4-11:身を示すもの
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ユキヒョウの足の下で牡鹿がジタバタしている姿はまるでアニマルなんとかの番組を見ているかのようだった。
ユキヒョウの上から吹っ飛んだキスクは木々の隙間を縫って草に落ちて転がっていき、セルクスは横に倒れて呻き、ツカサは蛇とともに吹っ飛んで木にぶつかり、根元にぺちょりと落ちて少し広がった。無事だったのはヴァーレクスだけだ。
「シャムロテス、そういうところ、本当に嫌い」
「ひ、酷いのである! 嬉しくてしたことなのである! でもごめんなのである!」
蛇がよろよろ戻ってきて開口一番告げた言葉に、ユキヒョウのシャムロテスはショックを受けた顔で牡鹿の上にそのまま伏せをした。
「うううぅ! 重い、重い! 我を解放せよ!」
「トルトンテも酷いのである!」
「シャムロテス、退いてやりなさい」
こちらもよろよろ起き上がったセルクスが言い、ユキヒョウは渋々立ち上がると草むらに落ちてそのままのキスクを拾いに行った。ツカサはヴァーレクスに糸くずの腕を伸ばし、どうにか摘まみ上げてもらえた。ぷるぷるの感触が嫌らしく、ヴァーレクスは手のひらには乗せてくれず、まるで汚物を摘まむように運ばれるのは自尊心が抉られる。
「やれやれ、勘弁してくれ、私は戦闘は大の苦手、反射神経とてよくないのだぞ」
パッパッと手で払えばセルクスの旅装束は土をさらりと落とし、綺麗になった。便利だ。ユキヒョウはキスクを口で銜えて戻ってきた。捕食された人間みたいになっていてヒッと声が出そうになった。
草まみれ土まみれのキスクは全身を打ったのだろう、辛そうに呻いていた。これにはさすがにユキヒョウも申し訳なかったのか自身の体に寄り掛からせ、キスクの顔をべろべろと舐めている。それは逆にダメージにならないのだろうか。
ツカサは咄嗟に治癒魔法をと思ったが、この腕では治癒魔法を掛けることもできない。ツカサはぷらんと揺れながら糸くずの腕を眺めた。
理の女神が体を貸してくれているからか、魔力というものが体に存在しないらしい。そもそも肉体が違うのだから然もありなん。扱い方は知っているのにそれができないことにもどかしさを覚えた。
「すまないが、私の力はいざという時のものだ、よぅく休ませるか、機転を利かせなさい」
セルクスはちらりとツカサを見ながら言い、改めて座り直した。今のはちょっとした助言だろう。ツカサは糸くずの腕をキスクの方へ揺らし、ヴァーレクスに運ぶことを要求した。ユキヒョウに寄り掛かって未だ目を回しているキスクの膝に落ちれば、うわぁ、と奇妙な物体に悲鳴を上げるだけの元気はあるらしい。
「な、なんだこれ!?」
「ツカサだ」
「え!? なに!? ツカサ!? ツカサって言ったか!? ひぇっ、あんたは誰だ!? あんたも!」
「ははは、落ち着きなさい、後でちゃんと名乗ってやろうとも。それよりツカサが何かを伝えたそうだぞ」
これ、ツカサ、どういう、とキスクは混乱しつつも膝で自分を見上げている黒い物体を恐る恐る見下ろしてきた。ツカサは糸くずの腕をぶんぶん動かし、その度に体がぷるぷると揺れ、その行動で何やら気が抜けてきたらしいキスクは少し笑みすら浮かべ始めた。
腕を内側から外へ、ん、っぱ、と開くように何度も動かした。通じない。キスクは微笑んでいるだけだ。指先でつついて感触を確かめ、ぷるん、ぽよん、とツカサを揺らして徐々に好奇心が勝ってきているのがわかった。いいから意図を汲み取れ、と糸くずの腕でその指先をペシリと叩いた。埒が明かず、セルクスを振り返って怒りの動作を取った。
「ははは、わかった、すまない。いや、努力が涙ぐましいと思って、ついな。キスク、魔力を放ちなさい」
「魔力を放つ……?」
きょとんとキスクは目を瞬かせ、膝の黒い物体、ツカサを見下ろした。どうすればいいのかわからないのだろう。感情に任せて魔力暴走をした時のことなど、人は覚えていないものだ。ツカサはキスクが魔力を出しやすい方法を考え、リュートを弾く動作をしてみせた。
「あぁ、いや、うん? リュート? いや、あれは壊れ……もしかして歌?」
それ! ツカサは糸くずの両腕を上に持ち上げてぺちぺちと拍手した。見知らぬ男二人、喋る牡鹿と白い蛇、それに黒い物体に視線を注がれて居心地が悪かったのだろう。キスクは呻きながら尻の位置を直し、全員を見渡した後、すぅ、と息を吸って歌を歌った。ドルワフロの短い春を歌う柔らかな歌だった。そして思ったとおり、その歌声の響きに乗せて微かな魔力の放出を感じた。ツカサは糸くずの腕でそれを掴んだ。
漂う魔力を操って、それを癒しの魔法へ変えキスクに返した。魔力さえあれば扱うことができる。魔力はないけれど、制御と調整のできる者が扱えば、それは上等な魔法に変わる。涎を垂らしそうな同僚の顔を思い出して、少し寂しくなった。ツカサが同僚の顔を振り払いながら治癒魔法を掛け続ければキスクの打撲は癒えていき、困惑から驚きへ、それから納得と確信へ音が変わり、歌いあげられた。
