4-15:護衛は加護に反吐を吐く
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神に触れてきたツカサには自身の身のことでもあるので危機がよくわかる。同じく半神に振り回されたショウリも事態を重く捉えた。ツカサとショウリは表裏一体だ。片方が生きるために片方が死なねばならない。
そしてまた、キスクとテルタも同じ状況に立たされていた。どちらが早く失うかだ。両者に恨まれても仕方ないなと思う気持ちと、いずれここを立ち去るのだという無責任な気持ちと、ツカサの内心もまた複雑だ。
ツカサが死んだ際、その身のスキルや楔、加護、祝福がどうなるのかという不安もあり、これもまたラング同様【元に戻さねばならない】事態の一つなのだ。
そもそも、ラングを元の世界に戻すだけではなく、ツカサ自身、生き延びなくてはならない。そうアルと約束をしたのだ。
――約束してくれ、ツカサ。生きて結果を見るんだ。ラングを元の場所へ戻す、ツカサは生きてその結果を確認する。いいな? 絶対に自分を捨てるんじゃないぞ。頼むから、託さないでくれ。
キスクの事情も、ショウリの事情も知っている。だが、ツカサだって生き延びて辿り着きたい未来がある。そのために奪わなければならないのなら、やるだけだ。ただ、できれば、その方法は穏やかである方がいいとも思う。
ショウリが別れを告げてからにしたいと言ったのも当然のことだ。商会の家族と、ここまでともに戦ってきたルシリュたちと、きちんと別れを経て、その体を保っているものを渡したい。ツカサだって自身が同じ立場であればラングやアル、今まで出会ってきたすべての人に別れを告げてからそっと消えたい。
もしかしたら、世界が生き延びた先で見られたはずのテルタとテルマの幸せな未来だってあるかもしれない。ショウリはそれを見られなくなるのだ。それを奪うのだ。ツカサはぼんやりと、すべてを得る道はどこにもないのだなと考えていた。すべてを得るためにがむしゃらに頑張れるだけの体が今はなく、目の前の問題の解決ができた暁には再考したい。
しかし、だからこそ、猶予はあってもいいはずだ。セルクスは何かを言いたそうではあったが、神としての本分か、怒号を上げたことに対して気まずいのか、沈黙を貫いた。
一先ず、移動をすることにした。今、ショウリが滞在している宿にルシリュたちとトルクィーロもいるらしく、一石二鳥だという。この隠れ家は記憶をそのままにして一度立ち去ることになった。
そのままでいいの?
ツカサが問えば、セルクスは首を左右に倒してぱきぽきと鳴らした。
「これを解除するのにもまた力が必要なのだ。一度置いてしまえば手を離れるのでね。私が招かなければこの記憶に入ることはできないので、問題ないだろう」
なかなかのセキュリティの高さだ。いざとなれば戻ってこられる場所が多いのは助かる。夜の間に移動をしてしまおうということになり、ツカサはキスクの手のひらを選んだ。いずれ父の命を奪う黒いスライムをキスクがどう受け止めるのかを試す気持ちと、魔力を借りたいという邪な想いと様々なものがあった。逡巡の末、キスクはツカサを優しく手で持ち上げた。
「わかってるんだ、親父が死んでいるのに、あの状態なのが不味いってことは……」
頭での理解と、心の整理が同時にできないのもまた人だ。ツカサだって渡り人の街と父のことで、程度と内容は違えど葛藤は抱いた。
モニカという妻を得た今、離れ離れになってしまった今なら、何か縋るものを求める気持ちも理解はできるが、当時はできなかった。そして、決定的に違うのは、ツカサはその状態に陥っても、仲間が、兄が居るからこそ気持ちが他にいかないという点だ。恵まれているのだと、常に思う。
