4-10:ぷるぷるのからだ
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そういえば、ここはどこなのだろう。ぱち、と目を覚ましたはずが、ぷるん、と揺れるだけで動作に違和感を覚えながら糸くずの腕で目元を拭った。
「気分は」
声を掛けてきたのはヴァーレクスだ。見渡せば空は朝を迎えていて、焚火もないままここで休んだらしく、少し大きくなった牡鹿に寄り掛かるようにして旅装束のセルクスも眠っていた。ヴァーレクスは胡坐をかき、腕を組んで休んでいたらしく、ツカサのぷるんとした身じろぎで目を覚ましたのか尋ねてきたらしい。
大丈夫、というのを示したくて糸くずの両腕でムンッと力こぶを作るうような動作をした。呆れたような顔をされたが無事であることが確認できればいいらしく、ヴァーレクスは立ち上がるとぐぅっと体を伸ばした。
「そいつから事態は聞いた。パニッシャーを元の場所へ戻すのだという最終目標も理解した」
うん、と頷くように体が揺れる。
「今はユキヒョウなるものの合流を待っているらしい」
え、じゃあキスクと? ドルワフロにいるんじゃ。というツカサの質問は声にならず、そこでヴァーレクスとの会話が終わった。もどかしい、声が出さえすれば会話を続けることができ、詳細を知ることができた。ヴァーレクスはそのまま森の中に消えて行ってしまい、どこに行くのかすら問うことができなかった。戻っては来るだろうが、心配なものは心配だ。
ツカサは自由に動くこともままならない体なのでゆっくりと周囲を見渡し直した。牡鹿はまだ眠っており温かい。膨らみ、へこみ、呼吸が感じられるだけでなぜこんなに安堵感を得られるのだろう。同じように牡鹿に寄り掛かって眠っているセルクスは少し疲れた顔をしていて、頬に紋様はなかった。黒い命の溜まり場ではよく見えなかったがあれは時の死神の権能だったはずだ。今、その力の所在がツカサか、セルクスか、それともシュンか、どこにあるのかが気になった。
白い衣ではなく旅装束になっているセルクスはちゃっかり着けているマントで暖を取っておりぐっすりと眠っている。その首元がもぞりと動き、白い蛇が顔を出した時は驚きのあまり全身がぴちちと波打ってしまった。
「やぁー、初めましてだねぇ?」
のんびりとした口調で白い蛇が喋り始め、それが土地神・神獣であることに思い至り、座り直した。
「ぼく寒いと眠ってさぁ、時の死神様の懐にお邪魔してるんだぁ」
蛇って寒いの苦手っていうもんね、ところで、どこの土地神なの?
「西のねぇ、火山の方だよぉ。ラングとアルだっけ、ホムロルルと来た時にねぇ、一緒に来たんだぁ」
そうだったんだ。初めまして、こんな姿だけど、ツカサっていうんだ。ところで君は離れていいの?
「ツカサかぁ、君は滾る炎を鎮める大地のような子だねぇ。水が近ければ強いだろうねぇ。風があれば勢いを持つだろうねぇ。おもしろぉい。あ、ぼくはねぇ、エンケポル! まぁ、蛇でいいよぉ、みんなそう呼ぶんだもんなぁ」
のんびりとした会話は本当にゆっくりで、答えから先にすぱりと欲しい時には少しもどかしい。慌てても仕方ないか、とツカサは蛇・エンケポルの会話のペースに付き合った。ヴァーレクスとは違い、声にはならないものの意思疎通ができるだけで嬉しかった。
ラングとアルが火山にやってきて、ラングが水をもってして蛇を制したこと。帰りは火山の噴火に合わせて空を飛んできたこと。呼び声が聞こえて、蛇は黒い命の溜まり場、泉に飛び込んだことまでを聞いて、ツカサは少しずつ質問を重ね直した。
呼び声って? とツカサが問えば、声はなくとも聞こえるらしい蛇はしゅるりとセルクスの襟首から出てきてツカサをぐるりと体で巻いた。これから捕食されるカエルの気持ちを味わい、きゅっと身が細くなる感覚があった。食べないよぉ、と言いながら舌をスルル、と動かすのはやめてほしい。どうやらツカサの体は思っている以上に熱いらしく、蛇が暖を取るついでに冷やしてくれるようだった。確かにひんやり、心地よい。
「女神様の声だよぉ。今、君にその体を預けているぼくらのお嬢様。駆けつけて、助けて、っていう声でねぇ、久々に聞いたよぉ」
理の女神が? それで来てくれたんだ?
