4-14:優先順位
いつもご覧いただきありがとうございます。
「マジかよ、これがツカサ?」
ズンッ、と頬に圧を感じて目を覚ました。糸くずの腕で目を擦るようにして、頬に埋まり続けるものを振り払う。誰かの指先だった。随分失礼なことをするのは誰だ、と辿れば、ポソミタキの顔をしたショウリだった。
「ツカサ?」
うん、そう、とツカサが頷くように揺れれば、ショウリは一拍おいてから爆笑した。
「ははははは! なんだこれ! 黒いスライムじゃん! すっげーまぬけな姿になっちまってんじゃんウケる!」
イラッとしてツカサは反動をつけて跳び、ショウリの顔面に体当たりした。しっかりと中心に当てることができ、ショウリは鼻血を吹いてよろめき、テルタが慌てて抱き留める事態に陥った。跳ね返ったツカサのことはキスクがあわあわと受け止めて、こら、と怒られた。
「先生、ダメだろ! 結構いい弾力してるんだから!」
ショウリが笑うからだよ! 失礼だろ!
糸くずの腕を振り上げて怒りを示せばキスクがはいはい落ち着け、とツカサの頭を撫でてくる。やめろ、玩具じゃないんだぞ。それもまた振り払い、ツカサは向こうで笑いを堪えているセルクスのことも睨みつけた。結局、ショウリの鼻血が止まるのを待ってからの会話となった。
「いやぁ、悪ぃ、ちょっとあまりにも面白かったもんで」
「商会長が申し訳ない、状況についていけてなくて……」
悪びれないショウリの横でテルタが深々頭を下げていて、どうしようもない父親とできた子供の図になっていた。ツカサはテーブルの上で尊大に糸くずの腕を腰に当て、ジト目でショウリを睨んでいた。家の中のものを利用してセルクスが手ずから茶を淹れてくれて、その慣れた手つきに少し驚いた。
「何、私とて里に戻ればただの夫であり父なのだ。家のことくらいやるさ」
意外だ。神様なのだから身の回りのことはすべて侍従やメイドがやっている印象だったが違うらしい。どんな里なのか、いつか機会があれば行ってみたいと思った。
それはそうとして、ショウリだ。未だ笑いそうになっているが隣のテルタに睨まれて釘を刺され、居住まいを正していた。ツカサはこの状況なので、説明はセルクスに任せた。
一通り話し終わればショウリは少し考え込んだものの【そういうものだ】と受け止めてくれた。さすが転移転生経験者、余裕だった。テルタが混乱の渦中にいるが、そのまま取り残す方針で話が進んだ。
「なるほど、大体わかった。しっかし首都・レワーシェのど真ん中、神殿の地下にそんな泉までできてるとはなぁ。ゴルドラル大陸最大の安全地帯、歓楽都市、享楽都市、そんなキャッチコピーが張りぼてだってのはわかっちゃいたけどよ……」
あの泉、どうするつもりなんだろう? ショウリは何か知ってる?
ツカサの声の通訳はキスクが請け負った。
「いや、知らねぇ。んなもんがあるってわかってりゃ商会だってここに置かなかったぜ。視えないことの弊害だったな」
それはそうだろう。ショウリとポソミタキならば薄氷を踏むようなことをしないはずだ。ということは、かなり秘密裏にことを進めていたのではないだろうか。腕を組んだはずが糸くずの腕が肘の方まで届かず、とりあえず座り直すようにぽよんと震えた。ショウリの口元が歪んでいたがテルタがそれを小突いてくれた。
「状況についていけませんが、やりたいことは指示していただければ協力します」
ありがとう、ラングと二人で話したいんだけど、呼び出せる?
ツカサがこう言っている、というのをまたキスクが伝えれば、不思議そうな顔をした後、テルタは困った顔で頬を掻いた。
「実は、ラングさんたちは今朝早く、首都・レワーシェを出ており……」
部屋の中は記憶を切り取ったものであり明るく、眠っていたこともあり時間の経過がわからずにセルクスを見上げれば、今は夜だ、と教えられた。
も、もう出てるの!? どこに!