ツカサはキスクの指をきゅっと掴み、ただ寄り添った。謝ることも、励ますことも、同意を示すことだって、それは誠実ではないだろう。キスクの葛藤はキスクのものであり、それが言語化されるまではツカサには正しく理解できないものなのだ。キスクはツカサの糸くずの腕にそっと指を重ね、ありがとう、と言った。
「行こうか、先生」
うん、そうだね。
ツカサはそっとキスクが襟元に入れ、そこに落ち着いた。
「じゃ、道案内は俺とテルタだな」
ガチャリと扉を開け、明るい室内から外へ出た。頭が混乱しそうだった。聞いていたとおり扉を開いても夜の闇に室内の光が伸びることはない。外に出て振り返れば室内は真っ暗闇、入り口は埃にまみれていて元の状態だ。テルタが眩暈を起こしていたが、詳しい説明をしている時間はない。行くぞ、とショウリの声で一行は移動を始めた。歓楽街の明るさが夜空を覆うどんよりした雲を反射してか、道は薄っすらと明るいように思えた。
ユキヒョウは相変わらずキスクの腹をふくよかにしていて、蛇はセルクスの服の中。牡鹿は小鹿になってヴァーレクスに肉のように担がれていた。屈辱だ、と小鹿はぶつぶつ言っていたが、見せ方としては最高の誤魔化し方だとツカサは思った。
市街地まで戻ってきた。歌に笑い声に客引きの声。以前と変わりのない様子もあれば、どことなく不安を抱えた表情にも見えた。皆がこの幸せが崩れるはずがないと思い、心から浮かべていた笑顔は引き攣っていて、以前とは違う空気だった。
なんだか、不穏だね。前は前ですごい笑顔で、幸せいっぱいです、不安なんて何もありません、みたいな空気だったのも怖かったけど、今はギリギリを保ってる感じがする。
「あぁ、うん、そうだな。見ないふりをしている感じはする」
それだ、とツカサはキスクの首元からひょっこりと顔を出して頷いた。そうした不安は予感であり、現実となる。
ガシャン、と食器の割れる音がした。かき鳴らされていた音楽が止まり、狂うほど踊っていた人々の足が止まり、手が離れる。
「偽物だったんだ! だったら! ここも、もう、危ないんだろ!」
自暴自棄になって手当たり次第にものを掴んでは投げる男が悲痛な声で叫んだ。酒に酔ってのことか、すべてに絶望してか、恐らくどちらもだ。それを哀れな目で見ている人々もいれば、怯えている人々もいる。男は、わぁ、と叫びながら賑やかな音に救いを求めて走り去っていった。粉々に砕かれた食器の破片がまるで男の心そのもののようだった。
「行こう」
ショウリは見ないようにして先を急ぎ、その後に続いた。
暫くして宿に辿り着き、部屋を宛がわれた。ショウリは商会の人に声を掛けられ、とにかく話はまた朝に、とその場を急いで離れていった。残された一行は案内された部屋に全員で入った。
泊まらせてもらっていた宿とはコンセプトが違い、ここはなんというか、アラビアンだった。フロアソファーにたくさんのクッション。部屋の中はレースのカーテンがふわふわと揺れていてランプも明かりを入れると影が柄になっているなど、装飾が細かい。天蓋付きのベッドは明かりがあってもレースでじわりと滲むようで、雰囲気があった。しかしながらツカサの目にはすべて明瞭に映るため、その感動も半減だ。部屋の散策が終わるころ、セルクスが言った。
「ツカサ、眠れる時は眠りなさい。それだけ消耗を抑えられると言っただろう?」
「何かあったら、起こすよ、先生」
うん、それじゃ、ちょっと寝ようかな。
そっと、キスクがベッドに置いてくれた。こんなに広いベッドを独り占めしていいのかな、と軽口をたたきながら横になれば、ツカサは即座に眠りに落ちた。じわじわと落ちていく時間もなくだ。キスクは突然ツカサが動かなくなって慌ててしまい、持ち上げようとしたところをセルクスに止められた。