「ぼくは身軽だし、制約を受けてないからねぇ。それに、炎は人を焼き殺す熱でもあるけど、暗闇を照らす光でもあるでしょぉ? だから、時の死神様を手伝ったのさぁ」
ということは、あの時掲げていたランタンの吊り下がった杖は、この蛇そのものだったというわけだ。それを時の死神が扱えば導にもなるのだ。誘いの力を扱いはしても、それをどこへ導けばいいのかわからないツカサとは違い、それを知る者が扱うだけで質が変わる。なるほど、改めて神様なのだな、とツカサは未だ牡鹿に身を預けたまま眠り続ける男の顔を見上げた。
ふと気になった。理の女神の声はどこまで届いたのだろう。そう問えば蛇は首を左右に揺らし、んー、と少しだけ言い淀んだ。
「ううーん、たぶんねぇ、若い連中だけしか聞き取れなかったと思うんだよねぇ。ポットポス……きみ知ってるぅ?」
誰? とぷるんと揺れれば、大熊、と言われ、記憶の中一瞬だけ声を聞いたでかい熊を思い出した。身振り手振りをつけながらあの大熊かと問えば、そうそう、と蛇は楽しそうに頷いた。
「ぼくら定期的に生まれ変わったり脱皮したりするんだけどさぁ、世界がこんなふうになってからで数えるなら、大熊が一番年寄りなんだよねぇ」
理の仕組みには詳しくないので制約に引っ掛からない程度に教えてほしいと言えば、このくらいは平気だよぉ、と蛇はシュルル、と歌うようにのんびりと話してくれた。
土地神はその土地を管理する精霊のことを指す。生まれてから形になるまでが長く、幼い精霊のようなものから成体した精霊になるまでもまた長い。そこから各々役目を理解して理を回す循環の一部になるのだという。そうして長い時を経れば年を取っていくのは当然のことで、役目の交代が発生する。
「大体五百年くらいかなぁ? まぁこれはぼくらの世界の話で、世界によって時間も違えば仕組みも違うんだけどねぇ」
では、リガーヴァルではまた違うのか。向こうでは精霊そのものと付き合いが少なかったのでよくわからなかった。ツカサは、あっ、と声を上げるように体を震わせた。
この世界で土地神・神獣、いわゆる精霊たちが優しかった理由に気づいた。時の死神の権能だけではなく、いつから理の女神が内に居たのかはわからないが、彼らの言う主が居たからこそリガーヴァルではあり得ないほど親身に接せられていたのだ。では、その恩恵がなくなってしまえばこうした関係性も終わりを告げるのだろうか。なんだかそれはそれで寂しくなってしまった。言葉を交わせると知った相手がいる、けれど、次に見かけて手を振った時には無視されるようなことがあれば、落ち込んでしまうものだ。
つん、と蛇がツカサの弾力のある体をつついた。
「大丈夫だよぉ、ぼくらはもう、きみを知っているもの」
思わず糸くずの腕できゅっと抱き着いてしまい、あったかぁい、と蛇が笑った。少しぐすんとなった気持ちをしゃんとさせて、ツカサは続きを尋ねた。
代替わりが五百年として、大熊が最長老なのはわかった。若い連中だけしか聞こえなかった、その範囲はどこなのか、だ。
「ううーん、えっとぉ、大熊が一番年寄りでぇ、次がエントゥケ……大虎でぇ、大虎はギリギリ聞こえたかもしれないけどぉ、ホムロルルの役目を引き継ぎかけてるから動けなくてぇ、ぼくと、シャムロテスと、それからトルトンテ……そこの牡鹿が一番若くて、このあたりは聞こえてたかなぁ」
ホムロルルも結構年寄りなの? ツカサが首を傾げれば、えっとねぇ、と蛇はツカサの頭の上に顎を置いた。すっかりとぐろの中に収められてしまっている。
「ホムロルルはねぇ、土地失いで、理失いなんだよねぇ……。【時失いの石】の中で、必要に迫られて制約を犯しているから、風が渡って来たならこちらが返す、敢えてホムロルルに向けて咆哮を届けようとしなければ、受け取れないんだよねぇ」
じゃあ、ホムロルルは聞こえなかったの?