ツカサがぴちち、と驚きに波打てばショウリが笑った。そんな場合ではないというのにこの男、緊張感を持てと言いたかった。
結局、キスクとテルタで会話を進めてくれて、ツカサはセルクスの手の中でくったりとしていた。会話が思うように進まなかったせいか非常に疲れていて、とても眠かった。心配するキスクに対し、セルクスが、私が預かろう、と言い、この布陣となった。ヴァーレクスは言葉がわからないので結論だけを共有することにして、玄関近くの壁に寄り掛かっている。一応哨戒をしてくれているらしい。
ラングたちは二日ほどの滞在で即座にドルワフロを目指して首都・レワーシェを出たという。その目的がツカサを休ませてやろうという優しい理由であると知り、悔しさが滲んだ。違うよ、ここにいるよ、と叫んだところで届くはずもなく、声も出せない状態であることで、逆にみっともない姿を見せずに済んだ。しかし、さすがというべきか決断と行動がとにかく早い。
ついでに聞いたところ、ルシリュとトルクィーロは無事にショウリと再会しており、現在は足並みを揃えて行動を取っているらしい。キスクがトロッコの道を引き返して行方不明になっていたことは不安視されていたが、今回再会でき、その懸念も晴らされた。
「まぁ、別の心配事はあるけどよ」
皆から視線が注がれ、ツカサはだるそうに糸くずの腕を上げて応えた。僅かな時間それを見守ってからキスクがテルタに尋ねた。
「今、親父とルル……ルシリュたちは何を?」
「反乱の準備をしてる。お前らが市街地から離れた場所に居てよかったぜ。市街地じゃ混乱がすげぇんだわ」
どういうことかとキスクが代わりに問えば、テルタが理路整然とまとめて話してくれた。どうやら暴動が起きているらしい。詳細はわかる範囲で聞いた。
曰く、本物の神子を見た、と貴族階級が市井で騒ぎ立てているらしい。地下闘技場という限られた場所ながら、そこに居たのは貴族や特権階級であることを許された上級市民、それに、神殿の上層部だ。そうした者たちが家で騒ぎ、その場にいなかった仲間に酒の席で話し、如何に自身が情報通であるかを宣えばあっという間に話は巡っていく。そして地下闘技場で見た神子の話が炎を生き延びた、守護騎士を従えていた、黒い生きものを光に変えた、救いの御手であった、などと一貫していれば信憑性も高くなる。ツカサは目的通り扇動者として人々の記憶に強く焼き付いたわけだ。
そしてその使徒であるのが守護騎士・ルシリュであったことも市井の人気を集めた。質実剛健に職務にあたってきたルシリュの本領発揮となった。真に守護騎士であるルシリュが付き従う人こそが、神子である、と人々に認識させたのだ。
上手く担がれたものだ。だが、シュンを偽神子として貶め、周囲から味方を減らす当初の目的は既に達された。しかし当然副産物もあった。それが暴動だ。
絶対的な主君として仰いでいた神子が偽物である。そこに心の拠り所を求めていた人々が混乱に陥るのも無理はない。特権階級に行き渡った情報は民にとってどこまで信じればいいかわからない情報にもなり得る。だからこそ、考えることをやめ、もうだめだ、と思うに至る人々も一定数いるのだ。そういった人々による「どうにでもなれ」が治安の悪化と暴動に繋がった。
ツカサはぼんやりとその出来事をイーグリステリア事変と似ているなと思った。あの時もヴァンは治安の悪化は改善よりも早く広まると言い、危惧していた。実際、イーグリスに戻る道中、権力を笠に着て横柄な態度をとり、本分を捨てていた軍人も見た。ヴァンが早急に手を打たなければどうなっていたのだろう。同じように、ここではルシリュがその楔になろうとしていることに気づいた。
ルシリュはどうやって動くつもりでいるの?
「真の神子は別にいる。神殿にいる神子は確かに偽である、と情報が真実であることを認めた上で、真の神子が立ち上がっていることを明言し、まずは混乱を収める方針です」
ひとつ認めて落ち着かせ、方針を打ち出して道筋を見せる。いい手段だと思った。では神子を出せと言われたら次の手に移るのだろう。ツカサはちらりとキスクを見遣った。それまでにキスクにきちんと話し、覚悟を決めてもらわなければならないだろう。ドルワフロの頭を引き継ぐだけでも重責だというのに、この大陸の民を背負うとなればまた話は変わってくる。そのための助力を、経験を、教育をするには今しかないだろう。ぐっと糸くずの腕に力を入れて体を起こそうとしたが、へろりと力が抜けてセルクスの手のひらにとろけた。あれ、と困惑して藍色の瞳を見上げれば痛ましげに見つめられていた。
「少々無理が過ぎたようだ。消耗が激しいな、理の水か、女神の欠片を受け取らねばなるまい」
「先生、もしかして危ない!?」
キスクが慌てて駆け寄り、セルクスの横からそうっと手を差し出してきた。目の前にある指先を掴む気力が沸かなかった。眠くてたまらない、うとうとと眠りに落ちそうな瞼を必死に開いている状態だった。