「眠らせてやりなさい。本当に、厳しい戦いなのだ」
ツカサが限界を迎えるのが先か、その体を貸している理の女神が限界を迎えるのが先か。
ショウリが別れを済ませるのが先か、トルクィーロとキスクが別れを済ませるのが先か、ラングに出会えるのが先か、セルクスが欠片を渡し消えるのが先か、体を取り戻せるのが先か。
「神様には、答えがあるんじゃないのか、いや、あるのではないのですか」
「先ほどは思わず使ってしまったがね、私は今、ただの人だ」
よっこらフロアソファーに横になり、ただの人は言った。
「選択を迫られているのは、人も、神も、常に同じなのだ。私も休ませてもらおう。おやすみ、キスク」
ごろりとソファに頭を乗せてその人は目を瞑った。キスクは困惑を抱いたまま、服の中から這い出てきたユキヒョウが大きくなってツカサを包むようにベッドへ陣取った後、ツカサの横、ユキヒョウの腹に寄り掛かるようにして位置を整え、同じように眼を瞑った。疲れがあったのは事実だ。キスクもまたすぐに眠りに落ちた。
――ヴァーレクスは寝息の聞こえる部屋の中、入り口横に座り込んで休息と哨戒を続けていた。廊下を走り回る宿のメイドたち。できるだけ気配を消して歩き回る戦闘員らしき気配。どれもこれも雑音であり、雑魚であった。やはりあれだけの手練れは人生に一度出会えればいい方なのだろう。だというのに、失うのだぞ、と言われてしまった。ヴァーレクスはフロアソファーで横になる神であり今はただの人であるという男を眺めた。
ヴァーレクスにとっては突然の来訪者だった。
一度剣で斬り掛かり、その首を斬り損ねた神。軍人どもの捕虜であった時に再会した神は穏やかな笑みで、たとえ剣が届いたところでその刃は届かないぞ、言った。ならば試そうと改めて斬り掛かろうとしたところ、ピタリと動きを止められてしまった。たかが横笛ひとつ、だというのにそれが下げられれば、倣うようにして膝をつかされた。さて、と悠々切り出した神は一言、褒美を与えると言った。
私が私で在れるように、それがほしい、と言えば、なんとも漠然としている、困る、と苦い顔をされた。そういうくらいならばこれだという褒美を用意して来ればいいのだと眉を顰め返せば、神は唸った。
「……決闘までにもっと明確なものにしたまえ。もし、その考えが変わらなければ、褒美であり地獄が汝を待つだろう」
思わせぶりなことを言う。神などそんなものか。体を押さえつける何かが消え、神は衣を翻して消えた。円を描いて残った光の粒子は地面に吸われ、やがて跡形もなく消えた。ゆっくりと立ち上がり、その跡を踏みつけてやった。
結局、希望は決闘まで一言一句変わることはなかった。神は現れず、どうでもいいと思っていた。死んだとも思っていたのだし、誰かから与えられるものがどの程度影響を及ぼすかもわからず、それならば要らないとすら考えていた。
それがどうやら間違いであったことを知ったのは、弟子を追って黒いおかしな泉に落ちても無事だった時だ。特に勝算はなかったが、抗うことくらいはできるだろうという単純な考えだった。これがいったいなんであるのか、尋ねるのならば神だという男がふさわしい。ヴァーレクスがそれを切り出す前に神が自ら唇を開いたのは、弟子が気味の悪い物体になり眠っている時のことだった。
「さて、ペリエヴァッテ・ヴァーレクス。汝へ与えられた加護について、説明をしよう」
契約事項などは先んじて提示しておくべきものではないのか、と当然のことを言えば、神は目を丸くして言った。
「なんと。君は案外まともなのだな」
ぷす、と黒い気味の悪い物体が零した寝息のような何かが無ければ、ヴァーレクスはその男を斬っていただろう。
そもそも、ペリエヴァッテ・ヴァーレクスは褒美だというのならば貰っておこう、程度の考えであった。