「ううーん、聞こえなかったと思うよぉ。お嬢、お嬢、って懐いていたから、知ったら傷つくかもねぇ。きみがここに居るのも、ぼくら黙ってるし。時の死神様がシーって言うからさぁ」
話を聞いて少し落ち込んでしまった。様々な情報をトリニクになる覚悟はあると言い教えてくれた代償が、焦がれ、聞きたい人のその声を聞けないことならば、これほど悲しいことがあるだろうか。蛇はさらりとした鱗で撫でるようにツカサの体を擦った。
「まぁ、そんなわけでぇ、ぼくは泉に飛び込んで、もっとも若い牡鹿も呼ばれて足になった。シャムロテスは慌てて戻ってきてるってところかなぁ」
目を覚ました時、多くの人物が周囲に居てくれた理由は理解した。理の女神が身を呈し、守ろうとしてくれた人たちが居たからこの姿でもまだ存在ができる。そのことにじわりと胸の奥が温かくなった。
ざり、と靴音がして蛇の隙間から覗けばヴァーレクスだった。蛇の首根っこを掴んで持ち上げ、その中にツカサが居るのを確認すると再び蛇を下ろした。外からだと見えなかったので位置を確認されたらしい。
ヴァーレクス、とツカサが面映い想いを抱いていれば、当の本人は目を眇め、ツカサを見下ろしながら呟いた。
「……馬糞にしか見えませんねぇ……」
ムカついた。ツカサは抗議の声を上げた。馬糞ではなく明らかにスライムであり、この弾力は一度手にしたら癖になるんだぞと糸くずの腕を振り回し、ぷるぷる震えながら怒りを示した。ヴァーレクスは眉を上げてその抗議を理解する気もなく、木の根元に座り直した。そちらへ向かってツカサはどうにか体を動かそうとしたが、足がなくて前のめりに突っ伏した。痛い、支える腕が細く弱いので鼻を打った。ヴァーレクスは短く嘲笑を零し、それにも苛立ったので体の弾力を利用し、ぽよん、ぽよん、びょん、と跳んでやった。飛んできた球を素手で横から取るようにして握られ、その感触にぞわりと来たらしく鳥肌が見えた。セルクスに向けて投げ返され、ぽすりと膝に落ちたその振動で受け止めた本人が目を覚まし、ふわぁ、と伸びをした。
「なんの騒ぎだね」
ツカサは訴えた。馬糞ではなくスライムであること、ヴァーレクスが失礼にもツカサを投げ飛ばしたこと。セルクスはまだ眠いらしく、うむ、うむ、と適当に頷いてツカサを膝に乗せ直した。
「あぁ、よい時間だ。ちょうど朝であったか。そして彼らも来たようだ」
セルクスは藍色の目を動かして先を示し、ツカサはセルクスの膝から覗くようにそちらを見遣った。
「エンケポルなのである! トルトンテなのである! 久しいのである!」
ユキヒョウが嬉しそうに飛び込んできて、牡鹿も、蛇も、セルクスも、そしてその膝にいたツカサもユキヒョウの上にいたキスクまでもがタックルで弾き飛ばされた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
ついに情報解禁に至りました!
3巻 刊行 です!
活動報告にも記載をさせていただきましたが、3巻は電子のみ、紙書籍をお待ちいただいていた方には力及ばず、申し訳ございません……!
こうなると現在販売中の1~2巻がもしかしたらパニ譚最初で最後の書籍になってしまうかも。
きりしまも書店様で直接買いたく、お取り寄せを依頼した際、在庫僅少と伺いましたのでお早めにお求めください。
ですが諦めていませんよ、3巻の紙書籍化……!
いずれ必ずや紙書籍でも販売していただくために、鋭意がんばってまいります!
一先ず、3巻の原稿をしっかりと書き上げます!
そして3巻の予約が4巻に繋がりますのでどうかお手に取っていただけますように……!
また、現在2026/3/16~20日の間、TOブックスさんの公式Xアカウントにて、記念SSのアンケートを行っています。
ツカサと……誰の組み合わせでSSを書くか、アンケートの結果次第で書くものが変わるので、楽しく参加いただければと思います!
↓↓↓ 公式アンケートこちら。
https://x.com/TOBOOKS/status/2033491481730945302?s=20
1巻書影
2巻書影
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