キスクはじっとツカサを見下ろしてから手を差し伸べ、ツカサはそれに素直に身を任せた。
「……先生? 本当にツカサなのか、俺の体に魔力を通した時の、あの感じと同じ……、先生!? なんでェこんな姿ァ!?」
ようやく立てたスタートラインに、ツカサはぺちょりと脱力した。
説明はセルクスに任せた。話を聞いたキスクは情報処理に時間が掛かるらしく、その間ユキヒョウに舐められたり甘噛みされたりと好き放題にやられっぱなしだった。キスクはユキヒョウの眉間を撫でたり耳の後ろを掻いたり顎の下を撫でたりとぼんやりしながらも相手をしていたので、ここまでユキヒョウに撫でることを多々要求されていたことがわかった。
太陽が真上を越えて午後に差し掛かる頃、ようやくキスクが動いた。
「ええっと、わかった、うん、たぶん。これはツカサで、神子に体を奪われてこうなった。それで、牡鹿と蛇はシャムロテスと同じ土地神で、味方。あなたは、神様の一人で、そっちは、ツカサの師匠の一人」
うん、そう、とツカサがぷるんと頷いた。
「で、ええと、これからやりたいことは、ツカサの体が全部奪われる前に、今ツカサの体を持ってる奴から取り返す……、あってるか?」
うん、そう、と再びぷるんと頷いた。それでも未だ混乱はしているらしく、キスクは唸っていたが、一先ず受け止めてくれた。そういうところは本当に強いと思った。
頭ごなしにそれは違う、とか、あるわけがない、とか、否定と拒絶をすることは簡単だ。話を聞いて、その真偽のほどをじっくり考え、自分の言葉で答えを持てる人ほど、芯を持つ。ツカサの脳裏に浮かんだ兄の姿に、急に寂しくなってぺちょりとしてしまった。この体、気持ちが肉体にそのまま出てしまう。
「大丈夫か?」
心配してくれる友人の顔を見上げ、指をきゅっと握り返して体を戻した。
さて、気を取り直して、キスクの魔力を借りられるのならば、ひとつやっておきたいことがあった。ツカサは髭面の男を振り返った。こいつの風呂と髭だ。再びキスクを見上げて歌を要求し、それが魔力を貸せということだとわかってくれたキスクは、どのくらいの長さかと尋ねてきた。歌の長さで魔力量を測るのはツカサには逆に難しいのだが、こういうのは感覚なのだ、仕方ない。ちょっと長いのがいい、と糸くずの腕をがんばって広げてみせた。
キスクは立ち上がって少し自分の中の魔力を整えると、息を吸って歌った。
おぉ 高らかな大空 飛び立つ鳥よ
澄んだ風 渡る谷 切り立つ崖 厳しき大地
赤い木の実 命の証 渇きを癒し 種を残す
深き谷 命を受け止め 再び風となり 舞い戻れ
おぉ 響き渡らん ファンファ・ルース 崖の街 風の街
命ひとつ存在しなかった崖の街にも、誰かが歌った歌があったのだ。その曲調は少しアップテンポで、あの街にも祭りのようなものがあったのだろうと窺えた。ツカサは魔力をするすると調整し、風呂を創り、水を入れ、沸かしてやった。あっという間にホカホカの湯気を立ち上らせる風呂が出来上がった。
「あぁ、なるほど、こうやって創るのかぁ」
歌い上げたキスクは自分の魔力を使って実際にものを創りあげるとわかりやすいらしく、その横に同じようなものを創り、土の強度の確認や、水を出し、それを沸かす感覚を自分のものとしていった。これは怪我の功名だったかもしれない。
ツカサは糸くずの腕でヴァーレクスをちょいちょいと呼び、風呂を示し、むにむにと両頬を持ち上げて示した。
「ふむ、確かに髭は剃りたかった」
「え? なんて?」
キスクはヴァーレクスの言葉がわからず目を瞬き、急に脱ぎだした男に素直にビビったらしい。バサバサと地面に投げ捨てられた衣服と脱いだ男の体の筋肉の付き方に、そこは鍛冶師の里の生まれ、じっと眺めていた。ヴァーレクス自身そうした視線を気にしないので湯を掬い、顔を拭い、気にせず湯あみを始めた。
なんだろうな、この空間、とツカサは頬杖をついて少しだけ遠い目をした。
「小僧、石鹸とナイフはないのか」
そうはいっても、とツカサは空間収納を使えるのかどうか覗いてみた。がらんとした場所に、ぽつぽつと物が落ちていた。
なんだろうと取り出せば、パンパンに膨れた革のショルダーバッグが二つ、余裕のあるショルダーバッグが一つ。
感ずるもの、豊穣の剣、マール・ネル、魔獣避けのランタンが出てきた。キスクを促して開けたショルダーバッグには【記憶の宝玉】、【仮初の記憶石】、【ラングの秘伝書】、ホットワインのボトル、それにこれは、ジャイアントスネークの蛇皮だ。そっと宝玉類と秘伝書へ手を伸ばそうとした横で、ヴァーレクスは勝手に別のショルダーバッグを漁り、その中から石鹸と銀のナイフを見つけて取り出した。その手にあった石鹸にぶるるっと震えた。
だ、だめ! その石鹸はだめ! それはモニカにもらった初めての石鹸なんだから! 使っちゃダメなやつ!
