。土地神が道をつくり走ったように、今のは濃霧を道として走ったのだろうか。これは理の女神の、時の死神の味方なのだとしたら、あの滝の時の濃霧の意味合いが変わってくる。
ダンジョンは世界を守るためにできたのだと世界を見守る者は言った。
もしあの濃霧が【迷宮の加護】による恩恵でダンジョンを模したものだというのならば、あれはツカサを、正しくはあの時ツカサの内に居た【理の女神】を守るための濃霧だったのではないだろうか。濃霧は空にあった大きな眼からツカサの姿を隠した。あれに見つかってはならないのだ。
そういえば、この世界に来て初めて会話した村人が言っていたはずだ。
――不敬に当たるからお呼びしてはならないのさ。女神様の名を呼ぶ時は、自分が見られる時だ。目が合うと天罰が下ると言われているからな、聞かないでくれ。
女神様の名を呼ぶ時は、自分が見られる時。
そしてラングもまた言っていた。
――人が、天罰を求める時、どういう状況で天罰が必要かと考えてみた。思いつくことは二つ。一つは許しの代わりに天罰、死を求めることだ。
事実だったのだ。名を知り、呼び、眼に見つかって、死ぬのだ。その死がどのように与えられるものかわかったものではないが、これは本当にただの直感であって根拠のない話なのだが。
もし、あの眼が【命司る女神・スフィアキリス】のものならば、どうだ。
狂った女神の与える慈悲が歪んでいることは既に知っている。死を望む命に与えられる女神の慈悲はどんな形なのだろう。それはもう見たはずだ。
黒い命、黒い生きもの。歪みの生きもの。
考えることも悩むこともなく、ただ温もりだけを求めさせられる命の成れの果て。
あぁ、だから世界を見守る者は命司る女神・スフィアキリスを嫌ったのだ。
ツカサは真理に辿り着いた気がした。
しかし、何を探しているのだろう? 自問自答、こちらの答えは【理の女神】と、それに守られ隠されている後継者だという【命の女神】の欠片ではないだろうか。
ツカサも持っていて、セルクスも持っているもの。奪われてはならない大事なものたち。
そんなことをぐるりぐるりと考えていればセルクスが少し焦ったような声で皆を促した。
「さぁ、家に入ろう」
セルクスが牡鹿から降りて扉を開き、同じようにヴァーレクスが殿に立って、全員が入ってから扉を閉めた。ツカサは緊張感が解けてキスクの手の中でぺちょりと広がった。