「私はまだ渡すわけにはいかない。ショウリも今はまだそのままでいるほうが良いだろう。トルクィーロに会わねばならんな」
「親父の持つ、欠片を?」
それはキスクにとって父との別れを意味する話だった。セルクスはキスクを振り返り、端的に答えた。
「そうだ、トルクィーロにはあるべき姿に戻ってもらわねばならぬ」
藍色の瞳は穏やかにキスクを見据えていた。まるでただ明日の天気を伝えただけだというかのような、自然な流れでの言葉だった。キスクはセルクスの手の中でうつらうつらとしているツカサを見遣り、それから俯いて拳を握り締めた。
「なんで、親父から?」
絞り出すようにキスクが尋ね、セルクスは手の中のツカサを愛玩動物のように撫でながら答えた。
「トルクィーロの中には女神の欠片とタルマティア、土地神の力がある。それがあればツカサはある程度危機を脱せるだろう」
「ショウリは、どうしてまだダメなんですか」
「キスク殿!」
キスクの言葉にテルタがガタリと立ち上がった。誰だって家族を失いたくはない。両者は言葉を続けられず、ただ睨み合うばかりだ。同盟が壊れてしまう。ツカサはどうしようもない感情に理解も示し、諍いを止めようとしたが声が出ず、強い睡魔にかくりと落ちそうになってきた。不味い、そんなことを考えている場合ではないかもしれない。セルクスに訴えかけようとしたところで、体の内側からふわっと柔らかな風が吹いた。
「よせ、やめるのだ」
厳しいセルクスの声にハッと目が覚めるようにしてツカサはぽよんと震えた。先ほどまであった倦怠感と睡魔がどこにもなかった。ただ、内側のどこかが少し隙間風が吹くような、寂しい感じがした。
「理の女神が少し力を分けてくれたのだ……! ええい、愚か者ども! 彼女が消えても、ツカサは死ぬのだぞ!」
立ち上がるのではなく、ぶわりと衣を広げながら浮かび上がったセルクスの声が部屋中を低く震わせ、ミシミシと家が軋んだ。キスクもテルタも叫び声も上げられないまま後ろに倒れ、ガタガタと震えてセルクスを見上げていた。セルクスはそれらを睥睨した。
「別れを告げる時間があるだけ有難いと思わぬか! 容赦なく、今ここで、そこなる穢れから欠片を奪ってもよいのだぞ!」
セルクス、待って、待って落ち着いて!
ツカサは必死に糸くずの腕でセルクスの指を掴み、引っ張った。誰か、とヴァーレクスを振り返れば興味がなさそうに扉に寄り掛かったままだった。役に立たない、と思いながら改めてセルクスの指を引いた。セルクスの怒りに震えた藍色がツカサを捉えると、すぅっと冷静さを取り戻し、椅子にことりと座った。キスクも、テルタも、席には戻れなかった。
「……HP的にどういう状態なんだよ」
ショウリが仰け反った背を戻しながら尋ねてきた。セルクスはじろりとそちらを見遣り、ふぅー、と息をついた。
「命は徐々に削られている状態だ。ツカサが自身の体に戻るまで、永遠にな。女神の欠片とて大きく回復するだけで、削られる状態は消えるものではない」
セルクス、もしかしてゲームをやったことがあるんじゃ。
「多くの記憶と命を見ているのでね、特に、あの世界が消える際に、運びきれない命を私は誘ったのだ」
なるほど、その時に見ていたというわけだ。ツカサとショウリにはわかりやすいので有難いが、今はそれに感動している場合ではない。依り代を貸してくれている理の女神の疲弊すら、ツカサの死に近づいていく。これはいい状態とは言えない。
ラングとの合流も急がねばならないし、体を取り戻すのも急がねばならない。何からやればいいのだろう、どこから手を付ければいいのだろう。ツカサはじっと考え込んだ。まずは状況をもう少し詳細に把握しようと思い、顔を上げた。
セルクス、どのくらい時間があるものなの?
「彼女が少し無理をしてくれたのでね、三日、四日程度はどうにか持つだろう」
じゃあ、その間にラングと合流したいよね、ラングなら、女神の欠片をもらっても、影響がないはずだし。首都・レワーシェを出て、ドルワフロに行く手立てを得なくちゃ。キスク、通訳して。
ツカサは床で呆然としているキスクに役目を与えて正気に戻し、キスクは泣きそうな声でその言葉を皆に伝えた。ショウリは難しい顔をした。
「正門って意味なら、首都・レワーシェから今は出れねぇよ。偽神子が門を閉じてるからな」
こじ開ける人はいない?
「まだ権力的なもんはあるみたいだぜ。その、女神の欠片ってのが必要なら、トルクィーロとは会った方がいいだろ。それなら整えられるはずだ。……俺はそういうのが全部済んでからにしてぇ。跡継ぎはいるけどよ、そういう手配、俺が指示してやってっから。ルシリュたちにも別れは告げたい、あいつら、ダチなんだよ」
わかった。お願いするしかなさそう。キスク、覚悟、決められる?
ツカサがそうっと床に居るキスクを覗き込めば、ぎゅっと唇を結び、今にも泣きそうな顔でこちらを見上げていた。
「……死んだはずの親父と、少しでも過ごせたのはァ、幸せェだったんだなァ……」
震えた声だった。けれど、それは必死に現実を受け止めようとする声だった。