ヴァーレクスは女神・イーグリステリアがすべてを変えるのだ、創りなおすのだと言った時、その言葉の正しい意味を図りかねた。ただ、自分が自分ではなくなるということだけは理解し、パニッシャーに与した。少なくとも奴らはその【変える】という事態に対し真っ向から抵抗していたし、いずれ殺す男の技量を探るにもちょうどよかった。弟子ができたのは想定外だったが、結果は変わらなかった。
命を拾った後、ヴァーレクスは悠々自適に生きていた。コーヒーを飲み、ダンジョンで遊んでみたり、手練れを探したりだ。最高の好敵手を知ってしまったがためによい相手は見つからなかったが、イーグリスは様々な意味で面白い場所だった。
弟子のところへ行き、タルワールを回収しようとして遭遇した事態。あの時、誰一人としていない世界に取り残されたことが、ヴァーレクスに訪れる誰よりも悲惨な未来なのだと神は話した。
黒い珍妙な生きものとなった弟子が眠るのを時々眺めながら、諸々の説明を受けた後、神だという男が改めて切り出した。
「汝への褒美は、影響を受けない、変わらない、汝であり続ける、つまり、言ってしまえば【理失いであり、固定者】なのだ」
「どういうことで?」
「たとえば、そうだな、今回、君はツカサに会おうとして家に赴いた際、人が消える現象を見ただろう」
小娘や女、戦士の女、メイドどものことだろう。ヴァーレクスは頷く代わりに眉を上げた。
「君はその【時】から、【軸】から動くことができない。過去から及ぼされる影響により、君のいる場所が変われば、何もなくなってしまうのだ」
男は地面に棒で線を一本描き、そこに丸を乗せた。これが君だ、と言われ、一先ず頷く。線の左端に棒を持っていき、男は最初、線をなぞっていたが、やがてそれは徐々に上向きに動いていき、丸のある線からずれた。同じように何度か線を途中まではなぞり、下に、丸のある線を波打たせてなぞったりと、同じものはなかった。
「ずれてしまうのだ。過去にあるべきものがなくなり、あるいは過去に別の出来事が起これば、君はその【既に存在してしまっている世界】に、一人、取り残される、置いていかれる。それが、【理失いであり、固定者】であるということだ」
「……些か気になる点もありますがね、言いたいことは理解しましたよ」
人っ子一人いなくなったあの世界、あれはそうした褒美の弊害らしい。神というのは人の望みを正しく叶えられないのだとヴァーレクスは深く理解し、やはり信ずるものは己のみだという考えに確信を抱いた。確かに望まない結果であり、悲惨であろう。誰かに会いたいと願うことはないが、戦う相手のいない世界などあまりにもつまらない。自害してしまうかもしれない。男はヴァーレクスの視線を呼ぶために咳払いをしてから言った。
「だからこそ、君は協力しなければならない。好敵手である【パニッシャー】を失いたくないのならば、ラングを元の世界へ戻すしかない。そしてまた、変えさせないためにツカサを守るしかないのだ。彼が持つ【変換】は、力に耐えうるだけの器があれば、世界を変えられてしまう。神の力だ」
ちらりと視線を追えば、黒くて奇妙な塊が時々ぷるん、ぽよん、と震えて息をしていることをわからせた。そこに眠る弟子の顔がぼんやりと浮かび、目を逸らす。ただの小僧だ。御大層な何かを持っているようには見えない。しかし、それがあの黒いダンジョンの中、血を流しながら抗っていたことを思い出した。
「実のところ、君と彼は相性がいい。片や【変えられる者】であり、片や【変わらない者】だからな。あぁ、しかし」
ちらり。男が揶揄うような眼差しでこちらを見てきた。
「君は、彼からいい影響を受けて、そうして変わることは嫌ではなさそうだ」