ぴょん、とキスクの手から飛んでヴァーレクスの腕にしがみついた。やはりスライムの感触が苦手らしく、ぞわ、と鳥肌が広がっていた。振り払おうとするヴァーレクスの腕に必死でしがみついていれば、何か言いたいことがあるとはわかったらしく、摘まんで離された。
「なんだ」
「ふむ、どうやらその石鹸に思い入れがあるらしい。どれ、こちらではどうだ?」
セルクスがショルダーバッグから別の石鹸を取り出したので確認し、ツカサは糸くずの腕でマルを作った。舌打ちをしながらヴァーレクスはツカサをキスクに戻し、セルクスから石鹸を奪った。ツカサはぷるぷると怒りを訴え、それから宝玉類と秘伝書と石鹸をショルダーバッグに入れた。空間収納の暗闇にまだ何かぽつんと落ちていたが、後で確認することにした。
濡らした髪をざくり、ざくりと銀のナイフで斬り落とし、足元に紫鳶色の毛が落ちていく。髭も少し短く整えてから石鹸を泡立てて顔になべり、器用にナイフで剃る姿はなかなか見ない光景で、ツカサもそれを眺め続けてしまった。あんまり髭が生えないんだよな、手入れしなくていいの楽だけど、とツカサは糸くずの腕で顔を撫でた。
首筋にナイフを当てるのも想像するだけでぞわりと来た。それが滑り、泡と髭をつぅーとなぞっていくのは見ていて気持ちがいい。あれだ、高層ビルの窓の掃除みたいな快感だ。顎も、頬も、本当に器用に剃り上げた。一度バッサリと切った髪も【ラング】が切ってくれていたように摘まんだところをサリサリと切り、長さを合わせていく。最後は面倒になったのか随分適当に終わったが、それでも見慣れていたあの男の顔になった。
本人を知れば嫌味にしか思えないすっと通った鼻筋、人を小馬鹿にしたような視線さえなければ凛々しい彫りの深い目元、くんと上がったアーチ形の眉は貴族の名残を感じさせた。
ざばりと湯を浴びて掻き上げたオールバックは乾けばパラパラと前に落ちてきているが、うっとおしくはないのだろうか。すっかり【ラング】に整えられた長さに慣れているツカサは目元に髪が掛かると気になって仕方がない。
「新しい服はないのか」
あまりにも図々しい。ツカサは、さぁね、と言いたげにぷるんと首を傾げた。ショルダーバッグに何が入っているのかは把握していないのだ。セルクスがどれどれ、と言いながら代わりに調べてくれた。荷物を調べながらセルクスは感嘆の声を零した。
「ほぅ、豊穣の剣、理の剣である感ずるもの、ランタン、マール・ネルもこちらに居るのは僥倖だな」
そうだ、マール・ネルだ。フゥゥ、と文句が聞こえ慌ててキスクに下ろしてもらい、そっと糸くずの腕で触れた。怒ってはいたが、あの状況では仕方ないというのも理解があって、お互いにホッと笑うように息をついた。そのままセルクスに持ち上げてもらってパンパンのショルダーバッグの中を確認すれば、当面の食料と、金と、身の回りのものが入っていた。
「ふふふ、彼女は随分と君の生き方に影響を受けていたようだ」
彼女?
「君に体を貸している彼女さ。君の冒険を覗いていたのは我々もでね、ふふ、必要だろうと思うものをかき集めたのがわかる。いい判断じゃないか?」
あぁ、そういえば夢の中で、不思議な経験をしたような気がする。あれは正しく自分の空間収納の中だったのか。
「しかし、あの散らかりよう、少し片づけてはどうだね?」
うるさい! 見ないでよ、すけべ! ツカサはセルクスの指を叩いた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
現在2026/3/16~20日の間、TOブックスさんの公式Xアカウントにて、3巻発売記念SSのアンケートを行っています。
ツカサと……誰の組み合わせでSSを書くか、アンケートの結果次第で書くものが変わるので、楽しく参加いただければと思います!
↓↓↓ 公式アンケートこちら。
https://x.com/TOBOOKS/status/2033491481730945302?s=20
1巻書影
2巻書影
早く3巻の書影もここに入れたいですね……。
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。




